自分の「心」を見つめる。

はやいもので7月も今日で終わり。明日からは8月だ。月並みな言葉だが、時の経つのははやい。

今日の夕方、ネットエイジの東証マザーズへの上場が承認されたというニュースを聞いた。今までネットベンチャーシーンを牽引してきた大御所の上場である。西川さん、小池さん おめでとうございます!!!

また、先程、NIKKEI NET を見たら、GREEがKDDI に第三者割当増資をしたと載っていた。3億6,400万円で数%(他のニュースを見たら、20%以下と書いてあった。どちらの情報が正しいのか?信憑性が問われることだ)。凄いことだ。まさしく、WEB2.0時代が到来していることを感じる。

ところで、そのNIKKEI NET のページに、元阪神タイガーズの掛布氏の顔写真入りのバナー広告があった。クリックすると、その先は「勝利への執念」という特集ページだった(スポンサーの営業魂胆が見え見えなのが頂けないが・・・)。
http://www.nikkei.co.jp/ps/sports/

掛布以外にも、プロゴルファーの中嶋常幸、元力士の舞の海などの「ある高みを極めたスポーツ選手」のインタビュー記事が載っていた。

先週末から色々と考えるところがあり、精神面が弱い僕は「心の安定」を取り戻そうと思い、何らかのヒントを得るべく、彼らのインタビュー記事を読んだ。

そこで、僕の心に飛び来んできたのは、掛布の「そもそも、僕がプロ野球の世界に飛び込んだのは、自分の大好きな野球をやるためでなく、“辞める”ためでした」というひと言だった。

「もちろん、野球が大好きだったから、その最高峰であるプロ野球でプレーしたいと思っていたが、自分には到底そんな実力はないと思っていから、その思いに区切りをつけるため、プロとして野球を極めることに諦めをつけるためにプロテストを受けた」という。

あの掛布がである。

中嶋常幸のインタビュー記事は、プレジデントというビジネス誌で、2002年の秋にも読んだことがある。彼が7年間のスランプの後、復活優勝を遂げ、「2勝」したシーズンだった。

インタビューの中で彼は、スランプに陥る前は、日本オープンで何勝したとか通算何勝だとかの輝かしい戦績が自分の「誇り」だったが、7年間という、とてつもなく長いスランプから這い上がってきた今は、そのスランプから立ち直れたことが「誇り」であると語っていた。

偉大な中嶋常幸と比較しては甚だ失礼な話しだが、その頃の僕は、中嶋が復活優勝した年の前年、精神的に物凄い辛い時期を経験したり、会社での人間関係に心を痛めていたりしたこともあり、彼の気持ちが分かるような気がした。そして、中嶋から「勇気と自信」をもらったことは今でも鮮明に覚えている。

その中嶋が今回のインタビューで話していたことで僕の心に響いたのは、「もし、穴に落ちてしまったら、自分が落ちてきた穴ばかりを見上げていないで、今、自分がいるその場所をよく探索してみるといいようです。そこで見つけたものは、きっと自分を裏切らない。つらい時期に出会い、助けてくれた人というのも、一生ものの財産になります。(中略)打開策、出口は必ずあります。やはり、人間、大事なのはあきらめないことじゃないでしょうか」ということ。

「過去の成功体験にすがりたがるのは人情だと思いますが、その時々に得たつもりの『真髄』や『方程式』というのは、あとになったら通用しないことが多いんですよ。時は移り変わりますし、周囲も環境も自分自身も、決して同じところに留まっていてはくれませんから。ですから『そんなものはない』と知ることのほうが、もっと大事なような気がします」。

「今のボクが、若いときと同じように、年間44試合とか、一日2000発も球を打っていたら、入院してもう出てこられないでしょう(笑)。ですから、その頃の全力投球とはまた違う、ゴルフへのモチベーションの保ち方があるわけです。英気を養い、心身をリフレッシュする必要もありますね」。

「40代前半から半ばにかけてというのは、身内や親しい友人を亡くしたり、体力や気力が右肩下がりで衰え出したり、誰にとっても人生の関所みたいな時期ですよね。ここをどう乗り切るかで、その後の人生が全く一変してしまう」。

「同じゴルフをやるにしても、パーマーや尾崎さんとは違う『中嶋のゴルフ』を追求していこうと考えるようになったのです。40代の関所を越えて、勝つことだけに夢中だった若いときとは、ゴルフというものに対するスタンスがずいぶん変わったように思います」。

今の僕は、まだまだ、そんな「域」には達していないけれど、掛布や中嶋の言うことは分かるような気がする。

元F1レーサーの中嶋悟氏が、現役を引退して暫くした時のインタビューで、「僕はとにかくダサかった。かっこ悪かった。だから、今、こうして再度、(F1の監督という立場で)チャレンジできているのだと思う」というようなことを言っていた。

ネットバブル最中の2000年3月にインタースコープを創業して、上場も出来ずに2006年3月に途中下車(退任)。同じ年に創業したマクロミルは今や東証一部。そして、時代は「WEB2.0」。それを象徴するかのように、GREEはKDDIから「3億6,400万円」を調達。

掛布ではないが、自分にどこまでの才能があるのか? 孤独やジレンマや自分に対する情けなさと戦いながら、自分に納得がいくまで頑張るしかない。

このブログを通じて、人々に「勇気と自信」を持つ「きっかけ」を提供したいといいながら、自分自身がその「きっかけ」を求めて、掛布や中嶋のインタビュー記事を読んでいる。

でも、そういう僕と一緒に仕事をしてくれている仲間や、これから一緒に仕事をしようとしてくれる人がいることは、とても幸せなことだ。

そのことに感謝をしながら、明日(8/1)からも頑張って行こうと思う。穴に落ちても、上を見上げることばかりをせずに、自分の足元を見つめながら。

今日は、久しぶりにスティーブン・ジョブスのスタンフォードでのスピーチを読んでから寝ようと思う。「勇気と自信」をもらうために。
http://blog.livedoor.jp/tomsatotechnology/archives/50067272.html

追伸:久しぶりに今日は長くなってしまった。ご了承頂きたい。

自分を信じる。

昨夜は、つい先日アップルを退任したばかりの前刀さんをゲストにお迎えし、法政大学ビジネススクール「イノベーション・マネジメント研究科」との提携による、「Turning Point~『起業』というイノベーション」と題するオープン講座の記念すべき第一弾を開催した。

タイミングがタイミングだけに、とてもたくさんの方が受講され、補助椅子を出すほど盛況だった。改めて、前刀さんの社会的影響力を感じた。

講座の内容は、最初に前刀さんから30分ほど、自分自身のことやアップルでの経験を話して頂いた後、前刀さんと僕とのQ&Aセッションを行い、続いて、事前に受講者から頂いていた質問および会場からの質問に対し、前刀さんに答えて頂くQ&Aセッションを行った。

僕は、1993年から前刀さんを知っているが、このようなオフィシャルな形で話をするのは初めてのことであり、スタートしてしばらくは、とても緊張していた。

その前刀さんの発言から学んだことは、「成功する人は、必ず成功すると信じている人」であり、「自分を信じることができる人」ということだ。

僕の自作の三大座右の銘のひとつである「人生には勇気と自信が必要だ」ということを、再確認することができた。

そして、前刀さんらしさを雄弁に物語っていたのは、「他人(前任者)から仕事を引き継いだことがない(すべてが新規事業)」ということと、「創業者が好き」ということだ。

本田宗一郎氏のことが大好きで、日経新聞の「私の履歴書」に連載された本田宗一郎氏の記事は、スクラップして取ってあるそうだ(宝物だと言っていた)。

記念すべき第1回目に相応しい内容だった。

前刀さん ありがとうございました!!!

追伸:昨夜の模様は、グロービスの小林さんのブログにも紹介されていますので、ご覧になってください。

僕がブログを書く理由。

ODS時代に一緒だった方で、現在はデザインクエストという会社を経営している山内さんという方から、こんなメールを頂いた。

「それにしても平石さんのブログには感心させられます。内容そのものもさる事ながら、殆ど毎日書き続けるその力(何力と言えばいいのか分りませんが)に驚いています。このような精神的な持続力はどこからくるものなのか、ほぼ毎日書き続けるのは何故なのか?話が楽しみです」。

実は、日頃から大変お世話になっているお礼を兼ねて食事をご一緒することになっており、そのメールのやり取りで、こんなことが書いてあった。

その答えは、それが「僕の仕事」だと思っているからだ。

このブログで書いたことがあるかどうかは覚えていないが、僕は「かなり運が強い」と思っている。

今までに幾度となく「もうダメか?」と思ったことがあるが、その度に、小指の先か爪先かは別として、辛うじて踏み留まってきた。

2003年11月、ある出来事がきっかけとなり、何故、自分は「運が強いのか?」を考えたことがあった。

僕が辿り着いた答えは、もし、この世の中に「神様」と呼べる存在がいるとしたら、「神様」が僕に「運」を授けてくれるのは、僕が頑張ることによって、僕を知っている僕よりも若い人達が「自分も頑張ろう!!」と思い、実際に頑張るからではないか?ということだ。

三木谷さんや藤田さんレベルになると「あの人達は自分とは違う」と思われてしまうかもしれないが、僕にできることであれば、自分も頑張ればできる筈だ!!と思う人達はたくさんいるように思う。

そして、困難にめげずに頑張っていくことが、自分の「使命(ミッション)」だと思うようになった。

以前の僕は色々なことで悩むタイプだったが、それ以来、あまり悩まなくなった。悩んでも、3日で吹っ切れるようになった。

それは、その困難に「意味を見出そう」とするようになったからである。神様は何故、僕にこの試練を与えたのか?ここから何を学べと言っているのか?と考えるようになった。

昨日のエントリーにも書いたように、僕自身が辛かった時、セナやカズや伊達公子が頑張る姿をみて挫けずにやってこれたように、僕という人間の生き方をギリギリのところで書くことにより、ひとりでも多くの人に「勇気と自信」を持つ「きっかけ」を提供できたら幸せだと思っている。

「夢は実現する」と言っている以上、その僕が自分の夢を実現させなければ、「ほら、やっぱり『夢』なんて実現しないでしょ!?」となってしまい、僕自身とその言葉の説得力がなくなるだけでなく、「夢を実現しよう」と一生懸命に頑張っている人達までが、その存在意義を疑われてしまう。

僕は、そういう責任を負っていると思っている。

捨てる勇気

以前にも書いたが、僕は「中学浪人」をしたことがある。

地元(福島県)の進学校を受けて不合格となった僕は、二次募集で他の高校に入学したが、どうしてもモチベーションが続かず、3ヶ月で退学した。

その後、予備校に通ったわけだが、途中から成績が悪くなり、僕が「リベンジ」をしたい「安積高校」ではなく、その次のランクの高校を受けた方がよいのではないか?という話しが出た時があった。

その時の僕は、まだ、生きていた母親との会話において、「前に進む勇気は簡単だけど、僕には一歩退く勇気はない」と言ったことを覚えている。

結果的には、安積高校に合格したが、その時に「退く」勇気を持っていたら、僕の人生は大きく変わっていたかもしれない。

ある人と話しをしていて、そのことを思い出した。

それが上記でいう「退く」こととは違うと思うが、僕は丸6年かけて創ったインタースコープという基盤を自分から放棄した。ある意味で過去のことは「捨てた」ということだ。

でも、今の僕には、まだまだ「捨てるべきこと」があるような気がする。

それが何なのか?自分で分かっていることもあるし、気がついていないこともあると思う。

「内なる自分の声に素直に耳を傾ける」努力が、まだまだ足りないのかもしれない。

社会的な価値基準に引きずられていたり、変な見栄やプライドが邪魔をしているところが多々あるんだろう。悟りの境地になれるほど、人生の経験を積んでいないが、まだまだ「捨てる」べきものがあるように思う。

平石郁生という人間の本質を考えて、「優先順位」をもう一度、考えてみようと思う。

心が疲れるとき。

今週末は、実家から「母親」と弟が上京してきていた。

また、それに合わせて東京に住んでいる末弟夫妻と彼らの子供が遊びにきていて、賑やかな週末だった。

その合間を縫って「原稿」も書き終えて、何よりだった。

ときどき、心が疲れる時がある。

言いようもない不安やプレッシャーに潰されそうになる時がある。

そういう時、今の母親の姿は、僕の心を「やわらかく」してくれる。

実は、今の母親は正確には「養母」である。

ある時、父がまだ生きている時、僕が履歴書だったか何かの家族欄に「母」と書いたら、「『養母』と書くのが正しい」と言ったことがある。

今の母は、産みの母が亡くなった2年後に、父と再婚をして、僕らの「養母」になった人である。

僕が、17才の時だったと思う。

3人兄弟の一番下の弟は、まだ10才だったこともあり、最初は父の再婚に反対をしていた。

しかし、当時の担任の先生や周囲の大人達に相談をし、何故、父が再婚をするのか?その理由を説明されたらしく、すぐに「賛成(了承)」をした。実弟ながら涙ぐましく思った。

その末弟であるが、今となっては、産みの母親の記憶は曖昧になり、今の母親が「実の母親」になっている。今の母親と「共有してきた時間」が、そうさせたのだろう。

実は、今の母親も「養母」に育てられた人だ。そして、最初に結婚した夫も、その人との間に生まれた子供も、不幸にして亡くしてしまっている。尚かつ、2番目の夫(僕らの父)も亡くしてしまった。

そんな苦労をしてきている人なので、僕らの気持ちがわかるのだろう。

僕も次男も、彼女に対しては、言葉にできないものを感じている。

ある時、そんな話しを僕の女友達にしたことがある。すると彼女は、「それは平石さんのお父様が素晴らしい人だったからでしょう」と言っていた。たしかに、そのとおりだと思う。

その「母親」が、いつだったか、僕にこう言ったことがある。

「どんなに辛いことがあっても、自然に咲く花を美しいと思える心があれば、人間は生きていける」。

とても深く、きれいな言葉だと思った。

その「母」は、僕たち3人兄弟の子供達(孫達)を、心から可愛がってくれる。

そんな母親に、僕らは「勇気と自信」をもらってきた。

心が疲れた時、彼女のことを思い出すのは、きっと「必然」なのだろう。

月曜日から湿った話しで恐縮だが、何かの参考になれば幸せである。