パルプフィクション。

難波の街並みはヨーロッパのような佇まいをみせていて、俄かには大阪の市街地とは思えない。最後にこの風景を見たのは、10年以上は前だと思う。たぶん何かの時にクルマで通り過ぎた時・・・。でも、こうして僕の記憶に残っている。

一般的にこの言葉にはシニカルな意味合いが含まれていると思うが、ひと言でサラリーマンと言っても色々な人がいる。

この先、人事制度が変わる可能性はあるにしても、現時点では60歳で定年退職となる。尚且つ、55歳までに一定以上の役職まで昇進していなければ、給料が下がるという。そう楽な商売ではない。

とあることで僕は彼と知り合い、ここ数年、色々な仕事をご一緒させていただいてきたが、単なる仕事の関係を超えて、お互いの人生の価値観を共有し、尚且つ、彼がサラリーマン「人生」を懸けて取り組んでいることの実現に少しでも貢献できたら、そんな幸せなことはない。

ラモス瑠偉が脳梗塞を患い、リハビリを終えて、復帰会見をした時の表情と涙はステキだった。

「死ぬのは怖くない。でも、妻やふたりの子供たちに2度と会えないと思うと・・・」。

NewsPicks 編集長の佐々木さんが「自己愛だけで生きて行けるほど人間は強くない」と、「自己愛」に関する特集にコメントしていた。

20代もまだ前半の頃、京都に本社がある某企業と縁ができ、数日間、研修を受けたことがある。僕には馴染めそうもないと思い、尤もらしい理由をつけて、そのオファーは辞退した。もし、京都に住んでいたら、僕の人生はどうなっていたのだろう?

これも20代前半の頃、ある有名な劇団のオーディションに受かったことがある。タレント年鑑の撮影の日、スタジオの前で10分間ほど自問自答した結論は、この勝負は出来ないだった。端役でももらってしまったら、後には引けなくなるだろう。でも、30歳も過ぎて芽が出なかったらそこまでのリスクを取ってまでやりたいことではなかったということだ。

擬似的ではあるにしても、他人の人生を、それも何人もの人生を送ることができるというのは、仮にたった30日だけだったとしても、俳優という仕事の醍醐味なんだろうな・・・。

僕は28歳になった2ヶ月後、何の躊躇も迷いもなく、また、何の明確なプランもなく、会社を辞めた。

いわゆるサラリーマン「根性」の人たちとではなく、真剣に人生に向き合っている人たちと仕事がしたかった。というと格好良すぎかもしれないが、それが僕が起業した理由だった。

それから26年。苦労の缶詰のような歳月ではあるが、まあ、退屈したことはない。幸いにもw。

価値観を共有し、何かを一緒に成し遂げることができたら、人生楽しいね。

こうしてブログを書きながら「頭に浮かぶ人たち」のためにも、もう一勝負、しないとね。