第08回 津田 全泰氏 vol.1 (6)

第08回 津田 全泰氏 vol.1 (6)

楽天の株式公開とストックオプション。そして、自負と葛藤。

さて、そんな調子で我武者羅に働いていた津田さんであるが、さすがに3年もそんな調子でやっていれば、いい加減、肉体的にはもちろん、精神的にも疲れてくる。

そんな時、楽天が「IPO(株式公開)」の準備に入る。

津田さんは、IPOを求めて入ったわけではないし、当時の彼は、IPOがどんなことであるかについて、あまり詳しく知らなかったそうだが、実際にIPOすることになり、当時のメンバーにストックオプションが付与され、「えっ!!こんなにもらえるわけ」という驚きと、それが「目論見書」に記載されることになり、誰が何株分のストックオプションを持っている(付与されている)かが分かり、ショックを受けたという。

「僕はその時、『楽天市場をつくってきたのは自分たちなんだ』という生え抜きの自負みたいなのがすごくあった。後から思えば大したことはやっていなかったんですが・・・。そういうのがあったのに、後からヘッドハンティングされて入ってきた人たちというのは、僕の10倍とかで全然桁が違うわけですよ。今から思えば、そういう人たちはすごいスキルを持っているわけで、めちゃくちゃスーパーで、僕は全然及ばないのですが、ただ、当時は分からないじゃないですか。財務のことがどんなことかも分からないので、後から入ってきた人が何でそんなにもらうんだ、みたいな感じで、若気の至りでしたが、『じゃ、俺、辞める』と思いました」。

写真:津田 全泰 氏

今にして思うと、ホントに「若気の至り」でした(笑)。
「上」しか見えていなかったんですよね・・・。

津田さんは、当時の自分のことを「若気の至り」と言っていたが、こんなエピソードを話してくれた。

「自分が何でショックを受けたのかは・・・。要するに、お金が欲しいというのももちろんあったのですが、それよりも、自分達が楽天市場を創ってきたという自負があるのに、なのにそれが数字で序列されてしまったということへのショックだったんでしょうね。やはり、人間って上を見て『いいな』と思ってしまうじゃないですか。逆に、自分よりもらっていない人が、『何で、津田があんなにもらうんだ』というのもあったかもしれないですけど、当時はどうしても上しか目が行きませんでした。それに、若さもあったので、辞めると言って辞表を書いて、即、三木谷さんと本城さんに出したのですが、『お前も若いな。待て待て』となだめられて、それでもうしばらくやろうかなと思いました」。

ちょうどその頃、「楽天トラベル」という事業を立ち上げることになり、「じゃあ、お前、やってみろ」ということで、事業部長補佐(副事業部長のような立場)となり、事業部長と2人で立ち上げて行った。