「パーソナリティは最高戦略」の意味

この言葉は、ETICが主催する「STYLE」という「ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)ビジネスプラン・コンテスト」の最後に、審査委員長を務める田坂広志さんが「書いた」メッセージだ。

各審査委員がその日一日(ほぼ一日がかりのイベントであり、毎回、僕も審査委員のひとりとして参加させて頂いている)を通じて感じたことを、参加者の皆さんに対するメッセージとして発表するというセレモニーで、田坂広志さんが書かれたものである。

田坂さんがその言葉を提唱されたのは、フェアトレードをテーマにコロンビアからコーヒー豆を輸入し、カフェ・スローというお店を出していた(出そうとしていた?)「藤岡さん」という大学生(だったと思う)のピュアで飾らない「パーソナリティ」に、周囲の大人達が魅せられてしまい、自分から「おせっかい(支援)」を買って出てしまうという姿をみてのことだった。

ドリームビジョンのお披露目レセプションで、アレンさんが僕のことを見ていて同じことをイメージしたということは、僕という「大人」は、大人のくせに「危なっかしく」て、周囲が「おせっかい」をやいてしまうということだろう。

実は、「パーソナリティは最高戦略」ということを僕の脳裏により強く焼き付ける話があった。それは、昨日の講演会で聴いたアントレプレナーセンターの福島さんの話である。

福島さんの話(講演会)を聴くのは2度目だが、初めて福島さんに会ったのは、彼が、まだ30代の頃、「就職予備校(その後、アントレプレナーセンターに改称)」という会社を経営されていた時だった。月並みな話で恐縮だが、時の経つのは速いもので、僕の記憶が正しければ、あれから既に13年になる。

福島さんは「シルベスタ・スタローン」にまつわる逸話を教えてくれた。

シルベスタ・スタローンは売れない役者時代に、役者志望の友達から飲みに誘われても、「明日、ハリウッドの超大作への映画出演の依頼が来るとも限らないので、早く帰って(演技の)練習をする」と言って、一度も?飲みに行かず、毎日練習していたらしい。

ある時、その話を聞きつけた大物映画プロデューサーが、「それはおもしろい。そのまま映画にしよう」と言って出来上がったのが「ロッキー」だそうだ。

そのストーリーは、いつか世界チャンピオンと戦うことを夢見て、毎日、ボクシングの練習に打ち込む青年がチャンスを得て、実際にチャンピオンと試合をし、結局は敗れ去る(僕はロッキーを観ていないので正確なストーリーはわからない)というものらしいが、シルベスタ・スタローンは「大根役者」であり、ロッキーは「演技ではなく」、彼の「素」のままだというのである。

シルベスタ・スタローンの「パーソナリティ」をモチーフにしてボクシングという世界を題材にし、演技が下手な彼が「地」で臨んだ映画を撮ったことが、人々の感動を呼び、商業的成功を生んだということだ。

「パーソナリティは最高戦略」とは、「自分らしさを思いっきり出す」ということである。そのことが人々の感動を呼び、人でもモノでも「ブランド」に繋がる、ということだろう。

「戦略」という概念については、もうひとつ、とても印象的なことを田坂さんはご自身のメルマガで紹介している。

「戦略」とは「戦い」を「略す」と書く。つまり、戦いを「避ける」ことを意味するということだ。

マーケティング的に言えば、自社なり自社の商品の「USP(Unique Selling Proposition)」を明確に打ち出し、独自のポジショニングを構築することができれば、そして、そのUSPが「魅力的且つ顧客が求めているもの」であれば、他社との「戦いは無くなる(顧客から選ばれる)」のである。

かのマイケル・ポーターが言う「選択と集中」とは、そういうことも含んでいるのだろう。

What’s the USP of Dreamvision ? This is what I’ve been thinking of.

マクロミルの杉本さん

杉本さんと初めて会ったのは、2000年12月27日に開催された「次世代インターネットリサーチ・フォーラム」というイベントだった。

ネットレイティングスの萩原さんが音頭を取っていたイベントだったが、まさにインターネットリサーチが世の中に認知され始めたばかりの頃で、200人以上の人が集まっていた。

イベントの内容は主要なインターネットリサーチ会社の経営者が壇上に座り、萩原さんが司会をするというパネルディスカッション形式のものだったが、杉本さんは、客席から向かって一番左側に座っていた(残念ながら、僕には声が掛からなかった/笑)。その時の杉本さんの印象は「神経質そうな人」というものだった。

しかし、付き合っていくうちに、「この人は相当に手強い人だ」というふうに考えが変わった。そして、特に「財務戦略」的分野においては、様々なことを杉本さんから学ばせて頂いた。

杉本さんの右側が、GBネクサイトの女性(申し訳ないがお名前は覚えていない)、その右側がインフォプラントの大谷さん、その右側がビートレンドの井上さん、そして、一番右側にインターネットリサーチのユーザー側ということで、当時は三和総研にいらした谷内さんというメンバーだった。

杉本さんとはその後も交流が続き、その翌年のある日、初めて食事を共にしたが、その帰りの西麻布の交差点の横断歩道の上で、「将来は何か一緒にやりましょう」と握手をした。また、あれは2002年だったと思うが、杉本さんと彼の奥さん(とてもキレイな方だ)と我々夫婦の4人で代官山のレストランで食事をしたこともあった。何を話したかは覚えていないが、とても楽しい時間だった。因みに、僕の妻は、かなりの杉本さんファンだ(笑)。

杉本さんとインフォプラントの大谷さんは、一緒に「インターネットリサーチ業界」を創り上げてきた「盟友」のような存在で、ビジネスの上では「競合」であるが、そういう関係を超えて、親しく付き合ってきた。

昨晩の弊社のレセプションにはネット業界の錚々たるメンバーが集まってくれたが、その中でも、杉本さんが出席してくれたことは、僕にとっては特に嬉しいことだった(残念ながら大谷さんは所用があり出席されなかった)。

男(女もそうか?)という生き物は、どうも見栄っ張りというか虚栄心が強いのか、マクロミルを一部上場企業にまで育て上げた杉本さんに対して、「レインチェック(雨天試合の代替チケット)」を切って3度目の起業をした僕は、何となく引け目のような感情を抱いていたが、昨日のレセプションのアレンマイナーさんのスピーチで、そういう感情もだいぶ無くなったような気がする。

さて、昨晩、その杉本さんに言われたことがある。僕がこのBlogに「BMW Z4」に乗っている写真を掲載していることについて、「Z4の写真は出さない方が(ドリームビジョンに対して)お金が集まるんじゃないの?」ということだ(以前のBlogにも書いたが、Z4は妻の妊娠に伴い売却して、今は中古で買った330i に乗っている)。

そのことは、もちろん僕も考えた。経営者として、果たしてどうしたものか?と。でも、今回は敢えてそうした。

実は、Z4 を買った時、山川さん(インタースコープの共同創業者)からも同じようなことを言われたことがある。それは、「会社には乗ってこない方がいいと思う」というアドアイスだった。

BMW Z4 は、同じマンションベンチャーからスタートした渡辺さんが立ち上げた「保険スクエアbang !(後に、ウェブクルーという会社になる)」というネットビジネスに僕も創業メンバーとして参加させてもらったことで、ウェブクルーの上場に伴い得ることができたキャピタルゲインで買ったもので、インタースコープで高い役員報酬を取っていたわけでもなく、貧乏な頃から額に汗して頑張ってきた結果、得たお金で買ったものなので、誰の目を気にする必要もなかったのだが、まだまだ、ろくに利益も出ていなかったインタースコープの株主や社員の人達への配慮として、そういうアドバイスをされたのだと理解している。

しかし、その一方で、夫婦の年収が300万円もないという貧乏にも負けずに頑張っていれば、いつかこういうこともある!!!ということを社内に示すことができるという想いもあり、僕自身、かなり悩んだが、結局、インタースコープ時代は会社には乗っていかなかった。厳密に言えば、会社の駐車場には停めなかった。

では、何故、このBlog に、Z4 に乗っている僕の写真を掲載したのか?

それは、僕はとにかく、Z4が好きだったということや、僕は既にインタースコープの経営者ではないということと、ドリームビジョンには外部株主は入っていないこともあるが、それよりも、僕の考えとして、特に、これからの時代は、「清貧」という生き方ではなく、「崇高な理念」と併せてそれなりの「財力」がある人でないと、社会に対して「プラスの影響力」を与えることが出来ないと考えるようになったからだ。

つまり、海外旅行に行くにもお金はかかるし、オシャレなレストラン(昨日の船上ラウンジも)で食事をするにもお金はかかるし、子供を大学に入れるにもお金はかかるわけで、いくら崇高な理念を唱えても、ある程度の財力が伴わなければ何も実現できない。

今日の午後、あるところが主催する講演会に行ってきたのだが、そこで紹介された言葉が印象に残っている。

一言一句は覚えていないが、「財を残すは下、事業を残すは中���人を残すは上。しかし、財なかれば事業は保たれず、事業なければ人は育たない」というものだった。

なので僕は、正々堂々とBMWに乗ろうと思うし、3年後にポルシェに乗ろうと思う。

3年後にポルシェに乗ることに意味があるのではなく、ポルシェが買えるほどの経済的余裕があるようになっていること、つまり、会社としてドリームビジョンが成長しているということが大切だということだ。

僕よりも優秀な素晴らしいスタッフがたくさんいて、みんなが楽しく元気に自分らしく働いている会社にしたい。

3度目の起業

ようやく始まった!!!という気がする。

今日は、天王洲アイルのWATERLINE という「船上ラウンジ」で、ドリームビジョン設立記念レセプションを開催した。月曜日にも関らず、ネットベンチャー関連の人達を中心に、120人以上の方達にご出席いただいた。ありがとうございました。

2月からインタースコープを非常勤にしてもらい、3/17(金)に開催されたETICのイベントで「予告編」的に告知をさせて頂いた後、本格的に立ち上げの準備をしてきたが、ようやくお披露目ができた。まだまだ、工事中だらけだが、WEBサイトもカットオーバーできて、いよいよこれからだ。

ドリームビジョン設立の背景や僕の問題意識と絡めて事業内容の話をさせて頂いた後、サンブリッジのアレンマイナーさんにスピーチをいただき、その後、こちらの不手際で集まって頂いた皆さんにグラスが行き届かないままに乾杯の音頭をとって頂いた。

アレンさんのスピーチで印象に残っているのは、ソフィアバンクの田坂広志さんの言葉を引き合いに出して、今日の僕の話(ドリームビジョンの事業説明)にコメントしてくれたところだ。

アレンさんが引き合いに出した田坂さんの話は、僕もライブで聞いていた話で、それは「パーソナリティは最高戦略」というものだ。

その話を引き合いに出して、彼が僕の話にどうコメントしたかというと、「戦略的な話は何もないが、僕の想いが全面に出ているのがよい」ということで、経営者としてはダメ出しをされたのであるが、シリアルアントレプレナーというのは、いくつも事業を立ち上げていくうちに、その人らしい事業を手掛けるようになるものなので、平石さんがやりたいことを、ただ、愚直にやっていけばよいということだった。

僕自身が、今日の発表資料を作っている時に、「これって、ビジョンはあるけど、戦略がないよな・・・」と思っていたので、アレンさんが田坂さんの話を引き合いに出そうとされた時に、「あの話をするんだろうな」と思った。

今日のレセプションでは、とにかく、変にカッコつけずに、自分が考えていることをストレートに言ってしまおう!!!と思っていて、実際にそうすることが出来たし、アレンさんのスピーチを聞いて、何か肩の力が抜けた気がする。

グロービスの堀さんやアタッカーズを運営する大前研一さんのように「R.O.I.」や経営効率をシビアに考えるのではなく、僕が目指すものを、「凡事を非凡にやり続けよう」と改めて考えた。

「船上ラウンジ」ということで、初夏の風が心地よく、とてもステキな夜だった。写真は明日、アップロードしよう。

お花を贈って下さった皆さん。ありがとうございました。

「WEB2.0(ウェブ進化論)」と僕の人生(続)

今朝から悠生の具合が悪くなり、今日のテーマは「初めての子育て」でもよかったのだが、約束?なので、昨日の続編にすることにした。

梅田さんはウェブ進化論の中で、「不思議な人間的魅力を伴う『器の大きさ』と『動物的な強さ』を併せ持つ個性に出会うことは滅多にない」と、はてなの近藤さんを絶賛しているが、僕が今までに出会った中にも、そういう人物がいる。

ひとりは、吉川欣也さんという人で、彼は今、シリコンバレーで活躍する日本人のひとりだ。

やはり、自ら創業したデジタルマジックラボという会社を退任してシリコンバレーに渡り、パートナーの石黒さんという天才的なエンジニアと一緒に、シスコのルーターに対抗するシェアウエアのルーター開発ベンチャーを興した。つい先日、彼とのメールのやりとりで知ったのだが、全株式をアクセスに売却したそうだ。彼は引き続き、創業経営者(社長兼COOだったと思う)として、2回目のEXITとして「IPO」を狙うと言っていた。とにかく、その腹の括り方は凄いの一言である。

もうひとりは、ウエディングプロデュース&ホテル・レストラン運営等を手掛ける野田豊という人物だ。

僕らが結婚する時に、彼が経営するウエディングプロデュース会社に発注したのが縁で知り合い、一時期は頻繁に会っていた。オプトのハチ(鉢嶺氏)なんかと一緒に、よくゴルフに行っていた。最後に会ったのは、僕が社外取締役に就任したラソナ社長の岡村氏(仲間内ではポンと呼んでいる)の結婚式だったが、相変わらず、エネルギーの塊だった。今や一部上場企業となったテイクアンドギブニーズの野尻さんも、以前は野田が経営するプラン・ドゥ・シー(PDS)の社員だったそうだ。因みに、PDSは業績的には充分に上場できるレベルにあるが、資金ニーズがないので上場メリットがないとして、野田はPDSを上場させようとしないカリスマオーナー社長だ。

彼らの才能とエネルギーには敵わないなあと思う。

もうひとつ、梅田さんの言動で印象に残っているのは、9.11以降、自分の生き方を変えて、1970年以降に生まれた若い人達と積極的に会うようにしたということである。

僕の場合、幸いにも、インタースコープにおいて、述べ50人以上の「インターンの学生達」と接してきたことにより、今の若い人達は、僕らの世代が今の彼らの年齢だった頃とは比較にならないほど優秀であることを体感した。

そして、僕は、たまたま若い人達(この表現はとても嫌いだが)と交流することが好きで、仕事はもちろんであるが、食事に行ったり、飲みに行ったりと、彼らとの接点がたくさんあったし、今もある。それは、非常に恵まれていることだと思う。

なので、羽生善治さんが言う「高速道路の大渋滞」の比喩は、皮膚感覚で理解できる。

つい先日、久しぶりにランチを共にしたライブレボリューションの増永さんも、将来が楽しみな1970年以降生まれの起業家である。ドリームビジョンの事業構想について、彼にコメントをもらったのだが、とても参考になった。さすがの一言である。

最後にもうひとつ、ウェブ進化論で僕が「再発見」したことは、そう言われてみれば、吉川さんも野田も(彼らはふたりとも1967年生まれである)、あるいは、増永さんも、確かに凡人ではないのは間違いないが、天才というわけではなく、人よりも「かなり早い時期」に様々な経験をしてきたことが、持って生まれた才能を若くして発揮することになったように思う。

彼らの凄いところは、同じ年齢の人達が遊びまくっている時に、世の中の変化を敏感に嗅ぎ取り、自分が興味を持った何かに打ち込んできたこと、その「嗅覚と実行力」にあるように思う。

話は変わるが、青木功が彼の著作の中で、「プロゴルファーの『旬』」は、一般的には30~35才ぐらいだと思うが、自分は『5年遅れて』旬の時期がやってきたように思う」と言っていた。

僕は、28才から起業家人生をスタートさせたわけだが、高校から大学時代に「サボっていた」ツケが効いているのか、30代半ばまでは鳴かず飛ばずであり、苦労の連続だった。

インタースコープを始めてしばらくした頃、その先の自分のやりたいことを考えながら、30代の最後の3年間は、後で振り返った時、「自分の人生の2番目のピーク」だったと思うようになるような気がしたのと、僕の人生のピークは「54~56才頃」になるだろうと思うようになった。

また、40~42才は、階段でいうと「踊り場」のような時期になるだろうと漠然と考えていた。そして、43~45才は、次のステージに登るための準備期間なのか?子育てなのか?苦労をしそうな予感がしていた。今のところ、見事にそうなっている。

僕の「勘」が正しければ、46才頃から再び上昇気流に乗りはじめ、来るべき僕の人生のピークになるであろう「50代」に向けてのスロープになるような気がする。

自分の「直感」を信じて、焦らず、しかし、着実に、前に進んで行こうと思う。

明日のレセプションで、僕の人生における「夢」を発表するつもりだ。いよいよ決勝ラウンド突入である。もう、言い訳はきかない。

「WEB2.0(ウェブ進化論)」と僕の人生

つい先程、ようやく、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」を読み終えた。

僕はそれほど読書量が多い人間ではないが、久しぶりに自分の人生や考え方に大きな影響をもたらしそうな本だった。

僕が今までに読んだ本の中で印象に残っているのは、「国富から個福へ(波頭亮)」「日本の時代は終わったか?(ピータータスカ)」「不機嫌な時代(ピータータスカ)」等と、彼の著作はたくさん読んでいるので、どれと言うのが難しいが「田坂広志さん」の本。あとは、大前研一氏の本もよく読んでいるし、堺屋太一氏の「組織の盛衰」、堀 紘一氏の「リーダーシップの本質」も印象に残っている。

さて、では、どういうふうに「ウェブ進化論」が僕の人生に影響をもたらしそうなのか? そのことをひとつずつ整理していこうと思う。今日のポストは長くなると思うので、読んで頂いている方々には予めご了承頂きたい。

彼の本はベストセラーになっているので色々な人が読んでおり、人によってそこから得たものや感銘を受けたところは異なると思うが、僕はまず、彼が「9.11」以降、自分の人生を大きく変えたということに、ある種、共感というか武者震いのような感覚というか、上手く表現できないが、僕の心に響くものを感じた。同時に、彼は非常に「日本という国を愛している」ということと、若い世代に対する「愛情」があり、「教育者」的思想の持ち主であることが伝わってきて、とても勇気づけられた。

彼は「理工系」の頭脳の持ち主であり、僕は極めて「文系」な人間であるという違いはあるが、彼の「思想」と「人間性」と僕のそれらには共通するものがあるように思った。いつか、ドリームビジョンの「トークセッション」にゲストとしてお招きしたい人だ。

彼はウェブ進化論で「若いうちはあまりモノがみえていないほうがいい(小見出し)」と言っているが、僕もそう思う。

僕は、28才で起業家人生をスタートさせたが、それは文字どおり「徒手空拳」であり、事業計画もなければ何の計画性もなかった。

その当時は今と違って、一部の学生ベンチャーを除けば、20代で起業するというのはとても珍しいことであり、周囲の大人達や同年代の人達からは「凄いよね」と言われたりしたが、その度に僕が言っていたのは、「目の前に埋まっている地雷の数を正確に把握できていなかっただけ」ということだ。

もう少し具体的に説明しよう。当時の僕は「A地点」に立っており、「B地点」に行きたいと思っていたが、その間には「地雷」が「10個」埋まっているように見えて、それなら何とかかいくぐって行けるだろうと考えた。幸運にも「B地点」に辿り着き、そこで「ふっ」と後ろを振り返ってみると、そこには地雷が「30個」埋まっていたという意味である。つまり、最初にその「30個」が見えていたら、怖くて渡れなかっただろうということだ。

先々月、僕が創業に携わった保険スクエアbang ! という自動車保険の見積もり比較サイトの運営会社を立ち上げて、その会社を東証マザーズへ上場するまでに育て上げた渡辺さんと、渡辺さんを支えながらずっと一緒に事業をやってきた彼の妹さんが、久しぶりに僕の自宅に遊びにきた。そこで彼も同じようなことを言っていた。彼は、「霧の中を目の前だけを見ながら一歩一歩前に進んできた結果、ある頂きに到着したようなもので、ある時、霧が晴れて後ろを振り返ってみると、自分たちが歩いてきたのは『稜線の上』だったことに気づいて、今更ながら怖くなった。自分たちが稜線の上を歩いているということを知っていたら、ここまで来れなかったと思う」と言っていた。その意味はよく分かる。

僕が尊敬する田坂広志さんが彼のメルマガで、僕らの話とは違う視点で同じことを言っていた。人間は誰でも、幅30センチの上を歩けと言われれば問題なく歩くことが出来るが、それが高さ1メートルの平均台の上になったとたん、歩けなくなってしまう。そんなことを書いていた。

今の僕は、株主や社員の人達に迷惑をかけることを承知の上で、自ら創業した会社を「途中下車」し、次の山を目指して歩き出したわけだが、28才でクリードエクセキュートを始めた時、36才でインタースコープを立ち上げた時と比べると、今は見えているものが随分と増えた。それ故、ドリームビジョンを始める時は、今までに経験したことのないほどに「躊躇」したし、悩んだり迷ったりもした。「失敗する確率」が分かっているからだ。

そんなことを、梅田さんも自分自身の経験を踏まえて言っているのだと思う。

次に、僕が改めて整理(梅田さん流に言えば『再発見』)できたのは、僕がインタースコープでやってきたインターネットリサーチというビジネスのことだ。

今までは「住民基本台帳」という身元が確認できる「特定多数」の信頼がおける母集団をベースに、専門的知識を有するリサーチャーが「質問」を設計し、それを「調査員」の方々が個人の自宅を訪問するか?郵送等して回答してもらっていた超アナログ手法を、基本的な考え方や構造はそのままに、そのプラットフォームをネット上に構築したということである。

これを、WEB2.0的に整理すると、インターネットユーザーという「不特定多数」の人々の「意見(回答)は正しい」という前提のもとに、市場調査という「マーケット情報(顧客情報)の生産工場」を構築したと見ることができる。つまり、既に「従来の手法」として構築されていたものを、「ブラウザ(質問票の代替)」と「サーバ(調査員なり郵送の代替)」と「データベース(住民基本台帳の代替)」に置き換えたということである。

これを、インタースコープという会社単位で見ると、マクロミルに売上的には5倍もの差をつけられてしまっているが、独自のポジションを構築し、インターネットリサーチの主要プレーヤーとして今までやってこれているのは、僕らが「質問設計・統計・解析・分析」という従来型リサーチビジネスの必須要素を身につけていたからであるが、別の角度から見れば、リサーチビジネスにおける「こちら側」に意識が強くなり過ぎてしまったがために、「あちら側」や「低バジェットの市場」に対する意識が低くなり(実はここにも紆余曲折があったのだが)、マクロミルほどのブレイクには至っていないと言うことも出来る。

その点、梅田さんが取締役を務める「はてな」やMIXIの笠原さん、GREEの田中さん、ドリコムの内藤さんという僕よりも10才以上も若い人達は、I.T.関連のビジネスに対する見方やスタンスが異なるのであろう。

昨年12月の定時株主総会で自ら創業したウェブクルーを退任した渡辺さんが、「20代の人達には敵わない」とよく言っていたが、そのことの意味が「ウェブ進化論」を読んで、とてもよく理解できた。

話は変わるが、来週月曜日に、ドリームビジョンの設立を記念して簡単なレセプションを開催することにした。実はそこに、インタースコープ関係者は殆どお招きしていない。

僕は自分の中でインタースコープ時代の「何かにケジメをつけたい」と思ってそうしたのだが(誰を招くと誰も・・・的な問題も考えたという理由もある)、その「何か」がウェブ進化論を読んで確認できたような気がしている。

それは、僕の「本質はネットベンチャー」ではないということである。

もちろん、インターネットリサーチにしても、保険スクエアbang ! にしても、ネットをキードライバーとして活用したビジネスであることは間違いないが、その発想のベースはマーケティング的なところにあり、テクノロジーではない。そこに戦略的な矛盾があったと思っている。そして、その「垢」を落としたい。

今からもう10年近く前になるが、名古屋に本社を置くユニーというGMSの子会社の社長をされていた、古河さんという方との会話が頭に残っている。

当時の僕は、最初に創った会社を経営している時だったが、ウェブクルーの渡辺さん達と一緒にネットビジネスを始めていた時期だった。古河さんは、おそらく20才は年下だろう僕に色々なことを素直に質問してきて、少しでも頼りにされていることを嬉しく感じていた。

ある時、古河さんから「これからの時代は平石さん達のような人達が創って行くんでしょうね」と言われたのだが、僕は「僕なんかは野球で言えば、中継ぎのような役割であり、僕よりも若い世代には物凄い人達がたくさんいます。僕は、せいぜい勝ち試合の中継ぎを務められるような存在になれれば幸せだと思っています」と返事をしたことがあった。僕はその時、あることがきっかけで知り合った孫 泰蔵さん(現在はアジアングルーブ代表取締役社長兼ガンホーオンライン代表取締役会長)のことを頭に思い浮かべていた。

梅田さんはウェブ進化論の中で、「大きな環境変化が起きたときに、真っ先に自分が変化しなければ淘汰される。(中略)これまでの生き方に固執するよりも「リスクが小さい」と、私は強く確信していた。本質的変化に関する一つ一つの直感を大切に、『時間の使い方の優先順位』を無理してでも変えてしまうことで、「新しい自分」を模索していきたいと思った」と書いている。また、「これまでに引き受けた仕事はすべてきちんと続けていくが、もうそういう委員みたいな仕事は新しく引き受けないと決心した」とも書いている。

僕が一度目の起業の後半において、当時の「ドル箱」だったDTPの仕事をバサッと切った時があったが、あの時の判断も「今、変わらなければ淘汰される」という「直感」でしかなかった。

今回は、それなりの裏付けなり、僅かではあるが資金的手当はあってのことだが、それでも「直感」の域を出ないだろう。敢えて言えば、「理念や思想」のようなものに後押しされているとも言えるし、インターネットリサーチ業界のみならず世の中の環境変化を考えた結果、43才という年齢的なことも含めて、今やらなければ一生できないで終わってしまうと思ったということである。

西川さんがネットエイジを立ち上げたのが40才の時、山川さんが僕と一緒にインタースコープを立ち上げたのが43才で今の僕の年齢の時である。

既に、スタートは切ったので、あとはやるだけだ。

このテーマで、もう少し書きたいことがある。「経営者の孤独」に関しては、しばらく先にしようと思う。

経営は科学か? 愛情か?

結論から言えば両方が必要だ。

2~3年前、インタースコープの戦略を見直すに際して、株主であるVC(ベンチャーキャピタル)にインタースコープの評価を聞いたことがある。

その時に、あるVCの担当者から、「御社は(しっかりとした)経営はされている。但し、ベンチャーの創業から数年は、もっとメンタルな部分でのグリップが重要だと思う」というコメントを頂いた。

インタースコープの経営理念は、「科学的アプローチと徹底した人間主義により新たな価値を創造する」というもので、経営においても「科学的なアプローチ」がされていたということだと思う。

話は変わるが、先週と今週と2チームに分けて、僕が社外取締役を務めるラソナのマネージャークラスの人達との懇親会を行った。

ラソナは今年が10年目にあたる会社で、今までは外部資本は殆ど受け入れず、創業者であり社長である岡村氏のリーダーシップのもと頑張ってきた会社である。

岡村氏は「画家」出身で、また、彼のオーナー企業としてやってきたということも手伝い、今までのラソナの経営は、決して科学的と言えるものではない。

そのラソナの最大の「資産」は、岡村氏の人柄によるところが大きいのだろうが、主要メンバーが皆、合理性を超えたところでラソナが好きだという点である。これが、あるVCの担当者が言っていた「メンタルな部分でのグリップ」ということだと思う。

その一方、外部資本を受け入れておらず、管理会計や予実管理を厳しく言われる環境ではなかった為、非効率な経営が為されているとも言え、40人を超えたこれからは、科学的な経営が必要である。しかし、科学的視点や手法は「手段」であり、それが目的ではない。そこを間違えると組織に歪みが生じてしまうように思う。

またまた話は変わるが、昨日、僕が20代の頃に働いていたコンサルティング会社で一緒だった友人と、久しぶりにランチを食べた。

彼は先日、僕と同い年にも関らず、ある上場企業の社長に就任した。素晴らしいことである。

「起業」は、そこそこの才能とやる気さえあれば誰にでも出来ると言っても過言ではないが、組織で上り詰めて社長になるというのは、誰にでも出来ることではない。確かに、一般的には、創業社長とサラリーマン社長とを比べれば、その迫力や会社に対するコミットメントには大きな差があると思うが、僕が尊敬する伊藤忠商事の丹羽宇一郎氏のような人もいる。

因みに、僕の友人が社長に就任した会社の前社長は、何事も「論理とパワーと経済合理性」で進めるタイプの人だったようであるが、そのことが災いして社内に歪みや摩擦が生じたらしく、それで退任となったそうだ。

僕は経営を語れるほどの経験も力量も持ち合わせていないが、やはり、何事も根本は「愛情」だと思う。それがなければ、常識の範囲内のアウトプットしか出てこないだろう。何故なら、そこまでして頑張る必然性がないから。経済合理性だけであれば他にオプションはいくらでもあるはずであり、組織にロイヤリティは生まれないだろうから、長期的にみれば生産性が下がると僕は考えている。

ドリームビジョンは、科学的視点と共に、一緒に働く人やお客さんに対する愛情を併せ持っていて、そこで働く人が「物心共に充実した生活が送れるような会社にしたい。もちろん、科学と愛情の順番は逆である。ベンチャー企業では、10年来の友人である鉢嶺氏が経営するオプトは、僕の理想に近い会社である。

「希望」という学問。

インタースコープでは火曜日の朝、全体MTGというアルバイトの人も参加するMTGを行っている。

そこでは、2001年から続けてきた「3分間スピーチ」という全員持ち回りのスピーチがある。人前で話すことの練習と、その人の人となりを皆に理解してもらうために始めたものだ。

ある火曜日の朝、人事担当の女性のスピーチが印象的だった。

この話は以前のポストでも簡単に紹介したと思うが、総務省が20代~40代の男女を対象に実施した調査で、小学校6年生の時に「将来の職業」に関する「希望や夢」があったか?と、その「希望や夢」が実現したか?を質問したらしい。

すると、将来の「希望や夢」があったとする人のうち、9割は「叶っていない」という結果だったそうだ。

ここまでは当たり前のように思うかもしれないが、興味深いのは、小学校6年生の時に将来の「希望や夢」を持っていなかった人よりも、結果としてそれが叶っていなくても、小学校6年生の時に将来の「希望や夢」を持っていた人の方が、その後の人生において「充実感や達成感」を覚えた人や「今が幸せ」であると答えた人が格段に多かったということである。

その調査結果を踏まえて、東京大学では「希望」というものを学問として研究することを決めたらしい。