僕はどんな山を登ってきたのだろうか?

僕はどんな山を登ってきたのだろうか?

「意地でやるヤツはバカだと思え」というタイトルからは、その内容を想像できなかったが、ソフトバンクの孫さんが言う通り(日経トップリーダーの記事)、「自分の登るべき山を決めたら、自分の人生の半分は決まる。勝利が半分決まる。ビジョンはものすごく大切です」というのは、そのとおりだと思う。

では、僕はどんな山を登ってきたのだろうか? 結果的に「起業家」として生きてきて、2011年からは、国内外の若いスタートアップに投資することを仕事にするようになった。そして、2019年からは、投資先の「Infarm」というベルリンのスタートアップの日本市場参入の責任者となり、また、事業を行う立場になった。

生き方としては、筋を通してきた気がするが、登る山を決めているのか? と問われれば、正直、明確な答えはない。でも、ドリームビジョンの企業理念は「世界に挑戦する人を創出し、広く社会に「勇気と自信」と「希望」をもたらす新しい社会的価値を創造する」であり、僕の問題意識は明確ではある。

ここ数ヶ月は、Infarmの仕事が忙しく、老体に鞭を打ち、肉体的にも精神的にも張り詰めた日々を送ってきたが、ようやく、少し目処がつき、久しぶりに精神的にも時間的にもゆとりがある週末を迎えることができた。それで、久しぶりにウォーキングに出掛けた。

今日のウォーキングのお供に iPhone で聴いていたのは、レッドツェッペリンの「Stairway to Heaven」、坂本龍一の「Engery Flow, 戦場のクリスマス」、高中正義の「渚モデラート」、山下達郎の「Christmas Eve」、米津玄師の「Lemon」等。

Stairway to Heaven を聴きながら思ったのは、僕の大好きなチャー(Char)は、その才能では、Jimmy Page に劣らないだろうということだ。高中正義にしても、世界レベルの才能の持ち主だと思う。では何故、Jimmy Page や Jeff Beck、Eric Clapton のように世界的なギタリストになっていないのだろうか?

ロックは西洋文化であり、日本を含めた東洋世界は西洋文明と文化を受け入れて今日に至っており、その文化の発祥国ではない日本発のギタリストに西洋社会は興味がないのだろう。ましてや、日本語で表現された米津玄師の世界観を外国人が理解できるはずはない。

そういう意味では、坂本龍一は、世界的に評価されている。彼の音楽性やジャンルが洋の東西を問わないのかもしれない。

その点、スポーツは結果がすべてであり、実力があれば、西洋人だろうが東洋人だろうが評価される。

サンブリッジ グローバルベンチャーズを経営していた頃、僕が作ったタグラインは、BE Global or DIE Local. だった。ドリームビジョンのそれは、Be Bold or Italic, never regular. だ。そこに込めた思いは同じである。

日本に生まれて日本で育った人間として、一人でも多くの日本人がグローバルに活躍して欲しいと思うし、微力ながら、そのために自分にできることをしたいと思っている。そして、いい歳をして、こういうことを言うのは恥ずかしいが、レベルは別として、僕自身もその一人になれるよう、知力、精神力、体力が続く限り、老体にムチを打ち続けることにしよう。

2019年も残すところ、あと2週間少し。皆さんにとって、今年はどんな一年だっただろうか? そして、2020年はどんな年にしたいと思っているのだろうか?

僕は、自分が登るべき山を、もう少し、具体的に決めたいと思う。