スーツケース。25年。鱗雲。

スーツケースにいつもの荷物を詰め込み、羽田までのタクシーを予約し、あとは当日、パスポートさえ忘れないようにすれば、いつでも飛行機に乗れた日々が嘘のようだ。新型コロナウイルスなどいう怪物がこの地球上を支配し、昨年は計5回も行ったヨーロッパに、今年は一度も行っていない。

何故か突然、頭の中にメロディーが浮かぶことがある。残念ながら作曲のことではなく、昔、よく聽いていた曲のことだ。昨年9月のパリ、サンジェルマン大通りから一歩入ったところにあるお気に入りの小さなホテルの部屋で、何故か突然、井上陽水の曲のサビを思い出した。

頭に浮かんだ歌詞をグーグルで検索すると、それは「恋の予感」という歌だった。井上陽水の歌詞は理解不能で、彼が何をイメージして作った曲なのかは分からないが、凡人には思いつかない言葉と言葉が紡がれており、何やら神秘的な雰囲気だけは伝わってくる。

今年2月に、Infarm HQの Japan Expansion チームと共同創業者でCEOのErez Galonska が週替りで来日。TOA (Tech Open Air) World Tour Tokyo 2020なるイベントの壇上で、JR東日本からドイツ法人へのご出資と紀ノ国屋での導入、そして、ムロオ(チルド物流大手)との業務提携を発表。その後、コロナでスローダウンを余儀なくされたとはいうものの、切れ目なく日本ローンチの準備を進めてきており、問題を解決しては、また新たな問題が発生し・・・ということを、ここ数ヶ月、続けているせいか、さすがに僕も、少し、精神的に疲れていることを実感している。

そんな時、井上陽水の神秘的な歌詞と耽美なメロディは、「まあ、そんなにシリアスになるなよ。大丈夫だって!」という感じで、サプリメントというか、心のビタミン剤のような効能がある。坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」も、ここ最近のお気に入りだ。

僕と親しくしていただいている方の中には、長男が「音楽デュオ」を結成して、YouTubeにオリジナル曲をアップロードしていたり、この夏は「ZIP-FM」なる名古屋のラジオ番組に出演したことをご存知の方もいらっしゃると思うが、彼らの曲は、今流行りのヨアソビヨルシカ的なアップテンポの曲で、ジョギングの時にはいいんだけど、今この瞬間のような少々心が疲れている時には聴けないんだよね・・・。

中高生の彼らに、還暦が視野に入った起業家の心に響く曲は無理かもしれないけど、僕が書いた歌詞に、曲を付けてもらおうかな・・・。

井上陽水の「恋の予感」を聴きながら、こんなエントリーを書いていたら、少し、元気が出てきた。

さて、オフィスに行きますか!!

追伸:タイトル中の「25年と鱗雲」の意味は、次のエントリーで解説します。

無題。

前回の投稿から2ヶ月以上が過ぎた・・・。その間、世の中も僕にも、様々な出来事があった。首相も変わった。

僕がこうしてブログに書くことで何かが変わるわけでもないし、その存在が元に戻るわけでもないけど、自分自身の気持ちを整理するために、このブログを書いている。

とある理由で、彼女には何度かお会いしたことがある。正確に言えば、言葉を交わしたわけではないが、同じ目的で、同じ空間に居合わせたことが何度かあった。

彼女は、テレビや映画で見るよりも、とても華奢で繊細でクールな感じがした。スクリーン越しに見るよりも、とてもキレイで、そして「孤高」な雰囲気があった。

二人の分身を残してまで、なぜ、そうせざるを得なかったのか? ご本人にしか分からないだろう。残された方のことを思うと、言葉が無い。

僕の人生は、57年と半年が過ぎた。体力の衰えを痛感するが、取り組んでいる仕事はおもしろい。そりゃ、ここには書けないトラブルやクリティカルな問題もある。でも、周囲の方々の協力のお陰で、きっと乗り越えていけるだろう。

傷心の日々を送っていた頃に読んでいたドラッカーの著作には「人間は1年で出来ることを過大評価し、5年あれば出来ることを過小評価する」と書いてある。事実、5年前の僕には、今の自分が取り組んでいることなど、想像すらできなかった。

また、百年コンサルティングの鈴木貴博氏は、今起きていることの萌芽や原因は、5年前には出現している、と述べている。つまり、今の自分が取り組んでいることの本質を見極めることができれば、5年後の自分の姿を想像することができるし、それに向けて、布石を打って行くこともできるということだ。

彼女のことだけを書いてこのエントリーを終わらせるのでは心が落ち着かず、自分のことを考えた。

両親からもらった命をどのように実らせるか? 改めて考えたい。

まだまだ人生は続く。

短くなった夏休み。

僕には日系人の叔父がいた。ロサンゼルスで生まれた人で、自分で会社を興して成功し、裕福な生活をしていた。妻と結婚したことで、僕は彼の義理の甥になり、事あるごとに、色々なことを教わった。残念なことに、数年前、事故で亡くなった。

「子供には瑞々しい感性があり、どの子も天才だ。我々大人に謙虚な姿勢があれば、子供たちから多くのことを学ぶことができる」。その叔父が生前に言っていたことだ。

安倍首相の一声で小中高校が一斉休校になり、我が家の子供たちも暫くの間、自宅での勉強を余儀なくされていたが、その間、小3の次男は少々太ってしまった。そのことを妻はとても気にしていたが、学校が再開し、毎日、重たいランドセルを背負って、片道700メートルの道を往復するようになると、だいぶスッキリとしてきた。

緊急事態宣言が発令される前からノマド&テレワーク生活だった僕には、あまり大きな変化は無かったが、それでも、自宅にいることが増え、運動不足の次男を連れ出し、駒沢公園や林試の森公園まで、片道3キロ弱の道を自転車で出掛けるようになった。

学校が再開し、梅雨が始まると、自転車での散歩はできなくなったが、毎週日曜日、家族全員でプールに行くようになった。

泳ぎが苦手だった僕は、50メートルも泳ぐとゼイゼイ言っていたのだが、久しぶりに泳いでみると、以前よりはマシになり、200-250メートルぐらいは泳いで帰れるになった。

僕と同じような年齢の友人たちは、もう子育ては終わりつつあり、人生100年時代に向けて、この先のことに想いを巡らせているようだが、僕は、まだまだ先が長い。次男が成人(18歳@66歳、20歳@68歳)すると、70歳の声が聞こえている。

話は変わるが、昨日、ふとしたことから、Amazon Prime で、アル・パチーノ主演の「Stand Up Guys(邦題:ミッドナイト・ガイズ)」という映画を観た。70歳を超えたオジイサンたちが、かっこよく、余生を生きる、クライム・コメディ映画だ。

あくまでも映画の世界(フィクション)ではあるが、マフィアであっても、愛と友情に生き、弱い者を守り、強いが理不尽な奴にはリスクを取ってでも立ち向かう。本来の意味ではない使われ方の「忖度」とは無縁な生き方だ。

カッコいい70歳を目指そう。そのためにも、身体を鍛えておかないと!

Infarm 日本法人の経営。

2015年11月。当時の僕は、サンブリッジ グローバルベンチャーズ(SBGV)という、シード&アーリーステージに特化した投資業務およびシード・アクセラレーション等を行う会社を経営していた。

そのSBGVで、Innovation Weekend という、ピッチコンテストを中心としたスタートアップイベントを運営しており、その Innovation Weekend を初めて、Berlin で開催した時だった。

2014年5月、シンガポールからスタートした「Innovation Weekend World Tour」は、ボストン、ロンドン、ニューヨーク、サンフランシスコ、シリコンバレー等を周り、2015年11月、僕にとって初めての訪問となるベルリンで、Innovation Weekend Berlin 2015 を開催した。

World Tour 開始当初は、ピッチするスタートアップの募集も観客も覚束ず、めちゃくちゃ苦労をしたが、2015年からは順調にピッチスタートアップの応募があるようになり、実は、ベルリンでも面白いスタートアップが25-30社ほど集まっており、募集は締め切っていた。

ところが、Innovation Weekend をベルリンで開催すること知った、ミュンヘンで Story Maker というPR会社を経営するBjoern Eichstaedt という知り合いから、とても面白いスタートアップがあるから是非、ピッチに誘った方がいい!と言って紹介されたのがInfarmだった。

Infarm は、Innovation Weekend Berlin 2015 で優勝し、尚且つ、毎年12月に東京で開催していた Innovation Weekend Grand Finale という、年間チャンピオンを決めるイベントでも優勝した!

当時のInfarm は、パイロット(試作機)を1台、METROという業務用のスーパーで稼働しているだけだったが、2020年7月21日現在、世界中で稼働している InStore Farm は「950台」にまでなった。

僕(ドリームビジョン)は、2016年からInfarmドイツ法人に出資しており、彼等の日本市場参入をサポートしてきたが、2020年2月、遂に日本方を設立し、代表取締役社長に就任した。そして、JR東日本からInfarm ドイツ法人にご出資いただき、子会社の紀ノ国屋Infarmを導入いただくことになった。5年前、ベルリンで初めてファウンダーたちに会った時には、想像さえしていなかった。

さて、そんなInfarm の日本法人を経営することになり、日本市場へのローンチの準備を進めている中で、感じたこと、学んだことを共有したいと思う。

1, 電気自動車やスマートフォンの企画開発・製造・販売と似たような事業構造。

Infarm の事業は「LEDと水耕栽培」により、屋内で野菜を育てて収穫し、販売することである。その野菜を栽培するには「InStore Farm」というハードウェアが必要だが、心臓部は「独自開発のソフトウェア」だ。Apple や Tesla のような事業構造に似ている。

Infarm の事業は、R&D, Crop Science, Supply Chain Management, Marketing/PR, Business Development, Corporate Sales, Finance & Accounting, HR, Academy, Installation Engineering, Software Development, Operation, New Market Expansion, etc.と様々な機能とタスクにより成り立っている。従って、何かひとつ、変更を加えようとすれば、それはすべての部署や機能に影響することになり、入念な業務設計と運用が求められる。Synchronized Swimming の如く、一糸乱れぬ演技が必要不可欠である!

2, Cosmopolitan culture(コスモポリタンなカルチャー)

Infarm では現在、日本を含めて計10ヵ国に進出しており、約600名近いスタッフが働いている。国籍は30ヵ国を超えており、社内公用語は「英語」である。但し、英語を母国語とする人は、20%程度だろう。

従って、お互いに「異なる」ことが前提であり、相手がどのような判断基準に基づいて発言しているのかを理解しようとする姿勢が求められる。一方、日本のような同調圧力はない。極めてオープンで風通しの良いカルチャーだ。

翻って、日本の多くのスタートアップのように、経営者も従業員も株主も顧客も、その殆どが日本人という環境では、ユニバーサル(グローバル)に通用する事業やプロダクトを開発することは難しいということを実感する。

3, Attracts global talents!(世界中から優秀な人を惹き付ける!)

とても嬉しいことに、Infarm には世界中から才能豊かな、そして、人間味溢れる素晴らしい方々が応募してきてくれるし、様々な会社がInfarmを導入したり、一緒に仕事をしようと言ってくれる。申し上げるまでもなく、とても光栄なことだ。

その理由は偏に、Infarm の哲学、理念、ビジョン、実現したい未来にある。

食品の30%以上が、生産後、我々の食卓に並ぶまでの間に「廃棄ロス」になってしまうという現実がある。その廃棄ロスにも「エネルギー」が消費され、CO2(温室効果ガス)が排出されている。それを放置しておいていいはずがない。

国連によると、2050年には、この地球上に「100億人」が暮らし、その「70%」が「都市」で生活することになる。究極の「地産地消」を実現するためには、「都会で野菜(農産物)を栽培し、都会で消費する」のが最も良い。

Infarm は、そのドン・キホーテ的とも言える遠大なビジョンの実現に向けて、既に世界10ヵ国に進出し、前述のとおり、1,000台近い InStore Farm を稼働させている。

崇高な哲学、理念、ビジョン、そして、JR東日本、紀ノ国屋という素晴らしいパートナーのご支援を頂戴し、Infarm 日本法人の経営を仰せつかっていることは、物凄い責任とプレッシャーではあるが、これほどやり甲斐のある仕事はない。

Infarm 日本法人は、僕を含めて、まだたった3人(3人目は、この春、大学を卒業したばかりの Insane Carzy に優秀な女性)だが、地球規模のビジョンを実現するための「仲間」を絶賛募集中である。

ご関心を持っていただけた方は、是非、ご応募いただきたい。

心より、お待ちしています!!

昭和の日々。Good-by our lovely house。

僕が初めて東京の地を踏んだのは、ヨーロッパ出張から帰国する父を迎えに羽田空港に行った時だった。朧気ながら羽田空港に行ったことは憶えているが、この写真を撮ったことは記憶にない。小学校4年生の頃だったと思うので、50年近く前になる。

当時の写真としては、かなり解像度が高く、構図も様になっている。父が愛用していたNikonの一眼レフで撮ってくれたのだろう。写真は父の趣味だった。カバー写真の手前にいるのが、2つ違いの次男。色違いでお揃いのポロシャツを着ており、上京するに際して、きっと母親が新調してくれたのだろう。そう言えば、いつも弟は紺色(濃い色)で、僕は淡い色だった気がする。

上の写真で母に抱かれているのが三男。まだ、幼稚園に行く前。左端が僕。右端が次男だ。

実は、このエントリーは、福島県郡山市にある実家に「最後のお別れ」に行く新幹線の中で書いている。

もうひとつの「19(COVID-19)」による世界的混乱で、もう話題に上ることさえなくなってしまったが、昨年の「台風19号」は、日本全国に大きな爪痕を残した。僕たち3人兄弟が暮らした実家もその例外ではない。水没してしまい、修繕して住み続けるには、保険で降りた金額の約2倍の費用が掛かることが分かり、兄弟3人で熟慮した結果、今の母が住み続けるのは無理だと判断した。

その家は、僕が中学1年生の秋、産みの両親が建てた家だ。150坪の敷地に、建坪46坪の家は、田舎とはいえ、大きな家だ。父の自慢だった庭は、四季折々の花が咲き、家族全員にとって、思い出がいっぱい詰まっている。この先、帰省しても、あの家に寝泊まりすることはないかと思うと、哀しみが込み上げて来ないと言ったら、嘘になる。

でも、人生は常に前に進んでいくしかない。そして、こうして感傷に浸っていられる僕たちは、この上なく幸せだ。そんな感慨も何もなく、未だに避難所での生活を余儀なくされている方々もいらっしゃるわけで、幸運に感謝しなければバチがあたる。

ところで、最近、若い人たちを見ると、無条件に羨ましくなる。特に若い女性の美しさには、心を奪われる。失ってしまったもの、二度と戻らない、あの頃の日々がいかに輝いていて、いかに Priceless な価値があったか。違う生き方や、もっとやれたことがあったんじゃないか? なんて未熟だったんだ・・・と思うこともあるが、スガシカオの歌(Progress)のように、その時その時、自分に出来る最善の選択と意思決定をしてきた結果が今の自分なわけで、それを受け入れようと思う。

実家の仏壇を廃棄するにあたりお坊さんにお経を唱えてもらい、その後、墓参りに行った後、小さな弁護士事務所を経営する次男の事務所で、水没した実家から引き上げてきた「家族のアルバム」を見ている。そこには、昭和の高度経済成長と共に、紛れもなく、Priceless な幸せな時間が綴られている。

時代は昭和から平成を通り過ぎ、令和になった。僕が子供の頃、2つ前の「明治」は、祖父母の時代だった。言ってみれば、令和になって生まれた子供たちにとっては、僕はそういう世代の人になるのだろう。

でも、人生まだまだやれることはたくさんあるし、やりたいことは山ほどある。

Infarmの仕事は、僕の人生を大きく変えそうな気がするし、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部の創設は、ドリームビジョンでは実現できなかった「終わっていない宿題」を実現できる、またとないチャンスだ。

感謝しかない。

持って生まれた才能や能力には個人差があるとしても、時間だけは平等に与えられている。月並みだが、残された時間を大切にしたい。

人生は短い。人生はすべて必然。人生には勇気と自信が必要だ。

以下は、家族の写真。

今の実家ではなく、その前に住んでいた家での写真。僕(左)も次男も、まだ未就学児。
自転車を買ってもらい、喜ぶ僕と次男。
上の写真と同じ頃に撮った写真だと思う。
兄弟3人の写真。僕は小1か小2。後ろの洗濯物はオシメじゃないかと思う。昭和感が満載で恥ずかしいが載せておこう。
真ん中にいるのが父方の祖父。右端が父。
母方の叔父叔母、従兄弟、従姉妹たちとの旅行。磐梯山辺りだと思う。僕は写っていない。
僕(左)は小学校5年生ぐらいだろうか。裏磐梯のある場所。滝が見える橋の上。父が撮ってくれた写真だと思う。
僕は中学生になっている。母はこの3年後、45歳で他界した。

話は変わるが、僕がサンブリッジグローバルベンチャーズという会社を経営していた頃、当時、ベンチャーナウという、スタートアップに特化したオンラインメディアを運営していた竹内泰史さんという方がいる。彼とは、Innovation Weekend というピッチイベントを立ち上げたのだが、日本からスタートアップを数社、シリコンバレーに連れていき、現地の起業家と一緒にInnovation Weekend のワークショップを行ったことがある。

竹内さんにとっては、その時が「初海外」で、なんとパスポートも持っていなかった。その竹内さんは、初海外=初シリコンバレーに魅せられて、その後、僕が知らないうちに、安チケットを買っては、足繁く、シリコンバレーに通うようになった。そして、その数年後、なんと家族でシリコンバレーに移住してしまったのだ。英語も話せないくせにw!

そんな意思決定をする竹内さんが凄い人なのは勿論だが、竹内さんの無謀な提案に、二つ返事でOKしたというから、奥さんのひとみさんは、もっと凄い人だw。

実は、そのひとみさんから、幼少期の写真をfacebookに載せる、何とかチャレンジとかいうのを振られていた。どうにも抵抗感があり、躊躇していたのだが、良い機会だと思って、このエントリーを書いた次第。

ひとみさん、これで宿題は提出しましたよねw?

母のワンピース。

ピアノのリサイタルだった。ボディガード代わりについて来て欲しい。そう頼まれた僕は、母と一緒に出掛けた。季節は憶えていないが、薄手のワンピースを着ていたことを思うと寒い季節ではなかった気がする。

PET(Positron Emission Tomography)検査で撮る画像は、CTと較べると解像度が粗く、診断の精度は落ちるらしい。その代わり、CT画像からは読み取れない情報を医師に与えてくれる。PET検査は、ガン細胞が正常な細胞の3~8倍のブドウ糖を取り込むという性質を利用し、ブドウ糖に近い成分を点滴で体内に注入する。ガン細胞が注入した成分に反応すると「発色」する仕組みになっているが、小さな「炎症」にも色が付くことがあるらしい。肺は外気に晒されているので、色々なことで炎症を起こすことがあるそうだ。3ヶ月前に受けたPET検査の画像には、白い影が写っていたが、先日、撮影したCTでは、その影は小さく、そして、殆ど消えていた。正直、ホッとした。

母との人生はたった15年と11ヶ月だったけど、もし、今、もう一度、会えたとしたら、僕は何と言って声を掛けるだろう? 決して美人ではなかったが、知的で気品がある人だった。

母は45歳の時、肺がんで亡くなった。僕は中学浪人生。次男は中2。三男は、たしか、まだ小学校3年生だった。

中学生の時、僕は福島県では有名な進学校の安積高校を受験した。結果は見事に不合格。定員割れの二次募集で受かった高校に通うも3ヶ月で中退。中学浪人になった。

僕が中退して、来年もう一度、安積高校を受験したいと言い出した時、高校の担任の先生も中学時代の担任の先生も父親も、みんな反対した。母だけが僕を支持してくれた。結果は問わない。但し、一年間、途中で諦めず、最後まで予備校に通うこと。条件はそれだけだった。母が何と言って、あの頑固な父親を説得したのか、今も分からない。でも、母がどれだけ僕のことを愛してくれていたか。あれから40年以上も経った今、よく分かる。その母は翌年、僕が安積高校の再受験にリベンジし、合格したことを知る前にこの世を去った。

この3ヶ月間、事あるごとに、もしものことを考えた。中3の長男は、僕の仕事が何かもある程度は理解しているし、僕の今までの生き方から、僕が彼に何を伝えたいか、何となくは理解しているだろう。でも、小3の次男には、まだ、何も残せていない。CT検査の前日は緊張してあまり眠れなかった。

新型コロナウイルスは、多くの犠牲を生む。大切な人を失う人。仕事を失う人。それと較べたら、僕たち家族はあまりにも恵まれている。晴れた日は屋上でBBQをし、次男と自転車で公園に出掛け、Youtubeを聴きながらのジョギングが日課になった。長男が通う中学はオンライン授業。妻は自宅でリモートワーク。

ところで、僕はストレスが溜まった時、何故か洗面台の掃除をすると気分がスッとする。でも、片付けたい仕事がたくさんあり、でもその仕事を片付けられないと、掃除をする時間を取ろうとすることがストレスになる。欲張りなんだね、僕は。

掃除をしながら、スガシカオが歌う「夜空ノムコウ」を歌っていると、宿題に追われている長男の「気が散るから、ちょっと歌うのやめて…」という声が聞こえてきた。こういう日常が幸せということなんだろうね、きっと。

昔はもっと上手に歌えたハズだけと、声量が哀しいほど落ちている。ニヒルという言葉を今も使うのかは知らないけど、斜に構えず、もっとカラオケに行っていれば良かった。ホントはきらいじゃない。コロナが明けたら行ってみよう。

妻には笑われるけど、若い頃はミュージシャンになりたいと思っていた。実は、ライブも何度かやったりした。

マーケティングジャンクションの吉澤さんが「落とし前マーケティング」と言っていたけど、ある年齢になると、押し入れに仕舞い込んでいた「終わっていない宿題」をやりたくなるんだろうね。例えそれが自己満足だったとしても。今さら通知表は無いし。

人生、日常に感謝して生きていけたら幸せだね。

Progress Part-2. 同調圧力ノムコウ。

それが英語だったからなのか、それとも他の言語でも同じ結果になったのかは分からない。僕は中学1年生で初めて「英語の授業」を受けた時、「世の中に、こんなにおもしろいものがあったのか!」という衝撃を受けた。今までの人生で、あの時の衝撃というか感動を超える出来事には出会ったことがない。

強いて言えば、大学生の頃、初めてNew York を訪問した時のことは今も鮮明に憶えている。地下鉄の車両に乗っているのが、白人だけでも、黒人だけでも、もちろん、東洋人だけのわけはなく、とにかく人種の坩堝だったことに衝撃を受けた。

インフィニティ国際学院の第一期生、長野県出身の「フランシス聖(以下、フランシス)」は、カナダ人の父親と日本人の母親を持つ、日本でいうところの「ハーフ」だ。でも、海外の僕の知り合いは、そういう彼・彼女たちを「ダブル」と呼んだりする。

フランシスは日本の公立小学校に通っていたが、型に嵌められる教育カリキュラムに馴染めず、私立に転校する。理解のある先生に恵まれ、一時はモチベーションが高まるものの、担任の先生が変わり、不登校になる。そして、父親と一緒にカナダに移住する。

小学校を卒業し、入学した中学校は、すべての授業が「フランス語」で行われる学校だった。きっとケベック州等、東海岸の学校だったのだろう。最初はまったく授業についていけなかったが、徐々にフランス語を習得。様々な国籍や移民の子どもたちがいるその学校は、まさに日本とは「別世界」で、学校生活は楽しくて仕方がなかったそうだ。でも、ある時、とても仲が良かった友人が家族の都合でカナダを離れ、ヨルダンに帰ることになる。号泣した彼女だったが、それがきっかけでフランスに3ヶ月、留学。カナダとは違った世界を知る。そして、日本に帰国した。

僕が中学生の時、交換留学制度の説明があった。僕は是非、行ってみたいと思ったが、当時の担任の先生は「高校生や大学生になってからでも遅くない。中学で行くのは止めた方がいい」と言った。交換留学制度があることを説明しておきながら、矛盾した話だ。あの時、交換留学に行っていたら、どう変わったかは別として、僕の人生は大きく変わっていたことは間違いない。

英語という言語に触れて以来、僕はバイリンガルになることが夢であり目標だった。留学をしたり、海外で仕事をしたいと思っていた。その夢は未だに実現できていない。

でも、一度も海外に住んだことはないけど、海外で英語で講演をしたり、パネルディスカッションに呼ばれるようになった。こう見えて?、結構、努力している。

そんなこともあり、僕は、フランシスのように、生まれながらにして「自分の中」に「異文化」を持つ人に対する憧れがある。

話は変わるが、洋楽一辺倒だった僕は、子供たちの影響で邦楽を聴くようになるまで、殆ど、J-POPは聴かなかった。そんなこともあり、SMAPが歌った「夜空ノムコウ」は、スガシカオが歌詞を書いたことさえ知らなかった。

実際に聴いてみると、才能溢れる、たくさんのアーティストがいて、僕は邦楽が好きになった。もっと言うと「日本語の歌詞」が・・・。

英語の歌詞にも心の琴線に触れるものがあるけど、ネイティブスピーカーじゃない僕には、当たり前だけど、僕が日本語の歌詞を感じるようには、悔しいけど、理解できない。

でも、フランシスのような子には、分かるんだろうな…。

僕が見ているこの景色は、彼女にはどんなふうに見えるのだろう? 彼女のような人にしか見えない何かがあるはずだ。相手を型に嵌めることしか出来ないつまらない大人には、想像さえできないようなね。

そんな努力しても手に入らないものを開花させてあげないなんて、どうかしてる。それは嫉妬? それとも、同じもの以外は認められない単一民族の性なのか。

フラン、夜空ノムコウには明日が待っているよ! 大丈夫、頑張れ!!

追伸:東京芸大出身の「川村結花」が書いた曲に、ある音楽愛好家が「現代最高の吟遊詩人」と評した「スガシカオ」が詩を書き、キムタクがリードボーカルでSMAPが歌う。嫉妬を超えて、憧れるよw。神様はズルいね!