第09回 塚田 寛一氏 vol.1 (3)

第09回 塚田 寛一氏 vol.1 (3)

ネット黎明期のベンチャー企業での激動の日々。

「(ETICの)秋葉原の事務所まで行って、今こういう状況だという話をしました。そうしたら紹介された会社のうちの1つというか、ここはどうかといってくれたのが、イー・マーキュリー(現ミクシィ)という会社だったのです。おもしろそうだなと思って、その当時の僕は、SFC出身の津田とは違って、IT教育を受けていませんでした。メールして、就職活動の情報をネットで集めるという程度だったのです。それでもそういう会社があるからということで、インターン面接に行って、当時のイー・マーキュリーは笠原さんとアルバイトが2~3人くらいという感じの会社で、ネットエイジに間借りしていました。それで、面接に無事パスして、当時は求人のファインドジョブ事業とオークション事業をやっていました」。

当時のネットエイジ(現ngi group)は様々なネットビジネスのインキュベーションを行っており、ネットエイジの周囲には、若い優秀な人材がたくさん集まっていた。

塚田さんは、当時のネットエイジの雰囲気や、そこに集まる若い優秀な人たちに魅せられていった。

写真:塚田 寛一 氏

周りには優秀な人たちがたくさんいて、「ここで社会を変える何かが起こるかな?」という予感がありました。

「仕事はとても楽しかったですし、周りには優秀な人たちがたくさんいて、『ここで社会を変える何かが起こるかな?』という予感がありました。自分がここでキャリアを積んでいくのもおもしろいなと感じたりもしました」。

イー・マーキュリーでの仕事を楽しんでいた塚田さんだったが、彼が関わっていたオークション事業の営業譲渡があったり、インターンの契約が切れたこともあり、彼はもう一度、ETICに行き、その時、ペイメントワンを紹介される。

ペイメントワンは、日本を代表するベンチャーキャピタルであるJAFCO(ジャフコ)出身の村松さんたちによって設立されたベンチャー企業で、学生ベンチャーとして創業したイー・マーキュリーとは違って、大人のベンチャーだった。

その「大人のベンチャー企業」で1年間、塚田さんはスクラッチから事業立ち上げを経験する。

きっと相当なプレッシャーと戦いながら仕事をしていたのだろう。僕と初めて会った時は、その緊張感が表情に表れていたのだと思う。