謹賀新年!Happy New Year 2024!

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。

ここ10年は毎年元旦は実家に帰省し、裏磐梯のグランデコスノーリゾートでスキーをするのが恒例になっていたが、今年は子どもたちの「ダブル受験」があり、東京の自宅で過ごしている。

Facebookへの初投稿もゲレンデの写真を載せることができず、ChatGPT4 (DALLE-E) にpromptを出し、イラストを描いてもらった。英語でprompt を書いたせいか? 僕だけ西洋人っぽい顔になっているw。

他のイラストでもそうなのだが、どうもChatGPTは「算数」が苦手らしい。僕は「二人の子供たち」とスキーに行った絵とリクエストしたのだが、僕以外に「3人」の子供たちが描かれている。実は、最初に頼んだイラストは、リクエスト通り、僕と2人の子供たちが描かれていたのだが、2024 という数字を入れることを伝えるのを忘れており、もう一度、イラストを描いてもらったところ、子供が3人になっていた・・・。

でも、彼らの従兄弟(大学2年生)も一緒に行ったと思えば、悪くない。イラスト自体は、3人バージョンの方がイイ感じなので。

ところで、今年の抱負を書く前に、2023年を振り返っておくことにする。

With the three founders. Guy at left, Erez at my right side, Osnat at right at the old office in 2017.

僕にとって2023年は、兎にも角にも「The year of Infarm」だった。

2023年1月12日 (木)、日本時間18:00、Infarm 創業者の一人、CEOのErez との臨時のMTGがあった。

その翌週の火曜日に、彼との月イチの定例MTGが予定されていたにも関わらず、彼の秘書からメールがあり、1/12 (木) にMTGがセットされた。あと数日待てば話ができるにも関わらず、急遽、MTGがセットされたということは、つまり、悪いニュースだろうことは容易に想像がついた。

Zoom 越しに彼の顔が映し出され、新年の挨拶をした後、僕は「It must be bad news, right?(きっと悪い知らせなんだよね?)」と訊いたところ、「Yes. Unfortunately, the board decided to shutdown the Japan operation.(そうだ。取締役会が日本市場からの撤退を意思決定した。)」という返事だった。

When should we close our business?(いつまでに閉めればいい?)」と訊くと、「Yesterday.(昨日までに)」という単語が返って来た・・・。

その後のことはブログにも書いたので、ここで改めて書くことはしないが、Infarmに投資し、日本法人を設立、そして、約3年に渡って経営してきたことは、僕にとっては得難い経験になった。

野菜を生産しているとはいえ、収益構造的には「完全な製造業」であり、多額の「設備投資」が求められる事業で、累計「US$604.5 million(USD/¥142で計算すると約860億円!)」を資金調達をするような事業は初めてだった。もちろん、すべての資金調達は本国側で行っており、日本法人としてファイナンスしたわけではないが、そのダイナミズムは株主としても、日本法人の経営者としてもヒシヒシと感じていた。

Infarm はベルリン発祥で、日本を含めて「11ヵ国」で事業をしており、一時期、1,200人ほどの従業員がいた。ドイツ企業にも関わらず、ドイツ人比率は、おそらく2割程度しかいなかっただろうし、英語がネイティブなスタッフも同じく2割程度だったと思う。そして、国籍はなんと「50ヵ国」以上あった。当然、社内公用語は「英語」だった。

また、日本法人の経営者だった僕は、約20人ぐらいが参加する、四半期に1度の幹部会議に呼ばれていたが、彼らの国籍も10ヵ国ぐらいで構成されていた。

そのような「多様性と国際性」に富むスタートアップの経営陣の一角としての経験を踏まえると、日本のスタートアップは「モノクローム」に見える。創業者は全員、日本人、従業員もほぼ全員、日本人。株主も日本のVCや日本企業、顧客も日本企業 and/or 日本人という構造では、グローバルな事業を創るのは極めて困難だろう。

今のところ、世界第3位のGDP(市場)があるが故に、ガラパゴス化して成長していけるが、出生率や移民政策が大きく変わらない限り、わざわざブログに書くまでもなく、確実に市場は縮小していく。

ところで、昨年12月21日(木)、僕が株主の一人でもある「Musashino Valley」というStartup Studio 兼 Co-working spaceで、サンブリッジ時代から行ってきた「シリコンバレーツアー」の「拡大同窓会」なるイベントを行った。

新卒でアップルジャパンに就職し、10数年を経て「チカク」というスタートアップ(アップルでの経験を活かし、IoT端末を開発!)の創業者のカジケン(梶原健司さん)と、FinT というスタートアップの創業者で、ツアー参加当時は大学1年生だった大槻祐依さん、そして、Musashino Valley の運営企業の創業者で武蔵野大学アントレプレナーシップ学部の学部長の伊藤羊一さんを交えて、我々日本人にとってのシリコンバレーという存在の意味や影響力、そして、事業を立ち上げて成功させるために必要なことに関して、ざっくばらんにパネルトークを行った。

僕が最も印象に残っているのは、カジケンが説明してくれたアップルの「TOP100」と呼ばれていた(そう言っていたと思う)経営幹部を対象とした会議のことだ。

その会議に招集される経営幹部は、Steve Jobs がファーストネームを憶えている「100人」で、パソコンもiPhoneも取り上げられて、3日間、缶詰になり、会社(事業)の将来を議論していたという。

そこで、その100人は、Steve Jobs から、自分にとって「重要な10個のテーマ」を書き出すように言われ、それを発表した後、その内の「7個」は「捨てろ!」と指示されたという。

「選択と集中」。言うのは簡単だが、人間は「可能性があるものを捨てる」ことに躊躇するし、それには「勇気」が必要だ。ドラッカーのいう「劣後順位」というやつだ。

昨年、特に後半3ヶ月の僕は「欲張りすぎていた」と思う。次のビジネスやステージに進まなければいけないのは重々理解していながら、Infam日本法人の清算業務が終わっていなかったり、自分の年齢(昨年3月で還暦になった!)のことが気になったり、ある意味、ありがたい話だが、欧州のFoodTech系スタートアップから日本市場参入に関する相談があったり、投資先の資金調達を手伝ったりと、何だかんだと慌しくしており、焦っていたのだろう。

そんな時、カジケンの話は「胸に突き刺さった」。あのパネルトークはマジで勉強になった。

それからもうひとつ。昨日の紅白で久しぶりに「ルビーの指環 (音が出ます!)」を熱唱した「寺尾聰」は、なんと76歳!という事実を知り(今朝、とある知り合いのFB投稿で知った)、勇気をもらった。僕もあんな76歳になりたい!と思った。

そして、60代は、まだまだフルスロットルで行ける気がして来た!!

「獺祭(だっさい)」で知られる旭酒造(山口県岩国市)の桜井博志会長は、70代で米国に拠点を移し、さらなる挑戦をされるそうだし!

2024年は、予てから温めていた日本のスタートアップエコシステムに「多様性と国際性」をもたらすことを目的とした、あることを立ち上げようと思っている。

近いうちに、このブログで詳細を説明したい!

ユニコーンになったInfarm から学んだこと。

FIVE lessons learned from the Infarm Launch in Japan.

The Infarm founders. July 7th, 2016, at the Infarm HQ office. Photo by myself.

2021年12月、投資先のInfarmはヨーロッパは「ユニコーン」になった。

物語の始まりは、2015年11月18日。初めて訪問したベルリンで、無謀にも初めてのInnovation Weekend Berlin を開催した。

SunBridge Global Venturesという、シード&アーリーステージのスタートアップへの投資会社を経営していた頃、口を開けば「Go Global」と言っていたこともあり、まずは、自分たちが Go Global を実践しよう!ということで始めたのが、Innovation Weekend というピッチイベントの Small World Tourだった。

2014年5月にシンガポールでKick-offし、2016年までの3年間、ロンドン、ボストン、ニューヨーク、サンフランシスコ、そしてベルリンで開催した。イベントこそ主催しなかったが、パリにも足を伸ばし、現地のスタートアップエコシステムを研究した。

シンガポールでは、TECHINASIAのメンバーが協力してくれたこともあり、順調に ピッチ登壇スタートアップが集まったが、ボストンでは、イベント当日3日前の時点で、わずか「3社」しか登壇スタートアップが集まらず、スポンサーの皆さんに何と言ってお詫びをすれば良いのか?と途方に暮れていたことを思い出す。

その後、堰を切ったようにたくさんのスタートアップからの応募があり、結果的には大盛況に終わったが、今にして思うと、奇跡としか言いようがない。

ベルリンでは計2回、開催した。Infarm は初回の優勝スタートアップで、2015年の年間チャンピオンにもなった。

実は、初めてのベルリンでの開催にも関わらず、そこそこ順調にピッチ登壇スタートアップが集まり、既にアプリケーションを締め切っていたのだが、Storymaker というPR会社の創業者 Bjorn Eichstadt から紹介されたのがInfarmだった。

2013年にベルリンで創業したInfarm が我々のピッチイベントに登壇した時は、パイロットファームが1台あっただけで、ビジネスモデルも固まっていなかった。

InStore Farm designed by Infarm (old model) at the Infarm office in 2016. Photo by myself
The Infarm HQ office in 2016. Photo by myself.

Innovation Weekend Berlin で優勝した翌日、Infarm のオフィスを訪ね、創業者たちと話をしながら、彼らなら、この奇想天外な構想を実現するのではないか?と思い、その一年後、投資することを決めた。

暫くはホームグラウンドのヨーロッパで地歩を固めるため、日本に来ることはなかったが、2018年の秋、いよいよ日本市場参入を本格的に検討したいので相談に乗って欲しいと、久しぶりに連絡があった。

それから入れ代わり立ち代わり、四半期に1度のペースで、ファウンダーたちが東京に来るようになり、その度に僕は、投資家候補やクライアントになってくれそうな流通関連企業の幹部とのアポイントを取り、彼らを連連れ回していた。

JR東日本の皆さんとは、SunBridge Global Ventures を経営していた頃に知り合った。鉄道会社ではあるものの、非鉄道部門の事業を伸ばすことにコミットされていることを思い出し、興味を持っていただけるのではないか?と思い、たしか、3年ぶりに連絡をした。

僕の読みどおり?とても興味を持っていただき、一緒にベルリンやパリに出張し、当時のInfarm 本社オフィスや生産施設、Infarm のユニットを導入してくれているスーパーマーケットを視察した。そして、子会社の紀ノ国屋の皆さんをご紹介いただいた。

サミットとのご縁は、住友商事の知り合いを介してだった。初めて西永福のサミット本社を訪問し、当時、住友商事から執行役員としてサミットに出向されていた方とお会いした時、この人とは是非、一緒に仕事をしてみたいと思った。その年の暮れ、創業者の一人でCEOのErezが来日した時、3人で食事をした。

コクヨの東京本社に併設されているTHE CAMPUSに導入いただいたのは、日経ビジネスの記者の方(酒井大輔氏)が書いて下さった記事を社員の方がご覧になられたことがキッカケだった。社長の黒田さんとは10数年前、とある会合で知り合っていた。

こうして振り返ってみると、Steve Jobs が言っていた connecting the dots そのものである。きっと、これからの人生もそうありたい。

最後に、Infarm 日本法人の経営者として、また、Infarm 全体のリーダーシップチームの一員として、幹部会議に出席し、Global スタートアップの経営に参画してきたことで学んだことを整理したい。

1つ目:CAPEX。野菜を生産しているという意味では「農業」であり、AgriTech スタートアップだが、その収益構造は、完全に「製造業」だということ。

もちろん、設備投資の額は何を生産するかで大きく異なるが、テスラを生産するのか? iPhone を生産するのか? 野菜を生産するのかの違いであり、需要予測に基づき、生産拠点という「設備投資」を行う必要がある意味では、基本的な構造は同じである。

また、Vertical Farming(LED/水耕栽培)というカテゴリーは、研究開発投資(R&D)が求められる点でも、テスラやアップルのような大企業と類似している。ひと言で言えば、財務的体力が求められる事業ということだ。

2つ目:Diversity。Infarm は一時期、11カ国で事業展開しており、1,000人を超える従業員が在籍し、その国籍は「50カ国」を越えていた。ベルリン(ドイツ)発祥にも関わらず、僕が思うに、ドイツ人はせいぜい3割もいなかったし、英語が母国語の人も2割もいなかったと思う。でも、もちろん、社内公用語は「英語」である。

グローバルな事業を生み出すには、グローバルな問題意識、環境、そして、多様性が極めて重要ということだ。

一方、日本のスタートアップを見ると、殆どのケースで、創業者は全員「日本人」、投資家も日本人 or 日本企業 or 日系VC、社員も殆ど日本人、顧客も日本企業(日本人)だろう。尚且つ、現時点では、世界第3位のGDP(日本市場)があり、それでは、ガラパゴス化は必然であり、むしろ合理的である。

理想を言えば10年、できれば20年前に、Infarmのようなグローバルスタートアップの経営に参画する機会があったなら・・・と思うが、Infarm で得た貴重な経験を、これからの人生に活かしていきたいと思う。というか、活かすことのできる仕事をしたい。

3つ目:Expansion v.s. Focus。個人的な感想だが、市場にしても、品種にしても、手を広げ過ぎたように思う。一般論で言えば、少ない市場、少ない品種の方が経営資源の投資効率が良いのは間違いない。ソフトウエアのビジネスと違って、生産施設を前提としたビジネスであり、アゲインストの風が吹いた時の撤退コストも大きい。

4つ目:Product Market Fit。定量的に検証したわけではないが、お菓子やスイーツ等、デザートに分類されるものは、それなりに「冒険(試しに買ってみる)」する人が多い気がするが、日常の「食事」に使う食品に関しては、基本的に「冒険しない(知らないものは買わない)」人が多いように思う。

Infarm の主力商品は「ハーブ類」であり、顧客の立場で考えれば、購入する前に「試食」をしたいだろう。でも、Infarm が日本市場に参入するまさにそのタイミングで、新型コロナウイルス(COVID-19)が猛威を振るい、紀ノ国屋やサミットに限らず、すべてのスーパーマーケットで「試食」は出来なくなったことは極めて痛かった

PMF:Product Market Fit に至る前に撤退を余儀なくされたことは、経営者として悔しかったが、そのようなリスクも含めた上で経営するのがビジネスだ。

5つ目:Office & Factory。僕は今まで、インターネット関連のビジネスにしか携わったことがなく、「本社部門(オフィスワーク)」と「生産施設(現場)」とに分かれている事業(組織)は初めての経験だった。

また、Infarm はヨーロッパに親会社があり、本国では事業基盤が整っているが、日本法人はスクラッチから立ち上げる必要があり、純粋なスタートアップとは言えず、かといって、出来上がっている組織でもなく、社内のカルチャー、緊張感、スタッフのモチベーションをどうマネージすれば良いか?が難しかった。

Infarm Japan の経営を通じて、僕はたくさんのことを学んだ。

今後は、株主の一人として、Infarm がこの世界的な逆境を乗り越え、力強く成長して行くことを見守りたい。

ひとつ、付け加えることがあるとすれば、残念ながら撤退することにはなったが、Infarm に投資し、日本市場への参入を実現できたことで、欧州の「AgriTech/FoodTech」系スタートアップで、日本市場への参入に興味のあるところから相談されるようになった。

その中の一社で、とあるノルウェーのスタートアップと交流ができ、6月に、人生で初めて、オスロに行くことになった。

本当に最後に、このような機会を提供してくれた、Erez, Guy, Osnat の3人の創業者、また、リーダーシップチームのメンバー、日本法人のメンバー、上記で紹介したJR東日本、紀ノ国屋、住友商事、サミット、コクヨの皆さんには、改めてお礼を申し上げたい。

ありがとうございました!!

いよいよ米国へご出発です。

先週から、お世話になってきた店舗から我々のファーミングユニットの撤去作業を始めた。Infarm の野菜を楽しみにしてくれていた固定客の方もいらしたようで、日本で事業を開始し、僅か2年ではあったが、Infarm の日本市場からの撤退を惜しんで下さっている方々もいるという声を聞き、とても嬉しく、そして、申し訳なく思っている。

そんなことで連日、深夜仕事の日々が続いており、50代最終コーナーを走っている人間には、体力的に厳しく、昼間の集中力を保つのが難しい。

実は、今までの生き方を改めたいと思っている。

実際、仕事に関しては、3月末で、Infarm 日本法人を解散するわけで、大きく変わるのは言うまでもない。

二人の子どもたちは、これから益々お金が掛かる年齢に差し掛かり、妻はこの先のことをとても心配している。僕も心配じゃないと言えば嘘になるが、何とかなると思っている。

Infarm の店内ファームの撤去作業に話を戻すと、行き帰りのクルマの中で、That Was The Week というポッドキャストを聴いている。

知己を得たとまで言うと烏滸がましいかもしれないが、サンブリッジの仕事で知り合い、10年以上の付き合いになる、TechCrunch 共同創業者のKeith Teare 氏が、彼の友人 Andrew Keen 氏と対談形式で毎週金曜日に行っているセッションだ。シリコンバレーやテクノロジー業界の今がよく分かり、とても勉強になる。

先日のブログに書いた長男との関係は、思っていた以上に、僕の精神状態に影響を与えている。それに加えて、ファーミングユニットの撤去が始まり、物理的に、そして、否応なしに、苦労して設置したファーミングユニットを解体する光景を見ることになるせいか、精神の平穏を保つのが難しい。

昨晩は紀ノ国屋の西荻窪駅店での撤去があった。西荻窪の街は、風情があっていい。チェーン店ではなく、個人経営の個性豊かな飲食店が軒を並べている。

撤去の帰りは、Keithのポッドキャストを聴く気になれず、YouTubeを開けたところ、一時保存リストの下に、Christofer Cross の Sailing という曲のサムネイルがあった。

僕は歌詞のある曲は必ず、どんな歌詞なのか?どんな意味なのか?を確認したい人で、Google で検索してみた。ChatGPTではなく。

すると、以前にも見つけたことのある「およげ!対訳くん」という洋楽の和訳を書いている方のブログに、Sailing という曲ができた背景と歌詞、そして、彼なりの解釈が説明してあった。

僕は仕事上のことは英語で講演したり、ブログを書いたりすることができるようになったが、歌詞の背景やそこに込められた意味を理解するまでの英語力はない。

Wikipediaによると、Christofer Cross が高校生の頃、感情面で苦しんでいた時、年長の友人であったアル・グラスコック (Al Glasscock)に、セーリングに連れて行ってもらっていたことに着想を得て書いた曲らしい。

「およげ対訳くん」に書いてある和訳を読みながら、「たしかに、そうかもね・・・」と思えて、少し気が楽になった。

ところで先程、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(通称:武蔵野 EMC=Entrepreneurship Musashino Campus)の教授会(Zoom)の最中に、一通の簡易書留が届いた。

This photo was taken by myself. At The Venture Cafe in CIC. Sep 24th, 2014

武蔵野EMCの仕事で、3/6 (火) から一週間、ボストンとオースティン(SXSW)に行くことになっている。その必要書類だった。

「いよいよ米国へご出発です」。

旅行代理店の方からの送り状には、そう書いてあった。

ボストンにはサンブリッジ時代、Innovation Weekend というピッチイベントを主催するため、2度ほど行ったことがあるが、オースティンもSXSWも初めてだ。

2006年に創業したドリームビジョンが上手く行かず、晴耕雨読ならぬ、晴「読」雨読の日々を送っていた時、小川孔輔先生から電話をいただき、翌年から法政大学経営大学院(MBA)で教えることになった。

その翌年には、2年半ぶりに Allen Miner と再会し、サンブリッジの仕事をすることになり、Keith をはじめとして、シリコンバレーの人たちとの交流が始まった。

サンブリッジ時代に受託していた大阪市の仕事では、ロンドン、ベルリンとも縁ができ、ベルリンに関しては、ベルリン州政府が行うアジアのスタートアップエコシステムとの接点づくりの「アンバサダー」なる役職も仰せつかることになった。

幾多の失敗をしてきているが、僕は機会に恵まれている。

人生は、簡単じゃない。でも、生きていることは、それだけで素晴らしい。

そう思える人生を送れている僕は、幸せな人間だ。

Infarm 日本市場から撤退のお知らせ

諸事情により日本法人としてのプレスリリースを出すことができないので、お世話になった、そして、引き続き、お世話になっている皆さんへ、私のブログにてご報告をしたいと思います。

ベルリン発祥のVertical Farming (LED/水耕栽培) スタートアップ Infarm は2020年、JR東日本の皆様よりご出資を受け (Infarm 本体へのご出資)、2020年2月に日本法人を設立しました。

日本市場参入の経緯は、BRIDGEにて詳しくご掲載いただきました

日本でも新型コロナウイルスの感染が拡大し、足踏みを余儀なくされましたが、2021年1月、紀ノ国屋インターナショナル(青山店)、西荻窪駅店、そして、サミット五反野店へ、弊社独自開発のInStore Farmを導入いただき、日本での事業をスタートしました。

その後、紀ノ国屋の用賀店、武蔵小金井店、サミットの野沢龍雲寺店、成城店、そして、昨年6月にはTHE CAMPUS (コクヨ株式会社)にも導入いただきました。

また、Infarm Tokyo Plant Hub という生産施設で野菜を栽培し、紀ノ国屋の等々力店、国立店、また、一時期、DEAN & DELUCA 広尾店、六本木店、そして、不定期ですが、LUMINEアグリマルシェでもInfarm の野菜を販売していただいて参りました。

しかし、大変残念ながら、タイトルのとおり、Infarm は日本市場から撤退することになりました。詳しくは、Infarm 本体のウェブサイトに掲載のご案内(英文の下に日本語訳があります)をご覧いただければと思います。

Infarm 販売終了のお知らせ at 紀ノ国屋インターナショナル(青山店)

日本市場での販売終了の旨は今月初旬、各店舗にてご案内させていただきました。また、今月下旬から来月初旬に掛けて、各店舗に導入していただいておりましたInStore Farmを撤去させていただきます。

今までご愛顧いただいておりましたお客様には心よりお礼を申し上げますと共に、このような結果となってしまいましたことを深くお詫び申し上げます。

また、Infarm 本体の株主としてご支援を頂戴しておりますJR東日本の皆様、InStore Farmを導入いただきましたサミット、THE CAMPUS(コクヨ)の皆様、飲食店向けの販売チャネルをご提供下さいましたベジクルの皆様、ルミネのアグリマルシェの皆様には、改めてお礼を申し上げます。

そして、Infarm のビジョンに共感し、お互いの人生の一時期、苦楽を共にしたメンバーに感謝しています。

尚、私は3月末に開催する臨時株主総会にて、日本法人の代表取締役社長を退任し、清算人として、日本法人の清算手続きをして参る予定です。

まだ暫くの間は、Infarm 日本法人の代表者としての仕事が続きますので、日本での事業を通じて得た貴重な経験とこの3年間の総括は、3月末に、改めて申し上げたいと思います。

引き続き、宜しくお願い申し上げます。

洗濯機、テスラ、Infarm。

今さら何を言っているんだ・・・と言われるかもしれないが、我が家のドラム式洗濯機の中で水しぶきが上がっているのを見て、人類はテクノロジーを開発する(進歩させる)ことで生き延びてきたということを再認識した。

洗濯機が出来る前は、洗濯板なるもので手洗いをしてわけで、重労働極まりなかったということだ。それも、女性が行っていたことを考えれば、尚更だ。

農業も同じだ。中学生の頃、焼畑農業というものを教わった。そして、灌漑という技術も。ビニールハウスで温室栽培をするようになり、今では、品種によってはロボットでの収穫もできるようになった。

でも、地球温暖化による相次ぐ台風による農作物の被害には、今のところ、有効な対策がない。

でも、LED/水耕栽培はどうだろう? 自家発電設備を備えれば、台風による停電の心配もない。

Infarm を含めた「LED/水耕栽培」市場は、国内外を合わせると、何百社という企業がひしめいている。

日本では、我々Infarm 以外に、老舗と言っていいスプレッドの他、レスターホールディングス(子会社で運営)、ファームシップ、PlantX等が凌ぎを削っている。

海外では「Vertical Farming」といい、単位面積当たりの収穫高を高めるため、縦に伸ばす、つまり、天井高を高くし、野菜を作るトレイを何段にも重ねる企業が多い。

投資効率を考えると、不動産コストの安いエリアで敷地面積を広げるより(その分、物流コストが高くなる)、建物の天井高を高くする建築コストの方が安いということだろう。

ところで、先週の水曜日(9/14)、ベルリン州政府が主催する AsiaBerlin Summit という、ベルリンとアジアのスタートアップエコシステムを繋ぐことを目的とした記念すべき25周年イベントで、大変光栄にも、Infarm の日本市場参入に関する話をする機会を頂戴した。

ベルリン州政府にとっては、日本人の僕がベルリン発のスタートアップの Infarmに投資し、尚且つ、日本市場へ参入したというのは、分かりやすいサクセスストーリーなのだろう。

でも、そんな簡単な話じゃない。とてもチャレンジングな仕事だ。

僕はネットバブル以降、自分たちでスタートアップを創業したり、スタートアップに投資する仕事をしたりと、かれこれ四半世紀、インターネット関連の世界でビジネスをしてきた。

でも、製造業や農業など、生産現場が伴うビジネスには一度も携わったことがない。

Infarm はインターネットは勿論、A.I.、IoT、メカニカル・エンジニアリング、Crop Science、Bio Technology等、事業を運営するために必要な知識や技術が極めて多岐に渡る。ダイナミックレンジが広い。

簡単に言うと、ハードウェアとソフトウェアの両方の技術とKnow-Howが必要ということだ。自動車産業で言えば、TESLA(テスラ)のようなモデルである。

もうひとつ言うと、connected ということ。つまり、ファーミングユニット同士がCloudで繋がっており、どこにいても内部の設定やモニタリングが可能だ。

ドラッカーが言うところの「新しい知識に基づくイノベーション」の典型である。

「新しい知識に基づくイノベーション」に共通することは、開放期と呼ばれる大勢のプレイヤーが挙って参入してくる時期があることと、整理期と呼ばれる時期を経て、極少数だけが生き残るということだ。そして、その市場は必ずグローバルになり、生き残った者はグローバルプレイヤーになる。

Infarmは幸いにして、ユニコーン(未公開企業で時価総額US$1B以上)と呼ばれるスタートアップになった。でも、まだまだ先は長い。

僕にとって、Infarm のようなスタートアップに投資する機会に恵まれ、日本法人を経営し、50ヶ国籍以上の従業員で構成され、10ヶ国で事業展開するスタートアップの幹部の一人として仕事ができていることは、とてもありがたいことだ。誰にでも訪れるチャンスではない。

申し上げるまでもなく、欧州と日本では、社会の構造も流通業界の商習慣も、そして何より、食文化が大きく異なる。

つまり、欧州で出来上がったビジネスモデルをそのまま日本にコピーしても上手くいかない。日本市場の特性に合わせて、カスタマイズする必要がある。

今から40年以上前、マクドナルドが米国本国とは異なる戦略とポジショニングで日本市場に参入することで成功したように、我々も日本版 Infarm を創り出す必要がある。

大変だが、やりがいのある仕事だ。そんなチャンスは滅多に無い。

先週のベルリン滞在中、とても光栄なことに、西村経済産業大臣が、Infarm Growing Center という我々の生産施設の視察に来られた。

最新鋭のFarming Unit をご覧いただいた後、様々な野菜を試食していただいた。「イチゴ」を試食された際、「美味しいですね!」と言っていただいた時は、素直にとても嬉しかった!!

西村大臣に「美味しい」と言っていただいたイチゴを、一日も早く、日本の皆さんに食べていただけるよう、事業を前に進めたい。

下北沢と西荻窪。

学生時代の僕は、弟と一緒に下北沢に住んでいた。

弟は、弁護士を目指して司法試験の勉強をしていたが、父が他界し、何年に渡るか分からない、さらに言えば、何年挑戦しても合格する保証のない司法試験への挑戦を断念し、実家の福島県郡山市に帰ることになった。そして、僕は仕方なく、下北沢を離れた。その数年後、弟は念願の司法試験に合格した。

弟と二人で住み始めた頃の下北沢は、休日の午前中、トレーナーで買い物に行っても大丈夫だったが、いつしか人気の街になり、週末はHanakoを片手にしたカップルや女子で溢れるようになった。今にして思うと、日本社会がバブル経済に向かう時期だった。毎年のように家賃が高くなっていき、ひとりで払うのは無理があった。

後ろ髪を引かれながら下北沢を諦め、1987年の夏、汗だくになりながら引っ越ししたのは、代々木八幡にあった風呂なしのアパートだった。窓の外は小田急線。窓を開けると、電車の中の人が見えた。救いは、アパートの斜向いに銭湯があったことだ。

さすがに、そのアパートに住み続けるのは耐えらず、僕は井の頭線の東松原から徒歩6-7分、小田急線の梅ヶ丘からも徒歩8分程度のところに移り住んだ。いわゆるプレハブの安アパートだったが、築浅で日当たりがよく、まあまあ快適だった。下北沢に戻りたかったが、安月給の僕には無理だった。

2年ぐらい住んだだろうか? 僕は井の頭線の久我山に引っ越した。都心からはだいぶ遠くなったが、急行なら渋谷から15分。さらに3駅乗れば、吉祥寺。僕は久我山が気に入り、6−7年、住んでいた。

妻は東京生まれの東京育ちだが、方向音痴なのと、生まれ育った東急沿線とは雰囲気が異なり、久我山は好きではなさそうだった。

当時の僕は、株式会社クリードエクセキュートという、ちっぽけな会社を経営していたが、ある時、主力事業(という程の規模ではなかったが)だったDTP(Desktop Publishin)のビジネスからスパッと撤退した。1億5,000万円あった売上が、翌年には1,800万円に激減。僕たち夫婦は経済的に困窮した。

僕は、人生の「何かを変える必要がある」気がしていた。

大前研一氏は、人生を変えるためには、3つの方法しかないと言っている。それは、1. 付き合う人を変える。2. 時間の使い方を変える。そして、3. 住む場所を変える。だった。

他力本願ではなく、自分の意思で変えられることは何か? と考えた僕は、妻の土地勘のある東急線のエリアに引っ越しをすることにした。

妻は、どうせまた途中でやっぱり「東急沿線は止めた」となるだろうと思っていたらしいが、引っ越した先は、目蒲線(現目黒線)と大井町線が交差する「大岡山」という場所だった。既に他界してしまったが、妻の叔母が住んでいた2階建ての戸建ての1階部分に移り住んだ(叔母は代々木上原に引っ越した)。小さな庭も付いていた。

大岡山は、東京でも有数の高級住宅街で、近所には映画監督の篠田正浩氏と女優の岩下志麻さん夫妻の豪邸があった。

高級住宅街の一角の小さな戸建ての家は、住心地は良かったが、その頃の僕たちは、人生で最も貧乏な時代だった。拙著「挫折のすすめ」にも書いたが、3つではなく、4つ100円で売っていた名もないメーカーの納豆しか買えなかった。

詳細は割愛するが、その後、幸運にもネットバブルの最終列車に飛び乗ることができた僕は、ビットバレーの起業家のひとりとしてメディアにも取り上げられるようになり、創業メンバーのひとりとして立ち上げたウェブクルーは2004年9月21日、東証マザーズに上場した。社長(共同創業者)として立ち上げたインタースコープは、ネットリサーチ業界の御三家の一角として数えられるようになり、2007年2月、Yahoo! Japan にM&Aで売却した。

それから8年後の2015年。スーパーマーケットやレストランの店内で野菜を栽培するテクノロジーの開発に取り組んでいた、ベルリン発のInfarm というスタートアップと知り合った。僕が経営していたサンブリッジ グローバルベンチャーズという会社で主催していたInnovation Weekend というピッチイベントを、初めてベルリンで開催した時だった。

当時のInfarmは、プロトタイプのInStore Farm が一台あるだけだったが、3人の創業者と会い、彼らであれば、この壮大なビジョンを具現化できるだろうと思い、事業計画等は一切検討せず、投資をした。

リクルート創業者の江副さんの著書「かもめが翔んだ日」には、痛く心を揺さぶられた。

インタースコープを経営していた頃だった。僕にとっての初めての著作「自分でできるネットリサーチ」の原稿を書かなければいけなかったのだが、そんなことはお構いなしに、渋谷マークシティのスターバックスで、人目を憚らず、泣きながら「かもめが翔んだ日」を読んでいた。

「元リク」のある方から「平石さんは『自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ』を実践されていますよね」と言われたことがある。

その時は、そんなもんかな・・・という程度にしか思わなかったが、改めて振り返ってみると、まんざらそうでもないか、と思う。ネットベンチャーの後、教育関連の事業を行おうとしたり(それは上手く行かなかった)、その後はスタートアップに投資する側になり、極小規模ながらファンドを組成し、今度は、アグリテックといえば聞こえは良いが、野菜を栽培し、スーパーマーケットで販売する事業の日本法人を設立したりと、たしかに、自ら新しい機会を創り出し、それに取り組んで来た。

快晴の土曜日。JR中央線「西荻窪駅」構内に入っている「紀ノ国屋」に行った。店内で「収穫作業」をしてくれているスタッフの陣中見舞いのためだ。因みに、彼女の入社日は、僕の誕生日である。

西荻窪は閑静な住宅街でありながらサブカルチャー的な雰囲気を併せ持っており、どこか下北沢に似た雰囲気がある。ユニークな飲食店もたくさんある。

土曜日はいつもそうなのだが、自宅から西荻窪に向かう道は渋滞が激しい。

Google Map の推薦を信用し、環七から梅ヶ丘へ向かう道を入り、梅ヶ丘駅前を右折。北沢警察署の前を通り過ぎ、突き当りを左折した。角にあったガソリンスタンドはファミリーマートに姿を変え、僕が住んでいたアパートは無かったが、未熟だった20代の頃の自分を思い出した。

最近の僕は、若かった自分を思い出しては哀しい気持ちになる。ノスタルジーで片付けてしまうのはどうにもしっくりこない。その感情の源泉は何なのだろう?

ここには書いていないことも含めて、辛いことはたくさんあったが、それでも、僕の人生は幸運に恵まれている。20代の頃の自分はあまりにも未熟で危なっかしく、よくまあこうしてやって来れたなあと思う。

そんな人生もいつかは終りが来る。生きていることは、それだけで素晴らしいし、そう思える人生を送れているのは、とても幸せなことだ。そんな幸せな人生が砂時計のように残り少なくなっていくのは、どうにもやり切れない。

懐かしい住宅街の道を走りながら、自分の気持ちに気がついた。

Infarm 日本法人の経営。

2015年11月。当時の僕は、サンブリッジ グローバルベンチャーズ(SBGV)という、シード&アーリーステージに特化した投資業務およびシード・アクセラレーション等を行う会社を経営していた。

そのSBGVで、Innovation Weekend という、ピッチコンテストを中心としたスタートアップイベントを運営しており、その Innovation Weekend を初めて、Berlin で開催した時だった。

2014年5月、シンガポールからスタートした「Innovation Weekend World Tour」は、ボストン、ロンドン、ニューヨーク、サンフランシスコ、シリコンバレー等を周り、2015年11月、僕にとって初めての訪問となるベルリンで、Innovation Weekend Berlin 2015 を開催した。

World Tour 開始当初は、ピッチするスタートアップの募集も観客も覚束ず、めちゃくちゃ苦労をしたが、2015年からは順調にピッチスタートアップの応募があるようになり、実は、ベルリンでも面白いスタートアップが25-30社ほど集まっており、募集は締め切っていた。

ところが、Innovation Weekend をベルリンで開催すること知った、ミュンヘンで Story Maker というPR会社を経営するBjoern Eichstaedt という知り合いから、とても面白いスタートアップがあるから是非、ピッチに誘った方がいい!と言って紹介されたのがInfarmだった。

Infarm は、Innovation Weekend Berlin 2015 で優勝し、尚且つ、毎年12月に東京で開催していた Innovation Weekend Grand Finale という、年間チャンピオンを決めるイベントでも優勝した!

当時のInfarm は、パイロット(試作機)を1台、METROという業務用のスーパーで稼働しているだけだったが、2020年7月21日現在、世界中で稼働している InStore Farm は「950台」にまでなった。

僕(ドリームビジョン)は、2016年からInfarmドイツ法人に出資しており、彼等の日本市場参入をサポートしてきたが、2020年2月、遂に日本方を設立し、代表取締役社長に就任した。そして、JR東日本からInfarm ドイツ法人にご出資いただき、子会社の紀ノ国屋Infarmを導入いただくことになった。5年前、ベルリンで初めてファウンダーたちに会った時には、想像さえしていなかった。

さて、そんなInfarm の日本法人を経営することになり、日本市場へのローンチの準備を進めている中で、感じたこと、学んだことを共有したいと思う。

1, 電気自動車やスマートフォンの企画開発・製造・販売と似たような事業構造。

Infarm の事業は「LEDと水耕栽培」により、屋内で野菜を育てて収穫し、販売することである。その野菜を栽培するには「InStore Farm」というハードウェアが必要だが、心臓部は「独自開発のソフトウェア」だ。Apple や Tesla のような事業構造に似ている。

Infarm の事業は、R&D, Crop Science, Supply Chain Management, Marketing/PR, Business Development, Corporate Sales, Finance & Accounting, HR, Academy, Installation Engineering, Software Development, Operation, New Market Expansion, etc.と様々な機能とタスクにより成り立っている。従って、何かひとつ、変更を加えようとすれば、それはすべての部署や機能に影響することになり、入念な業務設計と運用が求められる。Synchronized Swimming の如く、一糸乱れぬ演技が必要不可欠である!

2, Cosmopolitan culture(コスモポリタンなカルチャー)

Infarm では現在、日本を含めて計10ヵ国に進出しており、約600名近いスタッフが働いている。国籍は30ヵ国を超えており、社内公用語は「英語」である。但し、英語を母国語とする人は、20%程度だろう。

従って、お互いに「異なる」ことが前提であり、相手がどのような判断基準に基づいて発言しているのかを理解しようとする姿勢が求められる。一方、日本のような同調圧力はない。極めてオープンで風通しの良いカルチャーだ。

翻って、日本の多くのスタートアップのように、経営者も従業員も株主も顧客も、その殆どが日本人という環境では、ユニバーサル(グローバル)に通用する事業やプロダクトを開発することは難しいということを実感する。

3, Attracts global talents!(世界中から優秀な人を惹き付ける!)

とても嬉しいことに、Infarm には世界中から才能豊かな、そして、人間味溢れる素晴らしい方々が応募してきてくれるし、様々な会社がInfarmを導入したり、一緒に仕事をしようと言ってくれる。申し上げるまでもなく、とても光栄なことだ。

その理由は偏に、Infarm の哲学、理念、ビジョン、実現したい未来にある。

食品の30%以上が、生産後、我々の食卓に並ぶまでの間に「廃棄ロス」になってしまうという現実がある。その廃棄ロスにも「エネルギー」が消費され、CO2(温室効果ガス)が排出されている。それを放置しておいていいはずがない。

国連によると、2050年には、この地球上に「100億人」が暮らし、その「70%」が「都市」で生活することになる。究極の「地産地消」を実現するためには、「都会で野菜(農産物)を栽培し、都会で消費する」のが最も良い。

Infarm は、そのドン・キホーテ的とも言える遠大なビジョンの実現に向けて、既に世界10ヵ国に進出し、前述のとおり、1,000台近い InStore Farm を稼働させている。

崇高な哲学、理念、ビジョン、そして、JR東日本、紀ノ国屋という素晴らしいパートナーのご支援を頂戴し、Infarm 日本法人の経営を仰せつかっていることは、物凄い責任とプレッシャーではあるが、これほどやり甲斐のある仕事はない。

Infarm 日本法人は、僕を含めて、まだたった3人(3人目は、この春、大学を卒業したばかりの Insane Carzy に優秀な女性)だが、地球規模のビジョンを実現するための「仲間」を絶賛募集中である。

ご関心を持っていただけた方は、是非、ご応募いただきたい。

心より、お待ちしています!!