人生は常に「トレードオフ」である。

久しぶりに良い天気に恵まれた文化の日の3連休最終日は、何年ぶりかで東京ドームシティに出掛けた・・・。

小6の長男は「中学受験」で忙しく、連休中は、模擬テスト、志望校の学校説明会等があり、妻は彼の付き添い。僕は、次男(5歳)の担当となり、最終日は朝から東京ドームシティ・アトラクションズ(要するに遊園地!何年か前から、こう呼ぶようになったらしい)に行った。

3連休で尚且つ晴天ということもあり、混んでいるかな・・・と思ったが、それ程でもなく、7-8個のアトラクションを楽しむことができた。トランプ大統領の来日中で、厳戒態勢にも関わらず、首都高も一般道も空いていた。

前回のエントリーにも書いたが、人生の時間は限られている。中学時代、地元(福島県郡山市)の本屋に貼ってあったポスターと本を買った時のカバーに、こう書いてあった。

「あの本を読めば、この本は読めない。読む価値がある本は買う価値がある」。

勿論、時間をずらせば、あの本もこの本も読めるし、同時並行で読むこともできなくはないが、普通に本を読む場合、今、あるいは次に、どの本を読むか? 選択を迫られる。

人生は常に「トレードオフ」である。

やらなければいけないこと、やりたいことはたくさんあるが、何を選び取り、何を諦めるか?

仕事もプライベートも「同じ時間軸」にしか存在していない。20代の時に働いていたODSというユニークなコンサルティング会社で教わったことだが、「公私を分けて判断することはできない」ということだ。

金曜日の夜、デートをすれば、その時間は仕事はできないのである。

仕事もプライベートも含めて、その日、その時間を何に使いたいか?(あるいは、使うべきか?)が判断基準である。

彼が大人になった時に憶えているかは甚だ疑問だが、3連休の最終日、次男と丸一日一緒に過ごせたことは、僕にとって、とても大切な思い出になった。仕事を含めて、やりたいことは多々あったが、僕の選択は次男と一緒に過ごすことだった。

ところで、今朝早い便で羽田を発ち、34年ぶりの香港に来た。行き慣れている欧米とは異なる「アジア特有の混沌」があった。

明日は人生初めての「深セン」に行く。楽しみである。

年齢や体力の衰えを言い訳にせず、自分にできる最大限の大きなことをやってみたい。

孫さんの記事を読んで、改めてそう思った。