人生はすべて必然。

大谷さんと「八戸」に行ってから、約1ヶ月が過ぎた。

通常であれば「熱は冷める」のだろうが、僕の中では、むしろ、少しずつ「温度」が上昇し続けている。静かに、でも、確実に。

それは何故か? 大谷さんの想いの強さを感じるからだ。

その大谷さんと一緒に、今度は「上海」に行こうと思っている。

数年前に「上海」訪問計画を立てていたのだが、サーズ問題で頓挫してしまい、いつか行きたいと思っていた。

メディアで見聞きするだけでなく、自分の目と心で、今の上海を確かめることが、これからの僕の人生に大きな影響をもたらすと思っている。

「人生はすべて必然」。

自分の意志で選択した行動が原因となり、自分に返ってくる。

仕事もお金も自由もね(笑)。

バカの壁。

人間は誰でも「こんなものは私の仕事ではない」と思っていることがたくさんあるそうです。特に、そのテーマに関する高いレベルの専門知識を有する人は尚更のようです。

「八戸」??? そんな僻地になんで行かなければいけないわけ?

僕だって、そう思っていましたよ。現に、大谷さんに口説かれるまで、一度も行ったことがありませんでしたしね(笑)。

でも、実際に行ってみると、とても素晴らしいところでした。

確かに、冬の寒さは、東北(福島県郡山市)出身の僕でも「寒い」と感じるレベルでしたが、僕がとにかく気に入ったのは、「種差海岸」とそのすぐ近くにある「天然の芝生」が生えているエリア(小高い丘になっている)です。

そこ(天然の芝生が生えているエリア)から見る海は「絶景」です。水平線が一望でき、尚かつ、水平線が「丸い」。270度、水平線が見えるということです。

因みに、種差海岸には、キムタクもお忍びでサーフィンに来るらしいです!!!

ネットエイジの小池さんも来る(行く)らしい(笑)。

「OS(基幹産業)」を設計する。

今月初旬に初めて「八戸」を訪問して感じたことは、北米と中国(大連)に定期航路があり、製造業の拠点としての可能性があるということだ。事実として、三菱製紙や川崎製鉄等の重厚長大産業の工場がある。

八戸市なのか青森県なのかは忘れたが、「クリスタルバレー」と呼ばれる「液晶」関連の企業を誘致しているエリアもあり、ハイテク産業の集積地になる可能性は充分あると思う。

大谷さんや僕が1990年代の後半から「棲息」してきたネットビジネスは「機���力とスピード」はあるが、地域全体の経済力を底上げするほどの「トルク(底力)」はない。周辺産業の厚みがないと言ってもよい。

Yahoo ! Japan の2006年3月期の売上は「単独:1,540億円/連結:1,740億円」、楽天の2005年12月期の売上は「単独:336億円/連結:1,300億円」だ。日本を代表するネット企業の2社を足しても「3,000億円」である。

自動車産業や家電産業になると単位が「兆」になる。その差は大きい。尚かつ、周辺産業の裾野が広い。

因みに、日本のGDPは「約520兆円」で、製造業の比率は「3割」に留まる。残る「7割」は「サービス業」である。しかし、3割の製造業の周辺には「組込ソフト」等の産業がある。ここを見逃してはいけない。

大谷さんのブログにもあったように、先週の金曜日(昨日)、インフォプラントにて、サンブリッジのアレン・マイナーさん、石橋さん、大谷さん、平石の4人で「八戸シリコンバレー」計画について議論した。

アレン・マイナーさんからシリコンバレーがいかにして出来上がってきたかの説明を受け、大谷さんも僕もとても勉強になった。

シリコンバレー成功の要因は、スタンフォード大学とヒューレット・パッカードにあると言える。

「八戸」を日本のシリコンバレーにするには、目玉となる「産業」なり「企業」が必要不可欠である。そして、優秀な「教授陣」を擁する大学と、そこに集まる優秀な「学生」が必要である。その2つの要素が揃わない限り、30年経っても「八戸」を日本のシリコンバレーにすることは出来ないだろうと、アレン・マイナーさんに指摘された。

但し、「雪が降らない(積もらない)」のは、非常に大きな「アドバンテージ」だとも言われた。そして、現地を視察に行くと言ってくれた。

中国の大連は、10年間で地域経済の規模が「10倍(150億円→1,500億円)」になったと聞く。

すべては「志と行動」。そして、3K(謙虚、感謝、「工夫」)である。

八戸を訪れて「失った」もの。

それは、東北地方出身であることのコンプレックス。僕にとっては、とても大きな意味を持つ。

八戸は、本当に素晴らしい。人間味のある人達ばかりだし、地域としての可能性を感じる。

確かに、東京と較べれば寒い。それは事実である。

僕の出身地の郡山と較べても、最低&最高気温がそれぞれ「5度前後」低い。東京のそれと比較すると「10度前後」低い。

しかし、雪はあまり降らない。空っ風が吹く。その点は、郡山と似ている。

僕は20代30代の頃、アメリカの各都市を旅行した。現地の友達や親族がいるので、特に、New York、San Francisco、Seattle、Los Angeles はよく行った。

気温でいうと、八戸よりもNew York の方が寒い。冬の平均気温は、0度からマイナス10度。夏はクソ熱い。平気で40度を超える。

気候で言えば、Seattle が近い。冬の朝は、寒い時でマイナス5~7度ぐらい。夏は、30度前後である。街のキレイさも似ている。

大谷さんの言うとおり、あとは「やるだけ」である。10年後を目指して、階段を「一段ずつ」ね。

ノースビレッジ。

昨日の朝09:55三沢発のJALに乗り、羽田まで帰ってきた。たった20時間の八戸滞在だったが、とても収穫の多い旅だった。

11:15に羽田空港に着陸し、11:39のモノレールに乗り込んだ。暫くして、ふっと目の前の景色を見ると、工場地帯の煙突から煙が出ているのが見えた。

最初の会社(1回目の起業)を経営している時、DTPの仕事をしていた時期があるが、ある時、納期の関係で、仕事を頼んでいた印刷会社の静岡にある工場まで色校正に行ったことがある。

その時初めて、印刷会社の工場というか印刷の工程を見学させてもらったが、僕にとっては「製造業」の現場を見る初めての経験だった。モノレールから見える「工場の煙突」を見て、そのことを思い出した。

最新式(当時)のマッキントッシュで仕事をし、手が汚れることもなく、涼しげに仕事をしていた僕にとっては、僕らが生きている社会(世界)が当たり前ではなく、工場で働いている人々のお陰で、自分たちの仕事や生活が成り立っているということを初めて実感した瞬間でもあった。

今回の八戸訪問は、その時のようなことを感じさせるものがあった。

ところで、八戸では、インフォプラントの八戸事業所(ノースビレッジという)が入っている「八戸インテリジェントプラザ」を訪問し、地元採用の社員の方々に挨拶をさせていただいた。

当日はノースビレッジの「開所式」で、なんと八戸市長がお祝いの挨拶に駆け付けており、地元のテレビ局や新聞社が取材に来ていた。因みに、市長自ら「八戸を日本のシリコンバレーにする!!!」プロジェクトに言及し、翌朝の新聞には、大谷さんの「構想」が本人のコメント入りで掲載されていた。市民の期待の大きさがわかる。

また、初日の夕方、八戸市の職員の方々に連れていって頂いた「種差海岸」では、とても風光明媚な自然の豊かさを実感し、昨日の朝06:45にホテルをチェックアウトし向かった港の市場では、中高年のおばさん達が身を粉にして働いていて、人間が生活するとはどういうことか?を考えさせられた。

そして、大谷さんの「八戸」に対する想い(郷土愛)を間近に見て、彼の「人間としての大きさや魅力」を改めて感じた20時間でもあった。

また、八戸市の職員の方々には、とても歓待して頂いた。最後になるが、この場を借りてお礼を申し上げたい。

追伸:自分を育んでくれた出身地(僕の場合は福島県郡山市)に、僕はいったい、どんな恩返しができるだろうか?

いつか来た道?

あれは、1998年の秋のことだった。

僕が初めて、岐阜県の春日井という駅に降り立った瞬間だった。

今では「ヒルズ族」のひとりとなったウェブクルー創業者の渡辺さんが、まだ、岐阜の春日井という片田舎で、妹さんとふたりで、独自開発の擬似キャッシュを用いてオンラインモールを運営するペガジャパンという会社を経営していた頃だ。

駅舎から駅前の広場に出ると、そこに白いウインドブレーカーを着た渡辺さんが立っていた。

そして、僕の姿を発見すると「ニコッ」と笑い、僕らは「目」で会話をした。

「よくここまで来てくれましたね(渡辺さん)」。「来ましたよ(平石)」。そんな感じだった。

あの瞬間が、僕のネットビジネスが始まった瞬間であり、敢えてカッコよく言えば、僕の起業家人生の始まりだったような気がする。

その時と同じ興奮を、八戸の駅に入る新幹線の中で覚えていた。

そのとおり、八戸の駅で大谷さんが待っていてくれた。

続きは、また。

3度目の起業と「初めての八戸」。

明日から「八戸」だ。僕にとっては初めての八戸訪問で、とてもワクワクしている。

旅行の前であってもガイドブックなどは殆ど読まない僕だが、今回は大谷さんにもらった八戸のガイドブックを読んで「予習」をした。

ところで、「義経北行伝説」を知っている人は、どれだけいるだろうか?

源義経は、歴史上では1189年に平泉にて最後を遂げたとされているが、実は、自害することなく密かに平泉を脱出。「けせん(陸前高田市)」の湊から船に乗り、三陸海岸を北上し、八戸で上陸。そこで「7年間」滞在した後、北海道に渡ったという。

僕も初めて知った。

ガイドブックをめくると、手つかずの自然が残っている「種差海岸」というところがあり、その場所を、宮沢賢治、司馬遼太郎、東山魁夷といった文豪や詩人、画家が思索に耽りながら散策したという。

そして、様々な「お祭り」があり、八戸の住む人々はもちろん、僕のような来訪者にも愛されているらしい。

僕が生まれ育った「福島県郡山市」は東京から約200キロの距離で、新幹線なら1時間30分、東北自動車道でも都内から3時間もあれば着く場所で日帰りも簡単であるが、「八戸」は東京から「約700キロ」もある。

また、東北の最果ての地の青森県に位置することもあり、えらい「僻地」であると思われているし、事実、そうである。

でも、大谷さんのブログにあるとおり、思ったよりも「雪」は降らず、ありがたいことに「梅雨が無い」。そして、年間日照時間は、東京よりも多い。

大谷さんと僕の間では既に、「10年後の八戸」は「日本のシリコンバレー化」しており、人口は「100万人」を超えているのは間違いないが、何しろ僕は、その「八戸」に初めて行くのである。我ながらなんとも「幸せな男」である。

東北人と言ってよいか、北国の人と言った方がよいか、微妙なところだが、彼らは基本的に「控え目」であり「シャイ」な人たちだ。

あの「大谷真樹」が生まれ育った「八戸」という街がどんなところなのか? とても楽しみである。