僕は自分のことを褒めたことがない。

勉強は出来たほうだった。中学までは・・・。おそらく、僕の人生で最初の「挫折」は、高校受験に失敗したことだと思う。合格発表の掲示板に自分の名前が無かったあの時のことは、今もよく憶えている。

詳細はここでは書かないことにするが、昨年末から、「1分で話せ」の著者、伊藤羊一さんとお会いしたり、Slackで話をしたりするようになった。先日の伊藤さんのFBポストを読んで、僕はとても考えさせられた。

「1分で話せ」は40万部を超えるベストセラーとなったこともあり、ご存じの方も多いと思うが、伊藤さんは、日本興業銀行(元みずほ銀行)でご自身のキャリアをスタートさせた。

彼は横浜支店で働いていた時、様々な苦労を乗り越えて、明和地所のマンション建設に必要な融資案件をまとめることができたそうだ。そして、自分が融資を担当したマンションが完成した時、行ってみよう!と思って、休日に現地まで見に行った。

「入居者の家族が、笑顔でそのマンションに入っていったのを見たんだよな。その様子は、今でも鮮明に覚えている。25年前くらいのことなのに。ひと家族とすれ違っただけなのに。そのくらい、感激があった。ああ、自分は取引先にお金を融資する、という仕事をしていたんだけど、融資をするのが仕事なんではなくて、、、そのお金が使われて、こうやってマンションが建って、そこに入居する人がいて、それで、笑顔で幸せに生きている。それが仕事の意味なんだな、と。その笑顔に触れた時、自分の中で電流が走った。あれが原点」。

「石切り職人」の話である。

こうしてブログに書くのも嫌になるが、56歳(今年3月で57歳になる!)にもなる僕にとって、伊藤さんのような「原点」はあっただろうか? 回想してみたが、残念ながら、僕には、伊藤さんの身体に流れたような電流が走ったことは一度もない。残念ながら本当に・・・。

トイレの中で、そのことを考えていた時、伊藤さんのような経験ではないけど、僕の中で、ひとつの区切りになった出来事を思い出した。それは、僕の人生で初めてのクルマを買った時のことだ。

その話をすると未だに妻に笑われるのだが、才能もないくせに、大学一年生になるまでは、あわよくば、ミュージシャンになりたいと思っていた僕は、いわゆる「会社」という場所で働くということが、まったくイメージできなかった。

長くなるので詳細は割愛するが、ある会社で働いていた24歳の時、ビジネスの世界で生きていくことにリアリティというか将来展望を持てなかった僕は、とある有名な劇団のオーディションを受けたのだが、なんと、300人中の5人に選ばれてしまった。しかし、俳優を目指して勝負する勇気もなく、皮肉なもので、その数年後、起業した。そして、それからの約9年間は、とにかく、お金で苦労をした。そんなこともあり、僕は人並みの生活を送りたかったし、経済的に成功したかった。

今までに計8社の創業に参画したが、その内の1社、ウェブクルーが上場したことで、そこそこのキャピタルゲインが入った。僕は2004年3月、学生時代から憧れだった「BMW (Z4 3.0i)」を購入した。渋谷のセルリアンタワーホテルでアポがあり、恵比寿のマンション(これもウェブクルーのキャピタルゲインで購入した)を出て、旧山手通りに入り、神泉の交差点から国道246号を降りて、渋谷駅南口の交差点でUターンし、セルリアンタワーホテルの駐車場にZ4を停めた時は、それまでの苦労が報われた気がして、とても嬉しかった。

こうして書きながら、もうひとつ、思い出したのは、インタースコープというインターネットリサーチの会社を創業し、Yahoo! Japan にエグジットした時のこと。インタースコープは、業界の「御三家の一角(マクロミル、インフォプラント、インタースコープ)」として数えられるようになり、インターネットリサーチという業界の創造と発展に、それなりの貢献をしてきたという実感を持てたことだ。

しかし、伊藤さんが感じたような「電流」を感じたことは、残念ながら、一度もない。

これもお恥ずかし話なのだが、つい先程、その理由が分かった気がする。それは、僕は「誰のために仕事をしているのか?」という意識が希薄だったからだと思う。

話は変わるが、同じくインターネットリサーチ御三家の一角、インフォプラントの創業者である大谷さん(元Gパン学長)が設立した「インフィニティ国際学院」という、とてもぶっ飛んだ高校がある。僕はそのインフィニティ国際学院のナビゲーターなる役職を仰せつかっているのだが、明日、記念すべき第一期生に対して、オンラインで授業をさせてもらうことになっている。

自分が中学1年生の時に感じた「矛盾」や「落ちこぼれ」だった高校時代の頃を自分を思い出すと、その多感な時期に「どんな大人」と接するか? どんな教育を受けるか? が、その後の人生に大きな影響を与えることはこうして書くまでもない。

典型的な日本の教育に何らかの問題意識や窮屈さを感じて、インフィニティ国際学院に入学してきたのだとしたら、彼らの人生のたった2時間かもしれないが、自分に課された責任は大きいし、彼らの将来に幾ばくかでも貢献できるとしたら、それはすごく光栄なことだ。

あの頃の日本には無かった仕組みを自らの手で創り上げた大谷さんには尊敬しかないし、こういう機会を頂けたことは感謝しかない。

中学1年生の時の担任との会話が、僕が日本の教育制度に対する問題意識を持つに至ったきっかけになったのだけど、その問題意識や制度の矛盾を解決する、少なくとも解決すべく「挑戦」することで、僕も、若い日の伊藤さんが感じた「電流」を、還暦までには感じられるかもしれない。

美容室は、髪を切りに来るお客さんをキレイにしたり、かっこよくしてあげたり、幸せな気持ちにさせるために存在している。

マラソンの有森裕子選手がオリンピックで「2個目のメダル」を獲った時に仰った言葉を発するようになれることが、僕の人生の目標である。

あと3年3ヶ月。頑張ろう。

僕はどんな山を登ってきたのだろうか?

「意地でやるヤツはバカだと思え」というタイトルからは、その内容を想像できなかったが、ソフトバンクの孫さんが言う通り(日経トップリーダーの記事)、「自分の登るべき山を決めたら、自分の人生の半分は決まる。勝利が半分決まる。ビジョンはものすごく大切です」というのは、そのとおりだと思う。

では、僕はどんな山を登ってきたのだろうか? 結果的に「起業家」として生きてきて、2011年からは、国内外の若いスタートアップに投資することを仕事にするようになった。そして、2019年からは、投資先の「Infarm」というベルリンのスタートアップの日本市場参入の責任者となり、また、事業を行う立場になった。

生き方としては、筋を通してきた気がするが、登る山を決めているのか? と問われれば、正直、明確な答えはない。でも、ドリームビジョンの企業理念は「世界に挑戦する人を創出し、広く社会に「勇気と自信」と「希望」をもたらす新しい社会的価値を創造する」であり、僕の問題意識は明確ではある。

ここ数ヶ月は、Infarmの仕事が忙しく、老体に鞭を打ち、肉体的にも精神的にも張り詰めた日々を送ってきたが、ようやく、少し目処がつき、久しぶりに精神的にも時間的にもゆとりがある週末を迎えることができた。それで、久しぶりにウォーキングに出掛けた。

今日のウォーキングのお供に iPhone で聴いていたのは、レッドツェッペリンの「Stairway to Heaven」、坂本龍一の「Engery Flow, 戦場のクリスマス」、高中正義の「渚モデラート」、山下達郎の「Christmas Eve」、米津玄師の「Lemon」等。

Stairway to Heaven を聴きながら思ったのは、僕の大好きなチャー(Char)は、その才能では、Jimmy Page に劣らないだろうということだ。高中正義にしても、世界レベルの才能の持ち主だと思う。では何故、Jimmy Page や Jeff Beck、Eric Clapton のように世界的なギタリストになっていないのだろうか?

ロックは西洋文化であり、日本を含めた東洋世界は西洋文明と文化を受け入れて今日に至っており、その文化の発祥国ではない日本発のギタリストに西洋社会は興味がないのだろう。ましてや、日本語で表現された米津玄師の世界観を外国人が理解できるはずはない。

そういう意味では、坂本龍一は、世界的に評価されている。彼の音楽性やジャンルが洋の東西を問わないのかもしれない。

その点、スポーツは結果がすべてであり、実力があれば、西洋人だろうが東洋人だろうが評価される。

サンブリッジ グローバルベンチャーズを経営していた頃、僕が作ったタグラインは、BE Global or DIE Local. だった。ドリームビジョンのそれは、Be Bold or Italic, never regular. だ。そこに込めた思いは同じである。

日本に生まれて日本で育った人間として、一人でも多くの日本人がグローバルに活躍して欲しいと思うし、微力ながら、そのために自分にできることをしたいと思っている。そして、いい歳をして、こういうことを言うのは恥ずかしいが、レベルは別として、僕自身もその一人になれるよう、知力、精神力、体力が続く限り、老体にムチを打ち続けることにしよう。

2019年も残すところ、あと2週間少し。皆さんにとって、今年はどんな一年だっただろうか? そして、2020年はどんな年にしたいと思っているのだろうか?

僕は、自分が登るべき山を、もう少し、具体的に決めたいと思う。

Dream as if you’ll live forever, live as if you’ll die today.

とある週末、長男が通う中高一貫校の学園長の講演会に出掛けた。予想に違わず、大勢の保護者が参加しており、学園長の講演内容には多くの示唆があった。この先の人生について色々と考えさせられた。

久しぶりに自宅の書棚からドラッカーを取り出し、移動の電車の中で読み始めた。所狭しとマーカーが引いてあるが、まったく憶えていないところがたくさんある。いつも思うが、ドラッカーの本は、読むたびに、新しい発見がある。正確に言えば、当時は「その本質を理解していなかった」ことに気づかされる、ということなのだろう。

その他に最近読んだ本は、「モビリティ2.0:深尾三四郎著(日本経済新聞社)」「理は変革の中に在り:野村克也著(KKベストセラーズ)」「日本の論点2019-20:大前研一著(プレジデント社)」である。更に言うと、ブロックチェーン関連の書籍も何冊か読もうとしたが、どれも途中で挫折した。僕が期待した内容とは異なっており、「将来的にこんなことができる!」ということが中心で、技術的な説明はなく、あまりにつまらなく、どうしても読む意思を持ち続けられなかった。僕が期待していたのは、エンジニアではない僕でも分かるような「技術解説」だった。

そんな僕の問題意識を解決してくれたのは、Tim Romero というアメリカ人の友人(起業家、エンジェル投資家)だった。彼からの説明は、たったひとつの技術的な観点だけだったが、そのことにより、ブロックチェーンの可能性とその構造故、ブロックチェーンには向かない領域がたくさんあることの両方を理解することができた。巷で言われている「すべてはブロックチェーンに移行する」というのは「リアリティがない」ことが、よく分かった。

ところで、2018年も残すところ、あと2日。年々、年の瀬の感覚が無くなり、一年が経つのが速い。

今年の前半は毎月のように海外に出掛けたが、今、改めてGoogle Calendar を見直してみると、1月下旬から2月上旬は「長男の中学受験」だった。そんなこともあったな・・・というぐらい、もうずいぶんと昔のことのように感じる。

実は、長男の受験の直前、当時、保育園の年長だった次男が発熱。そう、よりによって・・・である。妻も僕も背筋に寒いものを感じたが、健気にも次男はトイレ以外は自分の部屋から一歩も出ず、食事も自分の部屋で食べてくれた。無事に長男の受験が終わった数日後、次男は「今だから言うけど、超つまんなかったw」と笑顔で告白してくれた。

「小学受験は親の受験。中学受験は家族の受験。大学受験は本人の受験」というらしいが、その言葉どおりの受験だった。

家族のことで言えばもうひとつ、長男と次男のお蔭で、洋楽派で尚且つ世事に疎い僕も、最近はJ-POPを聴く機会に恵まれている。「ONE OK ROCK」の「c.h.a.o.s.m.y.t.h.」と「SEKAI NO OWARI」の「RAIN」がお気に入り。若いということは、ただそれだけで素晴らしい。そう思うほどに、歳をとったということだ・・・。横浜スタジアムを満員にした彼らの将来が明るいものだといいね。

最後に少しだけ仕事の話をすると、今年はまる一年、とあるプロジェクトの実現のために、某大企業の方々とコツコツとMTGを重ねた。僕個人やドリームビジョンというクレジットと経済力では到底実現できないことを、その会社の方々とご一緒することで、世の中にインパクトを与えられる仕事ができるかもしれない。一年後、このブログで良い報告ができるようにしよう!

明日からは生まれ育った福島県郡山市の実家に帰省する。2015年末から再スタートしたスキーに、今年も子どもたちと行く。寒波のお蔭でコンディションは良さそうだ。

いいスタートを切りたいね! 皆さん、良いお年を!!