「横浜」と「長男の中学受験」。

第三京浜の港北インターの先は、故障車による渋滞のようだった。

であれば・・・と思い、港北インターを出口に向かい、つい最近開通したばかりの新しい路線に乗ってみた。地上20-30メートル?の高さを覆ったトンネルが延々と続き、首都高横羽線に合流。途中で次男は眠ってしまい、もう暫く寝かせてあげた方が良いだろうと判断し、みなとみらいでは降りずに、山下インターまで行ってみた。

我が家から横浜までは、渋滞が無ければ、クルマで約30分。東京からたった30キロしか離れていないにも関わらず、横浜はいつ来ても独特が雰囲気が漂っている。

中学受験で忙しい長男と4月から年長の次男。リビングのテーブルで妻が長男の勉強を見ている横で、暇を持て余している次男は iPhone でYOUTUBE・・・。それも限界に達すると、大声で歌ったり、踊ったり・・・。ということで、次男を連れ出し、久しぶりに横浜へと出掛けた。

・・・と、ここまで書きかけのまま、2週間が過ぎ、僕の54回目の誕生日となった。

月並みな言葉しか出て来ないが、最近つくづく、「人生は短い」と感じる。還暦まで、あと6年・・・だよ・・・。

ところで、今朝は、2つ、嬉しい出来事があった。

ひとつは、先月で5歳になったばかりの次男から、「おとうさん、おたんじょうびおめでとう。また、よこはまいこうね」という手紙をもらったこと。朝起きてすぐ、家族で一番にお祝いの言葉をくれた。

 

もうひとつは、Lisa Q. Fetterman という中国系アメリカ人女性からのお茶の誘い。お互いに既婚で子供もいるが、僕よりも20歳以上も若い女性からのお誘いは気分が悪いはずはない。

彼女とは、僕たちが主催しているInnovation Weekend というピッチイベントで知り合った。2015年のInnovation Weekend San Francisco で優勝し、そのシーズンの年間チャンピオンを決める Innovation Weekend Grand Finale に出場するために東京に来た。Y-Combinator 出身で、Forbes 30 under 30(30歳以下の優秀な起業家)に選出されている、とてもパワフルな女性である。

彼女が創業したスタートアップは、元来は一流レストランでしか使われていない sous vide という調理器を、一般家庭でも使える「価格」で販売できるようにした。尚且つ、IoT機器。また、とにかく彼女は「EAT!」が好きだ。

Take me somewhere really cool. というメッセージがあり、日頃、縁のないオシャレなカフェを探していたところ、彼女の方から「ここへ連れて行って!」と店を指定してきた 🙂

Bless one’s luck in my life.

人生の幸運に感謝して@54歳の誕生日。

pulp fiction.

It’s been more than 10 years I guess, but the cityscape over the window of the car I was in still remains in my mind. Namba is the name of the place which reminds me of the scene of European countries.

In general, it implies a cynical meaning, but there are lots of kinds of “salaried men”.

There maybe a chance that employment system is going to be changing, but in Japan, in general, such salaried men have to be retired at the age of 60. Also if they would not reach to the certain position in their companies by 55 years old, their “salaries” are going to be reduced… Not so easy job.

For personal reasons, I got in touch with a person and have worked with him for a several years. Beyond just a business, if we have common values for lives with each other and share a vision and if I’ve been able to contribute to accomplish his vision, I am more than happy.

Ruy Ramos, one of the famous former professional soccer football players in Japan made his words at the interview of the recovery from brain infarction.

“I’m not afraid of death, but I can’t imagine if I can not see my wife and my children any more…”. I do also feel like him recently, maybe because of my age.

“Narcissism is not strong enough to make ourself to live…”. Sasaki-san, the editor in chief of NewsPicks, a famous innovative online media in Japan made his comment at the special edition featuring “Narcissism”.

When I was in the first half of my 20s, I was offered a job from a very traditional and authentic company in Kyoto and was in the training session for a few days. But I was not feeling that I would make my life there, so I declined that offer. How different my life would have been if I had accepted that offer and lived in Kyoto…

It was also in the early 20s in my life, I applied and passed the audition of one of the famous theater groups in Tokyo. One day, it was a shooting day of the leaflet of new talents and I asked to myself very seriously “what would you do if you were not successful when you became at age of 30?”.

As a result, I left there and did not take my photos. Meaning it was not the thing that I wanted to pursue even such a risk involved.

Even though it’s not real, it’s fake, but the opportunities you can make living as different personalities is a priceless value for being an actor as I imagine…

Even though there were risk in front of me, I quit my job after 2 months when I became 28 years old. And started my entrepreneurial life, with no fear and no plan at all…

I really hated to work with the guys like “typical salaried men” who have no visions and are complaining about their situation. Just wanted to work with people of “Dream and Vision”.

Maybe it’s too cool to say, but it was the reason why I quit the company and started my own company.

It’s been 26 years since then and it’s been a life of a “can of hardship and trouble”, but my life has not been boring at all 🙂

If you can share and accomplish a vision with someone you really respect, it is a happy life.

You need to keep yourself a challenger for the people in your mind who have supported your life.

LIFE is SHORT.

 

 

パルプフィクション。

難波の街並みはヨーロッパのような佇まいをみせていて、俄かには大阪の市街地とは思えない。最後にこの風景を見たのは、10年以上は前だと思う。たぶん何かの時にクルマで通り過ぎた時・・・。でも、こうして僕の記憶に残っている。

一般的にこの言葉にはシニカルな意味合いが含まれていると思うが、ひと言でサラリーマンと言っても色々な人がいる。

この先、人事制度が変わる可能性はあるにしても、現時点では60歳で定年退職となる。尚且つ、55歳までに一定以上の役職まで昇進していなければ、給料が下がるという。そう楽な商売ではない。

とあることで僕は彼と知り合い、ここ数年、色々な仕事をご一緒させていただいてきたが、単なる仕事の関係を超えて、お互いの人生の価値観を共有し、尚且つ、彼がサラリーマン「人生」を懸けて取り組んでいることの実現に少しでも貢献できたら、そんな幸せなことはない。

ラモス瑠偉が脳梗塞を患い、リハビリを終えて、復帰会見をした時の表情と涙はステキだった。

「死ぬのは怖くない。でも、妻やふたりの子供たちに2度と会えないと思うと・・・」。

NewsPicks 編集長の佐々木さんが「自己愛だけで生きて行けるほど人間は強くない」と、「自己愛」に関する特集にコメントしていた。

20代もまだ前半の頃、京都に本社がある某企業と縁ができ、数日間、研修を受けたことがある。僕には馴染めそうもないと思い、尤もらしい理由をつけて、そのオファーは辞退した。もし、京都に住んでいたら、僕の人生はどうなっていたのだろう?

これも20代前半の頃、ある有名な劇団のオーディションに受かったことがある。タレント年鑑の撮影の日、スタジオの前で10分間ほど自問自答した結論は、この勝負は出来ないだった。端役でももらってしまったら、後には引けなくなるだろう。でも、30歳も過ぎて芽が出なかったらそこまでのリスクを取ってまでやりたいことではなかったということだ。

擬似的ではあるにしても、他人の人生を、それも何人もの人生を送ることができるというのは、仮にたった30日だけだったとしても、俳優という仕事の醍醐味なんだろうな・・・。

僕は28歳になった2ヶ月後、何の躊躇も迷いもなく、また、何の明確なプランもなく、会社を辞めた。

いわゆるサラリーマン「根性」の人たちとではなく、真剣に人生に向き合っている人たちと仕事がしたかった。というと格好良すぎかもしれないが、それが僕が起業した理由だった。

それから26年。苦労の缶詰のような歳月ではあるが、まあ、退屈したことはない。幸いにもw。

価値観を共有し、何かを一緒に成し遂げることができたら、人生楽しいね。

こうしてブログを書きながら「頭に浮かぶ人たち」のためにも、もう一勝負、しないとね。