母のワンピース。

ピアノのリサイタルだった。ボディガード代わりについて来て欲しい。そう頼まれた僕は、母と一緒に出掛けた。季節は憶えていないが、薄手のワンピースを着ていたことを思うと寒い季節ではなかった気がする。

PET(Positron Emission Tomography)検査で撮る画像は、CTと較べると解像度が粗く、診断の精度は落ちるらしい。その代わり、CT画像からは読み取れない情報を医師に与えてくれる。PET検査は、ガン細胞が正常な細胞の3~8倍のブドウ糖を取り込むという性質を利用し、ブドウ糖に近い成分を点滴で体内に注入する。ガン細胞が注入した成分に反応すると「発色」する仕組みになっているが、小さな「炎症」にも色が付くことがあるらしい。肺は外気に晒されているので、色々なことで炎症を起こすことがあるそうだ。3ヶ月前に受けたPET検査の画像には、白い影が写っていたが、先日、撮影したCTでは、その影は小さく、そして、殆ど消えていた。正直、ホッとした。

母との人生はたった15年と11ヶ月だったけど、もし、今、もう一度、会えたとしたら、僕は何と言って声を掛けるだろう? 決して美人ではなかったが、知的で気品がある人だった。

母は45歳の時、肺がんで亡くなった。僕は中学浪人生。次男は中2。三男は、たしか、まだ小学校3年生だった。

中学生の時、僕は福島県では有名な進学校の安積高校を受験した。結果は見事に不合格。定員割れの二次募集で受かった高校に通うも3ヶ月で中退。中学浪人になった。

僕が中退して、来年もう一度、安積高校を受験したいと言い出した時、高校の担任の先生も中学時代の担任の先生も父親も、みんな反対した。母だけが僕を支持してくれた。結果は問わない。但し、一年間、途中で諦めず、最後まで予備校に通うこと。条件はそれだけだった。母が何と言って、あの頑固な父親を説得したのか、今も分からない。でも、母がどれだけ僕のことを愛してくれていたか。あれから40年以上も経った今、よく分かる。その母は翌年、僕が安積高校の再受験にリベンジし、合格したことを知る前にこの世を去った。

この3ヶ月間、事あるごとに、もしものことを考えた。中3の長男は、僕の仕事が何かもある程度は理解しているし、僕の今までの生き方から、僕が彼に何を伝えたいか、何となくは理解しているだろう。でも、小3の次男には、まだ、何も残せていない。CT検査の前日は緊張してあまり眠れなかった。

新型コロナウイルスは、多くの犠牲を生む。大切な人を失う人。仕事を失う人。それと較べたら、僕たち家族はあまりにも恵まれている。晴れた日は屋上でBBQをし、次男と自転車で公園に出掛け、Youtubeを聴きながらのジョギングが日課になった。長男が通う中学はオンライン授業。妻は自宅でリモートワーク。

ところで、僕はストレスが溜まった時、何故か洗面台の掃除をすると気分がスッとする。でも、片付けたい仕事がたくさんあり、でもその仕事を片付けられないと、掃除をする時間を取ろうとすることがストレスになる。欲張りなんだね、僕は。

掃除をしながら、スガシカオが歌う「夜空ノムコウ」を歌っていると、宿題に追われている長男の「気が散るから、ちょっと歌うのやめて…」という声が聞こえてきた。こういう日常が幸せということなんだろうね、きっと。

昔はもっと上手に歌えたハズだけと、声量が哀しいほど落ちている。ニヒルという言葉を今も使うのかは知らないけど、斜に構えず、もっとカラオケに行っていれば良かった。ホントはきらいじゃない。コロナが明けたら行ってみよう。

妻には笑われるけど、若い頃はミュージシャンになりたいと思っていた。実は、ライブも何度かやったりした。

マーケティングジャンクションの吉澤さんが「落とし前マーケティング」と言っていたけど、ある年齢になると、押し入れに仕舞い込んでいた「終わっていない宿題」をやりたくなるんだろうね。例えそれが自己満足だったとしても。今さら通知表は無いし。

人生、日常に感謝して生きていけたら幸せだね。

Progress Part-2. 同調圧力ノムコウ。

それが英語だったからなのか、それとも他の言語でも同じ結果になったのかは分からない。僕は中学1年生で初めて「英語の授業」を受けた時、「世の中に、こんなにおもしろいものがあったのか!」という衝撃を受けた。今までの人生で、あの時の衝撃というか感動を超える出来事には出会ったことがない。

強いて言えば、大学生の頃、初めてNew York を訪問した時のことは今も鮮明に憶えている。地下鉄の車両に乗っているのが、白人だけでも、黒人だけでも、もちろん、東洋人だけのわけはなく、とにかく人種の坩堝だったことに衝撃を受けた。

インフィニティ国際学院の第一期生、長野県出身の「フランシス聖(以下、フランシス)」は、カナダ人の父親と日本人の母親を持つ、日本でいうところの「ハーフ」だ。でも、海外の僕の知り合いは、そういう彼・彼女たちを「ダブル」と呼んだりする。

フランシスは日本の公立小学校に通っていたが、型に嵌められる教育カリキュラムに馴染めず、私立に転校する。理解のある先生に恵まれ、一時はモチベーションが高まるものの、担任の先生が変わり、不登校になる。そして、父親と一緒にカナダに移住する。

小学校を卒業し、入学した中学校は、すべての授業が「フランス語」で行われる学校だった。きっとケベック州等、東海岸の学校だったのだろう。最初はまったく授業についていけなかったが、徐々にフランス語を習得。様々な国籍や移民の子どもたちがいるその学校は、まさに日本とは「別世界」で、学校生活は楽しくて仕方がなかったそうだ。でも、ある時、とても仲が良かった友人が家族の都合でカナダを離れ、ヨルダンに帰ることになる。号泣した彼女だったが、それがきっかけでフランスに3ヶ月、留学。カナダとは違った世界を知る。そして、日本に帰国した。

僕が中学生の時、交換留学制度の説明があった。僕は是非、行ってみたいと思ったが、当時の担任の先生は「高校生や大学生になってからでも遅くない。中学で行くのは止めた方がいい」と言った。交換留学制度があることを説明しておきながら、矛盾した話だ。あの時、交換留学に行っていたら、どう変わったかは別として、僕の人生は大きく変わっていたことは間違いない。

英語という言語に触れて以来、僕はバイリンガルになることが夢であり目標だった。留学をしたり、海外で仕事をしたいと思っていた。その夢は未だに実現できていない。

でも、一度も海外に住んだことはないけど、海外で英語で講演をしたり、パネルディスカッションに呼ばれるようになった。こう見えて?、結構、努力している。

そんなこともあり、僕は、フランシスのように、生まれながらにして「自分の中」に「異文化」を持つ人に対する憧れがある。

話は変わるが、洋楽一辺倒だった僕は、子供たちの影響で邦楽を聴くようになるまで、殆ど、J-POPは聴かなかった。そんなこともあり、SMAPが歌った「夜空ノムコウ」は、スガシカオが歌詞を書いたことさえ知らなかった。

実際に聴いてみると、才能溢れる、たくさんのアーティストがいて、僕は邦楽が好きになった。もっと言うと「日本語の歌詞」が・・・。

英語の歌詞にも心の琴線に触れるものがあるけど、ネイティブスピーカーじゃない僕には、当たり前だけど、僕が日本語の歌詞を感じるようには、悔しいけど、理解できない。

でも、フランシスのような子には、分かるんだろうな…。

僕が見ているこの景色は、彼女にはどんなふうに見えるのだろう? 彼女のような人にしか見えない何かがあるはずだ。相手を型に嵌めることしか出来ないつまらない大人には、想像さえできないようなね。

そんな努力しても手に入らないものを開花させてあげないなんて、どうかしてる。それは嫉妬? それとも、同じもの以外は認められない単一民族の性なのか。

フラン、夜空ノムコウには明日が待っているよ! 大丈夫、頑張れ!!

追伸:東京芸大出身の「川村結花」が書いた曲に、ある音楽愛好家が「現代最高の吟遊詩人」と評した「スガシカオ」が詩を書き、キムタクがリードボーカルでSMAPが歌う。嫉妬を超えて、憧れるよw。神様はズルいね!

Progress. 弱虫な自分を振り切れるか?

小学生の時も中学生の時も、僕は先生に嫌われていた。正確に言うと、僕のことを支持してくれていた先生もいたが、授業中に「平石、お前なんか大嫌いだ」とクラスメイトの前で公然とディスられたこともあった。何年生の時かは忘れたが、中学生の時だった。皮肉にも、その先生の息子とは、高校を中退して通っていた予備校で一緒だった。

小学校の時は、高学年の時の担任の先生から偏見を持たれていた。何が原因だったのかは今も分からないが、彼女は僕がいつも掃除をサボっていると思っていたらしく、ある学期の最終日に、隣のクラスの担任の先生に「平石は掃除をサボっていたでしょう?」と訊いていた。隣のクラスの担任の先生は山田先生と仰ったが、「いえ、そんなことはありません。平石くんはちゃんと掃除をしていましたよ」と返事をしたにも関わらず、「そんなハズはないでしょう」と否定してみせた。僕の目の前でだ。

そんなこともあってか、インフィニティ国際学院「第一期生の二人」の話は、57歳にもなった僕にも訴えてくるものがあった。波紋が広がるように。

ミネルバ大学のようなその高校は、僕の盟友(と僕が勝手にそう言っているのだが)「大谷真樹」さんが一年前に立ち上げた、メチャクチャぶっ飛んだ高校だ。

世界を旅しながら学び、世界の難関大学等を目指す、国際進路特化型の画期的なインターナショナルスクール。一年目はフィリピンで徹底的に英語を習得。また、深センなど近隣の都市を訪問。2年目からは、欧州、アジア諸国、そして、アフリカ大陸にも渡り、自分の目と足と心で、その場所の歴史と文化と社会と経済を学ぶはずだった彼らは、新型コロナウイルスという予想外の出来事により、オンラインでの学びにピボットすることになった。

一期生の彼らにとって予想外だったのは勿論だが、インフィニティ国際学院の創設者であり学院長の大谷さんにとっては、心臓が止まりそうな衝撃があったに違いない。そんな素振りは何一つ見せないけれど・・・。しかし、予想外を予想外のままにしておくわけにはいかず、根っからの起業家である大谷さんは、危機になればなるほど、その本領を発揮する人で、人並み外れた決断力と実行力で、僅か一ヶ月足らずで、すべてのカリキュラムをオンラインにシフトした。尚且つ、インフィニティ世界塾オンラインなる塾までスタートした!恐ろしい人だ。

そのインフィニティ国際学院の第二期生募集に伴い、一期生の彼らがこの一年で何を学んできたのか? 「シゲ」と「祥真」の二人が、小学校、中学校時代を振り返りながら、Youtube で公開した説明会で、飾らない自分の言葉で語ってくれた。

それぞれ理由は異なるが、小学校や中学校で、既存の枠組みに適応できなかった二人は、自己肯定感を持てず、その先の人生の将来展望を描けずにいたという。その二人に転機をもたらしたのが、インフィニティ国際学院なのだが、驚いたのは、彼らがこの学院に入学するきっかけは、彼らの母親からの勧めだったということだ。

詳しくは是非、Youtubeのアーカイブを見てみて欲しいが、この一年で学んだのは「自分という人間をより良く知ることができたこと」という、高校2年生の二人が口にした言葉は、大人の想像を超えていた。

ところで、休校で学校に行けず、運動不足の小3の次男を連れ出し、駒沢公園や林試の森まで、自転車で出掛けることが日課になった。それに加えて、ほぼ毎日、ジョギングをしている。約4kmのコースは、アップダウンが激しく、いい運動になる。

ジョギングの最中に聴いている、ここ最近のお気に入りの曲がある。

ギターのリフから始まるその曲は「Progress」という、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組の主題歌だったことは知っていたが、それがスガシカオの曲だとは知らなかった。

その曲の歌詞を聴きながら、考えたことがある。大谷さんと僕は何が違うのだろう?

大谷さんは欲張りではなく、見栄も張らず、高級車にも興味はなく、他人の評価を気にせず、名誉欲もない。そして、これだ!と思ったことに、躊躇すること無く、邁進する。

自分が目指すものを実現するに際して、重要ではないものは、何の躊躇もなく、バサッと捨てていく。思いっ切り、振り切っているのだ。

一方の僕は、八方美人で、皆にいい顔をしたいし、他人に迷惑を掛けたくないし、嫌われたくないし、捨てることができない。それでは、大きなことができるわけがない。

そんな僕だからか、スガシカオの「赤裸々な歌詞」は訴えるものがある。

「ずっと探していた理想の自分って、もうちょっとカッコ良かったけれど、ぼくが歩いてきた日々と道のりをホントは”ジブン”っていうらしい」。

「ねぇ ぼくらがユメ見たのって誰かと同じ色の未来じゃない。誰も知らない世界へ向かっていく勇気を”ミライ”っていうらしい」。

“あと一歩だけ、前に進もう”。

シゲと祥真は、カッコいいよね!

人生は短いんだ。好きなことをやれ。

僕たち兄弟は早くに産みの母を亡くした。享年45歳。「肺がん」だった。僕が15歳、次男が14歳、三男が9歳の時である。

僕と次男は産みの母のことをよく憶えているが、三男は朧気な記憶しかないそうだ。最初は父の再婚に頑なに反対していた三男だったが、担任の先生との面談の後、納得して帰ってきた。我が弟ながら、健気な奴だと思った。

僕は中学生の頃、夕食が終わった後も食堂(居間とは別の部屋だった)に残り、後片付けをしている母親とよく話し込んでいた。何の話をしていたかは記憶に無い。クラシカルというか、浮かれたことが嫌いだった母は、下世話な話はしなかったし、ドリフターズの「8時だョ全員集合」は嫌悪していた。一方、正統派の俳優や女優の話はよくしていた。女優の香川京子さんの話をしていたことを憶えている。

ところで、昨日(5/6)の日経新聞の「私の履歴書」に、女優の岸恵子さん第六話が掲載されていた。若い頃の写真が載っているが、いかにも聡明な顔立ちをされている。彼女は学級委員をしており、勉強もよくできたそうだが、数学は苦手で、答案用紙の半分を「白紙」で提出したりしたらしい。

そんな彼女を自宅に呼びつけた担任だった数学の先生は、20分ほど、こっ酷く説教をした後、咳き込みながら「根性を通せ。君には多くの才能がある。好きなことをやれ。人生は短いんだ。苦手なものはやらなくていい」と言って、彼女を玄関先まで送ってくれたらしい。岸恵子さんが社会に出られた後、心からお礼を言いたいと思った時、その先生は既にこの世の人ではなかったという。「胸」の病気を患い、あまりにも早く旅立ってしまったそうだ。

新型コロナウイルスは、我々の生活を一変させた。来る日も来る日もテレビでは新型コロナウイルス関連のニュースが報道され、人々は「自粛モード」になり、子どもたちは学校にさえ行くことができずにいる。ネット上には、政府の対応に対する不平不満や苦情など、様々な声が飛び交っており、人々がどれだけストレスを抱えているかが分かる。それだけならまだしも、休業要請をされた業種の方々は、経済的にも追い詰められている。僕がわざわざブログに書くまでもなく、このままの状態が続けば、先に自粛をした人たち、政府の要請に協力した人たちから、経済的破綻に追い込まれるのは明らかだ。

では、どうすれば良いのだろうか?

今から20年以上前、BCG(ボストンコンサルティンググループ)から転じてネットイヤーグループの創業に携わり、その後、ご自身でコンサルティング会社を立ち上げられた鈴木貴博氏が、この先の日本経済の行方をダイヤモンド・オンラインに寄稿されている。また、続編をnoteに書かれているので、興味のある方はお読みになっていただければと思うが、このままダラダラと自粛モードが続くと、仮に「アメリカ経済が3か月、壊滅的な打撃を受けるとしたら、日本経済は同じ打撃を半年分受ける可能性がある」と鈴木氏は予言(警告)している。

実は、このエントリーを書こうと思った動機は、僕自身を含めて、ネット上に様々な投稿をされている人々の、その「目的」は何なのだろうか? ということを考えるためだった。

自粛に追い込まれた方々の「なんとかしてくれ!」という叫びは理解できる。しかし、僕がそういう方々との接点が少ないせいか、あるいは、そういう業種の方々はオンラインでの活動に積極的ではないのかもしれないが、彼らの投稿を見かけることはあまりない。一方、今のところは大丈夫な人たちの方が、様々な意見や情報源をネット上に投稿されているように思う。

では、その目的な何なのだろうか?

僕自身のことを考えてみると、この状況をどうにかしたいと思いつつ、自分(だけ)では、どうにもすることができず、その鬱憤や怒りをどこかにぶつけたい、ということかもしれないし、直接は届かないとしても、賛同者を増やし、世論として政権の判断に影響をもたらしたい、ということかもしれない。

僕は現政権の対応を絶賛するつもりは無いが、かと言って、扱き下ろすつもりもない。しかし、このままの状態が続けば、日本社会は崩壊してしまうだろう。先行きが見えないこの状況に対して、見えない相手に対する怒りをぶつけたいのかもしれない。それがエスカレートすると、我々人間は、特定の相手に怒りの対象を求めてしまうのかもしれない。自粛要請に応じないパチンコ店に対する抗議をする人と、パチンコをしたい人たちとのバトルのように・・・。

ところで、ストレスというものとは少し異なるような気がするが、ここ数日、情緒が安定しない。年明けからフルスピードで走って来たと思ったら、4月以降は新型コロナウイルスの影響で、フルスピードでもなく、かと言ってアイドリング状態でもなく、中途半端な回転数を維持しながら仕事に向き合っている。それは、自分自身の情緒を絶妙な感覚でバランスさせなければならず、容易なことではないのだろう。

今の僕の仕事は、ざくっと8割以上、海外の人たちとのものなのだが、昨年までは、ほぼ毎月のように海外出張し、あるいは、先方が来日し、リアルに相手と会話をしていたが、ここ数ヶ月は、完全リモートになっている。海外とは、時差もあるし、祝日も異なる。商習慣も違うし、言うまでもなく、前提となる価値観や文化も異なる。日本人同士でさえ、ちょっとした言葉のニュアンスや勘違いから誤解が生じたり、上手く物事が伝わらないことがある。海外との仕事で尚且つリモートであれば、ピタッとギアが噛み合わないことがあっても不思議ではない。でも、そういうことがあると、人間なので、心も軋む。精神的にもっとタフな人間だったらいいな・・・と思うこともある。

ところで、話を岸恵子さんに戻すと、高校時代の担任の先生は、彼女を一人の人間として見て、彼女の才能に目を向け、そして、愛情をもって接していたことが、ご本人の文章から伝わってくる。

相手と異なる見解を持ったり、反論することはあっていいが、いわゆる、Disる行為は、対立以外の何も生まない。長期戦を余儀なくされる、このウイルスとの戦いにおいても、可能な限り、相手にも自分にも優しくありたいと思う。

岸恵子さんの「私の履歴書」を読んで、ちょっと軋んでいた心が温かくなった。

このエントリーのタイトルと内容がしっくり来ないが、他にこれはと思うタイトルが思い浮かばず、岸恵子さんの「私の履歴書」第六話で紹介されていた、恩師の方の言葉に「勇気」を頂いたので、それをタイトルにした。

ところで、上の写真は、年初に次男が書いた絵馬。当時、小学2年生。今、紹介するのは皮肉かもしれないし、もっと早くに紹介するべきだったかもしれない。平和とは程遠い状況かもしれないが、お互いに助け合いながら生きていけるように。

Another Monday morning in the social distance, not Paradise.

2020年4月27日。偏頭痛の定期検診のため神谷町のクリニックに向かう。最寄駅のホームは閑散としている。当然だが、電車の中も空いている。混雑した月曜日の朝の風景は、もう過去の出来事になるのだろうか?

28歳の時、徒手空拳で起業してから29年。一時期は、100名を超える会社の経営をしていたこともあるが、ここ数年は数人の組織で、海外出張が多く、時差も手伝い、リモートワーク且つノマドな生活を送ってきた人間には、テレワークは新しくも何でもない。そして、ご多分に漏れず、新型コロナウイルス関連の記事や報道をチェックし、この先の社会の在り方を思案する毎日だ。

新型コロナウイルスの発生原因は諸説あり、素人の僕が講釈を垂れるにはあまりに複雑で未知の災難だが、前回のエントリーでも書いたが、地球環境の変化、ストレートに言えば、人類による地球環境破壊が無縁ではないと思う。

前回のエントリーで紹介したとおり、地球上に住む「人間」と「家畜」と「野生動物(陸上に棲む脊椎動物)」の「重さ」は、人間30%、家畜65%、野生動物5%である。この「不都合な真実」は、我々地球の主?にとって、どのような意味を持つのだろうか? その意味を僕は、法政大学経営大学院でお世話になっている小川教授から教わった。

この先の内容に関しては、小川教授のレポート(ブログにも掲載されている)とご本人から伺った話を僕なりに咀嚼したものだ。詳しくは、小川教授のブログを参照されたいが、学術的な内容で少々難解なところがあるため、より多くの方々に簡単に読んでいただければと思い、このエントリーを書くことにした。

小川教授との出会いは、インタースコープ時代に遡る。インタースコープでは、超優秀な学生インターンを採用していたため、法政大学で単位認定のインターン制度を導入する際、竹内淑子教授から相談があったのだが、その竹内教授から「きっと馬が合うと思います」と言って紹介されたのが小川教授だった。失意のドン底だった2009年の夏、法政大学経営大学院の小川教授から掛かってきた一本の電話で拾っていただき、今も経営大学院で、イノベーションと起業家精神について教えている。

ところで、皆さんは日頃、牛肉や豚肉、そして鶏肉をどのような頻度でどの程度、食べているだろうか?(僕は鶏肉は嫌いなので食べないw。)

環境科学者として世界的に有名なオランダ自由大学のハリー・エイキング博士によると、タンパク質の生産効率という観点で、豚肉エンドウ豆(pea)を比較すると、必要とされる土地面積には約10倍(エンドウ豆:1.3ha v.s. 豚肉:12.4ha)、必要な水量約60倍(エンドウ豆:177㎥ v.s. 豚肉:11,345㎥)の格差があるという。

尚且つ、エンドウ豆(pea)豚肉では、農業生産が生み出す環境負荷(排出物の指標)が大きく異る。

例えば、環境負荷の格差が大きいのは、1. 海洋と土壌の酸性化(Accification)は61倍2. 地球温暖化(Global warming:Co2の排出量)は6.4倍3.富栄養化(Eutrophication)は6.0倍である。「農薬や肥料」「水や土地利用」でも、格差は1.6倍から3.4倍に広がっている。

では、その原因は何なのだろうか?

「豚肉(タンパク質)」の生産のためには、穀物(大豆とでんぷん)を「飼料」として投入する必要がある。つまり、豚肉の生産では、投入される飼料やエネルギーの「タンパク質(豚肉)への変換効率」が良くない、ということだ。前述のエイキング博士によると、「牛肉」は豚肉と比較して、さらにタンパク質への変換効率が悪いことが知られている。

さらなるメリットとして、植物由来のタンパク質への転換を図ることで、オランダや欧州において農業に利用されている土地や資源(水や肥料など)を、現在の「5倍から6倍」程度、解放できるそうだ!つまり、その分を、放牧に利用したり自然に戻したりできるという。これは、環境負荷の低減という意味で極めて説得力がある。但し、エンドウ豆の栽培の途中では、タンパク質の副産物として、でんぷんが大量に産出されること、大豆の場合は、サラダ油が副産物として生み出されることを考慮する必要がある。

では、それにも関わらず、人類は何故、未だに大量の「家畜」を飼い、大量の「肉」を消費しているのだろうか?

米国発の「インポッシブル・バーガー」や「ビヨンド・ミート」が支持を得つつあることは周知のとおりだが、それでも、ヴィーガン食(完全菜食主義者)やオーガニック食品は、まだまだ極一部の人たちにしか浸透していない。

何事も「変化は痛みを伴う」が、人間は「食」に関してかなり保守的ということだ。生まれ育った食習慣を変えることは、そう簡単ではない。

マーケティング的には、新しい食品として売り出すよりも、「インポッシブル・バーガー」や「ビヨンド・ミート」の名前のとおり、従来の「肉」に関連付けて売り出した方が人々の心に響くし、「味」に関しても、いかにして「本物の牛肉」に近づけるか? が成功要因になる。

僕は今から2年前、シリコンバレーのレストランで初めてインポッシブル・バーガーを食べたが、牛肉とほぼ同じ食感で、牛肉よりもシツコクなく、個人的には「こっちの方がいいな(健康にも良いし)」と思った。

ここでは詳細なデータを紹介することは省略するが、温室効果ガス(CO2)の排出量に関しては、クルマの排気ガスがもたらすものよりも、畜産によりもたらされる量の方が圧倒的に多い。

特にアメリカでは、畜産業界は大きな「票田」になっていることもあり、政治的問題と密接に関係しており、一筋縄ではいかない問題であるのは間違いないが、「人類の未来」は「植物の時代」にしかないと断言できるだろう。

因みに、カバー写真は、妻が作った「ローストポーク(ローズマリー風味)」である。手前味噌だが、かなり美味しい。

肉食を完全に止めることは難しいかもしれないが、前述のとおり、自然に放牧されて作られた牛肉や豚肉なら、環境破壊を最小限に留めることができるし、それほど頻繁に牛肉や豚肉や鶏肉を食べる必要もない

僕の拙い知識に基づく考察ではあるが、皆さんは、どう思われただろうか?

May 2nd(Sun), 2020. Just another day on our rooftop in the Social Distance Days.