19歳の頃。僕は下北沢に住んでいた。

19歳の頃。僕は下北沢に住んでいた。

※注釈:カバー写真は、Jonny, Louis & Char のアルバム「OiRA」。

下北沢駅前の金子葬儀店には、ジョニー吉長金子マリ夫妻、そして彼らの長男が住んでいた。

中学時代にチャーの存在を知り、その圧倒的なギターテクニックと日本人離れした感性に魅了された僕は、街のレコード屋に、彼のデビューアルバムを買いに行った。あの頃は、歌謡曲全盛期で、周囲はキャンディーズの解散コンサートに行くだの行かないのだのと騒いでおり、ロックの話題に付き合ってくれる友人は少なかった。

大学進学と同時に上京した僕は、Jonny, Louis & Char、その後、ピンククラウドとバンド名を変えた後も、日比谷の野音やインクスティック芝浦等に足繁く通っては、チャーのギターサウンドに酔い痴れていた。

ジョニーもマリさんも、とても気さくで、下北沢の街で会う度に、気軽に会話に応じてくれた。チャーにも偶然、遭遇したことがある。フレンドリーにサインをしてくれて、そこには「またね!」と書いてあった。そのサインはもちろん今でも大切に取ってある。

シーナ&ロケッツ夫妻とお子さんたち(2人とも女の子)も下北沢に住んでいた。鮎川さんはハーフで背が高く目立ったが、シーナは、それ以上に圧倒的な存在感があり、赤いワンピースがとても似合っていた。讃岐うどんの店でしばしば一緒になり、鮎川さんは博多弁で、僕との会話に付き合ってくれた。

YouTube のお陰で、何十年ぶりかで、Jonny Louis & Char やピンククラウド時代の楽曲を聴く機会があった。OiRAやKUTCLOUDなど、明らかにデビュー当時の音楽性とは異なり、チャーがジョニーやマーちゃんの影響を受けていたことが分かる。当時は、そんなことには気づかなかった…。

あの頃の曲を聴いて、下北沢で過ごした学生時代を思い出した。もう40年近くも時間が過ぎてしまったかと思うと何とも哀しくなるが、今でも、あの頃の自分の姿や下北沢の街並みが頭の中に残っている。時間というのは不思議だ…。今どこで何をしているかすら分からなくなってしまったが、大学生の頃、付き合っていた、聡明で芯が強く、とてもキレイだった彼女に、もう一度、会ってみたい。

大前研一氏は、人生を変えるには、方法は3つしかないと言っている。

ひとつは、住む場所を変える。2つ目は時間の使い方を変える。3つ目は、付き合う人を変える。

音楽であれば、誰とバンドを組むか?誰とセッションをするか?起業なら、誰と仕事をするか?どんな投資家を入れるか?顧客はどんな人たちか?で、自分自身のあり方も大きく変わってくる。

Infarm の仕事は、とても変数が多い。作っているのは野菜だが、ハードウエア、A.I.、インターネット、LED、Hydroponics(水耕栽培)、品種改良等、様々なテクノロジーやノウハウが求められる。顧客はスーパーマケットやDEAN & DELUCA等の小売店。今までの人生では縁の無かった皆さんだ。尚且つ、JR東日本と組んで「駅ナカ」に「新業態」を開発するなら、店舗運営や外食産業のノウハウ等、過去20年間、インターネットの中だけで仕事をしてきた僕にとっては、すべてが初めてのことだらけ・・・。僕自身が変わっていく必要がある。

58歳にもなって、まったく新しいことに挑戦できるなんて、それは、とても幸せなことだ。

でも、欲を言うなら、せめて、あと10歳、若かったら・・・と思う。更にいえば、できることなら、あの頃の下北沢に戻ってみたい・・・。

時間は待ってくれない。やりたいことはすべてやる。やりたくないことはやらない。何かを得るには何かを捨てないとね。

人生は短い。

※実はこのエントリーは、今年6月21日に書いて、「下書き」のままおいておいたものだ。精神的にも体力的にもブログを更新する余裕が無かった・・・。

※注釈:カバー写真は、Jonny, Louis & Char のアルバム「OiRA」。