第04回 吉川 欣也氏 vol.1 (4)

第04回 吉川 欣也氏 vol.1 (4)

世界でNO.1になることしか考えていない。

「世界でNO.1になることしか考えていないわけです。世界でNO.1にならないようなビジネスを僕はしたくない。最初から『日本で一番』とかいうものがないんです。世界でNO.1になるために一番いい場所がシリコンバレーだったというだけで、必然的にここに来たということです」。

少々時間が前後してしまうが、彼が石黒さんとふたりでシリコンバレーに渡り、DML Networksという子会社(現地法人)を創った頃、サンフランシスコで会ったことがある。その時の彼の話しが印象的だった。

彼はシリコンバレーで資金調達活動をしていたが、会うVCにことごとく、同じことを言われたそうである。それは、本気でシリコンバレーで勝負をしたいなら、「片道切符で来い」ということ。つまり、本社がTokyoにあるDML USA では、いつ何時、本社の意向で米国から撤退するかもしれないし、多額の資金を投資するVCにとってはコントロールが利かず、リスクが高いということである。その時の彼は、悩んでいると言ってはいたが、既に決断していたのだろう。その数ヵ月後、彼は、DMLの経営から身を退き、自分の持株もすべて手放し、シリコンバレーのVCから億単位の資金を調達し、ip infusion を創業した。最終的には20億円というお金を集め、2006年にACCESSに売却するまでに会社を成長させた。

ちなみに、日本では「売却」というとネガティブなイメージが根強いが、シリコンバレーでは「会社に値段が付く(買ってもらえる)」というのは、ひとつの「エグジット(サクセス)」として認知されている。Google に「1,600億円」でYOU TUBU を売却したのは記憶に新しい。

写真:吉川 欣也 氏

世界でNO.1にならないようなビジネスを、僕はしたくない。

自分の可能性を信じ続けられる能力。

さて、世界でNO.1になることしか考えていない吉川さんだが、20代の頃は、「オレが出来るんだったら誰でも出来るよな。こんなことを考えているのはオレだけじゃないよな」と思っていたそうだ。しかし、30才や40才になると、「そういう人間は、あまりいない」ことが分かってきたという。でも、「シリコンバレーには、いっぱいいる。だから、よりいっそう、おもしろい。そして、そういう連中と友達になれるのは、かなり大きい(意味がある)」。

僕は、このシリーズのインタビューをする時に、いつも聞く質問がある。それは、「60歳の時の自分は?」という質問である。吉川さんは、こう答えてくれた。

「60才になっても、たぶん会社を創っていると思うし、新しい価値を作ることが自分の仕事だと思っています。ビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブズが弱ってくる前に、なんとかひと泡吹かせようと思っているので、まだ何か、そんなことを言っているんじゃないですかね(笑)」。

次回に続く。

文章・写真: 株式会社ドリームビジョン 平石郁生