「次男の誕生」と「修士論文」。

2月5日。新しい家族が誕生した。元気な男の子が生まれた。

僕のブログを継続して読んで下さっている方の中には、妻が入院していたのをご存知の方もいらっしゃると思うが、実は、定期健診に行ったところ、子宮口がかなり開いており、経産婦の場合、すぐにでも生まれる可能性があるということで入院したのだが、年齢のせいもあってか、なかなか生まれず、最後は陣痛促進剤を点滴しての出産となった。

担当医の話では、子宮も筋肉なので、その筋肉が胎児を外に押し出そうとする力(収縮力)が必要で、僕の理解では、年齢と共に、子宮の筋力が衰えるのだと思う。

そういう意味でも、高齢出産にはリスクが伴うのだろう。

因みに、これこそ個人情報且つプライバシーの問題なので実名は伏せるが、何と同じ病院で、インタースコープを経営していた頃、親しくさせていただいていた公認会計士の方と、あるネットベンチャーの創業メンバーの方と遭遇した。

ふたりとも、奥さんの出産で、その病院に来ていたのだが、ふたりから、「平石さん」と声をかけられた時はビックリした。

さて、そんなことで我家は急に慌ただしくなり、家の中はとんでもない状態になっているのだが、実は、2/5の週は、僕が客員教授を仰せつかっている法政大学経営大学院(MBA)の「修士論文の提出締切」でもあり、担当させていただいている3人の学生の方々に、病院まで来てもらったり、近所のカフェまで来てもらいながら、最後の指導をさせていただいた。

サンブリッジのメンバーは元より、僕の個人的事情を理解していただき協力をしてくれた3人の学生の方にも、この場を借りて心からお礼を申し上げたい。

その修士論文だが、以前にも書いているとおり、僕がお世話になっている法政のMBAは、ビジネス領域(例:価格政策や流通構造)に関して研究し、それを論文にするのではなく、自分が「興したい事業」のビジネスプラン(モデル、戦略、財務的計画等)を作成し、それを論文に仕立てるという、非常にチャレンジングなカリキュラムとなっている。

その最終発表会が昨日から始まっており、僕の担当学生3人の発表は、今日の朝一番目からとなっている。

因みに、約50人の発表者の中から選ばれた10人には、法政大学ボアゾナードタワーと呼ばれる高層ビルの27F(だったと思う)で、外部審査員や聴衆で構成される約300人の前でプレゼンできる権利が与えられる。

尚且つ、そこで最優秀プロジェクト(ビジネスプランのこと)に選ばれれば、賞金50万円が贈呈される。

昨年は、僕にとっては初年度であり、また、初年度ということで僕は「副査」の立場だったが、今年は「主査(指導責任者)」として指導をしてきた3人の中から、ボアゾナードタワーへ行ける人間が出てくることを切に祈っている。

ところで、今年1月5日にスタートした「株式会社サンブリッジ グローバルベンチャーズ」も、徐々にその輪郭が出来てきた(ゴメンなさい!ウェブサイトは3月中にはオープンします!)。

マイクロソフトがグローバルに展開するクラウドサービス(Azure)のノミネーター(推薦人)として認定していただき、また、来週からはサイバーエージェント・ベンチャーズと一緒に運営する国内最大規模のインキュベーション施設がオープンする。

そして、3月には、サンブリッジ グローバルベンチャーズ 創業記念のレセプションを開催する。

「世界に挑戦する人」を創出し、広く社会に「勇気と自信」と「希望」をもたらす、グローバル イノベーションを創造する。

この企業理念を実現すべく、一歩ずつ、着実に頑張って行こうと思っている。

ところで、来月で僕は49歳になる。

40代ラストランを悔いのないように頑張りたい。

そのためにも、健康には充分に留意しないとね!

代表者からの挨拶 ~ jannovation spring に懸ける想い ~。

2011年8月。私はシリコンバレーにあるPlug and Play Tech Center 大ホールの片隅で、350人の聴衆を前に、慣れない英語で懸命にプレゼンをする20名を超える日本人の若い起業家の姿を見ながら、昭和の高度経済成長を実現した先輩方の苦労に思いを馳せていました。

私の両親はふたりとも昭和一桁生まれで、貧しい日本に育ち、戦争を経験し、そして、戦後の高度経済成長を担ってきました。父は幼少の頃、自宅で飼っていたヤギの乳を絞り、動物性タンパク質を摂っていたそうです。その後、昭和の高度経済成長の恩恵を存分に享受した私達の世代は、何不自由ない生活を送ることができるようになりました。

しかし、1991年の金融・不動産バブルの崩壊以降、日本経済は「失われた20年」とまで言われるようになり、それに追い打ちをかけるように「3.11」が起こり、日本は一瞬にして、「激動の時代」に突入しました。

10年ほど前に、作家の村上龍氏は、「希望の国のエクソダス」という本の中で、こんなことを書いています。

「この国にはなんでもある。本当にいろいろなものがあります。だが、『希望』だけがない」。

少子高齢化とGDPの2倍以上の政府債務に苦しんでいながら、その一方で、各種規制や既得権益に群がる人達は改革を阻み、その結果、若者の雇用が犠牲にされ、これからの日本を担うはずの世代が、将来に対する「希望」を持てなくなっています。

それでも、今年の「新成人」を対象とした調査結果1 では、「自分たちの世代が『日本を変えていきたい』」とする声が「約8割」と、戦後最大の国難と言われる現状をきちんと直視ししています。失われた20年といわれる時代に育った、失うもののない「若い世代」こそ、この国の「当事者」としての意識が高いこともまた事実です。

社会を「変革」し、人々に「勇気と自信」と「感動」をもたらし、将来に対する「希望」を持てるような試みができるのは、政府ではなく、我々一人一人の国民です。そして、このような時代にこそ求められるのが、変化を「当然」且つ「健全」なこととして受け入れ、そこに「イノベーションの機会」を見出し、リスクをとって果敢に挑戦する「起業家」です。

起業家の聖地であり、グローバルイノベーションを次々と輩出するシリコンバレーの空気に触れ、様々な人達と出会い、議論をすること、それも学生時代にそのような「機会」を得ることは、自分自身がそうであったように、その後の人生にとって大きな影響をもたらすと確信しています。

一人でも多くの学生の方がこのプログラムに参加し、刺激を受け、ご自身の将来を切り拓いていくきっかけとなることを心より願っています。

2012年2月1日

株式会社サンブリッジ グローバルベンチャーズ
代表取締役社長 平石郁生

(※1:全国の新成人男女500名を対象に『2012年新成人に関する調査』を実施。2011年12月6日~8日、マクロミル社による)

結局は、Stay Yourself!

法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科での長かった?「初めての夏期集中講義」も昨日で無事終了!

ティーンエイジャーの頃はバンドを組んでライブもやっていたことのある元似非ミュージシャンとしては、ちょっとしたツアーを終えたような感じがしたw(まだ、レポートの採点という仕事が残っているが・・・)。

色々とサポートをしていただいた事務室の方々、ゲスト講師としてご登壇いただいた方々、そして、何よりも真摯な態度で僕の講義を受講してくれた学生の皆さんに、心から感謝の意を表したい。

ところで、ここ最近、自分の中で「吹っ切れた」感がある。

「自分の能力なんて高が知れている」ということを、否が応でも認めざるを得ないことが多々あったからだ。

順不同で書くと、昨日の夏期集中講義にゲスト講師として来てくれた、元パチプロで現在は創業以来7期連続で黒字を出し続けているベーシック創業社長の秋山さんと、ビズシークを楽天に売却し、その後、楽天球団の設立を手がけた(事実上の創設者)通称「おざーん」こと「小澤隆生」氏の講義を聴いていて、彼らの「目的意識」そこから来る「現実に対する疑問」と「問題意識」、そして「戦略思考」には、僕は到底及ばない、彼らの足元にも及ばないということがよく分かったこと。

8月第一週にシリコンバレーで3年ぶりに再会した20年来の友人である吉川さん(シリコンバレー在住で、今朝の日経12面に載っていた)は、1999年にシリコンバレーに渡り、ip infusion というシスコに対抗するシェアウエアのルーター開発会社を創業し、その数年後、数十億円で売却したと思ったら、今度はAndoroidベースの「電子楽器」を開発中。そのタフな精神力には、脱帽としか言いようがない。

9/30(金)に開催する「Innovation Weekend 4th」の事前MTGで何年かぶりでお会いしたサイバード創業社長の堀さんは相変わらずパワフル(独特のオーラを感じた)で、考えていることのスケール感に感服。

その堀さんと一緒にサイバードを創業し、モバイルコンテンツプレイヤーとして世界初の上場を成し遂げた「真田さん」は、サイバードの開発会社として設立した Klab株式会社を9月17日に上場させるという。

一度、ゴルフをご一緒させていただいたことがあるが、その「胆力」は形容詞が見当たらない。

そんな強者たちを見ていると、素直に自分の実力の無さを認めざるを得ない。

そう、スッキリしたのである(笑)。

でも、その一方、そんな彼らにはできない、僕にしかできないこと、僕にしか進めない道があることも再認識できた。

そりゃ、ビッグビジネスにはならないかもしれないけど、「自分らしい生き方」を貫かないとね。

結局は、Stay Yourself!

イイコト、言うでしょ!?(爆笑)

追伸:諸事情により停滞気味だったブログの更新も、また、頑張ろうかな!?

Stay Focused, Stay Yourself !

8/23(火)から始まった法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科の夏期集中講義は、明日が最終日。

仕事上の講演やゲスト講師は何度も経験してきているが、単位の対象となる「正規の授業」は、僕にとって初めての経験であり、チャレンジだったが、真摯な態度の受講生の面々のお陰で無事に終了できそうである。

因みに、明日の授業は、ビズシークという会社を楽天に売却し、その後、楽天球団の設立に参加したり、様々なネットビジネスの「パトロン(エンジェル投資家)」として有名な「おざーん(小澤隆生氏)」と、元パチプロで現在はベーシックというネットベンチャーの経営者の「秋山 勝」氏にゲスト講師として登壇していただくことになっている。

つまり、前回の授業で僕の講義は終了。明日は、僕も受講生のひとりとして、彼らの話から学びたいと思う。

ところで、前回の授業の最後に、僕は受講生の面々に、ある「言葉」を贈った。

「贈る言葉」という意味では、アップルCEOを辞任した Steve Jobs がスタンフォード大学の卒業式で言った「Stay hungry, Stay foolish」が有名だが、最初に買ったパソコンがMacintosh だった僕は、彼の言葉に因んで、次の言葉を贈った。

Stay Focused, Stay Yourself !

ドラッカーが言うとおり、イノベーションは「強み」に立脚しなければ成し得ない。

そして、強みを発揮できる分野に「集中」することが必要である。

つまりは、自分が得意な分野、自分が自分でいられるフィールドで戦うということである。

青く見える「隣の芝生」を求めるのではなく、自分の芝生に栄養をやり、手間暇をかけて育てていくこと、「自分自身でいる勇気」が必要だ。

まずは、そういう自分自身が実践しないとね!!

「投資先の経営者」の「結婚披露宴」で想ったこと。

昨日は、イミオドリームビジョンの投資先)の倉林さんの結婚披露宴があった。

10年前には、投資先の経営者の結婚披露宴に出席させてもらう日が来るなど、想像すらしたことがなかった。

彼は筑波大付属駒場高校からストレートで東京大学に合格した、いわゆるエリートだが、披露宴で紹介された少年時代の映像は、暴走族そのものというか、金髪にヒゲを生やし、いったいコイツ、何者なんだ?という感じだった。

その頃の彼に会ってみたかった。

新婦は、滝川クリステル似の知的で芯の強そうな女性で、彼女なら、彼の類い稀な才能を引き出してくれるだろう。

ところで、倉林さんと出会ったのは2005年。ETICが運営するNEC起業塾という、社会起業家を育成するプログラムの最終選考会だった。

当時の彼は、パキスタンで「フェアトレード」で製造したサッカーボールを販売するグローバルトレーディングという会社を経営していた。

第一印象は「才能はあるけど、イマイチ、本気じゃないな・・・」という感じで、僕はそれほど積極的に関わろうとはしなかったが、その1年半後の2006年の秋、「株式公開を目指して頑張るので相談にのって欲しい」というメールが送られてきた。

その時の彼は、決意表明の代わりに頭を丸坊主にし、黒のスーツを着て、神妙な顔つきで僕のオフィスにやってきた。

要するに、勝負をかけるための軍資金が必要で、投資家を紹介して欲しい、ということだった。

一通り、彼の話を聞いた後、「紹介できるところはたくさんあるけど、迷惑でなければ、僕にも出資させて欲しい」と言ったことが、倉林さんとの付き合いの始まりだった。

500万円や1,000万円のお金を出せる人や会社は掃いて捨てるほどあるわけで、その中で、僕を選んでくれたことに、とても感謝をしている。

ところで、イミオとして、まだリリースは出していない(自社のウェブサイトに記載はするとしても、特に、リリースを出す必要性はないだろう)が、未公開のベンチャー企業だし、問題ないだろうということで、このエントリーで書いてしまうが、つい先日、増資を行った。

それを引き受けてくれたのは、僕の知り合いのベンチャー企業とその経営者だが、彼が、さすがだな・・・ということを言っていた。

「みんなは、どうして、倉林さんと一緒にやっているわけ?イミオの求心力は何なの?」

また、僕が彼に増資を引き受けてもらえるかどうかの感触を確認するメールを送ったところ、「筑波大付属駒場高校からストレートで東大に合格し、イミオも1年前ぐらいまでは順調に来たわけですけど、ここ最近の苦労で、無謀とも思えるような突破力というか、勢いに任せて突き進むという、彼の良さが失われないといいんですけど・・・。それが懸念材料です」という返事が返ってきた。

僕のブログを丁寧に読んで下さっている方はご記憶にあるかもしれないが、その主は「元パチプロ」の方である。

たった1~2度の面談で、その人物の本質を見抜く能力を持っている人だ。

それに対して僕は「新しくイミオのメンバーに加わった上田さんは、とても緻密且つストラテジックな思考の持ち主なので、倉林さんが苦手なところは、彼に任せて、二人三脚でやっていって欲しいと思っています」と答えた。

ところで、東京大学を卒業した彼は、外資系のコンサルティング会社を蹴って、まだ、上場前のDeNAに就職をした。

その時の上司が、南場さんの後を継いで社長に就任された「守安さん」だった。

そして、せっかく入社したDeNAを、彼はものの数ヶ月で退職してしまう。

そんな元部下にも関わらず、守安さんは多忙なスケジュールの合間を縫って、彼の披露宴に出席されていた。

倉林さんの最大の才能は、色々な人を惹き付ける、その人間的魅力である。

そして、僕も彼の魅力に惹き付けられたひとりである。

話は変わるが、最近、僕の周りには、優秀な若い人が多い。これは、とても幸せなことだ。

インタースコープを経営していた頃、僕たちはETICを通じて、計50人ぐらいのインターンを採用したが、みんな、滅茶苦茶、優秀だった!

ある時、共同創業者の山川さんが「最近の学生はみんな優秀なんだと思っていたけど、そうじゃなかったんだ・・・」と言って、ETICから紹介される学生の人達は、並外れて優秀な人達だということに気づいたことがあったが、今年になってから、あの頃のことを思い出すような出会いが多くなった。

本当は実名を出したいところが、敢えて匿名で紹介させていただくが、サンブリッジで机を並べて一緒に仕事をしている慶応大学SFCのある学生は、極めて優秀で、尚かつ、精神的に大人である。

その彼が、とあることで社内に回したメールに、こんなことが書いてあった。

「私事ですが、この土日に実家に帰ったため、父親母親の前で大学院の塾や入試代などの話をしましたが、両親の顔を見ていると、何事も『僕のためを思って』やってくれているのだとつくづく感じました。

しかし、中学高校時代は、(この大人しそうな僕でさえw)反抗期はありましたし、その時期には親の言う事なんて全く聞きたくないと思って、自分の好きなことをやっていたように思います。

僕がロールモデルになれるかはわかりませんが、少なくともT先生やサンブリッジの方々のように面白い方々とお会いできているのは、そのときに『自分の好きなこと』をやらせてもらって、自分の中で『試行錯誤』できたからだと思っています」。

僕は、彼のメールを読んで、目頭が熱くなった。

あの歳にして、親に対する「感謝」の心を持っており、身勝手だった自分と、その自分を信じて、試行錯誤する姿を見守ってくれていた(いる)両親の心情を理解しているのである。

出来ることなら、学生だった頃の自分に会わせてやりたいぐらいだ。

第一次反抗期になった自分たちの子供を見ていると、こいつの将来は大丈夫だろうか?と心配にもなるが、我が子が高校生や大学生になり、訳の分からないことを言い出した時は、彼に説教をしてもらおうと思う。

倉林さんやインターンの彼を含めて、そういう前途有望な若者達の将来に「ツケ」を回してはいけない。

GDPの2倍にも膨れ上がった公的債務は必ず、将来の日本を苦しめる。

食事をするのは我々で、その支払いは「子供たちとその孫たち」ということは、絶対にあってはならない。

放漫経営を続けてきた(従業員は、その恩恵に与ってきた)挙げ句の果ての倒産にも関わらず、年金の支給額引き下げを渋ったり、整理解雇に反対した人達が僕には理解できないが、どこかのエアラインに限らず、今までの日本は、そういう体質(他人や組織への依存体質)だったということだ。

法政大学経営大学院でお世話になっている小川教授に頂戴した「柳井 正の希望を持とう」にも書いてあるとおり、人は「希望」が無ければ生きていけないし、希望を持つには、人生は「自分が主人公」だと信念を持ち、「自分に期待する」ことが何よりも大切である。

優秀な若人達が思いっきり才能を発揮し、グローバルに活躍し、僕たちの子供達の世代に「輝いている日本」を継承するためにも、僕たち世代がまだまだ頑張らないと!!

「捨て石」になる覚悟で・・・。

新年度を迎えた「激動の日本社会」。

いつもなら今頃は桜が満開か、年によっては散り始めているのが、今年に限って東京でもソメイヨシノはまだまだ3部咲き。

それでも、必ず春はやってくる。恵比寿駅前のロータリーにある大きな欅は、新緑が芽吹いていた。

ところで、私事で恐縮だが、4月4日は、僕たちの父親の命日だ。

父が亡くなってから今日で24年。僕が24歳の時だった。

父は地元の総合病院に務めており、自分の病状を悟っていたようで、ある日、僕たち3兄弟を足元に立たせて、ひとりずつ「最後の説教」をしてくれた。

父が僕に残してくれた言葉。

「俺が生きていたら、お前が結婚する時には新居のマンションの頭金ぐらいは出してやれるし、事業をする時は資本金ぐらいは出してやれる。でも、これからは一切、そういった援助はないと思って生きて行け。それがどういう意味か分かるか?お前の友達が一万円使う時、お前は五千円しか使えないぞ。もし、友達と同じように一万円使いたいのなら、友達の『倍』稼がないと使えないぞ。よく覚えておけ」。

20代後半になると、友人達が結婚するようになった。

親父の言うとおり、多くの友人が、新居は「新築のマンション」だった。

僕は31歳の時に結婚したが、40歳を過ぎるまで、僕達夫婦は安普請の賃貸暮らしだった。

ところで、昨年からお世話になっている法政大学専門職大学院イノベーション・マネジメント研究科をこの3月に修了された金子さん(なんと60代半ばの方だ!)という方のメルマガに、とても考えさせられるエピソードが紹介されていた。

転載は自由ということなので、以下に全文を記載させていただくことにする。

 ★│母│の│愛│は│ご│と|く|に|
 ─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘

母の愛は「あふれる愛」
【父の戦】
昭和18年4月に父は生まれたばかりの僕と4人の姉、
そして妻を残して出征した。

父が戦死して、
母は5人の子供と共に実家のある石川県小松市に引き上げた。
昭和24年の春だった。

近くに住むWさん夫妻がとても親切にしてくれた。
息子さんが金沢市で内科医をしているという。
そのWさん夫妻が母を朝起き会に誘ってくれた。

朝起き会は、夏季は4時、冬季は5時から始まると言う。
朝起き会の会場までは、歩いて1時間くらいかかる。

母は小学5年生を頭に5人の子供を食べさせるために、
朝早くから夜遅くまで働いて、疲れ果てて
そんなに毎朝は早くには起きられない。

でもWさんには折角のお誘いなので、申し訳なくて断れない。
しかも毎朝Wさん夫妻は
「金子さん・金子さん」と戸を叩いて起こしてくれた。

母は朝起き会に行けないときは、
前夜に玄関に赤い布を付けた棹を立てておく事にした。

でもそうしたら、赤い布を付けた棹を立てて朝起き会を休む事が
段々増えていった。

そんなときに母は、子供達を朝起き会に連れて行くようになった。
朝起き会に行くと大人たちが先生に、
人生や病気や、経済の事を相談しては、いつも怒られていた。
僕が6~7歳くらいの時だった。

こちらは他の子供たちと遊びながら大人たちの話を聞いていた。
「そんなことも分からないのか?」「あの人は馬鹿だなー」と思いつつ。

あとで聞いたら病弱なその人は、高校の先生でした。
余談だが、
長じて僕が高校生になった時にこの先生に教わった事がある。

       ・-*-*-*-*-*-・

【母の口癖】
毎朝毎朝、子供達は強制的に起こされた。
母のスパルタ教育の始まりです。

起こされても起きないときには、
竹の物差しで肩や背中を起きるまでたたかれ、殴られた。

『お母さん!!なんで僕だけこんなに辛い思いをして
早起きしなくてはいけないの?僕の友達は未だ寝ているよ』
『なぜ僕だけ吹雪の中を朝起き会に行かなくてはならないの?』

僕は子供心に不満一杯で母に抗議をした。

母は口癖のように僕や姉たちに言いました。
《お前たちは父親がいないのだから、
人の二倍の努力をしなさい、2倍だよ2倍!》

今も忘れない《人より2倍の努力をしなさい》
母の愛がこぼれるような言葉。そして叱咤。

お陰で今も「朝・4時開店のコンサルタント」です。

<ここまで>

そう、人の「2倍」稼がないと、いけないのである。
この記事も是非、読んでみて欲しい。

「激動の日本」となった今、父の教えをもう一度、頭と心に言い聞かせ、頑張ってやっていこう。

激震から一夜明けて。

弟が出張先の京都から郡山(福島県)に戻れず、先程、東京駅で拾う。

帰りにコンビニに寄ったら食料は補充されておらず、空っぽ。
お釣りが不足しているとのことで、クレジットカードで買い物。

取り敢えず、ちくわやかまぼこ、パウチされたマリネ等を買い込んで帰宅した。

原発のある浜通り(いわき)には親戚が住んでおり、心配である。

仙台、南相馬、釜石等の被災の激しさには言葉が無い。一日も早い復旧を祈りたい。

尚、東京電力の発表によると、東京は今夜18時~19時にかけて停電が懸念されるという。

節電に心がけよう。