第03回 本間毅氏 vol.2 (2)

第03回 本間毅氏 vol.2 (2)

イエルネット上場プロジェクト

当時の堀江さんは、オン・ザ・エッヂ(ライブドアに社名変更する前)として光通信から資金調達をした頃で、「なんで、そんなにお金がいるんですか?」と訊いたところ、「上場するんだよ」「そんなこと、できるんですか?」「できるんだよ。うちの上場が終ったら、そのチームをそっくりよこすからさ」というやり取りがあり、実際にそのとおりなったそうだ。

「そのとおり」とは、宮内さんを筆頭に、オン・ザ・エッヂの上場手続きの実務面を担っていた人たちがイエルネットにやってきて、資本政策、資金調達、主幹事証券の選定等、上場に関する仕事を手伝ってくれたという意味である。

経験者が手伝ってくれるので、当然のことながら、すべてが物凄いスピードで進んでいく。

「『6ヵ月で上場しましょう、本間さん』と。2000年当時だから24歳ですよね。2000年11月が来ると25歳ですよ。そうすると『クレイフィッシュの松島さんより若いですね、日本最年少上場で行きましょう』と。それであっという間に4億円ぐらい集まった」。

2000年4月末のことである。因みに、オン・ザ・エッヂは、その翌月に上場した。

写真:本間毅 氏

「上場すれば、どうにかなるや」と思っていたんです。

「ネットバブル崩壊」。

さて、ここまでは話がとんとん拍子に進んでいったわけだが、2000年5月というと、ネットバブルが弾けた頃である。

それまでは「受託」の仕事をコツコツと地道に重ねてきたイエルネットだったが、上場が見えたことによって「上場=拡大=成長」となり、「人がたくさん働かないと成長しませんね。ということは、このオフィスじゃダメですね」となる。「じゃあ、渋谷にオフィスを移しましょう」となっていき、「良い人材を採るには、良いオフィスじゃなきゃいけない」となり、だんだんと内装等にお金をかけるようになっていく。

そうやって「高コスト体質」になっていったイエルネットであるが、「上場すれば何とかなるや」と思っていたところに、「ネットバブル崩壊」である。

2000年の8月か9月のことだったらしいが、証券会社の方から「本間さん、どうしますか?」と質問されたそうだ。そのまま上場を目指して突き進むか?一旦、保留にするか?という意味である。

「無理やりやろうと思ったら、できないわけではありませんが、どうしますか?」と言われた本間さんは、「頑張って売上を伸ばしますから、待っていてください」と答えた。それ以来、上場の話が復活することはなかった。