「葉山マリーナ」と「逗子マリーナ」。

今日のエントリーは、今週日曜日のこと。

本当は月曜日のエントリーで書くつもりだったのだが、結果があまりに衝撃的(想定の範囲内?)で選挙の話に譲ってしまい、昨日は時間が取れずで、今日になってしまった。

日曜日(選挙の投票日!)は、朝08:30過ぎに家を出て、「葉山マリーナ」に向かった。

第三京浜から横浜新道を経由し横浜横須賀道路に乗り、自宅からちょうど1時間だった。

因みに、選挙には「期日前投票」なる制度を初めて利用し、土曜日の夕方に行ったのでご心配無く!

ところで、「葉山マリーナ」は説明するまでもなく「ヨットハーバー」だが、僕がヨットなど持っているはずもなく、最近知り合った都内で弁護士事務所を経営されている方のお招きで、貴重な経験をさせていただいた。

因みに、その方は、新興市場に上場するベンチャー企業の社外取締役や監査役に多数就任しており、共通の知り合いも多く、日曜日も、とあるネット系ベンチャー企業の知り合いが来ていた。

僕の記憶が正しければ、ヨットに乗るのは今回が初めてだったが、僕の妻はとにかく船酔いが酷く、僕と子供だけで乗せてもらおうか?でも、子供とふたりは心配だなあ・・・と思っていた。

実は、当初の予定では、葉山マリーナを出発し、片道90分をかけて油壺(シーボニアマリーナ)までセイリングする予定だったが、幸か不幸か、シーボニアマリーナが改修工事で立ち寄れないことが判明し、約30分で着く「逗子マリーナ」に急遽変更になり、妻も大丈夫だろう?ということで、家族3人でお世話になった。

ヨットの場合、マリーナから沖合に出るまではエンジンで進むが、そこからはエンジンを切り、帆を揚げて風の力で進むので、継続的にお腹にくるエンジンの振動がないのが良かったのだろう。

スキューバダイビングでポイントまでいく小型ボートでも船酔いする彼女が珍しく、往復とも元気だった。

ところで、30分のセイリングで到着した逗子マリーナは、30歳の時、ユーミンのコンサートを観に行って以来で、17年ぶりだった。

かれこれ40年ぐらいは経つはずだが、メインテナンスにかなりおカネをかけているのだろう。

逗子マリーナに建つマンション群の外壁は、とてもキレイだった。

さて、話をヨットに戻すと、何でも影響されやすい僕は、今回の往復わずか60分のセイリングで、ヨットの魅力に取り憑かれてしまった?ようだ。

そもそも泳ぎが得意ではない僕は、海好きの妻と結婚するまでは、海外旅行と言えば New York だの San Francisco だのと都会ばかりだったが、初めて行ったタヒチでの体験ダイビングで海が好きになり、その翌年、ダイビングのライセンスを取り、それ以来、海外旅行はすべて「南の島」という豹変ぶりだが、自然(風)の力だけで進むヨットという「乗り物」に何故、裕福な方々が魅了されるのか?その一端を垣間みた気がした。

最新のテクノロジーで勝負するF1が工学の粋だとすれば、自然の「風」だけが頼りのヨットは「自然科学」の勝負である。

お招きいただいた方が、往路復路それぞれで、どうすればどちらにヨットが進むかを理路整然と説明し尚かつ実践して下さったのだが、「頭脳と技術」を競うスポーツだということがよく分かった。

3泊4日でライセンスが取れて、機材はレンタルでも済むスキューバダイビングのようなわけには行かないが、機会があったら是非また、ヨットに乗りたいと思う。

今度は、片道90分コースで・・・。

海の上で感じる「風」は格別である。

追伸:初めてのヨットを楽しみにしていた我が子は、楽しさ半分、怖さ半分だったようだ。この夏の帰省のお土産話にしよう。

久しぶりの横浜。

先週後半は、数ヶ月ぶりに子供が発熱し、僕たち夫婦は慌ただしい数日を過ごした。

こういうことがあると、「丈夫で健康」ということは、何よりの親孝行だということを実感する。

ところで、今日は久しぶりに「横浜」へ出掛けた。

目黒通りを通って第三京浜に入り、首都高速を通って「みなとみらい」の出口で降りるまで、約30~40分。

第三京浜を走っているのは、15分ぐらいだろうか。でも、走る距離は、20km以上はあるはずだ。

料金は「250円」。渋滞は滅多にない。

都内で首都高に乗ると渋滞でも「700円」。そう考えると、高いと言わざるを得ない。

さて、そんなことを考えながら「横浜赤レンガ倉庫」に到着。

まだ寒い頃、2月頃だっただろうか?に来て以来だった。

子供がまだ本調子ではなく、公園で長時間、遊ばせるのは心配だし、かといって建物の中にだけいるのも運動不足になるし・・・ということで、ちょうどよくお店も公園もあり、尚かつ、帰りはクルマの中で昼寝をするだろうということで、久しぶりの横浜へ出掛けた。

病み上がりでまだ疲れているのだろう、行きの車中から眠っていた。

赤レンガ倉庫のバルコニーのような場所でランチを食べた後、以前に来たときに鳴らした「ウエディングベル」がある2Fに行ってみた。

子供は、そういうことは憶えている。

さて、その後は1号館と2号館の間にある広場へ。

クライスラー「JEEP」のイベントが開催されており、中古車がたくさん展示されていた。

その横にはゆっくりではあるものの、試乗できるエリアもあった。長蛇の列である。

展示されていたあるJEEPのドアを空けてみると、トランク部分が折りたたみ可能なシートになっており、計7人乗り。

これなら、2家族でも十分乗れる。弟家族と一緒に帰省することも可能だ。

ワンボックスはNo thanks の僕も、これは気に入った。

尚かつ、BMWやAUDIと較べると、格段に安い。

問題は車幅が広く、僕たちのマンションの駐車場に入るかどうか?という点である。

さて、そんなことを考えながら第三京浜を東京に向かい、スーパーに寄って帰宅した。

帰りの車中は勿論、妻が買い物を終えるのを待つ車中でも、彼は熟睡だった。

やはり、まだ本調子ではないようである。

今週は、元気で過ごしてくれることを祈りたい。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★ランチを食べた赤レンガ倉庫のバルコニーから見た横浜の中心部。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★こちらはベイブリッジ。お台場のレインボーブリッジができる前は、かなりの人気だった。今もそうなのかもしれない。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★ウエディングベルを鳴らす僕たちの子供。ベルの向こうはベイブリッジ。

「父」の想い出。

摂氏31度。

今日の午前中は、とある用事があり、クルマで出掛けていたが、車載の温度計を見ると30度を超えていた。

窓の外には、ほぼ一年ぶりの、夏の風景があった。

ところで、今日は、僕が24歳の時、55歳で亡くなった「父親」のことを書いてみたい。

今の母(養母)のことは何度か書いた記憶があるが、実際はどうかは別として、産みの両親のことをブログに書いた記憶がない。

でも、ここ1~2年は、彼らのことを考えることが多く、僕の思考のかなりのシェアを占めている。

僕の父は昭和6年生まれ。もし、生きていれば「79歳」。いったいどんな老人になっていただろう?

父は、地元(福島県郡山市)の総合両院の事務長をしていた。

理事長に仕えて病院経営の現場を取り仕切っていたわけだが、実母が亡くなる前は、完璧主義者というか鉄人のような人で、感情の起伏も見せず、弱音を吐くことなど勿論なく、子供たちから見ると、付け入る隙がない人だった。

その父は、母が亡くなった後、別人のようになった。

人懐っこくなったというか、人間っぽくなったというか、俗っぽくなったというか、とにかく、人間が丸くなった。

その変化は、当時15歳だった僕にも、はっきりと分かるほどだった。

父を変えさせたのは、物理的に配偶者を亡くしたということよりも、自分の妻がどういう想いで結婚生活を送っていたか?母の日記を読んで、そのことを知ったことが大きかったのだと思う。

子供だった僕から見る両親は、夫婦というよりも、大人の男性と女性が一緒にいる、つまり、感情で結びついているのではなく、理性で結びついている、という感じだった。

今の母(養母)と結婚してからの父は、以前とはまったく異なる人間になった。

肩の力が抜けて、いい意味で、普通の人間として人生を送っているように見えたし、母との生活も楽しんでいるように思えた。

ある時、母(養母)から、父のことについて、ある質問をされたことがある。

どうやら父はその頃、仕事で大変な時期にあったようで、仕事で疲れて帰ってきても、母は自分を癒してくれない・・・ということを言っていたらしい。

母がそのことを「どう思う?」と僕に訊いていたわけだが、僕は「それは親父の甘えだよな」と答えた。

今だったら、決してそうは答えなかっただろう。

でも、そうやって、自分の夫との間のことを僕に訊いてきた(話をしてきた)ことは、血の繋がりを超えた、親子の会話だった。

ところで、自分で言うのは何だが、僕はドリームビジョンで失敗をしたことにより、変わったと思う。

まだまだエエカッコしいだが、エゴがだいぶ薄れてきた。

話は変わるが、妻が言うには、僕たちの子供は、容姿と体質は妻に、性格は僕に似ているという。

たしかに、僕もそう思う。

ということは、彼も苦労の多い人生を送るのかもしれない。

大人になった彼の相談に乗れるまで、生きていたいと思う。

証拠はありませんが、嘘はいけませんよ。

郡山から東京に戻り、今日は横浜でランチ。

本来であれば、もっと子供の運動になる場所に行くのだが、帰省中に子供が足を軽く捻挫してしまい本格的な運動はできないので、仕方なく、第三京浜をドライブがてら「横浜ベイクォーター」へ。

$シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

僕たちが到着したのは12:20。待つことなく駐車場に入れたが、「以前にも行ったことのあるレストラン」で食事を終えて外を見ると、写真のとおり、駐車場待ちのクルマの列。

Time is money. というが、まさにそのとおり。

ところで、食事をしに入ったレストランでちょっとした悶着あり。

僕たちが頼んだ料理は、トマトソースのパスタ、パエリア風パスタ、ポテトサラダ、ラタトゥーユ。

問題は、料理に時間がかかる「パエリア風パスタ」。

僕たちの後に入って隣に座ったお客さんに「パエリア風パスタ」が運ばれるものの、僕たちには来ない。

それどころか「食後」と言って頼んだコーヒーをどうぞ・・・。

これって、どういうこと?

と思いきや、妻が「絶対に間違っている(我々が頼んだパエリアを間違えて隣りに運んだはず)!」とおかんむり。

確かに彼女の言うとおり、待てど暮らせどパエリアは来ない。

10分?ほど待ち、さすがの僕も痺れを切らし店員を呼び注文を確認すると・・・「申し訳ありません。注文は入っているのですが、もう少々お時間がかかります・・・」。

さらに、10~15分。

そう、パエリアは、時間がかかるのです。店員自ら、注文時に言ってましたよ。

ようやくパエリアが運ばれると、子供が「トイレ・・・」。

僕が子供を抱きかかえながら「隣りのお客さんの方が後から来て、どうして僕たちの方が遅いんですか?」と尋ねると、「すみません」のひと言。

・・・さて、食事を済ませて会計をして出て来た妻に「何か言ってた?」と聞くと、「パエリアはタダにしてくれた。我々の殺気に気づいたんじゃない?」。

でも、もうあの店に行くことはないでしょう。

証拠はありませんが、嘘はいけませんよ、嘘はね。

状況証拠的には、かなりの確率で「黒」です。

Time is money. 「40分」も待たせて、ちょっと解せない返答をされるとね。顧客は離れます。

ということで、我々は今後、横浜ベイクォーターに行く頻度が下がり、その分、「ららぽーと豊洲」に行く頻度が増えるでしょう。

本格的な「スペイン料理」のお店もあることだし。

顧客の逃すのは一瞬の「判断ミス」です。

僕も肝に銘じます。

雪だるま

「雪景色」で始まった僕たちの2010年。我が子は、実家の庭で「雪だるま」製作に乗り出した。

年末にスキー場で初めて本格的な雪景色を見た感動の余韻が残っているのか、庭の雪を見て、「雪だるま」を作りたいと言い出した。

とは言っても、4歳児に雪だるま製作はまだ難しく、僕たち夫婦で手伝った。

下の写真は、雪遊びに精を出す我が子。その下の写真は、我々が作った雪だるま。左が妻の作品で、右は僕の作品。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

私をスキーに連れてって。

2009年最後の週末、僕たち家族は友人夫妻と一緒に富士山麓を訪れた。素晴らしい晴天に恵まれ、とても穏やかな二日間だった。

26(土)は、ある「ログハウス」に体験宿泊し、翌日は「Fujiten Snow Resort」なるスキー場で、僕たちの子供を「雪車(そり)」で遊ばせた。

Twitter でつぶやいたが、スキー場という場所を最後に訪れたのは、おそらく、20年ぐらい前のことだと思う。

当時の日本社会は、今日のエントリーのタイトルにしたとおり、「原田知世」主演(ホイチョイ・プロダクションズ製作)の「私をスキーに連れてって」という映画が大流行し、ユーミンが人気絶好調で、バブル景気を謳歌していた。

あれから20年も経つにも関わらず、僕にとって80年代は、決して「昔話」ではなく、ついこの間のような気がするのは、「80年代=僕の20代」という関係性からなのかもしれない(かな~り昭和な感覚で、いわゆるアラフォー世代の若かりし日々である)。

90年代は、僕にとっては「起業の時代」でもあり、ある意味、とてもリアルに当時の苦労を憶えているが、学生時代と20代の会社勤めの時代は、自分の足で立っておらず、ふわふわしていたのだろう。

ところで、周囲一面の「雪景色」も「スキー場」も初体験だった我が子は「雪車滑り」が気に入ったらしく、ご満悦で遊んでいた。

同じ年頃の子供と較べると運動神経の発達がやや劣る彼は、最初の「滑降」では期せずして成功したものの、二度目の滑降では途中で横転してしまい泣きべそを掻いていたが、それに懲りることなく、「雪車滑り」を楽しんでくれたことは、「父親」として、とても嬉しいことだった。

一緒に行った友人夫妻と妻が雪車滑りを楽しんでいるのを横目に、僕は我が子の「引率係」で、彼の雪車を追いかけてゲレンデを何度も駆け下りた。

ところで、来年から彼は、新しい保育園に行くことになった。今日は、彼が「6ヶ月」の時から4年に渡り通い続けてきた保育園の最後の日だ。

そして、僕たち夫婦にとってこの1年は、人生の大きな転機となった。ひと言で表すなら、大変な時期だった。

色々な意味で「この10年間(ミレニアムに湧いた最初の10年)」の総決算を行い、新たな気持ちで「2010年」を迎えたい。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★Fujiten Snow Resort のゲレンデ。僕が時々プレーするゴルフ場からクルマで20分ぐらいの距離にある。今まで知らなかったが、20~30年前からあるらしい。とにかく「富士山」が目の前に見えて「絶景」である。都心から約2時間で来れる、とても便利なスキー場だ。また行こうと思う。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★体験宿泊したログハウスから「富士山」を臨む。眼下には「山中湖」の湖面が広がり、とても素晴らしいロケーションである。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★ログハウスに向かう途中で立ち寄った「山中湖」の白鳥。こんな至近距離で白鳥を見たのは初めてだった。思っていたよりも、獰猛(野性的)である。

夕暮れの「東京タワー」と「レインボーブリッジ」。

今日は、4回連続の西さんの講義の最終日。得るものが多かった。

ところで、下記の写真は、とある高層マンションから撮った「夕暮れの東京タワー」と「レインボーブリッジ」。

東京タワーにライトが灯る瞬間は、何とも感動的だった。

「Tokyo」は華やかな都市である。内向きの「東京」にはなって欲しくない。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

今日は「落ちこぼれ」特集はお休み。