「東京は『余裕』がある。大企業も同じ。『余裕』があるので『危機感』がない」。

「ハイチ」というカリブ海に浮かぶ島国をご存じだろうか? 世界初の黒人による共和国であり、独立以来、現在も混乱が続いている。

1492年、コロンブスにより、イスパニョーラ島(ハイチ共和国は島の西部)が発見された時、この島には「アラワク人(タイノ人)」が住んでいたが、それから四半世紀のうちにスペインの入植者によって絶滅させられた。金鉱山が発見され、インディアンのカリブ人が奴隷として使役され、疫病と過酷な労働で次々と死んでいった。その後、スペインが西アフリカの黒人奴隷を使って、主にイスパニョーラ島の東部を植民地として支配していった。1659年以降、島の西部をフランスが徐々に占領していくが、衰退期に入っていたスペインにはそれを追い払う余力はなく、1697年のライスワイク条約で、島の西側1/3はフランス領とされた。ここが、現在のハイチの国土となる。フランスは植民地時代、アフリカの奴隷海岸から連行した多くの黒人奴隷を酷使し、主に林業とサトウキビやコーヒー栽培によって巨万の富を産みだした。※以上、ウィキペディアより抜粋

記憶に新しいところでは、2010年、マグニチュード7.0の地震が発生し、ポルトープランスを中心に甚大な被害が生じた。

さて、そのハイチ出身の Stephane E. Fouche という優秀な若者がいる。一年半前ぐらいだっただろうか、あるアメリカ人の友人から紹介されて知り合った。Stephaneは当時、DMM.comで海外事業の責任者をしていた。今回は、そのStephane のことを紹介したい。

彼は今年2月にDMM.comを退職し、DMM.com時代の同僚やその他の友人と一緒に、Archive(アーカイブ)という会社を設立した。要するに、起業したということだ。

「東京は『余裕』がある。大企業も同じ。『余裕』があるので『危機感』がない」。

起業する動機は何か?という僕の質問に対して、彼はこう切り出した・・・。その背景を説明しよう。

ハイチという国は今も尚、正常不安定な状態が続いており、彼の少年時代は、銃撃戦が日常茶飯事だったほど、混乱の極みにあったという。彼の両親は子供たちの将来を案じてか、毎年夏は、New York に彼らを送り出し、英語の勉強をさせていたそうだ。

彼は12歳の時、米国に移住し、中学高校とNYで過ごし、ハーバード大学に進学する。ハーバードでは、East Asia StudyとSociology(社会学)を学んだ。

「Why did you study about East Asia? What did make you interested in the region?(何故、東アジアに興味を持ったのか?その理由は何だったのか?)」と尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。

「ある日、学校の宿題で、身の回りにあるものを調べて報告するということがありました。ハイチの道路は殆ど『舗装』されてなく、クルマは四駆が多かったんです。トヨタ、日産、ホンダなどが走っていました。ハイチはフランスの植民地だったこともあり、僕はそれらの会社というかブランドは、フランスのものだと思っていた。でも、調べてみると、すべて『日本』のモノだということを知り、とても驚きました。そして、日本に対して興味を持つようになったんです。ポケモンもフランス語で読んでました(笑)」。

彼はハーバード在学中、毎年、夏休みは東京にインターンシップで来るようになった。奨学金制度で、九州大学に留学したこともあり、極めて流暢な日本語を話す。楽天でインターンをしたこともあったそうだ。

日本が好きになった彼は、ハーバード大学卒業後、新卒でマネックス証券に就職する。しかし、約半年で辞めてしまう。そして、2016年1月、DMM.comに転職する。

DMM.comでは、DMM.Africaというアフリカ事業部の立ち上げに携わり、ザンビア、ジンバブエ、タンザニア、ルワンダにて、ABIC(Africa Business Idea Cup)というアクセラレーション・プログラムの立ち上げを指揮した。

アフリカ事業部の立ち上げを終えた彼は東京に戻り、戦略パートナーシップ部(DMM.Strategy)という部署にて、DMM.com の「ReBranding」に関する仕事に携わることになる。ご存じのとおり、DMM.comはアダルトビデオの事業で伸びてきた会社であり、日本での事業を更に拡大していくには、コーポレートとしてのブランディングを刷新していく必要があったからである。

彼がまず手掛けたのは、SLUSH Tokyo 2017 へのスポンサーだった。僕の記憶が正しければ、亀山会長にプレゼンしたのは2016年12月だったそうだ。SLUSH Tokyoは2017年3月。僅か3ヶ月で、SLUSH TokyoにおけるDMM.comのブース(展示)内容の企画・運営を行った。僕もブースを見に行ったが、物凄い存在感があった。

そして、彼はその後、半年間で40-50ものイベントを開催する。それらを通じて、彼はスポンサー企業とのネットワークを構築し、スポンサー企業のニーズを理解するようになっていった。

DMM.comには、彼のような外国人社員がたくさんいるが、外国人社員の採用基準のひとつは、なんと、最低でも3ヶ国語を話せることだという。因みに、Stephaneは、フランス語、ハイチ語、英語、スペイン語、そして日本語の5ヶ国語を話す。

そのようにして一見、何の問題もなく、DMM.comでの仕事をしていたようにも見えていたが、彼は「日本の大企業」の姿勢、特に「オープン・イノベーション」に関する取り組みに関して、さらに言えば「東京」という都市に対しても、疑問を抱くようになっていった。

ひと言で言えば、「余裕があるが故に、本気で変わろうとしているようには見えない」ということだ。

そんなことから、学生時代に留学経験もあり、現地のカルチャーや人脈もある「福岡」でのオープン・イノベーションやスタートアップ・エコシステム創りに興味を持つようになる。

そして、2018年2月、DMM.comを退職し、起業家としての人生をスタートした。

既に、何社かのクライアントを獲得しており、彼らの「Global Talent Recruit(グローバル人材採用)」を支援するためのサービスを提供している。

彼のような優秀でイノベイティブな若者、尚且つ、外国人で日本に興味を持ってくれている人たちを増やしていくことは、日本の国益に適うのは間違いない。将来、何か一緒に仕事をしてみたい。

僕がネットビジネスを始めた1998年頃と較べると、東京のスタートアップ・シーンは、形容するのが難しいほど立派になった。ベンチャーキャピタルの投資額は過去最高を記録し、大企業はこぞってCVCを作り、未公開のスタートアップが二桁億の資金調達をすることも珍しくなくなった・・・。

しかし、メルカリ等、一部のスタートアップを除き、今もなお、東京のスタートアップは、まだまだドメスティックである。

今のところ、GDP世界第3位の市場があり、自国で充分に大きくなれる。一方、単一民族国家で、異なる価値観やカルチャーの人たちと日常的に仕事をすることは稀であり、また、母国語が、世界中で僅か1億人にしか流通していない「日本語」であることもあり、海外展開は容易ではない。

余程のビジョンや意思がなければ、苦労をして海外展開する必要ないとも言える。

しかし、わざわざ僕がブログで書くまでもなく、出生率が向上したり、移民政策を変更しない限り、日本の人口は減少していくのは間違いない。ガラパゴスには永遠には続かないだろう。

では、大企業はどうだろうか? アベノミクスにより、為替相場は円安になり、株価は上昇したが、産業構造が変わったわけではない。

2007年5月末時点の世界の時価総額トップ10には、日本企業としてトヨタが辛うじて10位にランクインしていたが、それから10年後の2017年11月末、周知の通り、トップ5はすべて米国企業(俗に言うBIG5)であり、日本企業の最上位は、トヨタの40位である。

300兆円を超える内部留保は溜まったが、新しい事業はどれだけ創造されただろうか・・・?

最後に、話をShephane に戻そう。小学生だった彼が日本に興味を持つキッカケになったのは、昭和の高度成長期を牽引した「トヨタ、日産、ホンダ」というグローバルブランドである。

その「次」を生み出すことが必要なのは言うまでもない・・・。