大阪のアイデンティティを「再構築」する。

今年のGWは毎日、長男のヒップホップ発表会のリハーサルがあり、スタジオまでの送迎の「付き人」と化している。

皆さんは、どんな連休をお過ごしだろうか?

ところで、最近はエスカレーターに乗った際、無意識に「右側」に立とうとすることが多くなった。

昨年10月からほぼ毎週、大阪出張に行くようになった影響だ。

そう。大阪では、東京と異なり、エスカレーターでは右側に立つ。

「文化」というものは「社会構造や経済」に「大きな影響」を与える(そもそもの関係は逆なのだろう)ことを踏まえれば、大阪はもっと「東京から自由になる」べきである。

古くは大前研一氏が、最近は橋下市長(大阪市)も主張されているように、中央集権を改め、道州制を敷き、地方分権を進め、各地域の特徴を活かすべきだ

申し上げるまでもないが、その際に必要不可欠なのは「財源」であり、税制改革と併せて、産業構造の再構築が必要である。

大阪市から委託され、昨年から僕たちが取り組んでいるプロジェクトは、昭和の高度成長期の遺産から脱却できず、かれこれ20年にも渡って続いている大阪経済の「地盤沈下」を食い止め、東京に依存しない、大阪独自の経済基盤を「再構築」するという、気の遠くなるような仕事である。

そのためには、大阪という都市の「アイデンティティの再構築」が必要不可欠だと考えている。

実際には、様々な政策や施策を積み重ねていくプロセスの中で、結果として「新しい大阪のアイデンティティ」が醸成されていくのであり、現時点で決められるものではないが、大阪らしさというものは必ずあるはずだ。

ところで、4/26(金)、大阪 Grand Front なる街区が開業した。

その中に、Knowledge Capital というエリアがあり、僕たちSunBridge Global Ventures の大阪インキュベーション・オフィスも、その中に引っ越した。

地元に固執することなく、国内外から「異端児(異能の持ち主)」を呼び込み、彼らの才能を存分に発揮してもらうための支援をし、起業やイノベーションが生まれるためのエコシステムを創造したいと思っている。

言うほど簡単なことではないことは重々承知しているが、数年後、「あいつら、なかなかやるじゃん!」と言われるような仕事をしたい。

iPhoneからの投稿

日本「中退」予防研究所

僕が「アドバイザー」を仰せつかっているNPO法人コトバノアトリエ代表理事の山本さんが、「日本中退予防研究所」という新しい事業を立ち上げた。

実は、何を隠そう、僕は「高校中退」経験者だ。

幸運なことに、僕は、高校を中退した翌年、新たに高校に入学し直し、何とか無事卒業し、大学に進み卒業した。

当時と今とでは時代がまったく異なるので単純な比較はできないが、「中退」経験者として、彼の事業構想を聞いた時、その社会的価値に「心」を動かされた。

山本さんが運営している事業は、お世辞にも儲かっているとは言えないが、でも、彼は、いつも、とても活き活きとしている。

自分の人生の「ミッション」を見つけ、そのことを信じているからだろう。

素晴らしいことである。

その山本さんから届いたメールに、こんなことが書いてあった。

「大学を卒業してから今日まで、七年ほどNPOの代表をやらせていただきました。その間、悩みに悩みぬいて、いや、まだ悩み足りないような気もいたしますが、七年間の一つの答えとして、本事業を立ち上げることにしました」。

僕から見ると、何の迷いも悩みもなく、一心不乱に自分の事業に邁進しているように見える彼でも、「悩みに悩み抜いて」今日に至っていることを知り、僕自身、まだまだ悩み足りないのかもしれないと思わされた。

アドバイザーなどという役割を仰せつかってはいるが、彼から相談を受ける度に、実は、僕自身が様々な気づきや学びの機会を頂いている。

経済的利益の多寡だけが、世の中の価値基準ではないことを、彼との付き合いを通じて学んでいる。

そうは言っても、「煩悩の塊」の僕は、彼とは別の意味で悩みの多い人生を送っている。

その「悩み」から逃げず、正面から向き合い続けることが、自分自身の成長に繋がるのかもしれない。

彼に負けないように、僕も頑張ろう。

アジアで一番若い国「東ティモール」。

東ティモール」というアジアで一番若い国をご存知だろうか?

人口わずか100万人(だったと思う)の極めて小さな国である。この小さな国の失われ行く小さな命を救おうというプロジェクトが発足した。

プロデューサーは、アイベックス(現DG&IBEX)というプロモーション会社の創業者であり、現在は「バリューマーケティング研究所」を経営されている辻井さん

僕がインタースコープを経営している頃、株主(デジタルガレージ)の絡みで知り合って以来のお付き合いである。

東ティモールという国は長い間、ポルトガルの植民地だったが、その時代、ポルトガルは社会インフラ整備の投資に積極的でなかったらしい。

その後、インドネシア領になるが、2002年に主権国家として独立したという経緯と聞いている。

その「東ティモール」であるが、上下水道が整備されておらず、極めて劣悪な「衛生環境」で、5歳未満の子供の5人に1人が下痢を患っており、1,000人中130人が命を落としているという。

現在、ユニセフが頑張ってこの国の支援をしているらしいが、いかんせん、人もお金も足りず、思うような支援ができていない。

そこで、辻井さんの発案により、トイレに縁(ゆかり)のある「ネピア」に手を挙げてもらい、「ネピア」のトイレットペーパーやティシューペーパーを買っていただいた売上の一部をユニセフ経由で「東ティモール」に寄付し、計1,000個のトイレをプレゼントしようというのが、このプロジェクトである。

久しぶりに辻井さんとお会いした際に見せて頂いたパンフレットに映っている子供達の笑顔を見て、僕は心を揺り動かされてしまった。

一日の生活費が「1ドル」以下の生活を送っている彼らの目は、とても輝いており、幸せそうな表情をしている。

世界第2位の経済大国である日本では、NEET問題や言葉を失ってしまう秋葉原のような事件が起きている。

「東ティモール」に「1,000個のトイレ」を寄贈するにも「お金」は必要であり、僕もお金はたくさん欲しいが、お金があれば幸せかというと、そうではないことを、皮肉にも「日本」と「東ティモール」の現状が物語っている。

穿った見方をすれば、ネピアのブランドイメージ向上のための施策でしょ!?となるが、でも、売上の一部を「寄付」する、それも、それなりの金額をとなると、社内を説得するのはそう簡単ではない。

「挑戦心」が無ければできないことである。

人間を見て貸す。

今朝は妻が大学院の用事があり、僕が子供を保育園に送っていった。1才5ヶ月にもなると、いつも一緒に登園する母親が一緒に行かないことを知ると、悲しそうな表情と声を出していた。知能も情緒も日に日に発達していっているようだ。

ところで、彼を見送った後、恵比寿の駅ビルに入っている神戸屋キッチンに立ち寄り、日経新聞を読みながら、朝食を食べた。

いくつか気になった記事があったが、その中でも「重いバブルの教訓」といコーナー(副題は、サラリーマン2007)の内容が心に留まった。

還暦を迎えた元拓銀マン(北海道拓殖銀行)の岡実さんという方のヒストリーが紹介されていた。

彼が中野支店の副支店長をされていた1989年から1991年当時は、本店から「貸付残高」の目標が数字で示され、役員が支店に出向いて発破をかけるという状況だったという。当時の銀行では「当たり前」のことだったのだろう。わずかな土地を担保に「商店主」に「億単位」の融資をしたこともあったという。

拓銀の経営破綻後、彼は、道東の小さな町に本店がある信用金庫の理事長に請われて再就職をした。

札幌地区の営業強化を任された際、肝に銘じたのは、教訓を忘れずに「人間を見て貸す」という原点に立ち戻ることだったという。

当時は、いわゆる「貸し渋り」の時代だったようで、「居酒屋の経営」をやめて「収入がない」元店主が、恐る恐る「アパート建設資金の融資」を求めてきたことがあったらしい。

その方のご自宅に行くと、室内はきれいに片付き、暮らしぶりも質素で、夫妻の人柄に好感を持ったそうだ。

家計の収支や家賃収入からの「将来の現金収支」を計算したが、夫妻の「誠実な人柄」も「返済が滞ることはない」と判断した理由のひとつだったという。

そして、その信用金庫の札幌での「業績は伸びた」。

そもそも「銀行家」という「言葉」が昔はあったらしい。

起業家や企業経営者の「理念や志」に共感し、人物を評価して、その事業の社会的な意義を実現するために「必要な資金」を提供したのが、そもそもの「銀行の社会的役割」だったと思う。

ある意味で、ソーシャル・アントレプレナーシップが出発点だったはずである。

僕がドリームビジョンで行っている「人材紹介」も、いたずらに規模を追求するのではなく、志のある人材を、志のある経営者のもとに紹介したいと思っている。

近い将来、手掛けようと思っている「投資育成」事業においても、そういう姿勢を大切にしたいと思う。

追伸:そういう姿勢を大切にすることが「評価・支持」される「社風と仕組み」が「必要」である。

金儲けって悪いことですか?

村上ファンドの村上氏の言葉である。

僕は勿論、お金儲けは悪いことだとは思わない。僕もより多くのお金が欲しい。

しかし、何のために「お金儲け」をするのか? それによって、その人の価値が決まると思う。

ホリエモンこと堀江さんは、「世の中、カネで買えないものはない」と言ったらしい。

本当にそうなのか? 少なくとも僕はそうは思わない。

日経新聞の別冊「THE NIKKEI MAGAZINE(日経マガジン)」の2月号に、「清富の実業家 大原孫三郎の贈り物」という特集があった。

大原孫三郎は、クラレクラボウ中国銀行の「創業者」として知られているが、実業家としての顔の他に、東洋一の病院を目指して設立した「倉敷中央病院(岡山県倉敷市)」や大原美術館「」、また、現在の「法政大学大原社会問題研究所」の元となる「工場保健衛生研究所」や「果実王国」となった岡山県の技術基盤を創ったと言ってもよい「大原農業研究所(現在の岡山大学資源生物化学研究所)」を設立したりと、いわゆる「ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)」的な側面を持っていた。

その一方、奥さんが46歳の若さで亡くなった後は独身で過ごしたものの、「芸者の愛人に入れあげて大変だった時期もある(彼の孫にあたる謙一郎氏の弁)」らしく、「聖人君子とは言えない人物だった」ようである。とても「人間臭い」人だったのだろう。

その大原孫三郎氏は晩年、長男(謙一郎氏の父)に「わしの人生は失敗の連続だった」と語っているという。

これだけのことをやりながら、何が不満だったのだろう?と誰もが首を傾げたらしいが、「下駄と靴と片足ずつ同時に履けると思ったが、この考え方は無理だったことを知った」という自省の弁も伝えられているという。

「未完」の想いを言い遺してこの世を後にした彼は、「私は種を撒いただけだ。どう育てるかは、若いお前たち次第だ」と言いたかったのかもしれない(特集の筆者/安西巧氏)。

「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」。「高貴な人物には、その地位に応じた社会的責任を負う義務がある」というフランスの名言で、この特集は締めくくられている。

「しかし、昨今の日本の成功者たちは掲げる志を失ってしまったかのようにみえる」という言葉が付け加えられている。

大谷さんが言うように、投資家なら誰でもよいということではない。

「理念なき繁栄は滅びる」のである。