僕はどんな山を登ってきたのだろうか? Part-2

僕はどんな山を登ってきたのだろうか? Part-2

僕にとって、ブログを書くメリットは自分の考えを整理できることだが、思わぬ、副産物があった。Google Analytics で自分のブログのPVを確認したところ、「登りたい山を決める。これで人生の半分が決まる」というタイトルの2010年4月1日に書いたエントリーが目に留まった。「僕はどんな山を登ってきたのだろうか?」というエントリーを読まれた方が検索して読んでくれたのだろう。

そこには、学生の方々に対する「孫さんの講演」に関することが書いてあった。

「皆、一生懸命に生きている」。「でも、自分がどの山を登るかを決めずに歩いているのでは、彷徨っているに等しい」。「99%の人がそうである」。

ほぼ9年前に書いたブログだが、今、改めて読んでも考えさせられる。自分で言うのも何だが、けっこういいことを書いているw。しかし、問題は、今も、その時の自分に対する問いかけの答えを出せていない、ことだ。

以下、再掲。

幸運にして「自分が登る山」を決められたなら、それはイコール、自分が目指している「山の高さ」を決めたことになる。

スニーカーでも登れる山か?
登山靴が必要か?
それとも、フル装備で入念な準備が必要な山か?

それによって、集める必要のある仲間も違ってくるし、仲間を集めたからには、自分に降り掛かってくる「期待と責任」も違ってくる。そういう僕は、自分にとって「3度目の起業」であるドリームビジョンでは、その「期待と責任」に応えられていない。

でも、幸いなことに、まだ、時間はある。

一方、孫さんの話を聴くために集まった21~22歳の若者と較べると、僕のバッテリーの残存時間は、それほど長くはないのも事実(25~26年も違う)。今から準備できることには限界がある。しかし、僕もこの25年を無駄に過ごしてきたわけではない。

<ここまで>

改めて、孫さんの講演の書き起こしを読んで考えさせられたのは、僕にとって、30年、想いが変わらないものは何か? ということだ。その答えは「英語(語学)」と「グローバルな何かをすること(いつか海外に住んでみたいと思っている)」。そして、何か「新しいことに挑戦すること」だ。

では、その3つを何に振り向けるのか?

結果的には、自分の能力では無理だろうと判断し、その構想はお蔵入りさせたのだが、ドリームビジョンを創業したのは、日本の教育制度を変革したいという問題意識からだった。

実は、ある方から、とある構想の打診を頂戴した。僕一人では実現できなかったことだが、その方たちと力を合わせれば、世の中にインパクトを与えることができるかもしれない。

もうひとつ、思い出したことがある。2000年3月に創業したインタースコープというネットリサーチのスタートアップを退任して、ドリームビジョンを始動した頃だったと思うが、同じくネットリサーチ御三家のマクロミル共同創業者の福羽さんから言われたことだ。

「平石さんは、人が好きなんでしょうね」。

田坂広志さんがご自身の著書で仰っているとおり、「大きな何かに導かれている」と思って、必要以上に心配せず、感謝の心を持って、その流れに任せてみようと思っている。

Things happen for reasons. 人生はすべて必然。来年の今頃には、その答えが出ているかもしれない。