1991年3月

僕は人生で初めての会社を創った。

株式会社クリードエクセキュートという名前の会社で、
設立年月日は1991年3月27日だった。

社名には少々思い出がある。
本当は、株式会社クリードという名前にするつもりだった。

それが、類似商号でひっかりそうだという話になり、
なんとかクリードにするか?クリードなんとかにした方が
安全だというのが当時の弁護士の意見だった。

というのは、1991年4月1日以降は
株式会社は1,000万円、有限会社は300万円に
最低資本金が変更になる(商法改正)時だったので、
3月27日に法務局に提出して類似商号ではねられてしまうと
再提出は4月1日を過ぎるだろうから、
安全を期した方がよいということだった。

僕は当時27才で、有名な外資系広告代理店に勤務していたが、
貯金は殆どなく、銀行のカードローンでお金を借りて、
それでも足りない部分は友達と当時の彼女に借りて、
資本金の「100万円」を用意した。

今にしても思うと、僕は世の中の変化の時に、
新しく事を始めることになっているようだ。

僕が会社を創ろうと思ったきっかけは、
僕が外資系広告代理店の前に働いていた
コンサルティング会社時代の上司が商法改正になる前、
つまり、1991年3月31日前に会社を創るということで、
その手続きを手伝わされたことだ。

会社というのはそうやって創るのか・・・と思ったと同時に、
「だったら、俺にも創れるということじゃん!!!」と思い、
すぐさま行動に移した。

話を社名のことに戻そう。

クリードという社名を諦めた僕は、
なんとかクリードかクリードなんとかという名前を必死になって
考えていたのだが、僕はその時、39度の熱にうなされていた。

にも係らず、英語の辞書を片手に考えたのが
クリードエクセキュートという名前で、
自分の信条・哲学・教義(クリード)を
遂行する(エクセキュート)という想いを込めた。

その会社の「企業理念」は、

~私共は、企業・個人といった枠を超え、
より良い社会環境実現のため、
社会資源の有効活用による「社会的価値の創造」と
そのビジネスとしての構築・確立を、すべての活動の
「CREED(指針・主義)」としています。~

というものだった。

振り返ってみると、
3度目の起業となる「ドリームビジョン」の企業理念や
事業コンセプトに通じるものであり、
自分の源流はそこにあることを再認識させられる。

もうひとつ、最初の起業には思い出がある。

会社を創りはしたものの、
暫くは当時勤めていた広告代理店にいるつもりだったのだが、
会社を創って嬉しくて仕方なかった僕は、
既に独立(当時は起業という言葉はなく、独立と言った)していた
先輩達に挨拶に行ったのだが、彼らにそそのかされ、
勤めていた会社を辞めて、
自分の会社をスタートさせようと考えるようになった。

その時、以前に勤めていたコンサルティング会社で覚えた
ロジカルシンキングにより、将来の自分がどうしたいのか?
そのためには、このまま暫く広告代理店にいた方が得か?
それとも、苦労はするだろうが、
今、飛び出して、自分の会社を始めた方が得か?
ということを分析してみた。

当時の会社は、ワールドワイドの広告業界ランキングでは常時、
ベスト10の上位に入っているような会社で
クライアントも国際的な企業ばかりだったが、
そこで得られるスキルや経験と人脈は、
自分の会社を始めた後に活きるものではないことに気づき、
今、始めた方が、小さいながらも会社の経営や
事業の立ち上げの経験を積むことができ、
仮に失敗しても、そういう経験を買ってくれる人や会社はたくさんあるだろうと思い、
であれば、返せない借金さえ作らなければ、リスクはゼロに等しいという結論に至り、
「じゃあ、やってみよう!!!」ということになった。

かと言って、何か事前に準備をしていたわけでなく、
今にして思えば「徒手空拳」での起業だったが、
殆ど躊躇することなく、起業家人生をスタートさせた。

あと1ヶ月待っていれば、100万円ぐらいのボーナスをもらえたのだが、
「そんな金をもらってもしょうがない!!」とか思ってスパッと会社を辞めた。

そして、最初に取った仕事は、「20万円」だった。
1991年の5月か6月だったと思う。
28才になって間もない時だった。

その15年後、26才の若者と一緒に、3度目の起業をした。