第6回 江幡 哲也氏 – 法政大学MBAとの共同講座 2006/10/23 (1)

株式会社オールアバウト
代表取締役社長 兼 CEO
江幡 哲也 氏

1965年1月1日生まれ。 神奈川県川崎市出身。
1987年 武蔵工業大学 電気電子工学科卒
1993年 早稲田大学ビジネススクール 修了

1987年株式会社リクルート入社
2000年株式会社リクルート退社、株式会社リクルート・アバウトドットコム・ジャパン代表取締役 兼 CEOに就任
2004年「All About」にサービス名変更
2005年9月JASDAQ証券取引所に上場

江幡様の自己紹介

写真:江幡 哲也 氏

皆様こんばんは。オールアバウトの江幡でございます。 それではまず、最初に軽く自己紹介をします。神奈川生まれで、歳が今41歳です。ビジネスマンとしては20年選手ですね。 もともと大学を卒業して入社して2年くらいはエンジニア、すなわち技術者でした。 そのあとリクルートに1987年の昭和62年に入社しました。 そこで通信事業を中心に立ち上げていきまして、最後はリクルートの経営企画室というところに何年かいました。 その後、今の会社を立ち上げまして、昨年JASDAQに上場しております。このような経歴です。

個人的なことですが、趣味は母方の家系が全員料理人で、 子供の頃からサービス業の中で育っておりまして、「商売の中心はサービス業」というのが身に付いております。 その影響か、自分の物を自分で作る、料理の楽しさを知っております。あとはよく外で取材を受けて、趣味は何ですかってよく聞かれるんですけども、 僕は図面引きが好きで家作るのが趣味でございまして、先々は建築家になりたいと思っております。これは真剣です。 趣味でやりますので、タダで作りますから、将来家建てたい方には失敗覚悟でチャレンジして頂ければと思います。 そんな男でございます。

リクルートへの就職

私が大学の時に何をしてたのかと言いますと、アルバイトばかりやっていまして、4年間で105個のアルバイトをしました。 大学の先生から大学院行けと言われたんですけど、とにかく働きたいので、もう嫌です、 と言って就職したのがリクルートという会社でした。

リクルートに入った理由というのは2つありました。

1つはたまたま私の父が会社をやっていまして、僕は35歳になると父は60歳になるというのがわかっていたので、そのときにもしかしたらやりたくないけど、私は長男なので「会社を継いでくれ」と言われる可能性がある、 と思っていました。そうすると、35歳までしか就職してビジネスをやる時間がないわけです。 12,3年ですよね。12,3年で人よりもいっぱい経験できるところに行かないといけない、 何でも経験できる可能性がある会社。というのが1つです。

もう一つが、これは祖父の影響なんですけども、 「これからの会社はITがわからないと駄目だ」と言われたんですね。
ITなんていう言葉は当時なかったんですけども。 「通信とかコンピュータとかが分からないと、経営なんて成り立たない世の中になるよ」と言われた祖父の影響で、 情報とか通信とか、今で言うITを使う技術、すなわちそれを使うメーカーではなく、 ITをマネジメントに活用する技術を多く経験できる会社がいいな、と考えました。これが2つ目です。そこから、リクルートを選びました。
リクルートに入社したときはエンジニアでしたけども、 法人向け広域電話事業というのを立ち上げに参加致しました。

すさまじい仕事の量で、僕、1年目に休んだのが正月の一日だけです。 ほとんど会社に泊まっていました。リクルートはいい会社で、寝袋は必要なくて、カプセルホテルが社員用にございまして、 そこに毎日泊まっていました。 夜は1時2時くらいに銀座の街に遊びに行って、食事をしてそのカプセルホテルに戻って寝て、 朝出勤という生活を毎日やっていましね。

私、当時は技術者でしたので、 これは幸か不幸か今で言うITにふれる仕事は、嫌というほどやれました。また、このサービスを売って来る営業部隊のような、 すごい営業力があるみなさんがいて、 どんどん色々な需要を取ってきて下さるので、その横で作りきらないといけない。 本当にシビアな環境でもやりきる力っていうのを身につけられたのは、 一番大きなことでした。
今僕はおそらく世の中で言うとかなり働いている方に入りますけども、 今振り返るとこの時代には「これ以上働いたりは絶対できない」 と思うぐらいやりました。

オールアバウトの歴史

写真:江幡 哲也 氏

ここからはオールアバウトの話をさせて頂きます。 誕生したのが2000年の6月です。ですので約6年ですね。6歳ですので、人間で言えば小学校にあがったぐらいですね、 そのような小さな会社です。最初はリクルートとアメリカにございますAbout.comという会社が、 私が考えたようなことと同じようなことをやってたので、ジョイントベンチャーでやろうか、 ということでこの2つの合弁会社として、始まった会社です。

なお、今もAbout.comはありまして、 今はNewyorkTimesの100%子会社の会社になっています。

さて、今からですと2年前ぐらい、 実際に会社が始まってから約4年ぐらいしたときに、アメリカと手切れをしたいと思うことがありました。これが難しくて様々なことが必要だったんですけど、うまくいきましてアメリカの株をヤフージャパンさんに移しまして、 リクルートとヤフーさんと、今は第三株主は私ですが、この3つの株主の会社となっています。 このような資本の流れです。

事業は専門ガイドによる総合情報サイト、オールアバウトという、 サイトを基盤にしまして、そこに集まってくる色々な方々、 読者の方に対して広告のビジネスをやるとか、 物を売るビジネスをやるとか。
我々専門家というのが特徴的なサイトなので、 専門家をご紹介する事業をやるとか、 あとはこの前金融の子会社を作りましたが、金融事業をやるとか。 集まってきた人に対して色々な事業を展開するという、 ビジネスをやっています。
そういう意味ではヤフーさんと同じですね。

オールアバウトの意義

最後に、オールアバウトを何故作ったのか、 ということをお話し致します。

私は非常におこがましい性格でございまして、 子供のころから「世直しをするんだと」言っていた子供なんです。自分が出来る世直しは何なのか、というのを常に考えていました。 リクルートを選んだ時点からそれはどんどん明確化されてきて、情報で世直しをしようと思いまして、 これを今ライフワークにしております。 従いまして、オールアバウトの企画を考えたときに、

「これは非常に大きな影響力を持てるんじゃないか」

という思いがあって、 そこの部分の実現をしたいというのが一番大きなところでした。

テレビはすごいメディアだと思うのですが、 いいところと悪いところがあると思っています。 特にリクルートがメディア事業立ち上げをやっていくと、 裏側がよく分かってきたわけです。

「テレビは日本を本当に元気にするために作られているか」 というとそういうわけではなくて、やはり、視聴率有優先の傾向があります。面白くなければテレビじゃない、と某テレビ局の方がおっしゃった時代からもっとおかしくなりまして、公共の電波とよく言われますけども、

「力が大きい物をどう使うかということがちゃんとされていない」

という思いがあります。 また、日本人の情報リテラシーを落としたのはテレビだ、 と思っています。

しかし、そうではない一部のちゃんとしたニュースもあるので、 そこは関係ないと思うんですけども、多くの層というのはそこの影響が大きいと思っています。 テレビのいいところはありながらも、例えば一人一人が情報を取捨選択して、自分の人生を良くしていく、 というような物の力を「情報リテラシー」と言うのであれば、そういったものを呼び起こすようなメディアが必要だろう、 と思いまして、オールアバウトはそれにつながのではないか、 と考えました。

普通の人でしたら起業するかって言ったら、 自分で金出して起業する方がいいと多分思うんだろう、 と思うんですけど、僕は社長になりたいと思ったことは一回もありませんでした。 むしろそんなことどうでもよくて、自分の考えたメディアのありかたとか、世の中に対する影響力が大きければそれでいい話で、 リクルートの中でそれが出来ればそれでよかったんです。しかし、今回、「成功させるためには今のやりかたの方がいい」 ということになったので、僕が社長になったという流れです。