いつか僕も思い出される人になる。

いつか僕も思い出される人になる。

平成も残すところ、あと一日余り。「令和」はどんな時代になるのか? それはすべて、我々一人ひとりの国民の意思と行動に懸かっている。

ドラッカーはこう言った。自分がどんな人間だと記憶されたいか? 20代の時にその答えを持っていなくても問題はない。しかし、50歳になった時、その質問に答えられなかったら、その人生は失敗だったことになる・・・。

僕たち三人兄弟は、福島県郡山市に生まれ育ったにも関わらず、3人とも「東京」の「私大」を出してもらった。正確には、三男は「両親」が亡くなった後、大学に入った。もっと言えば、父は病床から、三男は「大学には行かなくていい。高校を出たら就職しろ」と言った。それに対して、僕と次男は、僕たちが責任を持って何とかするから、お願いだから、三男も大学に行かせてあげてくれ!と懇願した。

我々の父親が亡くなった後も我々の実家に残り、我々の生みの両親や祖父母の法要を取り仕切り、実家を守ってくれている今の母親(養母)には、感謝の言葉すら見つからない・・・。彼女が亡くなった時のことを考えると、というか考えたくもない・・・。

「それは、平石くんたちのお父さんが素晴らしい人だったからでしょ・・・」。ある時、中学時代の同級生だった女友達にそう言われたことがある。

僕は他人に自慢できることもなく、劣等感の塊のような人間だが、高校時代の模擬試験で福島県で4位になったことがあり、実家で弁護士事務所を開業している次男は、実は僕の自慢だ。両極端なふたりの兄を持った末弟は、自分のアイデンティティに悩みながら大人になったと言っていたが、彼は他人のことを慮り、世の中の現実を受け入れられる人間であり、僕のような我儘なヤツとは大違いである。

このエントリーは、今月中旬のベルリン&パリ出張中のベルリンのホテルで書いたものを、東京の自宅でアップロードしたものだ。

時差ボケで目が覚め、iPhoneを見ると、お世話になって今年で10年目になる法政大学経営大学院(MBA)の小川先生から、LINEにメッセージが入っていた。小川先生はつい先日、旦那さんに先立たれた後も何十年と実家の呉服屋を守ってきたお母さんを火事で亡くされた・・・。そのことと、生まれてから大学に入学されるまで過ごされた秋田県能代市と、ご両親やご親戚に対する感謝の気持ちを、地元の新聞に寄稿されていた。

日本は平成から令和になり、イギリスではBREXITを巡って混乱が続き、EUはGAFAの独占を阻止しようとしてか?GDPRを施行し、米国ではトランプが予測不能なカードを切っている。パリでは、ノートルダム大聖堂が火災に見舞われるという、形容する言葉が見つからない悲劇に包まれた・・・。

光陰矢の如し。学成り難し。

今までも亡くなった両親のことは日々思い出してきたが、還暦まであと4年となったこともあってか、今まで以上に思い出す。

僕は自分が死ぬことを怖いとは思わないが、もう二度と、妻や2人の子供たちに会えなくなるのかと思うと、そんな現実を受け入れることができるのか? 自信がない。

自信があろうが無かろうが、いつか僕も思い出される存在になる・・・。

「だから、残りの人生を楽しく」。

小川先生から、コンパクトだが、力強いメッセージが返ってきた。

僕たちにできることは、それしかない・・・!