3度目の起業と初めての子育て

久しぶりにBlogを書くことにした。

実は先月(3月)いっぱいで、僕にとっては「2度目の起業」にあたるインタースコープという会社の取締役を退任した。2000年3月に創業したので、先月で丸6年が経った。

創業者の自分が言うのは手前味噌であるが、インタースコープはインターネットリサーチ業界の草分け的な存在の会社であり、業界では最もイノベイティブな会社として認知されている。マスコミからは「御三家」と言われたりした。

創業者という意味では当然のことであるが、そのインタースコープを退任するに際しては様々な葛藤があったし、色々なことで悩んだことは事実である。

では何故、それでもインタースコープを退任することにしたのか? これから少しずつ、今後の展開も含めて、Blogという形で文章にして行こうと思う。

ところで、僕の人生にとって、「3月」という月は、非常に大きな意味を持つようである。

まず、誕生日が3月30日であり、一度目の起業は1991年の3月だったし、二度目の起業(インタースコープ)も2000年の3月で、今回の起業も2006年の3月である。

因みに、今回の会社の名前は、ドリームビジョンという。

その名前は、2~3年前になるが、妻と食事をしている時に思いついた。

妻に「ドリーム&ビジョンってどう?」と聞いたら「ちょっと長いよね・・・」という返事が返ってきたので、「じゃあ、ドリームビジョンはどう?」と言ったら「いいんじゃない」と言われたのがきっかけである。

実は、インタースコープという名前も妻が命名している(笑)。

では、ドリームビジョンという会社で僕が何をしようとしているか?

企業理念は「夢を実現する」であり、事業コンセプトは「自分らしい生き方とキャリアデザインを支援する」だ。

この構想は、その源流を遡ると、僕が小学校の2つの原体験から生まれている。

ひとつ目は、僕が小学校5年生の頃だったと思うが、友達5~6人で映画を観に行った時のことである。

僕の中では「ラーメン屋事件」と呼んでいる。

映画を観た後、ラーメン屋に入ったのだが、最初にガキ大将的な存在だった奴が「みそラーメン」を注文したところ、僕も私も「みそラーメン」となり、最後に注文した僕だけが「塩ラーメン」と言ったところ、「なんで皆と同じものを食べないんだ!!!」と言われた。

僕は「自分の小遣いで食べるのに、どうして自分の好きなものを食べちゃいけないんだ?」と思ったが、次の日に学校に行ったら、なんと僕は「村八分」にされていた。

極めて馬鹿げた話だと思うが、要するに「高度成長期」の日本において、僕らの親達が「みんなと同じが一番」という価値観を持っていたのである。子供にそういうふうに教育するわけだから、当然、子供もそういう価値観に育つわけだ。

二つ目の原体験は、同じく小学校5年生ぐらいの頃だったと思うが、こちらは「ピンクのGパン事件」と呼んでいる。

僕はある時、文字通り「ピンクのGパン」を買って来た。

すると母親が、

「あなたがそういう色のGパンをはいていると、私があなたのお父さんから叱られるので、フツーのブルーのGパンと交換してきて欲しい」と、

哀しい表情で僕に言った。

僕は「表現の自由は認められているはずだ!!!」と、ませた反論をしたようで、それを聞いた母親はより一層、哀しい表情をしたことを覚えている。

因みに、僕の母親は小学校の教師をしていた。

それらのふたつの原体験が、どのようにドリームビジョンの事業構想に繋がっているかというと、日本社会を活性化するには「価値観の多様性」を認めること、つまり、自分自身の判断で「自らの生き方を選択」することを尊重する社会にすること、チャレンジする人をリスペクトし、失敗した人を蔑まないカルチャーを育むこと、そのためには「社会の制度」を変える必要があり、制度を変えるのは「政治」の問題であり、そのためには優秀な政治家を排出する必要があり、政治家は誰が選ぶかというと「国民」であるわけで、結局は「教育」の問題に立ち返ると考えたところにある。

少々抽象的且つ観念的な話なので具体的な話をすると、「開業率と廃業率」を比較した時に、ここ最近の日本は「廃業率」が開業率を上回っているらしいが、その原因は「社会の価値観と制度」にあると僕は考えている。

例えば、起業をして失敗した場合、「自己破産」に追い込まれるケースが多い。そうなると、余程のことでないと再起は困難である。

僕は米国(というよりは米国政府)が嫌いだが、米国(欧州はどうだろう?)の良いところは、日本のような自己破産制度はなく、才能とやる気があれば、いくらでも「敗者復活」が可能だというところである。

僕は以前、何かの取材で「日本は生き方がナローバンドだ」と言ったことがある。

例えば、一流大学を出て、三菱商事に就職した人が、自分でビジネスを立ち上げると言って会社を辞めると言った時、今ではだいぶ違ってきていると思うが、それでも、「辞めるのを止めておけ」と言われるのが通常ではないだろうか。

つまり、日本社会の価値観と制度は、「ものすごい成功者も出そうとしない代わりに、落伍者も出さない」。僕流に表現すると「ナローバンド(ある一定の範囲内)」で生きて行けということになっているように思う。

確率論的に言えば、その方がいいことは確かだと思う。

但し、そのためには、前提条件として、一流大学に合格する学力があり、尚かつ、組織の中で出世するスキルに秀でていることが必要である。平たく言えば、社会のエリートということだ。

それは、「勝者」の定義が「ナローバンド」であり、選択肢が限られているということである。だから、親が子供に、そのような生き方を望むのだろう。

そういう僕は昨年、初めて「父親」になった。

世の中の多くの人は、子供ができると「冒険」は出来ないとか、経済的なリスクを伴うチャレンジは出来ないと考えて、転職等は諦めるようであるが、僕は転職どころか、「3度目の起業」をする決断をした。

それは、自分の子供が物心ついて、友達同士で「お互いの父親」のことについて話をするようになった時に、「胸を張って、自信をもって語れるような父親でありたい」と思ったからである。

ひさしぶりのBlogで尚かつ最初のポストにしては少々長くなったので、そろそろ終わりにしようと思うが、僕のBlogを読んでくれる人のために、僕という人間のことがよく書かれている記事を紹介しておきたい。

http://dblog.dreamgate.gr.jp/user/e072/e072/
http://www.president-vision.com/index.php?state=backnumber&action=view&id=82