「Station F」とフランス社会。

GW真っ只中の日本。僕は昨日の午後、ベルリン&パリ出張から帰ってきた。

天気も良いし、はたして、僕のブログを読んでくれる人がどれだけいるか分からないが、一泊二日で行ってきたパリで学んだ&感じたことを書き留めておくことにした。

スタートアップ関連の仕事をしている人ならご存知の方も多いと思うが、今この瞬間、世界最大のCo-Working Space が、パリの「STATION F」だ。フランス人の友人のコネで、初めて訪問した。

敢えて「コネ」と書いたのは、セキュリティが厳重で、イチゲンのフリー客は施設内に入ることができないから。

20126月。初めてロンドンで開催された「LeWeb」という「パリ発祥」のカンファレンスで知り合ったフランス人の起業家が、連れて行ってくれた。

実は彼自身、一度もSTATION F には行ったことがなく、コネも無かったらしいが、facebook に「日本の起業家仲間がパリに来るんだけど、誰か、STATION F を案内してくれるボランティアはいない?」とポストしたところ、なんと、20人から「申込み」があったそうだ!

LeWeb London に参加するために初めてロンドンを訪れた僕が、ユーロスターに乗り、同じく初めてパリに行くと言うと、Thierry というその友人は、Gare du Nord(北駅)で僕を待っていてくれた。それだけでなく、パリ市街の殆ど反対側にあるフランステレコムのR&Dオフィスまで、クルマで送ってくれた・・・。

彼は18歳で起業し、インターネット関連の事業を立ち上げ、かなり稼いでいたらしいが、9.11をキッカケにクライアントとの契約を失う。会社を畳まざるを得なくなった。

その後、彼は仕事を得るため、たくさんの会社に履歴書を送ったところ、ある会社が彼の経歴に興味を持ち、面接のためにパリに上京した。

数日後、合格通知が届き、とても喜んでいた彼に、その会社から電話があった。

「君は31歳じゃなくて、21歳なのか?」

「そうです(21歳)」と答えたところ、なんと「じゃあ、ダメだ」となった。理由は「21歳では若過ぎる」ということだった・・・。意味不明である。

因みに、フランスの「若年層失業率」は日本のそれとは比べものにならないほど高い。2015年現在、20-24歳の失業率は「23.4%」、25-29歳は「14%」だ。ご存知の通り、フランスに限らず、南仏は概ね、若年層の失業率が高い。

「フランスでテロが頻発するのは、大きな不満を持つ階層が多くいるせい」らしい。詳しくは、こちらのブログを参照されたし

「フランスの経済成長率は、2000年代に入ってから長期的に低下を続けており(下記URLに載せたグラフを参照ください)。国債残高はGDP1年分近くに達しています(2016年:96.6パーセント)。しかもその7割が外債ですので、財政的にとても危険な状態です。つまり国が借金を重ねてまで、公務員の優遇を続けているのです(小塩氏のブログより引用)」。 http://www.koshiodatabank.com/101-1-15-graphs.html#item-102

このブログの著者は、フランス社会は「終身雇用制」であり、それが「労働市場を硬直化」させており、その結果、若年層の高失業率を生んでいると指摘している。

また、僕の友人によると、フランス社会では、終身雇用に加えて、例えば、親がある鉄道会社に勤務していたなら、子供もその会社に就職できる制度だという・・・。僕が彼の言っていることを誤解していないとすれば、日本社会の常識では、俄には信じ難い話だ・・・。

フランス国民は『過去』に生きている。いまだに鉄道や製造業が全盛期だった頃に生きているかのようにね。だから、自分たちの雇用を守れ!と言って、しょっちゅう、ストライキをするんだよ。もうそんな時代はとうの昔に終わっているにも関わらず・・・(僕の友人)」。

では、日本はどうだろう? たしかに、日本の失業率はフランスやイタリア、スペイン等を較べると低いのは事実だが、ご存じのとおり、公的負債は「GDPの2倍」である。尚且つ、2018年度の国家予算「約97兆円」の内、約337,000億円が「新規国債」だ。

もし、日本の公的負債がフランスと同じでGDP96.6%、つまり、今の半分だったらどうなっていたか?

「歳出」を見ると、約33兆円が「社会保障」に支出されている。もし、今の半分の財政支出にするとしたら、財政支出で支払われているサービスに従事している人たちの給料は、今の水準は保てないだろう。例えば、医療費の個人負担が「5割」だよと言ったら、ちょっと風邪をひいたぐらいで病院に行く人はいなくなるはずだ。病院の収入も製薬会社の収入も減ることになる。

その他の公共工事も同じだ。例えば、日本の道路はヨーロッパやアメリカと較べて、非常にキレイで素晴らしい状態に保たれているが、これも公的債務を積み重ねて、公共工事を民間企業に発注しているからであり、その予算をカットすれば、それらの雇用は保たれないことになる。

337,000億円の新規国債の発行が無ければ、子供たちやまだ生まれてきていない子供たちに借金することを止めれば、日本の失業率もフランス並みになるだろう。

「現実逃避やリスクの先送り」は、カタストロフィーを生む。

さて、話をSTATION Fに戻すと、この巨大な施設は、授業料「完全無料」のプログラミングスクール Ecole42 の創業者、Xavier Niel(ザビエル・ニール)という起業家が設立した。

総工費「2億ユーロ(約265億円!)」、年間の運営費「8Mユーロ(約10億円)」の「私財」を注ぎ込み、世界最大のCo-Working Space を生み出した!ハンパない!!!(TechCrunchの記事に詳しい。マクロン大統領もオープニングイベントに参加!若くてカッコイイね!

そのハンパないSTATION Fを案内してくれたのは、「ホームレス」を「一般名詞(ホームレス)」から「固有名詞(本人の名前)」で語られる存在にすることをミッションとする「Sans A」というスタートアップの創業者2人だった。いわゆる、社会起業家である。

※写真に向かって 、僕の左側の彼は「23歳」、右の彼は「27歳」。そして、左端が僕の友人、Thierry

23歳の彼は(英語はそれほど上手ではない)、タバコを一本、失敬したことが原因で、大学と言ったか専門学校かは定かではないが「退学」になったそうだ。

僕の友人が言うには、彼の身なり(着ている服)を見るに、裕福な家庭の出身だろうということだ。

日本社会も似たようなものかもしれないが、ここフランスでは、大学を出てまで起業する(リスクを取る)というのは、親にとっては歓迎すべきことではないらしい。

ホームレスをインタビューして彼らを真っ当な生活に戻すというチャレンジングなビジネス?を始めて、まだ一年足らずの彼らは、当然のことながら、たいした収入はない。STATION F にはシャワールームもあるし、仮眠所もある。彼は事実上、STATION F に住んでいるようだ。もうひとりの彼は、付き合っている彼女のアパートに一緒に住んでいるらしい。

僕の友人に「何故、23歳の彼は、両親の元に帰らないんだ?」と尋ねたところ、「両親は起業に反対しているはずだ。今のままでは帰れないんだよ」と言っていた。

僕の推測だが、「『真っ当な』仕事に就かなければ、家には入れない」ということなのだろう。でも、真っ当な仕事(安定した収入がある仕事)に就いたら、彼は両親の元に帰る必要はないだろう・・・。

ところで、このハンパない!STATION F だが、フランス人には評判が良くないらしい。

例えば「3,000席」もスペースがあるSTATION Fは、フランス国内の起業家および起業家予備軍だけでなく、諸外国からも広く入居者を招聘したいと考えているそうだが、蓋を開けてみると、ビザの関係で、残念ながら、現在の入居者は殆どがフランス人だと聞く。中には、なんと、おカネは払った(入居手続きはした)が、ビザが下りず、入居できていない・・・という外国人もいるという。TechCrunchの記事では、ビザの件も好意的に紹介されているが、現実には、そうはいかなかったということなのだろう。

ところで、STATION Fの生みの親であるザビエル・ニールという起業家は、STATION F 構想を提案した前年、莫大な収入があったらしい。収めるハズの税金は「150Mユーロ(約200億円)」だったようだ。

彼は「ハズ」だった税金を払う代わりに、STATION F を立ち上げる構想を税務当局に提案した。

STATION F は2011年、解体する予定の「古い駅舎」だった。であれば、解体せずに、Co-Working Space にした方が「新しい産業や雇用創出」に繋がるだろうということで、収める予定の税金相当額を投資し、STATION F を建設することを当局も賛成したらしい!

いずれにせよ、どうせおカネを使うなら、社会にインパクトがあり、自分自身のPR効果もある方法と内容で使った方がいい!ということだ。賢い人だね!

同じくザビエルが創業したプログラミング・スクール Ecole 42 も、理想と現実の間にあるようだ。

「Ecole42」は STATION F 同様、ザビエル・ニールが私財を投じ、2013年に開校した「授業料完全無料」のプログラミングスクールだ。

彼は19歳でビジネスを始め、成功裏にその事業を売却。1993年には、フランス初のISP(Internet Service Provider)に初期の投資家として参加し、その7年後、ネットバブルが弾ける前、50M米ドルで売却する。それ以降も様々なビジネスを立ち上げたり、既存の事業を買収したりと、起業家として、フランス社会に大きな影響を及ぼしてきた人物である。

彼はメディアの取材に対して「自分は幸運にもビジネスで成功し、大きな富を築くことができた。これからは、自分を育んでくれたフランス社会に恩返ししたい。今のフランスに足りないものは何か? と考えた時、I.T.が分かるマネジメントが圧倒的に足りないという結論に達した。その解決策として、『授業料完全無料』のプログラミング・スクールEcole 42 開校することにした」という趣旨のことを語っている。

開業当時は、そのハンパない構想と仕組みに魅せられ、スタンフォードでコンピューターサイエンスを学んだ学生も入学してきたり、入学倍率はハーバード大学よりも高い、という記事を読んだことがある。僕が Ecole 42をアポ無しで突撃したのは、20147月。Ecole 42の設備には圧倒されたし、学んでいる学生たちは楽しそうだった。何かが生まれる雰囲気を感じた(Ecole 42 を訪問したことはアメブロ時代に書いたのだが、そのエントリーは探せなかった)。

しかし、あれから4年が経った現在、Ecole 42を出た学生たちは、必ずしも全員がイケてる仕事に就けているとは限らないようだ。アルバイトをしながら「有料のプログラミングスクール」に通った学生も頑張っているだろうし、既存の学校側も(学生集めのためにも)就職率を上げるために必至だろうから・・・。

現実社会においては、何事も100点満点はないし、日本にいては伝わってこないリアルな情報や、理想どおりには行かないということを書いたが、それでも、このようなダイナミックなことができるというのは素晴らしいことだ!

中小企業を助成することからは、多くの雇用は期待できない」という統計データに基づき、オーランド大統領が「スタートアップ促進」を政策として打ち出したフランス社会が、STATION FEcole 42 のような仕組みを活かせるか?は、マクロン政権の今後の政策次第だろう。

極東の島国に活きる我々も、歴史的な大転換期にいるのは間違いない・・・。政治家も我々一般国民も、もっともっと危機感を持つ必要がある。

現実世界にファンタジーはない。

※以下は、STATION F 内部の写真。筆者撮影。

※建物内の奥から正面を臨む。いかに広いかが分かる。

※車両をイメージしたと思われるMTGルーム。

※オープンスペース。中央の通路を挟んで反対側のエリア。

※LVMHがスポンサーするエリア。オープン・イノベーション・プログラムも運営しているのだろう。

※ロレアルがスポンサーするエリア。

※コペンハーゲン発のZendesk も入居(スポンサー)している。

※100年前の躯体を活かして造られている。よく見ると、梁が真っ直ぐでなく、曲がっている。

※防音効果の高いMTGルーム。

※息抜きをするスタートアップの面々。

※ユニークなシステム。1時間は5ユーロ。1日なら24ユーロ。1ヵ月なら240ユーロを支払えば、コーヒーやスナック等、すべて無料!

「東京は『余裕』がある。大企業も同じ。『余裕』があるので『危機感』がない」。

「ハイチ」というカリブ海に浮かぶ島国をご存じだろうか? 世界初の黒人による共和国であり、独立以来、現在も混乱が続いている。

1492年、コロンブスにより、イスパニョーラ島(ハイチ共和国は島の西部)が発見された時、この島には「アラワク人(タイノ人)」が住んでいたが、それから四半世紀のうちにスペインの入植者によって絶滅させられた。金鉱山が発見され、インディアンのカリブ人が奴隷として使役され、疫病と過酷な労働で次々と死んでいった。その後、スペインが西アフリカの黒人奴隷を使って、主にイスパニョーラ島の東部を植民地として支配していった。1659年以降、島の西部をフランスが徐々に占領していくが、衰退期に入っていたスペインにはそれを追い払う余力はなく、1697年のライスワイク条約で、島の西側1/3はフランス領とされた。ここが、現在のハイチの国土となる。フランスは植民地時代、アフリカの奴隷海岸から連行した多くの黒人奴隷を酷使し、主に林業とサトウキビやコーヒー栽培によって巨万の富を産みだした。※以上、ウィキペディアより抜粋

記憶に新しいところでは、2010年、マグニチュード7.0の地震が発生し、ポルトープランスを中心に甚大な被害が生じた。

さて、そのハイチ出身の Stephane E. Fouche という優秀な若者がいる。一年半前ぐらいだっただろうか、あるアメリカ人の友人から紹介されて知り合った。Stephaneは当時、DMM.comで海外事業の責任者をしていた。今回は、そのStephane のことを紹介したい。

彼は今年2月にDMM.comを退職し、DMM.com時代の同僚やその他の友人と一緒に、Archive(アーカイブ)という会社を設立した。要するに、起業したということだ。

「東京は『余裕』がある。大企業も同じ。『余裕』があるので『危機感』がない」。

起業する動機は何か?という僕の質問に対して、彼はこう切り出した・・・。その背景を説明しよう。

ハイチという国は今も尚、正常不安定な状態が続いており、彼の少年時代は、銃撃戦が日常茶飯事だったほど、混乱の極みにあったという。彼の両親は子供たちの将来を案じてか、毎年夏は、New York に彼らを送り出し、英語の勉強をさせていたそうだ。

彼は12歳の時、米国に移住し、中学高校とNYで過ごし、ハーバード大学に進学する。ハーバードでは、East Asia StudyとSociology(社会学)を学んだ。

「Why did you study about East Asia? What did make you interested in the region?(何故、東アジアに興味を持ったのか?その理由は何だったのか?)」と尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。

「ある日、学校の宿題で、身の回りにあるものを調べて報告するということがありました。ハイチの道路は殆ど『舗装』されてなく、クルマは四駆が多かったんです。トヨタ、日産、ホンダなどが走っていました。ハイチはフランスの植民地だったこともあり、僕はそれらの会社というかブランドは、フランスのものだと思っていた。でも、調べてみると、すべて『日本』のモノだということを知り、とても驚きました。そして、日本に対して興味を持つようになったんです。ポケモンもフランス語で読んでました(笑)」。

彼はハーバード在学中、毎年、夏休みは東京にインターンシップで来るようになった。奨学金制度で、九州大学に留学したこともあり、極めて流暢な日本語を話す。楽天でインターンをしたこともあったそうだ。

日本が好きになった彼は、ハーバード大学卒業後、新卒でマネックス証券に就職する。しかし、約半年で辞めてしまう。そして、2016年1月、DMM.comに転職する。

DMM.comでは、DMM.Africaというアフリカ事業部の立ち上げに携わり、ザンビア、ジンバブエ、タンザニア、ルワンダにて、ABIC(Africa Business Idea Cup)というアクセラレーション・プログラムの立ち上げを指揮した。

アフリカ事業部の立ち上げを終えた彼は東京に戻り、戦略パートナーシップ部(DMM.Strategy)という部署にて、DMM.com の「ReBranding」に関する仕事に携わることになる。ご存じのとおり、DMM.comはアダルトビデオの事業で伸びてきた会社であり、日本での事業を更に拡大していくには、コーポレートとしてのブランディングを刷新していく必要があったからである。

彼がまず手掛けたのは、SLUSH Tokyo 2017 へのスポンサーだった。僕の記憶が正しければ、亀山会長にプレゼンしたのは2016年12月だったそうだ。SLUSH Tokyoは2017年3月。僅か3ヶ月で、SLUSH TokyoにおけるDMM.comのブース(展示)内容の企画・運営を行った。僕もブースを見に行ったが、物凄い存在感があった。

そして、彼はその後、半年間で40-50ものイベントを開催する。それらを通じて、彼はスポンサー企業とのネットワークを構築し、スポンサー企業のニーズを理解するようになっていった。

DMM.comには、彼のような外国人社員がたくさんいるが、外国人社員の採用基準のひとつは、なんと、最低でも3ヶ国語を話せることだという。因みに、Stephaneは、フランス語、ハイチ語、英語、スペイン語、そして日本語の5ヶ国語を話す。

そのようにして一見、何の問題もなく、DMM.comでの仕事をしていたようにも見えていたが、彼は「日本の大企業」の姿勢、特に「オープン・イノベーション」に関する取り組みに関して、さらに言えば「東京」という都市に対しても、疑問を抱くようになっていった。

ひと言で言えば、「余裕があるが故に、本気で変わろうとしているようには見えない」ということだ。

そんなことから、学生時代に留学経験もあり、現地のカルチャーや人脈もある「福岡」でのオープン・イノベーションやスタートアップ・エコシステム創りに興味を持つようになる。

そして、2018年2月、DMM.comを退職し、起業家としての人生をスタートした。

既に、何社かのクライアントを獲得しており、彼らの「Global Talent Recruit(グローバル人材採用)」を支援するためのサービスを提供している。

彼のような優秀でイノベイティブな若者、尚且つ、外国人で日本に興味を持ってくれている人たちを増やしていくことは、日本の国益に適うのは間違いない。将来、何か一緒に仕事をしてみたい。

僕がネットビジネスを始めた1998年頃と較べると、東京のスタートアップ・シーンは、形容するのが難しいほど立派になった。ベンチャーキャピタルの投資額は過去最高を記録し、大企業はこぞってCVCを作り、未公開のスタートアップが二桁億の資金調達をすることも珍しくなくなった・・・。

しかし、メルカリ等、一部のスタートアップを除き、今もなお、東京のスタートアップは、まだまだドメスティックである。

今のところ、GDP世界第3位の市場があり、自国で充分に大きくなれる。一方、単一民族国家で、異なる価値観やカルチャーの人たちと日常的に仕事をすることは稀であり、また、母国語が、世界中で僅か1億人にしか流通していない「日本語」であることもあり、海外展開は容易ではない。

余程のビジョンや意思がなければ、苦労をして海外展開する必要ないとも言える。

しかし、わざわざ僕がブログで書くまでもなく、出生率が向上したり、移民政策を変更しない限り、日本の人口は減少していくのは間違いない。ガラパゴスには永遠には続かないだろう。

では、大企業はどうだろうか? アベノミクスにより、為替相場は円安になり、株価は上昇したが、産業構造が変わったわけではない。

2007年5月末時点の世界の時価総額トップ10には、日本企業としてトヨタが辛うじて10位にランクインしていたが、それから10年後の2017年11月末、周知の通り、トップ5はすべて米国企業(俗に言うBIG5)であり、日本企業の最上位は、トヨタの40位である。

300兆円を超える内部留保は溜まったが、新しい事業はどれだけ創造されただろうか・・・?

最後に、話をShephane に戻そう。小学生だった彼が日本に興味を持つキッカケになったのは、昭和の高度成長期を牽引した「トヨタ、日産、ホンダ」というグローバルブランドである。

その「次」を生み出すことが必要なのは言うまでもない・・・。