桜咲く。人生はすべて必然。

マイナーコードの曲が好きなのは、自分自身を「夢破れた人」と認識しているからなのかもしれない。でも、そこに希望を見い出しているのは、今風に言えば、まだワンチャンあると思っているからだろう。でも、残された時間は決して多くはない。人生は短い。正確に言うなら、時間はあっと言う間に過ぎ去る。花の命は短い。

忘れないように書いておくと、他力本願かもしれないが、中学高校時代の「教師や環境」が大きく影響していると思う。皮肉かもしれないが、それが僕が教育に関心を持つようになった理由でもある。

人生はすべて必然」というのは、僕の自作の座右の銘の2番目の言葉だ。

長男と次男のダブル受験は無事終了。今年の2月は我々家族にとって忘れられない季節になった。

長男は第一志望の国立大学の第二志望の学部には合格したが、第一志望の学部の合格は手にすることができず、私立の第一志望、全体では第二志望の大学に行くことにした。合格した国立大学は難関校なのは事実であり、その大学に合格したことは、彼にとってはコンプレックスを払拭する材料になったという。そんなこともあり、自分の興味に合致する第二志望の私立大学に行くことを前向きに捉えている。素晴らしいことだ。

次男のことは「梅の花は咲いたけど・・・」で書いたが、都立の中高一貫校に進学することになった。彼はバランス感覚に優れた人間で、長男のようなコンプレックスを抱えているわけでもなく、一定水準以上の学校に行ければ問題はないと考えていたようだ。合格に対して、長男ほどの高揚感は見せず、むしろ、喜んでいたのは親の方だった。

One Broadway, Cambridge MA

ところで、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(通称:EMC=Entrepreneurship Musashino Campus)の仕事で、選抜された学生5人(女子4人!+男子1人)を連れて、3/3 (日)に成田を出発、ボストン、ケンブリッジ、そしてニューヨークを訪問し、3/9 (土)に現地を発ち、3/10 (日)に帰国した。

僕と懇意にしてくれている方はご存じのとおり、EMCという日本で初めての「アントレプレナーシップ学部」の創設に参画した。声を掛けてくれた羊一さんに感謝である。

EMCは学部名のとおり、起業家精神(entrepreneurship)を育むことを目的とした学部であり、教員は僕自身を含めて、ほぼ全員、実務家だ。起業家、投資家、新規事業責任者、NPO経営者、デザイナーなど多様である。

今年はボストン大学バブソンカレッジで授業を見学させていただいただけでなく、5人の学生たちが自分自身の問題意識や起業アイディアについてプレゼンし、それに対して教授や学生たちからのフィードバックをいただき、Q&Aを行った。

プレゼンもQ&Aも当然、英語。プレゼンは事前に用意していたものの、英語は殆ど話せない学生もいて、Q&Aは僕が手伝った。印象に残っているのは、ボストン大学でのプレゼンで、ある学生のQ&Aで、彼女が目に涙を浮かべながら真剣に答えようとしていた瞬間。彼女は留学経験があり、英語は堪能だが、異国の地で自分自身と向き合うことになり、感極まったのだろう。さらに僕が驚いた(とても嬉しく思った)のは翌朝、ホテルで朝食を摂りに降りて行ったところ、彼女がロビーでプレゼンスライドをスクラッチから作り直していたことだ。その前向きな姿勢がとても嬉しかった!

5人とも頑張っていたが、もう一人、紹介したいのは、唯一の男子として参加した多田采広(ただ あやひろ)という学生のこと。彼は小学校から高校2年生まで、サッカーづくめの人生を送って来ており、プロのクラブから、それも2つのクラブから声を掛けられるほど才能に恵まれていた。しかし、プロ契約をするにあたり、身体検査を受けたところ、脳にとある障害が見つかり、そのままサッカーを続けると命の危険があるということでドクターストップが掛かり、彼のサッカー人生は幕を閉じた。

彼にとって、どれほどの喪失感だったかは想像に難くない・・・。

EMCに入ってきても、彼は自分が情熱を傾ける対象を見つけられず、もがいていた。おそらく、そんな自分が嫌で終止符を打ちたかったのだろう。殆ど英語も話せないにも関わらず、今回の選抜プログラムに応募してきた。

学部長の羊一さん、同僚の津吹さん、そして僕の3人で議論を尽くした結果、彼を今回の研修に参加させることにした。ところが、それから3ヶ月、彼は本当に参加するのだろうか・・・と思わせるような状況に陥った。でも、彼を選抜して本当に良かった。5人それぞれにレポート(noteで公表)を書いてもらったので、宜しければ是非、読んでみて欲しい。

Rie さんを囲んで彼女の今までの人生とNYCでの生活について話を聞く at セントラルパーク。

ところで、ボストンからNew Yorkに移動した翌朝、古くからの友人であるRieさんという日本人女性起業家と学生5人を会わせるため、セントラルパークで待ち合わせをした。

New Yorkは、一週間いると、ここは自分の街だと思えるようになる街だ」と彼女は言っていたが、僕にとって6-7年ぶりのNYCは「帰ってきた・・・」という感じがした。

大学4年生の時、New York 郊外の友人宅に約1ヶ月滞在させてもらい、アメリカ人の学生たちと交流した経験は、その後の僕の人生に大きな影響をもたらした。NYCはもちろん、アメリカは初めてだったが、僕にとっての「着火剤」になった。それ以来、かれこれ、30回ぐらい、NYCを訪れている。でも、その火をもっと大きく育てて来るべきだった・・・と後悔している。

もちろん、何事にも「トレードオフ」はあるわけで、その分、経験して来たこと、得てきたことはたくさんあるわけだが、選択しなかった「B面」に未練というか消化不良を感じている。年齢のことを話すのが本当に嫌な年齢になったが、還暦を迎えた今からでも遅くないし(2週間後は61歳だ!Time flies always!)、できることはあるので、何らかの形で具現化しようと思っている。

このまま終わるわけにはいかない・・・!

Times Square, New York, NY
911 memorial, New York NY

梅の花は咲いたけど・・・。

環七を走りながら、去年の今頃も羽根木公園に「梅の花」を見に行ったことを思い出した。6ヶ月ぐらい前にしか感じなかったけど。

学生時代の僕は下北沢に住んでいたこともあり、電車で二駅の羽根木公園の「梅祭り」には何度か行ったことがあった。あの頃と違うのは、昨年も今年も、その目的というか動機だった。

次男の受験は上手くいき、我が子ながら、そう簡単ではない都立の中高一貫校に合格したのは喜ばしいのだが(特に親の経済事情的には)、人生は思うようにはいかない。どうにも気持ちの整理がつかないことがあり、そうだ、京都に行こう!とできれば良いのだが、残念ながらそうはいかず、クルマで15分も走れば到着する羽根木公園に梅の花を見に行った。

昨年はInfarm の日本市場からの撤退、つまり、日本法人を解散することになり、これからますます子供たちにおカネが掛かるというタイミングで、いったい、どうするんだ・・・ということが直接の原因だった。

齢を取ったせいか、桜と較べると地味な梅の花は、心を落ち着かせるのにはちょうどいい。桜の花は華やかで、こういう気分の時には、too much だ。

今日は次男の小学校の授業参観(最近は学校公開と言うらしい)で、1時間目の体育の授業を観に行った。家に帰った後、屋上で洗濯物を干していたところ、何かの気配を感じて振り返ると、なんと、山鳩が屋上の柵に止まって来た。僕は鳥が嫌い(怖い)で、追い払おうと思って、カバーを掛けてあるBBQ用のテーブル越しに足を一歩踏み込んだのだが、それでも逃げない。英語で「Jesus!」と叫んだら、飛んでいった。

僕たち家族の住まいは東京都目黒区にあり、決して田舎ではないのだが、目黒区には「林試の森」という広い公園があり、そこに住んでいるのか、山鳩を頻繁に見かける。山鳩は街にいっぱいいる鳩と違い、人を避けるはずなのだが、あの山鳩は何故か、僕を見つめて、逃げようとせず、むしろ、自分から僕に近寄って来たように思う。

神様が山鳩を使って僕に何かメッセージを届けようとしたのか? そんなことを考えた後、羽根木公園に向かった。

実は先月下旬(1/27)、武蔵野EMCの公式行事として「EMC SUMMIT」なる発表会を開催したその時も、とあることで塞ぎ込んでおり、審査員を仰せつかっているにも関わらず、塞ぎ込んだ顔はできないし、でも、不器用な僕は笑顔を振りまくこともできないし・・・と、会場に向かう電車の中で思い悩んでいた。でも、会場に着き、学生たちと挨拶を交わすうちに、自然と気持ちが晴れていった。

今このブログは、とあるお洒落な場所で書いているんだけど、EMC公式Slackを開けたところ、EMC SUMMITにも登壇した2期生の「鈴木瑠花」が自分の「note」を紹介していた。彼女のnoteを読んでいるうちに、目頭が熱くなり、僕も頑張るか!!という気持ちになった。嘘じゃなくて・・・。

凄いね!EMC!!

これが最後のアメブロ・・・。

新聞の折込チラシで見つけた今の住まい。僕たちは今から11年3ヶ月前、今のマンションに移り住んだ。それまでは、中目黒の賃貸マンションに住んでいたが、創業メンバーとして立ち上げに参加したウェブクルーの上場に伴い、恵比寿にマンションが買えるおカネが舞い込んだ。

貧乏生活なら負けないという苦節13年が報われた瞬間だった・・・。

その思い入れがあり、愛着があり、家族全員とても気に入っている恵比寿のマンションに、あと2日でサヨナラする・・・。

後ろ髪を引かれないと言ったら嘘になる。本当は明日に備えて寝ようと思ったのだが、寝る前に白ワインを飲み、10cc の I’m not in love. を聞いていたら、どうしても今の気持ちを文字に残しておきたくなった。

世の中には戦争で亡くなったり、テロに巻き込まれたり、病に倒れたりして、不幸にして早くに亡くなってしまう人たちがたくさんいる。

そういう人たちのことを考えたら、僕は本当に恵まれている。

「挫折のすすめ」に書いたとおり、1年半で夫婦で外食したのは、たったの1回。それも吉祥寺で「もんじゃ焼き」を食べて、生ビールを一杯ずつ飲み、2人で3,500円のお会計をしたその瞬間、こんな贅沢をしてバチが当たらないだろうか・・・と思ったほど、貧乏な時期があったが、それでも、こうして、好きなことにチャレンジでき、子どもたちも素直に育ち、新しい家に越せるわけで、そのことに感謝をすると共に、何かを世の中に残したいと思っている。

ところで、ブログのタイトルに書いたとおり、アメブロでブログを書くのは、これが最後になると思う。2006年4月から10年以上に渡って書き続けてきたわけで、少々寂しい気もする。

僕がサンブリッジの仕事を始めた2011年の秋。ネットで見つけてインターンに応募してきた、当時、東大の学生だった「下川さん」という若者がいる。彼がボランティアに近いおカネで、僕のブログサイトを作ってくれた。

僕と一緒にシリコンバレーに行ったことがキッカケで(実はそれが彼にとっては初海外だった!)、その後、シリコンバレーに移り住んでしまったベンチャーナウの竹内さんと一緒に2011年5月に始めたピッチイベント「Innovation Weekend」の年間チャンピオンを決める「Innovation Weekend Grand Finale 2011」は、下川さんがいなかったら、きっと実現できなかっただろう。

とあるイベントの審査員として京都に行かなければならなかった僕に代わって、僕の名刺の束と格闘し、500-600人に対して、Innovation Weekend Grand Finale 2011 の案内メールを、僕に「成りすまして」打ってくれたのが彼だった。

形容する言葉が見つからないほど優秀で、滅茶苦茶いいやつだ!!!

今までの僕の人生で最も大きな勝負も、彼が相当に手伝ってくれている。

彼のためにも是が非でも、この勝負は勝たなければいけない!

もうひとり、僕にとっては掛け替えのない若者がいる。

New York 出身の彼とは、僕らの投資先だった co-meeting というスタートアップのサービスを彼が見つけて、アメリカで売りたいと言って来たのがキッカケだった。

僕がNew York に出張した際、ステーキハウスでランチをしたのだが、彼が払おうとしたので、お前が払うのは10年早い!という話をし、僕が払ったことを覚えている。

その後、彼は大学時代の友人と一緒に AdTechのスタートアップを立ち上げ、日本のクライアントを獲得しようと東京に来て、僕のところにアドバイスを求めに来た。

あまりのダメさ加減に、僕は、自分の子供に説教をするかのごとく、ダメ出しをした。

彼の名前は Daniel というが、彼は今、僕らの投資先である Peatix のNY Office のスタッフであり、NYのビジネスを急速な勢いで伸ばしている!

そして、Innovation Weekend World Tour のメンバーとして、僕と一緒に世界各都市を回っている。

彼がいなければ、言葉にするまでもなく、Innovation Weekend World Tour は継続できていない・・・。

そして、Innovation Weekend World Tour は、Peatix のビジネスディベロップメントにも貢献できており、株主としては、こんな嬉しいことはない。

1986年2月。初めてNew York に行った時、22歳だった僕は、いつかこの街に住みたい・・・と思った。未だにそれは実現できてないが、こうして、定期的にNYを訪れ、純粋培養の日本人の僕が、NYでイベントを主催し、また、他のイベントのスピーカーとして招かれて、僕の起業家人生の話をさせてもらって・・・と、住んでこそいないが、あの頃の夢は叶ったように思う。

そのDaniel は先日、Tokyo に来ていた際、彼に co-meeting を紹介した女性に、下北沢(僕が学生の頃、住んでいた街だ)で会ったそうだ。

僕たちの人生を変えたその女性に、僕も会ってみたい。

ところで、元SONYの出井さんが言ったように「人間の死亡率は100%」である。

3個100円の納豆が買えず、聞いたことのないメーカーの4個100円の納豆しか買えなかった時があったし、あの頃は本当に辛かったけど、生きていることは、それだけで本当に素晴らしい・・・。

その人生がいつか終わってしまうなんて、僕には信じられない・・・。

あと何年、神様が僕に人生を与えてくれるか分からないし、無い物ねだりをしても仕方ないけど、せめて、両親からもらったものを100%発揮できるようにしたい。

マラソンの有森裕子さんが2つ目のメダルを獲った時に言った「メダルの色は金じゃないかもしれないけど、初めて自分で自分を褒めたいと思いました」と言える人生を送りたい。

亡くなった両親のためにも、子どもたちのためにも、そして自分自身のためにね。

本当はもっと「クール」なエントリーを書きたかったんだけど・・・w。

まあ、それは下川さんが作ってくれたブログでということで!

長男は暇さえあれば、ピアノを弾いている・・・。

ここのところ、尋常ではなく忙しい・・・。恐らく、今までの人生で今以上に多忙な時期はあったと思う。でも、今、感じている忙しさは、今までに感じたものとは次元が異なる。

仕事に費やしていた時間という意味では、インタースコープというネットベンチャーを立ち上げた頃は、午前0時過ぎに帰宅すれば早い方だったし、土日のどちらかは仕事をしていた。月間労働時間が300時間を超えていた。

その頃は、言ってみれば「仕事だけ」していれば良かったし、僕の人生の「95%」ぐらいは仕事だった。

でも、今は違う・・・。子供が2人いるし、彼らの教育や将来のことに精神的にも物理的にも時間を割いているし、家族旅行にも行く。子供繋がりのお父さんやお母さんとの付き合いも大切だ。

一言で言うなら、僕という人生の構成要素が遥かに多様になっているし、充実してきているとも言える。ありがたいことだ。

しかし、ここ数週間は、やろうと思っていることの半分もできず、フラストレーションとストレスが溜まっている。

でも、どんなにフラストレーションとストレスを溜め込んでも、一日の時間が36時間になるわけではない・・・。

・・・と、今は比較的冷静に、こうしてブログを書いているが、数日前までは、とにかくイライラし、思うように仕事もプライベートも進めないことが腹立たしくて仕方がなかった・・・。

また、話が通じない and/or 説明に手間が掛かる人と話をすると、首と肩の結節点辺りが急に凝ることが分かった。これが僕の肩凝りの原因なんだな・・・と自覚した。

ところで、ニーチェは【自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。】と言ったそうだ。

たしかに、そうなのだろう。今までに何度も「もうダメか・・・」ということが幾度と無くあったが、その都度、ギリギリのところで神風?が吹き、何とかなってきた。

ここ数週間の尋常ではない忙しさの原因は、仕事では「人生最大のチャレンジ」「Innovation Weekend Berlin」「Tokyo-Munich FinTech Symposium」「Innovation Weekend San Francisco」「某独スタートアップの日本市場参入に際するフィージビリティスタディ」「既存投資先の資金調達のサポート」等々、なんでここまで重ねる?重なる?かね?ということなのだが、それに加えて、プライベートでは、人生で初めての「一戸建て」の住宅を「建築中」であり、これがまたここへ来て、様々なトラブル(でないことも含めて)が発生し、とにかく、僕の時間を奪っている。

30代の頃は、まだまだ体力があったので、平均睡眠時間4~5時間でも何とかなったが、今、そんなことをしたら死んでしまう・・・。

もうひとつ、ドラッカーの本で学んだことだが、人間は「苦手なことをしてはいけない」ということだ。

僕は神経質で心配性な性格なので、例えば、銀行に提出する書類や区役所での手続き、そのために司法書士の方等との書類のやり取り等、「間違うとイタイ!」事務手続き(管理業務)になると、とたんに生産性が悪くなり、尋常ではないストレスが発生する。

そのことが「自分が得意なこと」に投下する時間を奪い、ストレスにより集中力が無くなり・・・と、尋常ではない悪影響をもたらすということを身を以て実感した。

弟に言われたことだが、僕は「守りに弱い」。起業家として、投資家として、攻めることは好きだし、得意だが、たしかに、守り(管理業務)は嫌いだし、超不得意である。

「組織は構成員の苦手なことの意味を無くし、得意なことに集中させるためにある」。

でも、今の日本の組織は、そうなっているだろうか?全員に同じことを期待してはいないだろうか?

小学校5年生の長男は、学校の先生の「矛盾」を指摘する。今日は、とある私立大学が主催するワークショップに参加し、「LEDで造る花火」なるものの制作にチャレンジしてきたらしい。

妻が言うには、お昼休みも取りたくないほど、熱中していたそうだ。人生で初めて、ハンダゴテを使い、回路を制作した。

きっと楽しかっただろう。

その長男は最近、中学受験のための塾通いで忙しい・・・。

ストレスが溜まっているようで、暇さえあれば、ピアノを弾いている。

彼にとっては、最も良いストレス発散方法のようである。

ピアノが弾けない僕は、こうしてブログを書くことで、自分自身と向き合い、心の襞に溜まったものを文章にして吐き出し、ストレスを発散している。

そんな僕んブログを読んで下さっている方々には感謝の言葉しか見つからない・・・。

少しでも、何か参考になるものがあれば幸いである。

僕はベンチャー支援はしていない!

昨日の午後1時、とある外国人とのMTGのため、有楽町にある「日本外国特派員協会(FCCJ)」に初めて行った。様々な著名人の記者会見が行われた場所で、壁には所狭しと要人の方々の写真が飾られている。

そういえば、ケンコーコムの後藤さんが、インターネットでの市販薬の販売に関する規制に関して反論する記者会見を行ったのも、日本外国特派員協会だったと思う。

ところで、日比谷線で有楽町から恵比寿に戻り、地上に出たところ、黒いスーツに白いブラウス、ピンで止めたひっつめ髪の就職活動と思しき女子学生数人と遭遇した。

個性も何も感じられない格好を何故、するのだろう?訪問先の会社が、そういう格好を求めるのだろうか?まあ、そういうことなのだろう。

そういう僕は、カジュアルなシャツに、カジュアルな薄いジャケット、白いGパンにスニーカー。髪の毛は茶髪だ・・・。

50歳過ぎのオジサンがそういう格好をしているのに、どうして、20歳そこそこの若い女性が、判で押したような決まり切った格好をしなければならないのだろう?どう考えてもオカシイよね?

個性を尊重する価値観も自由も感じられない。僕だったら、そんな会社には就職したくない。

ところで、僕は「ベンチャー支援」という言葉に違和感を感じる。というか、その表現が嫌いである。

3~4ヶ月前だったと思うが、日本ベンチャーキャピタル協会主催の会合に初めて参加した際に、「ベンチャー支援」という言葉に違和感を感じるという持論を吠えた。

僕のことを「ベンチャー支援を熱心にやっていますね」という人が多いが、僕はそう言われるのは不愉快だ。

「ベンチャー支援」と言っている人達(会社)は、実は「自分たちのため」にやっている。

何故なら、新規事業を開発するために、自社内だけでは埒が明かず、ベンチャーの人達に投資したり、事業提携したりしているわけで、最近流行りの言葉で言えば、オープンイノベーションを推進しているということだ。

本当に「支援」したいなら、手弁当でやればいい。自分たちのしていることを誤解してはいけない。

では、僕がやっていることは何で、何のためにそれらをやっているのか?

僕は起業家やベンチャー企業が好きだし、僕自身、28歳の時から起業家として生きていた。

2011年3月からは、若い起業家や創業間もないベンチャー企業に投資する仕事をしてきたし、Innovation Weekend なるピッチイベントを始めて、2014年からは「World Tour」と称し、Singapore, London, Boston, New York, Sn Francisco, Berlin 等で開催するなど、ある意味、経済合理性を超えてやっているところもあるのは事実である。

投資をしていなくても、僕を慕って来てくれる若い起業家や起業家の卵の人達には、自分の時間が許す限り、相談にものっている。そして、僕自身、今もメンタリティーは起業家である。

でも、支援をしているというつもりはない。

僕が自分で起業したり、ベンチャー投資をしたり、Innovation Weekend World Tour を行っている目的は、日本のベンチャーシーンをグローバル化し、国際競争力を高めたいということと、面白い事業や企業を創ることにより、若い人たちに「雇用」をもたらしたい、それも「Innovative」な仕事をもたらしたい!ということだ。

高齢化社会の到来を踏まえて、政府は大企業に「定年延長」を求めたりしているが、それはイコール、若者の雇用機会を奪うことにもなり兼ねない。というか、なっているだろう。

また、同じ60歳なり65歳でも、能力、体力、健康状態は人によって異なるだろう…。定年という制度自体、議論の余地がある。

いずれにしても、経済が成長しない国では、雇用は「椅子取りゲーム」になる。

また、統計的にも検証されているが、雇用を生み出すのは、既存の事業を行う「中小企業」ではなく、ベンチャー企業である。

若者に「イノベイティブ&クリエイティな仕事」を創りだす!

そして、僕自身、自分の仕事として、その過程や仕組みづくりを楽しみたい。それが僕のやりたいことである。

ところで、クレア法律事務所を経営されている、本業は弁護士の「古田さん」という方がいる。プロジェクトニッポンの松谷さんという方から紹介されて知り合ってから、かれこれ8年くらいになる。

その古田さんはまさしく、「ベンチャー支援」をしている。つまり、手弁当でやっているということだ。

Founder Institute(FI)というアクセラレーターがあるが、その東京ブランチを立ち上げ、運営されている。

FIは、Adeo Ressi という起業家が立ち上げたアクセラレーターで、シリコンバレーに本拠がある。

卒業率は7%だったかな?という、かなりシビアなプログラムで有名だ。卒業生には、Evernote の元CEO, Phil Libin もいるらしい。

古田さんに頼まれ、その FI Tokyo で、何度か講演をしたり、メンターとして、参加者の発表にコメントや質問をしたりしたことがある。

実は、5/25(水)にも、メンターとして参加させていただくことになっている。

僕が1990年代後半、ネットビジネスを立ち上げた頃と較べると、日本、特に「Tokyo」の起業環境は見違えるほど充実してきたが、シリコンバレーと較べると、まだまだ見劣りするのも事実である。

ベンチャーキャピタルに集まる資金の金額、ベンチャー企業に投資される金額ともに、シリコンバレーと較べると一桁小さいのは勿論だが、起業して成功し、エンジェル投資家として次世代の起業家に投資をしたり、メンターとして、文字通り、ベンチャーを「支援」する人がもっと増える必要がある。

そういう意味で、古田さんのような方は、とても貴重な存在である。

話は変わるが、僕が株主兼社外取締役を務めるラソナという会社の経営会議を終えて、日本外国特派員協会に向かう途中、東郷公園という公園に、遠足か何かから帰ってきたと思われる保育園(or 幼稚園)の園児たちがいた。

僕は思わず、嬉しくなり(僕は子供が好きだ)、ギャーギャーと騒ぎうるさい子供たちでいっぱいになっている公園の敷地をわざわざ通って、広い道路に出た。

子供の声が「騒音」だと言って、保育園の建設に反対する人達の気持ちが僕には理解できない。

彼らこそ「未来」なのに・・・。

子供たちという意味では、日本外国特派員協会から帰る途中、広尾駅から乗ってきた、小学校高学年もしくは中学生の男の子二人組にも言葉にできない感情を覚えた。

彼らの健やかな成長を願って止まない。

良く言えば「少年ハート」。要するに「バカ」ということだ。

GWが終わり、日曜日の夜から仕事モードに戻った。一昨夜、昨夜と夜遅くまで仕事をしたせいで、体調が思わしくない。何度も書いているが、20代、30代の頃のような体力はない。でも、やらなければいけないこと、やりたいことはたくさんある・・・。

集中力がなく、睡眠不足で心と身体がハイになっているので、気持ちを静めるために、ブログを書くことにした。

今朝、大阪へ向かう新幹線を待つ品川駅のホームで、Peatix 原田さんが4年半前に書いたブログを再読した。そのブログに登場する「藤田遼平さん」という若者とは、昨年のSLUSH ASIAで会っていたが、その時は、その藤田さんが、原田さんのブログで紹介されていた人だとは分からなかった。今朝、藤田遼平さん自身が、原田さんのブログをfacebookにポストしていたことで、彼が、原田さんが「一流のバカ」と形容していた人だと知った。

とても良いエントリーなので是非、一読して欲しい。

そのエントリーで、原田さんはご自身のことも「バカ」と言っている。自慢しても仕方ないが、バカという意味では、恐らく、僕も負けない・・・。

僕がまだ起業したての30代前半の頃、ある女友達が僕を称して「少年ハート」と呼んでいたが、要するに「バカ」ということだ。

同じバカでも、原田さんは御三家と言われる「武蔵」という進学校(高校)を卒業し、大学は米国の名門「Yale 大学」に進んでいる。言ってみれば、「エリート兼バカ」なわけだが、僕は正真正銘のバカである・・・。

でも、最近、浮名を流したミュージシャンが歌っているように、自分は自分にしかなれないわけで、僕という人間を極めよう。

今朝は、もうひとつ、久しぶりに読んだものがある。谷内進さんという人が4年前の今日、facebookに投稿した「ホンダアップル」の会社としてのメッセージ(姿勢)の比較である。

両社のメッセージの詳細は、YOUTUBEのリンクを貼っておいたので、そちらをご覧いただきたいが、ホンダのメッセージに僕がコメントした内容を4年ぶりに読み返して、少々違和感を覚えた。

簡単に説明すると、ホンダのメッセージは「頑張っていれば、いつか夢は叶うとか、努力は報われるとかいうのは幻想だ。たいてい、正義は勝てやしないし、現実の世の中ではよくあることだ。でも、それがどうした?スタートはそこからだ。技術開発は失敗が99%。だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。昨日までの自分を超えろ。昨日までのホンダを超えろ。負けるもんか」ということだ。何だかんだ言って、殆ど書いてしまったw。

それに対する僕のコメントは「HONDAがHONDAたる所以ですね。こういう青臭い?想いが大切だと思います。経済合理性では、人は感動しませんから!」だった。

でも、今の僕は、そうはコメントしないだろう・・・。

ところで、思いの外、多くの人が読んでくれたようで、中にはわざわざ直接、メッセージをくれた人もいたが、今年(おそらく僕の人生で)最大のチャレンジである某ビッグプロジェクトが、思うように進展しない。

理由は単純で、充分な時間を投下できていないからだ・・・。

冒頭に書いたように、「体力の衰え」は「稼働できる時間が短くなる」ことを意味している。

であれば、物事を整理し、自分の人生にとって、敢えて少しカッコつけて言えば、自分が世の中に貢献できないことは、思い切ってバサバサと捨てて、本当に自分が「世の中に価値」をもたらすことができることに集中する必要がある。

さらに言えば、50歳を超えてからでなく、若い時からそういう生き方をして来るべきだった。考えてみれば、結婚して以来、表現は違うが、いつも妻が言っていたことだ。

でも、時間は戻すことができないので、この先の人生をそういうふうに生きるしかない。

さて、話を「今の僕だったら、なんとコメントするか?」に戻すと、たぶん、こうコメントするだろう。

「自分が持って生まれた能力には限界があるし、捨てられないものもある。また、世の中のことは、自分ではどうにも出来ないことの方が多い。恐らく、殆どすべて。でも、自分だけはコントロールできる。でも、それすらも出来ない自分がいる。でも、それが自分でもある。そういう自分を認めて、結果を案ずるのを止めて、とにかく、自分にできることを精一杯やる。それでダメだったら、潔く、それを受け入れる」。

たぶん、そんなことを書くと思う。

品川駅へ向かう山手線の中で考えたが、僕という人間は結局、「自分が傷つくのが怖い(人間)」ということだ。

でも(という接続詞が多くて申し訳ない)、年齢のせいというか、この先の人生を意識するようになったせいか、具体的には、残された時間は少ないということを意識するようになったせいか、多少は変わってきた気がしている。

仮に、失敗しても、上手く行かなかったとしても、いいじゃないか?

でも、自分にだけは負けたくない、と思っている。

僕の人生の目標は、マラソンの有森裕子さんがオリンピックで2度めのメダルを獲った時に「初めて、自分で自分を褒めたいと思った」と言ったように、「一度でいいから、自分で自分を褒められるようにしたい」ということだ。

まあ、それもそう簡単なことではないんだけど、この世を去る時に「どうしてあの時、もっと頑張らなかったんだろう・・・」とは思いたくないから…。

カッコつけずに頑張ろう!ってことだ。

カッコつけずに頑張ろう!ってことでは、Innovation Weekend San Francisco 2015優勝で、Innovation Weekend Grand Finale 2015 準優勝の Lisa Q. Fetterman が、どういう理由か分からないが、僕に「松岡修造さん」のビデオメッセージを送って来たw。

これも「人生はすべて必然」か・・・。

@大阪へ向かう新幹線の車中

追伸その1:次回のエントリーでは、イアン・ブレマーの「スーパーパワー。Gゼロ時代のアメリカの選択」を読んだ感想を書くことにする。備忘録として書いておく。

追伸その2:今朝の山手線の車両で、ベビーカーで、1歳半ぐらいの男の子を連れた、たぶん40代前半と思われるお母さんと一緒になった。何人目のお子さんかは分からないが、とても幸せな気持ちになった。そういうお母さんと子供に優しい日本であって欲しい。

「人生」には「今」しかない。「GW」と「ぎっくり腰」。

2016年のGWが始まって4日目。皆さんはいかがお過ごしだろうか?僕は情けないことに、GW2日目、ぎっくり腰をやってしまい、残念なスタートとなった・・・。

原因は自分なりに推測がつく。先々週、New York と Silicon Valley に出張しており、往路のNRT-JFKが約12時間、帰路のSFO-NRTが約10時間、その途中、NYCからSFOまで約5時間の国内線にも乗っており、唯でさえ腰痛持ちの50歳を超えた身体にエコノミーは堪えた。

帰国後はアポが詰まっており身体を休める暇もなく、また、GW初日は、建築中の自宅に行き、次男を右腕で抱えながら脚立を登って3階まで行ったのだが、限界に達していた腰には無謀だったのだろう。翌日、次男にトイレから呼ばれて、彼のお尻を拭こうと思い前屈みになった瞬間、左腰に「ピキピキ・・・」という痛みが走った。これはヤバイ!と思い、すぐにアイスノンで腰を冷やし、スポーツマッサージの先生に電話して、鍼治療を予約した。

40代後半までは、体脂肪率は15~16%。体内年齢は25~26歳をキープしていたが、さすがに、50歳を超えた辺りから徐々にスコアが悪くなり、体脂肪率が17%、体内年齢は27~28歳になった。

ところが、この前の年末年始で帰省中に太ってしまった結果、体脂肪率が18~19%、体内年齢が31~33歳になり、そこから戻せず、不本意なスコアに甘んじている。

因みに、僕の身長と年齢では、体脂肪率18%でも「やや多い」と表示される・・・。

結論として、運動するしかない。要するに、その「時間」を作り出すことが必要になる。

「時間とは最も厄介な資源」だと言ったのはドラッカーである。「形も無いし、目に見えないし、保存もできない」。最後の「保存ができない」という点が最も厄介な点である。

つまり、今、やるしかない・・・。

ドラッカーはこうも言っている。「大きな成果を上げるには『まとまった時間』が必要である」。細切れな時間がいくらあっても、大きな成果を上げることはできない。

「何かを得るには何かを捨てないとね」。テレビ朝日の戦隊ヒーローシリーズ「海賊戦隊ゴーカイジャー」に登場する「バスコ」が言うように「古いものを捨てないと、新しいものは入らない」わけで、時間を増やすか?処理能力を上げるか?そのいずれも出来ないのであれば、新しい何かのために、優先順位の低いものをバサッと捨てるしかない。

「どうしてもやりたいこと」か「どうしてもやならければいけないこと」以外は思い切って捨ててしまう勇気が必要だ。

ところで、facebookの「過去の今日(だったと思う)」という機能が気に入っていることは以前のエントリーにも書いたが、実はこのエントリーで書こうと思っていたことは、何年か前の「5月1日」のことだ。

ところが、facebookで久しぶりに見た、その何年か前の「5月1日」の出来事を思い出すことができない・・・。もう一度、その日のポストを見つけようとしても、facebook の機能は何年か前の「5月2日(今日)」のことを表示するようになっている。

それではと、Timelineの機能で、2013年、2012年の「5月1日」を探してみたが、2013年5月1日には何もポストしておらず、2012年5月1日は、何度やっても途中でスタックしてしまい、数十分ほど使った後、探すのを諦めた・・・。

「後でやろう・・・」は、時間を無駄にするだけということだ。

年齢と共に記憶力が衰えたのであれば、キャプチャーを撮るなり、メモをするなりする必要がある。

人生には過去も未来もなく、「今」しかない、ということだ。

ところで、上述の通り、過去のタイムラインを辿る途中、ここ数年の自分のポスト、特にブログを見つけた。

自画自賛で恐縮だが、それなりにいい事を書いている・・・。

問題は「君は、それを実践できているか?」ということだ。

臨床心理士をしている妻に言わせると、知識や理屈としては知っていても、行動が伴わないのであれば、それは理解できたこととは言えない、ということだ。

まだまだ修行が足りない・・・。