第09回 塚田 寛一氏 vol.1 (4)

第09回 塚田 寛一氏 vol.1 (4)

就職活動。

さて、ベンチャー企業でのインターンにのめり込んでいて、かなりの単位が残っていた塚田さんだが、留年することもなく、運よく、大学を卒業できることになった。

そうなると、問題は「就職」である。しかし、今さら大企業に就職というわけにもいかない。

ペイメントワンからは「そのまま就職してもいいよ」というオファーをもらっていたそうだが、塚田さんは、学生ベンチャーだったイー・マーキュリーの自由闊達な雰囲気と、笠原さんも含めて全員が自分と同じような年齢の若い人たちで、自分にもある程度の裁量権を持たせてもらえる環境の方がおもしろいだろうと思い、イー・マーキュリーに戻ることを選択した。

「どうせベンチャーに入るなら、どっちもリスクがあるし、どっちでも成長できるチャンスはある。だったら、より当事者となって自分の意思で裁量を持ってできる方がおもしろいだろうなと思い、イー・マーキュリーに戻ろうと思いました」。

「オークション事業は売却していたので、ファインドジョブの事業をやったり、会社全体のことをやらせてもらったりしました。人事制度の構築だったり、人材採用だったり、いろいろとやっていました。
プロデューサー的な仕事から、営業的な仕事から、プロモーション、マーケティングなど、いろいろとやらせてもらって、2004年半ばに事業部長になり、その後、2004年の9月に役員になるという話になりました。事業を見るというのと、役員(取締役)として会社を見るという役に付けてもらいました」。

写真:塚田 寛一 氏

より当事者となって自分の意思で裁量を持ってできる方がおもしろいだろうと思って、イー・マーキュリーに戻ろうと思いました。

塚田さんは、自分の意思決定のとおり、小さなベンチャー企業をみんなで大きくしていくプロセスを経験し、最後は取締役として経営に携わることまで経験した。

小さな出来事が、大きな成果に繋がったのである。

その一方、最初は、人をマネージするというよりも、自分がプレーヤーとして、毎日、夜中の2時3時まで働き、細かなところまでやっていた。

しかし、ある時から、「これは続かない」ということに気がつき、思考と行動が変わっていった。

「1人でがんばって成果を出すということではなく、周りの人にどうやって気持ち良く働いてもらって成果を出すか、最大化するかということが大事だということを、いろいろ悩んでいる中で感じるようになっていきました。特別なきっかけがあったわけではないのですが、そこでマネジメントに目覚めるというか、自分がプレーヤーとしてできる部分には限度があるので、組織を作るとか、人をモチベートするとか、そういうことって凄いんだなということに気づいたタイミングがどこかにあったのだと思います」。

次回に続く。

文章・写真: 株式会社ドリームビジョン 平石郁生