譲れない想い。

譲れない想い。

「人は変われる」。2021年4月開設予定の武蔵野大学アントレプレナーシップ学部の学部長就任予定の伊藤羊一さんにとっての「譲れない想い」だ。

2020年6月21日(日)。Zoom で行われた武蔵野大学オンライン・オープンキャンパス。来年4月の開設を目指す我々アントレプレナーシップ学部にとって、初めての「オフィシャル」な行事が今日のオンライン模擬授業だった。その中で伊藤さんが、「リーダーシップと意思決定」というテーマで語ったご自身の枠で、「譲れない想い」として発したのが「人は変われる」という一言だった。それは、ご自身の経験から培われた彼自身の哲学と言ってもいいだろう。

では、僕にとっての「譲れない想い」は何だろう?

残念ながら、伊藤さんのようにポジティブなものとは言えないかもしれないが、僕にとっての「譲れない想い」。それは「2つ」ある。

1つ目は中学一年の時に受けた「人生で初めての『英語』の授業」に遡る。「世の中に、こんなにおもしろいものがあったのか!?」。あの時の衝撃を超える出会いは、未だ僕の人生には存在しない。その時から僕は「いつかは海外(英語圏)に住んでみたい」と思うようになった。残念ながら、まだ実現できていない。

2つ目も「中学一年生」の時。「最初の中間テスト」だった。僕が通っていた中学校は「50点満点」で、5教科すべてで満点を取ると「250点」なのだが、最初の中間テストでの僕の成績は「200点」。学年約230人中、17番だった。

「平石さ、これ以上、英語を勉強しても、あと5点しか伸びないよね? でも、数学を勉強したら、あと25点伸びるよね?」。

そうじゃないんだよ。僕は英語も数学も理科も社会も国語すべて満遍なく勉強した結果、数学だけが「25点(100点満点なら50点)」だったんだよ。

ドラッカーを引き合いに出すまでもなく、苦手なものを人並みにしてみたところで、何の競争力もない。今の僕なら、その担任の先生を完膚なきまでに「論破」するだろう。

「個性を認めない」日本の教育。ドン・キホーテちっくかもしれないが、さらに言えば「個性を認めない日本社会」に対する「挑戦」が、僕にとっての「譲れない想い」だ。

だから僕は「Status Quo(現状維持)」を良しとする(固執する)「既得権益」が嫌いだ。そのことを言語化できたのがいつだったか? 正直、憶えていないが、そう遠い昔ではない。

尚、誤解のないように付け加えておくが、そういう立場にいても、機能しなくなった現状を打破し、組織的にイノベーションを求め、そして、個々人の個性を尊重してくれる方もいる。武蔵野大学の西本学長は、その一人だ。でなければ、教員は全員、現役の起業家、投資家、新規事業開発者等の「実務家」という、前代未聞なアントレプレナーシップ学部を開設するなどという、自ら波風を立てるようなことはしないだろう。初めてお会いした時、その温厚な風貌と雰囲気に秘めた熱い想いが、テーブル越しに伝わってきた。

話をオンライン模擬授業に戻すと、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部の創設メンバーは、音楽で言えば、最高の「バンド」だと思う。個性豊かで極めて多様性に富み、生い立ちも学歴も職歴も何もかも異なるメンバーによるセッションは、授業をしているこっちが楽しくってしょうがない!今日のオンライン模擬授業で、そのことを実感した。

僕が行った模擬授業は、欲張り過ぎて、フォーカスに欠けるものになってしまったが(チャンスがあれば是非、リベンジしたい!)、他の人たちの授業を聴きながら、参加者(常時150-180人ぐらいは参加してくれていた)の方々からのチャットの内容を見ていて、僕たちの挑戦は確実に社会から求められている!そう確信した。

すべては、伊藤さんのリーダーシップと人選、そして、事務局の皆さんの献身的な仕事の賜物である。

1つ目の「譲れない想い」は、自分自身の起業や国内外のスタートアップへの投資を通じて、いつか、実現できたらハッピーだけど、2つ目の「譲れない想い」は、期せずして一緒に仕事をすることになった多彩なメンバーとのジャム・セッションを通じてなら、具現化できる気がする。

伊藤さんは53歳。僕は57歳(こうして書くのも嫌だけどw)。人生、50歳を過ぎても、50代後半からでも遅くはない。そのことを証明したい。

そして、「個性を認める日本社会」を実現させたい。

そのためには、まず、自分自身が、異なる価値観、様々な立場の人たちの考え方を受け入れる必要がある。FREE, FLAT, FUN. 伊藤さんのスローガンはいいね!

時々、心が折れそうになる時もあるけど、僕は、Be Bold or italic, never regular. な生き方を貫いて行かないと!