「変化は痛みを伴う」。

昨日は、法政大学ビジネススクールと共同で運営しているオープン講座があり、オールアバウトの江幡さんにゲストとしていらしていただいた。

江幡さんとのQ&Aセッションで、僕自身が勉強になったことがたくさんあったが、その中でも「やりたいこと・できること・やるべきこと」という話しが最も印象に残った。

オールアバウトというか江幡さんのマネジメントの考え方として、今までの経験から、本人の考えや志向性に係わらず、「やるべきこと」にコミットして、それをやりきった人で、「満足しなかった人(充実感を覚えない人)はいない」という話をされていた。

自分の人生を振り返ってみると、理屈では分かっているし、他人には「Want/Can/Should」の3つが重なったことが「Will」だとか言っていたくせに、自分自身は「Want」で生きてきたと思う。

もちろん、色々な苦労をしてきたし、そうせざるを得ない局面においては、「Should」を優先してきたと思うが、僕自身の基本的傾向として、自分のやりたいこと(Want)を優先してしまう傾向が強いと思う。そのことは、妻にも指摘されている。

必ず「変化は痛みを伴う」し、ましてや、この年になって自分を変えられるのかどうか分からないが、少なくとも「変わる努力」をしなければ変われないのは間違いない。

ゴルフと同じでフォームの矯正には多大な努力と時間を要するが、今が最後のチャンスだと思うので、勇気をもって変わる努力をしようと思う。

保育園の運動会

昨日は保育園の運動会があった。子供の運動会に出るというのは初めてである。

僕らがお世話になっている保育園は恵比寿ガーデンプレイスの近くにあり、ガーデンプレイスの真ん前にある「加計塚小学校(渋谷区立)」の体育館を借りて、朝9時過ぎからお昼前まで運動会が行われた。

土曜日の夕方、妻が悠生を迎えに行くと(18:00頃)、保育士の先生方が、まだ、日曜日の運動会の準備を一生懸命にやっていたそうである。

悠生が通っている保育園はゼロ才児から3~4才ぐらいまでの子供がいるが、運動会ではクラス(年齢)ごとに色々な種目があり、悠生達は「どんぐりころころ」の歌に合わせた種目だった。

それに使う「池」や「どんぐり」や「どじょう」などを、先生達が数週間前から工夫をして作っていたのだろう。

昨年の秋に開園した保育園ということもあるのかもしれないが、これだけ一生懸命に愛情を込めて保育をしてくれていることに感謝をしたい。

そして、社会がもっともっと未来の大人である子供に対して関心を持つよう、自分にできることをしていこうと思う。

追伸:それが仕事と言ってしまえば、元も子もないが、渋谷区長が挨拶に来ていた。

スパム・トラックバック

今までも毎日数件、多い時は10~20個のトラックバックのスパムに悩まされて来ましたが、昨日一日で、なんと、300個を超えるスパムのトラックバックに見舞われました。

因みに、すべて外国からのもので、IPアドレスは複数ありましたが、同じ組織のものと思われます。

たくさんの方々にトラックバックをしていただいており、とても残念ではありますが、さすがにこれ以上、放置できないので、一旦、トラックバックを受け付けないことにしました。

何卒ご了承下さい。

プライドを捨てる。

先月からベンチャー企業にフォーカスした「人材紹介」を始めたことにより、人事部の方とお会いする機会が増えた。今までの僕のキャリアの中では最も縁遠い人達だった。

「人事」というキーワードで、おもしろい話しがある。

僕が20代の頃に働いていたODSというコンサルティング会社の後輩で、インタースコープの創業メンバーでもある「久恒 整」という人間から聞いた話しである。

ODSでは様々なセミナーを開催しているが、彼が言うには「マーケティング関係の人は10分遅れてくる人が多い。経営企画部の人は、だいたい時間ピッタリに来る。人事部の人は、10分前に来る」という。この話を聞いた時、僕は妙に納得してしまった。

人事関連でもうひとつご紹介すると、つい最近お会いした、あるベンチャー企業の人事責任者の話しで、とても印象に残った話しがある。

「前職での成功体験がある方が入社してくることが多いですが、その『成功体験を捨てる』ことが出来る人は、当社でも『成功します』ね。逆に、『プライドを捨てられない人は成功しない』か、成長するまでに時間がかかりますね」。

とても納得できる話しだった。

更に言えば、自分のことを言われているような気がした。

頭の中では、スクラッチに戻ってのスタートだと分かっているつもりだったが、僕の心の片隅に、インターネットリサーチ業界をリードしてきたという自負があり、それが知らず知らずのうちに「手間ひまを惜しむ」姿勢を生んでいたように思う。

というか、事実、そういうところがあった。素直に反省をした。

こうして反省する機会を与えてくれた方と出会えた僕は、幸せな人間である。

発達障害

僕がこの言葉を知ったのは1年ぐらい前のことだ。大学院で臨床心理を勉強している妻から教わった。

2週間ぐらい前だったと思うが、日経新聞の夕刊に幼児教育と発達障害の記事が掲載されていた。

発達障害とは、文字どおり、何らかの理由で正常な発達が阻害されることらしいが、ADHD等、幼児期を過ぎて少年にならないと判断できない場合もあるらしい。

日経の記事に書いてあったのは、ハイハイの仕方で発達障害の可能性がわかるということだが、その解説によると、悠生のハイハイの仕方は、発達障害の可能性があるということだった。

妻にその記事を見せたところ、彼女は翌日に早速、その記事で発達障害のことを解説していた病院に電話をし、診察の予約を取った。新聞記事の効果で翌日は電話が殺到したらしく、たまたまキャンセルが出たので、翌週に予約が取れた。

結果として、悠生は発達障害はないとのことで安心したが、今回の診断は「自閉症」に関することだったようで、前述のとおり、ADHD等の障害は幼児期には判明できない。

子育ては、本当に心配が絶えない。今更ながら亡くなった両親に感謝したい。

五体満足で心身ともに健康であるということは、ただそれだけで幸せなことだと思う。

感謝の心と謙虚さを忘れないようにしたい。

久しぶりの「じゃんがらラーメン」。

僕が最初の会社を経営していた時(最後の頃)、オフィスが原宿にあり、原宿駅からすぐ近くにある「じゃんがらラーメン」でラーメンを食べて帰ることがよくあった。

貧乏ではあったが、まだ、30代半ばで、人生の時間(チャンス)はまだまだあると思っており、夢だけが僕を支えていた頃だった。

あれから7~8年の時間が過ぎ、インタースコープというベンチャー企業の創業と退任を経験し、年齢は40才を超え、極貧生活とそこそこの経済水準と、その両方を経験した今は、さすがに「根拠の無い夢」だけでは自分を支えられなくなっている。

しかし、懲りずにも、また、スクラッチから会社の立ち上げを行っている。

起業家生活も15年、起業も3度目になると、さすがに始める前にある程度のリアリティが分かるようになり、それ故に「怖さ」を感じるようになった。

先日のセッションで藤田さんが「自分が創業した頃のことを考えると危なくて任せられない。あの頃は何も分からなかったから(起業)出来たんですよね」と言っていたが、まさしくそのとおりである。

今日はドリームビジョンの創業メンバー(20代の若者)とインターンの学生と3人で、久しぶりに「じゃんがらラーメン」を食べて帰ってきた。

あの頃と同じように「こぼんしゃんの味玉めんたい入り」と「ビール」を注文した。

カウンターでビールを飲みながらラーメンを食べていると、当時の感情が蘇ってきて、何とも言えぬ懐かしさを覚えた。

繊細な性格であり且つ単純な僕は、それだけで何となく楽しくなってきて、元気が出た。

40才を超えても、気持ちだけはあの頃のままでいたい。

50代を笑って迎えられるように。

もう何年もお会いしていないが、僕が最初の会社を経営していた頃、とてもお世話になっていた八木さんというグラフィック・デザイナーの方がいる。

八木さんには、ふたりの男の子がいた。

上の子は穏やかな性格だったが、下の子は八木さんによく似て、気性の激しい、とても男の子らしい性格をしていた。

あの頃、八木さんが言っていたことで、今もよく覚えていることがある。

「むしろ、子供からたくさんもらっていますよ」。八木さんはそう言っていた。

八木さんはご自分のデザイン事務所を経営されており、忙しくても、暇でも、いずれにしても大変であり、でも、家に帰って子供の寝顔を見ると、その日の疲れは癒されてしまう、と言っていた。

そのことの意味が、今、ようやく分かったような気がする。

子供のことで言えば、僕がインタースコープを退任する時、筆頭株主であるデジタルガレージの林さんに挨拶に行った際に、林さんから「子供は癒されるだろう」と言われたことも新鮮だった。あの林さんから、そういう言葉を聞くとは思ってもいなかった。因みに、林さんは子供がふたりいらして、上(男の子)の方は既に大学生になっている。面倒見の良い父親のようである。

最近、思うように仕事が前に進まず、心が折れそうになることがある。そんな僕にとって、悠生はとても大きな存在である。

今日は妻が熱を出しており、僕が悠生をお風呂にいれるために早く帰宅したが、僕が帰ってきたことを知ると、一目散にハイハイして僕のところにやってくる。

子供がいなくても、最初の会社(20代)やインタースコープを立ち上げた時(30代)のように毎日深夜まで働くことは体力的に無理だと思うが、妻の何分の一程度ではあるが、悠生の面倒を看つつ、会社を軌道に乗せていくというのは、思っていた以上に大変だ。並大抵のことではない。

その一方、今の僕には彼がいない生活は考えられない。

こんな生活や心境は人生で初めてのことである。

まだまだ努力が足りない自分を自分で叱りつつ、励ましつつ、50代を笑って迎えられるように。