
企業理念には、自ずと創業者の想いや思想が色濃く反映されます。
当社の「企業理念」にも、創業者である私の想いや性格、そして、今までの人生で経験した出来事が色濃く反映されていると思います。
私は1991年3月、27歳の時に初めて会社というものを登記し、28才になってすぐに起業しました。
それから今日まで、6社の創業に携わりました。
1社( 株式会社ウェブクルー )は2004年9月に東証マザーズに株式を公開し、1社(株式会社インタースコープ)は2007年2月、Yahoo! JAPANとのM&Aにより子会社化し、その後、同業他社であるインフォプラントとの合併を経て、ヤフーバリューインサイト株式会社 となりました。
そして、ドリームビジョンは、私にとって「6度目の創業」であり、自ら経営を行うという意味では「3度目の起業」になります。 当社の企業理念を定めるにあたっては、自分自身の今までの人生を振り返るとともに、私がドリームビジョンという企業において、何を実現しようとしているのかを自問自答することから始めました。
私は最初に創業した会社を経営している頃、何度も挫けそうになり、もう止めてしまおうかと思ったことが幾度と無くありました。
その度に、私を勇気づけてくれたのは、私の家族であり、友人であり、また、一度も会ったこともない人たちでした。「一度も会ったこともない人たち」とは、故アイルトン・セナや伊達公子さんやカズこと三浦和良さんでした。
特に、セナには、大きな勇気と自信をもらいました。
F1に興味のない方には大変申し訳ありませんが、私がなぜ、セナから大きな勇気と自信をもらったのかを説明したいと思います。
セナは、ホンダが業績不振に陥りF1から撤退したことにより、1993年のシーズンはフォードの非力なエンジンでのレースを余儀なくされました。天才の名を欲しいままにしたセナをもってしても勝てないほど、競合チームと較べて、マシンの性能差は歴然としていました。
しかし、路面のグリップが利かなくなりマシンの性能差が小さくなる「雨のレース」においては、セナは神がかり的な強さを発揮しました。それが、1993年のイギリス・グランプリ、ドニントンというサーキットでのレースでした。
4番グリッドからスタートしたセナは、一度は順位を下げるものの、まさに鬼神の走りを見せ、コーナーごとに前のマシンをパスし、なんとオープニングラップをトップで帰ってきました。テレビを観ていた私は、セナの姿に感動し、涙が止まりませんでした。その時の解説者は、解説の域を超え、絶叫に近い声でセナの走りを伝えていたと思います。
私は、その時のセナの走りを見て、「非力なエンジンでも、こうして腐らずに頑張っていれば必ず、チャンスは来る」と思い、ちっぽけな会社の経営を諦めず、続けることができました。その時に踏ん張れたからこそ、その数年後、ベンチャーキャピタルから億単位の資金を調達し、ネットビジネスを創めることができたのだと思います。
セナ以外では、誰よりもワールドカップに出ることを夢見て、誰よりも努力を重ねてきたカズ選手が、フランス大会を目の前にして代表落ちをしながらも腐らずにサッカーを続けていた姿や、163センチという小さな身体で世界ランク4位まで上り詰め、全盛期のシュテフィ・グラフを破った伊達公子選手など、自分の持てる才能をフルに発揮し、自分の限界に挑む人たちの姿をみて、私は勇気づけられてきました。
私はそのような経緯から、勇気をもって困難に立ち向かう人たちを応援し、その人たちが頑張る姿を見て、より多くの人たちが頑張ることができる、そんな連鎖を生み出せることをしたい、また、自らが広く社会に対して「勇気と自信」をもたらすことのできる事業を生み出したいと思い、「夢と志=ドリーム&ビジョン」という言葉を社名にした当社を創業しました。
自分達で創った理念に負けないよう、知恵と意志と感謝の心をもってイノベーションを実現し、主体性と多様性に満ちた、より良い社会の実現を目指し、日々、小さな努力を重ねていきたいと思います。
株式会社ドリームビジョン創業者
代表取締役社長 平石郁生