Los Angeles の思い出。

New York, Pittsburgh, San Francisco, Los Angeles, そしてまた、San Francisco。今回の米国出張は随分と移動した。でも、思いの外、疲れていない。時差ボケも軽かった。

日系三世の叔父に初めて会ったのは、結婚式の時だから、もう23年前になる。

当時の僕が経営していたチッポケな会社に遊びに来てくれたことがある。近所のラーメン屋にお昼を食べに行ったのだが、せっかく訪ねて来てくれたので、僕がラーメン代を払おうとしたら、ポケットから徐ろに日本円のお札を取り出して、叔父が払ってくれた。

新婚旅行の途中でLos Angeles に立ち寄り、叔父と叔母の家に数日間、泊めてもらったことがある。空港まで迎えに来てくれた叔父のクルマ(セルシオ:現レクサス)を見て、叔父が事業で成功している人だということを知った。

  

その後も何度か叔父と叔母の家に泊めてもらったことがある。Silver Lake というドジャースタジアムからほど近い小高い丘の上にあり、周囲には映画監督が俳優の家が立ち並び、素晴らしい場所だ。

その叔父がとあることで急逝した・・・。あまりに突然のことで、せめてもう一度、きちんと会いたかった。

細かいことまで気にしてくれる人ではなかったが、思うように会社の経営が出来ていない僕のことを気に留めてくれていたらしく、時々、前触れもなく連絡をしてきて、食事をしたり、仕事の件で話をしたりした。

Los Angeles 出身のRon Drabkin という友人がいる。法政大学の田路教授に紹介されて知り合い、定期的に連絡を取り合っていたが、僕たちが主催しているInnovation Weekend(ピッチイベント)に出てくれたり、彼の知り合いの起業家仲間を紹介してくれたりと、ここ数年は特に親しくしていた。

今回の米国出張の主目的は、Pittsburgh で開催された Hardware Cup というピッチイベントの決勝戦に参加するためだったが、その関連のMeetupがNew York にあり、また、せっかく米国に来るので、シリコンバレーにある投資先やサンブリッジの現地スタッフに会うためにSan Francisco に寄ることにした。

Ron とは、僕が紹介したスタートアップに一緒に投資をしており、その投資先のことでチャットをしていた時、「こんな話は今までしたことないんだけど・・・」と言いながら、彼のお祖父さん、お父さんの若い頃の話をしてくれた。

第二次世界大戦の前後、彼のお祖父さんは、まだ田舎だったLos Angeles で農園を営んでいたそうなのだが、周囲には日本からの移民で同じく農園を営んでいた人たちがたくさんいたそうだ。

彼らは本当に一生懸命に働き、農園経営で成功していたらしいが、ある日突然、太平洋戦争が勃発。彼らは強制収容所に連れて行かれてしまったそうだ・・・。その彼らを助けようとして、Ron のお祖父さんやお父さんがされたことを聞いて、僕は涙が出た。と同時に是非、Ron のお父さんにお会いしてみたくなり、叔父の墓参りと併せて、彼のお父さんのご自宅にお邪魔した。とても柔和な人柄の方だった。

叔父が眠っている霊園は、Los Angeles 中心からクルマで約1時間のところにある。アメリカの霊園を訪ねたのは初めてだったが、日本とは構造が異なり、尚且つ、まだ墓碑ができておらず、また、San Francisco へ帰るフライトの時間が迫っていたこともあり、残念ながら叔父のお墓を見つけることは出来なかったが、僕が訪ねていったことは分かってくれただろう。

僕は今回、初めて、Los Angeles という街が好きになった。20代の頃は、兎にも角にもNew York で、Los Angeles は laid-back していて、華美な雰囲気があり、正直、好きになれなかったが、青い空、郊外には豊かな自然、そして時間がゆっくり流れている気がして、家族で住むには悪くない場所だと思った。

中学一年生で初めて英語の授業を受けた時、「世の中にこんな面白いものがあったのか!」と思い、それ以来、いつか必ず、海外に住んでみたいと思っていたが、気がつけば54歳。

20代の頃のように勢いで!というわけにはいかないが、今からでも遅くないか。きちんと計画を立てれば・・・。

 

 

 

 

桜は散ってしまうかもしれないけど・・・。

「何から伝えればいいのか、分からないまま時は流れて、浮かんでは消えていく、ありふれた言葉だけ・・・」というのは、小田和正の有名なヒット曲の出だしだが、ここ最近はブログに思いを綴っておきたいことがたくさんあった・・・。

当たり前だけど、最近知り合った人は、今の僕しか知らない。20代や30代の頃の僕のことは知らない。

何の罪もない少年や赤ちゃんが化学兵器で尊い命を奪われている映像は、それが誰の仕業かに関わらず、言葉には尽くせない憤りを覚える。こうして文章に書くことさえ憚られるが、もし、それが自分たち家族の身に起きたら・・・、僕は冷静でいることはできないだろう。間違いなく。誰を恨めばいいのかさえ分からず・・・。

今回のシリアでの化学兵器による虐殺に関しては、海外メディアも含めて、かなりの報道に目を通したが、「東京大学 先端科学技術研究センター 准教授 池内 恵氏」のNewsPicksでの解説を読むと、性善説は通用しない人間がいるという現実を思い知らされる。

「中東を研究していて、本当に嫌になるのは、中東では政治が人間の邪悪さの競い合いになり、人間の弱さを、あらゆる意味で、無限に創造的な方法で、突くことが、最も有効な手法になることを目撃させられることだ。

『アレッポを陥落させて、米国もアサド政権容認に傾いていた時に化学兵器を使う必要はない』といった論評が聞かれる。アサド政権側も一斉にそう行った論理を用いて述べ立てる。しかし中東の政治の現実を、上辺ではなく、社会の人間関係から見ていれば、実際にはそういった論理では動いていないことがわかる。実際は、米国が容認姿勢に傾いたからこそ、ここで化学兵器を使ってみせ、それでも米国が黙認することを反体制派に見せつけることで、どれだけ残虐な行為をアサド政権が行っても、もはやどこからも助けが来ないと思い知らせ、戦意を挫けさせる。たとえ米国が軍事行動に出たとしても、アサド政権を倒すほどの規模は考えられず、その後は「被害者」としての立場を主張し続け、その後の残虐行為を咎められなくなる」。

NewsPicks のコメントより引用。

つい先日、元国会事故調委員長「黒川 清」氏の著書「規制の虜」を読み終えた。僕のブログを読んで下さった方には是非、読んでみていただきたい。

その時の僕は、黒川さんがどのような方かも、そもそも国会事故調なるものの存在すら知らなかったが、スイス大使館のとあるレセプションで光栄にも偶然、お会いしたことがある。たぶん、2012年だった。

東京電力の経営陣の無責任さや日本の原子力行政の問題等、ざっくばらんに話をして下さったが、福島県出身にも関わらず、僕は黒川さんの「憤り」をリアリティをもって理解できなかった。「規制の虜」を読んだ今は、「人災」だと結論づけた理由を含めて、よく分かる。

今年の新経済サミット2日目にスペシャルゲストとして登壇された小泉元首相は、衆議院議員をお辞めになった後、原発に関する本を徹底的に読み漁り、福島の現地に赴き、フィンランドの「核のゴミ」処理施設までをも訪問し、様々な角度で自ら勉強されたそうである。日本は「3.11以降」の6年間、「原発」の稼働が無い状態でも、不慮の事故を除き、一度も停電したことはないらしい。つまり、原発なしでも必要な電力を賄えるということだ。たしかに、3.11直後の計画停電を除き、停電した記憶はない。

政府が原子力発電に対して投資してきた額を「自然エネルギー」開発に投資すれば、何年と仰ったかは忘れたが、そう遠くない将来には間違いなく、自然エネルギーで必要な電力を賄えるようになるはずだ!と力説されていた。

「核のゴミ」と言われるものは、地中の奥深くに、小泉元首相が視察されたフィンランドの核のゴミ処理施設は「地下400メートル」に建設し、なんと「10万年」もの間、密閉しておく必要があるという。

また、10万年後の人類(はたして存在しているのか?)に理解してもらうには、Don’t open! ということを、何語で書いておけば良いのか?が真剣に議論されているらしい。つまり、日本人であっても、現代社会に生きる普通の人は「万葉集」は「読めない」わけであり、言葉は変わってしまうということだ。

「『あの人は切れる人だ』と言えば、以前は『優秀な人だ』という意味だったが、今は『危ない人だ』という意味になってしまう」という冗談とも本気とも受け取れる例えを使って、そのことを説明されていた。

ところで、小泉元首相は現在75歳。僕より21歳も年上だ。でも、まだまだ頭脳明晰でエネルギーに満ちている。

「憲政の神様」と呼ばれた故「尾崎行雄」は、「人生は常に将来が本番」という言葉を94歳の時、亡くなる一年前に残したそうだ。とても勇気づけられた。

新経済サミット初日に登壇した、シリコンバレー最強のベンチャーキャピタル「アンドリーセンホロウィッツ」のBen Horowitz氏 は、最良の意思決定をするためには、常日頃からの準備が大切だとした上で、今日が最後の日だったら・・・と思って生きていれば、自ずと最良の意思決定ができるようになると話していた。

そう、特別な心配をしなくても、僕を含めて人間は100%、必ず死ぬのである。他人に気兼ねしたり、権力に屈しているうちに、本当にやりたいことを何もしないうちに死んでしまう・・・。

また、会場からの質問に答えて、「日本を見ていて思うのは、競争から既存産業を保護するのは『危険』だということ」とも言っていた。過保護は人間を弱くすることはあっても、強くはしない。と言いつつ、妻には、僕は長男を過保護にしていると指摘されている・・・。

サイバーエージェントの藤田さんも、とても勉強になる話をされていた。「AbemaTVは自力でやれると思っていたが、テレビ局の極めて質の高い『コンテンツ制作能力』が無ければ、とても成立しなかった」という。

AbemaTVで「200億円の赤字」を計上!本気度が凄い!並大抵の精神力ではできない!

サイバーエージェントの社員の3割はテレビを持っていない(テレビの前にはいない)。

テレビ朝日の番組審議員を5年やっている。番組は面白い。でも、テレビの前にいない。

テレビ離れではなく、テレビ「デバイス」離れ。

なるほど・・・と思わされた。

今年の新経済サミットではもうひとつ、印象に残ったことがある。Dropbox 共同創業者 Drew Houston は、エグゼクティブ・コーチをつけているらしい。そこから学んだことのひとつとして、こう言っていた。

「相手との相互理解を大切にする人は、コンフリクトを起こすことが嫌いだ。相手とのコンフリクトを気にしない人は、相手との相互理解にそれほど重きを置いていない。何事も裏表。完璧な人はいない」。

世界は不完全だし、人間は平等ではない。こうして呑気にブログを書いていられる僕は幸せだ。惨状に喘ぐ世界を救うために僕ができることといえば、多少のお金を寄付することぐらいだ。

いつだったか、猪瀬氏が副知事をされていた頃、「正義感が強いと言えば聞こえがいいが、悪く言えば『単細胞』だということだ」と言っていたが、まあ、そういう人間なんだろうな、僕は・・・。

いつミサイルが打ち込まれても不思議じゃないということだ。平和に感謝。