中川とポルシェ。

ブログに書くほどではないかとも思ったが、前回の投稿からだいぶ時間が経っていることもあり、文字にしておくことにした。気になって読んだコラムに衝撃を受けたので。

大学生の頃、一冊1,000円もするカーグラフィックという月刊誌を毎月買っていた。大学進学で上京後、2年目から一緒に住むようになった弟もクルマが好きで、2人で知識だけは増えていった。当然、クルマを買えるお金があるわけもなく、カーグラで学んだ知識をもとに、2人でクルマ談義をするだけだったが、それも楽しかった。

大学2年生の頃だったと思うが、マツダのファミリアという2ボックス、色は「赤」が大人気になり、僕はレンタカーで赤のファミリアを借りてドライブに出かけたりした。こうして文字にしてみて改めて思い出したが、当時は、クルマを運転すること自体を目的にして出掛けることをドライブと言っていた。そして、ドライブの最中に聴くためにお気に入りの音楽を録音した「カセットテープ」と一緒に、楽しい娯楽として機能していた。1980年代のことである。

気になって読んだコラムは「松任谷正隆さん」が毎月、JAF Mate に寄稿されているものだが、その結末に、僕は思わず「えっ!」と声をあげてしまった。

僕と同年代以上の方には説明するまでもないと思うが、彼は無類のクルマ好きで知られている。本業の音楽活動に加えて、クルマ関係のコラムを書いたり、今は無いと思うが、以前はカーグラフィックTVというテレビ番組があり、そのパーソナリティをしていたりした。

今月号のコラムには、彼の本業の音楽活動に関することが書いてあり、奥さんでもあるユーミンのツアーバンドのギタリストして活躍されていた中川さんという方のことが紹介されていた。

彼もクルマが好きだったらしく、松任谷さんの影響で、ポルシェに乗っていたそうだが、ある年の苗場でのユーミンのライブを最後に病気が見つかり、あっけなく他界されてしまったそうだ。

そして亡くなられる直前に、ご自分でポルシェを処分されたという。

そのことを後で伝え聞いた松任谷さんは、「その時の彼の気持ちを思うと、今でも胸が張り裂けそうになる」と綴っていた。

昭和の高度経済成長期に生まれ育った人間に共通する価値観なのか、クルマは経済的成功のシンボルのひとつだ。カーグラフィックを読んでいた大学生の頃から20年後、創業に関わったウェブクルーというスタートアップのIPOで得たキャピタルゲインで、BMW Z4 3.0i を買った。人生で初めて買ったクルマだった。そんな僕も人生で一度は、ポルシェのオーナーになりたいと思っている。

大学生の頃ほどクルマに対する関心は無くなったが、それでもクルマが好きなのと、松任谷正隆さんのファンでもある僕は、とても楽しく、そのコラムを読み進めていたのだが、最後の最後で、中川さんという寡黙なギタリストの最後を知り、想定外の結末に、心が動揺した。

自分でも何を伝えたいのか? 何を文字に残しておきたいのか? 整理できていないが、会ったこともない中川さんというギタリストの人生から、何かを訴えられている気がした・・・。

※出典:写真はポルシェ・ジャパンのウェブサイトよりスクリーンショット。

あの日。

人生は短いよ。人生100年時代とか言うけど。若い日々は、あっと言う間に通り過ぎる。

子供の頃にお世話になった叔父さんや叔母さんたちが旅立ってしまう年齢になったせいか、子供の頃や自分が若かった頃のことを思い出す。

父は珍しく、急いでいた。制限速度を超えているのは、小学生の僕にも分かった。長い坂道を父のクルマで病院に向かっていた。小学校4年生か5年生の頃だったと思う。あれが人生で初めての入院だった。

地元の総合病院で働いていた父は、とても仕事が忙しかったようで、一緒に遊んでもらった記憶は無い。時々、どこどこに連れて行くという約束をしては、いつも前日になって、仕事が入ってしまい、連れていけなくなった・・・と言っていた。母は、子どもたちを遊びに連れて行ってあげたいという気持ちは分かるけと、行けなくなるとガッカリさせるだけなので、本当に行けることが確実になるまで、何も約束しない方がいいでしょう、と父に言ってた。

コロナ禍の中、息を引き取った叔父は、僕が高校生の時、大雪が降った日、バンドの練習で楽器を運ぶためにクルマを出してくれた。僕の父親(彼にとっては義理の兄)に対する手前もあっただろうけど、本当に他人に優しい、素晴らしい人だった。残念ながら、告別式には参列できなかった。

思い出せば、長男は幼少の頃から気難しく、神経質だった。数学が得意で、Garage Band で作曲を始めた彼の姿を見て、一昨年のクリスマスに、僕は彼にMacBook を買ってあげた。妻に似て、金銭感覚がシビアで、最初は「どうして、そんな高額なものを買ってきてしまったんだ・・・」と涙を流しそうにしていたが、音楽ユニットを結成し、今ではFinal Cut Pro等を使いこなし、昨年の夏には、FMラジオにも出演した。

この両親からどうしてこういう天真爛漫な人間が生まれて来たのか?と思うほど、次男は底抜けに明るく、社交性に優れており、誰とでもすぐに友達になれる。アフタースクールのキャンプでバスに乗る時も、隣が知らない子だろうがまったく気にせず、帰って来る頃には仲良しになっている。長男のような理系の脳ではないと思うが、兄の様子を見様見真似で、Garage Band で作曲をしたりしている。週末は、友達の家に行ったり、彼らを我が家に呼んだりと、学年の違う子どもたちとも楽しく遊んでいる。

彼らがいなかったら、去年の紅白をみるまで、きっとヨアソビは知らなかったし、ヨルシカもね。

田坂広志さんがご自身のブログか何かで若さの貴重さに気づくのは、残念ながら、若さを失った時だということを仰っていた。その時は、理屈としては理解していたが、今になって、哀しいほど、その意味を実感する。

そりゃいろいろあるけど、生きていることは、それだけで素晴らしい。そう思える人生を送れていることに、感謝しかない。

人生は短いね。

10年後の自分。

それほど期待していたわけではないけど、急遽決めた一泊二日の「箱根」旅行は楽しかった。

貸別荘なら食事も部屋で食べるし、他のお客さんと一緒になることもないし、この時期でも大丈夫だろうしね。

ここ数週間、色々と書きたいことはあったけど、年明け1月の紀ノ国屋とサミットでのInfarm ローンチの準備で忙殺されており、ブログを書くことよりも優先すべき仕事がたくさんあった。

彫刻の森美術館で見たピカソは圧巻だった。僕は巨匠の絵を理解できるような才能は持ち合わせていないが、それでも、ゲルニカを思わせる絵のタペストリーの前に立った時は、その作品のエネルギーに圧倒された。

「絵は前もって考えつくされ、決定されるものではない、むしろ描かれていく間、たえず心の変動に従う。絵は作者の欲求がそこに表そうとしたことよりも、ずっと多くのことを表現する。作者はしばしば自分で予期しなかった結果に驚かされる。線が対象を生まれさせ、色がフォルムを暗示し、フォルムが主題を決定する」。

年が明け、3月の誕生日が来ると、僕は58歳になる。還暦カウントダウンだ。

35歳になった時、20歳からそれまで生きてきた時間と同じ時間が訪れると、僕は50歳になるという現実に気づいた時、後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を受けたが、その50歳はとうの昔に通り過ぎ、あと2年3ヶ月で60歳だ。

ここ数年、大学生や20代の若者たちを見ると、何とも言えない哀愁というか、認めざるを得ない衰えに、切ない気持ちになっていたが、ピカソの絵を見て、元気が出た!

ピカソ風に言えば、その時々の自分が選んできたことが「自分が予期しなかった結果」をもたらし、新たな「選択肢」を生まれさせ、行動が役割りを暗示し、役割りが人生の主題(目的)を決定する。

肉体は58歳になっても、精神的には、28歳の頃とあまり変わらない気もする。

柔道のワンマッチは、たくさんの方が見たと思う。僕は別に柔道のファンというわけではないけど、たまたま、その数日前だったかに「丸山城志郎」選手の特集番組を見て、66kg級は、たいへんなことになっていることを知った。

その日のニュース番組では、勝負に勝った阿部一二三選手を称える報道だけだった。そりゃ勝者がいれば、敗者がいるわけで、勝者を称えるだけでいいのか? どちらが勝っても金メダルと言われていたわけで・・・。

たしかに、阿部一二三選手の方が妹さんも一緒にオリンピック代表に選出されるなど、メディアにとっては、これ以上ないストーリーかもしれないけど、僕は丸山選手の今後の方が興味がある。

地元の進学校を受験するも落ちて、二次募集で入った高校を中退し、翌年、リベンジしたまでは良かったけど、落ちこぼれとなり、三流大学にしか行けず。興味があるのは英語と西洋文化しかなく、でも、留学をさせてもらえるわけもなく、生活していくために仕方なく入った会社は一年3ヶ月で退職。28歳で起業するも鳴かず飛ばずの日々が9年。そんな僕を見かねたのか、神様が拾ってくれて、何とかネットバブルの最終列車に飛び乗った。

外野が軽々しく言っていいことじゃないと思うけど、丸山選手には是非、リベンジして欲しいと思う。

リベンジと言えば、ビートレンドの上場は嬉しかった。僕はドリームビジョンを通じて、ほんの少しばかり、ビートレンドに投資させてもらっているけど、株主という意味だけじゃなく、ビットバレーと言われたネットバブルの狂乱を共に生き、その後、幾多の試練を乗り越え、苦節20年が実って、12月17日にめでたく上場。まだまだ人間が出来ていない僕は、他人の成功を嫉妬もするが、ビートレンドの上場というか、井上さんの苦労が報われたことは、自分のことのように嬉しかった。

ところで、10年後の自分は68歳。どうしているんだろうね? 日本にいるんだろうか?

僕がしてきた苦労なんて苦労のうちに入らなけど、辛いことがあっても、生きていることは素晴らしいし、そう思える日々を送れていることは幸せなことだ。

皆さん、良いお年をお迎え下さい!

スーツケース。25年。鱗雲。

スーツケースにいつもの荷物を詰め込み、羽田までのタクシーを予約し、あとは当日、パスポートさえ忘れないようにすれば、いつでも飛行機に乗れた日々が嘘のようだ。新型コロナウイルスなどいう怪物がこの地球上を支配し、昨年は計5回も行ったヨーロッパに、今年は一度も行っていない。

何故か突然、頭の中にメロディーが浮かぶことがある。残念ながら作曲のことではなく、昔、よく聽いていた曲のことだ。昨年9月のパリ、サンジェルマン大通りから一歩入ったところにあるお気に入りの小さなホテルの部屋で、何故か突然、井上陽水の曲のサビを思い出した。

頭に浮かんだ歌詞をグーグルで検索すると、それは「恋の予感」という歌だった。井上陽水の歌詞は理解不能で、彼が何をイメージして作った曲なのかは分からないが、凡人には思いつかない言葉と言葉が紡がれており、何やら神秘的な雰囲気だけは伝わってくる。

今年2月に、Infarm HQの Japan Expansion チームと共同創業者でCEOのErez Galonska が週替りで来日。TOA (Tech Open Air) World Tour Tokyo 2020なるイベントの壇上で、JR東日本からドイツ法人へのご出資と紀ノ国屋での導入、そして、ムロオ(チルド物流大手)との業務提携を発表。その後、コロナでスローダウンを余儀なくされたとはいうものの、切れ目なく日本ローンチの準備を進めてきており、問題を解決しては、また新たな問題が発生し・・・ということを、ここ数ヶ月、続けているせいか、さすがに僕も、少し、精神的に疲れていることを実感している。

そんな時、井上陽水の神秘的な歌詞と耽美なメロディは、「まあ、そんなにシリアスになるなよ。大丈夫だって!」という感じで、サプリメントというか、心のビタミン剤のような効能がある。坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」も、ここ最近のお気に入りだ。

僕と親しくしていただいている方の中には、長男が「音楽デュオ」を結成して、YouTubeにオリジナル曲をアップロードしていたり、この夏は「ZIP-FM」なる名古屋のラジオ番組に出演したことをご存知の方もいらっしゃると思うが、彼らの曲は、今流行りのヨアソビヨルシカ的なアップテンポの曲で、ジョギングの時にはいいんだけど、今この瞬間のような少々心が疲れている時には聴けないんだよね・・・。

中高生の彼らに、還暦が視野に入った起業家の心に響く曲は無理かもしれないけど、僕が書いた歌詞に、曲を付けてもらおうかな・・・。

井上陽水の「恋の予感」を聴きながら、こんなエントリーを書いていたら、少し、元気が出てきた。

さて、オフィスに行きますか!!

追伸:タイトル中の「25年と鱗雲」の意味は、次のエントリーで解説します。

無題。

前回の投稿から2ヶ月以上が過ぎた・・・。その間、世の中も僕にも、様々な出来事があった。首相も変わった。

僕がこうしてブログに書くことで何かが変わるわけでもないし、その存在が元に戻るわけでもないけど、自分自身の気持ちを整理するために、このブログを書いている。

とある理由で、彼女には何度かお会いしたことがある。正確に言えば、言葉を交わしたわけではないが、同じ目的で、同じ空間に居合わせたことが何度かあった。

彼女は、テレビや映画で見るよりも、とても華奢で繊細でクールな感じがした。スクリーン越しに見るよりも、とてもキレイで、そして「孤高」な雰囲気があった。

二人の分身を残してまで、なぜ、そうせざるを得なかったのか? ご本人にしか分からないだろう。残された方のことを思うと、言葉が無い。

僕の人生は、57年と半年が過ぎた。体力の衰えを痛感するが、取り組んでいる仕事はおもしろい。そりゃ、ここには書けないトラブルやクリティカルな問題もある。でも、周囲の方々の協力のお陰で、きっと乗り越えていけるだろう。

傷心の日々を送っていた頃に読んでいたドラッカーの著作には「人間は1年で出来ることを過大評価し、5年あれば出来ることを過小評価する」と書いてある。事実、5年前の僕には、今の自分が取り組んでいることなど、想像すらできなかった。

また、百年コンサルティングの鈴木貴博氏は、今起きていることの萌芽や原因は、5年前には出現している、と述べている。つまり、今の自分が取り組んでいることの本質を見極めることができれば、5年後の自分の姿を想像することができるし、それに向けて、布石を打って行くこともできるということだ。

彼女のことだけを書いてこのエントリーを終わらせるのでは心が落ち着かず、自分のことを考えた。

両親からもらった命をどのように実らせるか? 改めて考えたい。

まだまだ人生は続く。

短くなった夏休み。

僕には日系人の叔父がいた。ロサンゼルスで生まれた人で、自分で会社を興して成功し、裕福な生活をしていた。妻と結婚したことで、僕は彼の義理の甥になり、事あるごとに、色々なことを教わった。残念なことに、数年前、事故で亡くなった。

「子供には瑞々しい感性があり、どの子も天才だ。我々大人に謙虚な姿勢があれば、子供たちから多くのことを学ぶことができる」。その叔父が生前に言っていたことだ。

安倍首相の一声で小中高校が一斉休校になり、我が家の子供たちも暫くの間、自宅での勉強を余儀なくされていたが、その間、小3の次男は少々太ってしまった。そのことを妻はとても気にしていたが、学校が再開し、毎日、重たいランドセルを背負って、片道700メートルの道を往復するようになると、だいぶスッキリとしてきた。

緊急事態宣言が発令される前からノマド&テレワーク生活だった僕には、あまり大きな変化は無かったが、それでも、自宅にいることが増え、運動不足の次男を連れ出し、駒沢公園や林試の森公園まで、片道3キロ弱の道を自転車で出掛けるようになった。

学校が再開し、梅雨が始まると、自転車での散歩はできなくなったが、毎週日曜日、家族全員でプールに行くようになった。

泳ぎが苦手だった僕は、50メートルも泳ぐとゼイゼイ言っていたのだが、久しぶりに泳いでみると、以前よりはマシになり、200-250メートルぐらいは泳いで帰れるになった。

僕と同じような年齢の友人たちは、もう子育ては終わりつつあり、人生100年時代に向けて、この先のことに想いを巡らせているようだが、僕は、まだまだ先が長い。次男が成人(18歳@66歳、20歳@68歳)すると、70歳の声が聞こえている。

話は変わるが、昨日、ふとしたことから、Amazon Prime で、アル・パチーノ主演の「Stand Up Guys(邦題:ミッドナイト・ガイズ)」という映画を観た。70歳を超えたオジイサンたちが、かっこよく、余生を生きる、クライム・コメディ映画だ。

あくまでも映画の世界(フィクション)ではあるが、マフィアであっても、愛と友情に生き、弱い者を守り、強いが理不尽な奴にはリスクを取ってでも立ち向かう。本来の意味ではない使われ方の「忖度」とは無縁な生き方だ。

カッコいい70歳を目指そう。そのためにも、身体を鍛えておかないと!

Infarm 日本法人の経営。

2015年11月。当時の僕は、サンブリッジ グローバルベンチャーズ(SBGV)という、シード&アーリーステージに特化した投資業務およびシード・アクセラレーション等を行う会社を経営していた。

そのSBGVで、Innovation Weekend という、ピッチコンテストを中心としたスタートアップイベントを運営しており、その Innovation Weekend を初めて、Berlin で開催した時だった。

2014年5月、シンガポールからスタートした「Innovation Weekend World Tour」は、ボストン、ロンドン、ニューヨーク、サンフランシスコ、シリコンバレー等を周り、2015年11月、僕にとって初めての訪問となるベルリンで、Innovation Weekend Berlin 2015 を開催した。

World Tour 開始当初は、ピッチするスタートアップの募集も観客も覚束ず、めちゃくちゃ苦労をしたが、2015年からは順調にピッチスタートアップの応募があるようになり、実は、ベルリンでも面白いスタートアップが25-30社ほど集まっており、募集は締め切っていた。

ところが、Innovation Weekend をベルリンで開催すること知った、ミュンヘンで Story Maker というPR会社を経営するBjoern Eichstaedt という知り合いから、とても面白いスタートアップがあるから是非、ピッチに誘った方がいい!と言って紹介されたのがInfarmだった。

Infarm は、Innovation Weekend Berlin 2015 で優勝し、尚且つ、毎年12月に東京で開催していた Innovation Weekend Grand Finale という、年間チャンピオンを決めるイベントでも優勝した!

当時のInfarm は、パイロット(試作機)を1台、METROという業務用のスーパーで稼働しているだけだったが、2020年7月21日現在、世界中で稼働している InStore Farm は「950台」にまでなった。

僕(ドリームビジョン)は、2016年からInfarmドイツ法人に出資しており、彼等の日本市場参入をサポートしてきたが、2020年2月、遂に日本方を設立し、代表取締役社長に就任した。そして、JR東日本からInfarm ドイツ法人にご出資いただき、子会社の紀ノ国屋Infarmを導入いただくことになった。5年前、ベルリンで初めてファウンダーたちに会った時には、想像さえしていなかった。

さて、そんなInfarm の日本法人を経営することになり、日本市場へのローンチの準備を進めている中で、感じたこと、学んだことを共有したいと思う。

1, 電気自動車やスマートフォンの企画開発・製造・販売と似たような事業構造。

Infarm の事業は「LEDと水耕栽培」により、屋内で野菜を育てて収穫し、販売することである。その野菜を栽培するには「InStore Farm」というハードウェアが必要だが、心臓部は「独自開発のソフトウェア」だ。Apple や Tesla のような事業構造に似ている。

Infarm の事業は、R&D, Crop Science, Supply Chain Management, Marketing/PR, Business Development, Corporate Sales, Finance & Accounting, HR, Academy, Installation Engineering, Software Development, Operation, New Market Expansion, etc.と様々な機能とタスクにより成り立っている。従って、何かひとつ、変更を加えようとすれば、それはすべての部署や機能に影響することになり、入念な業務設計と運用が求められる。Synchronized Swimming の如く、一糸乱れぬ演技が必要不可欠である!

2, Cosmopolitan culture(コスモポリタンなカルチャー)

Infarm では現在、日本を含めて計10ヵ国に進出しており、約600名近いスタッフが働いている。国籍は30ヵ国を超えており、社内公用語は「英語」である。但し、英語を母国語とする人は、20%程度だろう。

従って、お互いに「異なる」ことが前提であり、相手がどのような判断基準に基づいて発言しているのかを理解しようとする姿勢が求められる。一方、日本のような同調圧力はない。極めてオープンで風通しの良いカルチャーだ。

翻って、日本の多くのスタートアップのように、経営者も従業員も株主も顧客も、その殆どが日本人という環境では、ユニバーサル(グローバル)に通用する事業やプロダクトを開発することは難しいということを実感する。

3, Attracts global talents!(世界中から優秀な人を惹き付ける!)

とても嬉しいことに、Infarm には世界中から才能豊かな、そして、人間味溢れる素晴らしい方々が応募してきてくれるし、様々な会社がInfarmを導入したり、一緒に仕事をしようと言ってくれる。申し上げるまでもなく、とても光栄なことだ。

その理由は偏に、Infarm の哲学、理念、ビジョン、実現したい未来にある。

食品の30%以上が、生産後、我々の食卓に並ぶまでの間に「廃棄ロス」になってしまうという現実がある。その廃棄ロスにも「エネルギー」が消費され、CO2(温室効果ガス)が排出されている。それを放置しておいていいはずがない。

国連によると、2050年には、この地球上に「100億人」が暮らし、その「70%」が「都市」で生活することになる。究極の「地産地消」を実現するためには、「都会で野菜(農産物)を栽培し、都会で消費する」のが最も良い。

Infarm は、そのドン・キホーテ的とも言える遠大なビジョンの実現に向けて、既に世界10ヵ国に進出し、前述のとおり、1,000台近い InStore Farm を稼働させている。

崇高な哲学、理念、ビジョン、そして、JR東日本、紀ノ国屋という素晴らしいパートナーのご支援を頂戴し、Infarm 日本法人の経営を仰せつかっていることは、物凄い責任とプレッシャーではあるが、これほどやり甲斐のある仕事はない。

Infarm 日本法人は、僕を含めて、まだたった3人(3人目は、この春、大学を卒業したばかりの Insane Carzy に優秀な女性)だが、地球規模のビジョンを実現するための「仲間」を絶賛募集中である。

ご関心を持っていただけた方は、是非、ご応募いただきたい。

心より、お待ちしています!!