新居と商店街とYOUTUBE。

11年3ヶ月住み慣れた恵比寿を離れ、東横線沿線のとある駅に住み始めた。恵比寿から数駅、空いていればクルマで約10分。距離的にはそれほど離れてはいないが、今度の住まいは「戸建て」ということと、閑静な住宅街で、いわゆる都会のマンション暮らしだった恵比寿時代とは趣が異なる。

趣が異なるという意味では、駅前には昔ながらの商店街が広がり、夜10時を過ぎても、地元のおばさんが店番をしている果物屋が開いている。今日は大阪出張だったのだが、ネットで調べると、品川からよりも新横浜から新幹線に乗った方が約10分ほど所要時間が短いらしく、そう言うと大袈裟だが、慣れないルートに挑戦してみた。

案の定、武蔵小杉で乗り換えの際、気がついたら、反対側のホームから、特急が行ってしまい、菊名でJR横浜線に乗り換えの際も、固定観念で、桜木町方面に乗りそうになってしまった・・・。新しい環境に慣れるには、それなりに時間が必要だ。でも、何年かぶり、恐らく10年以上前に来て以来の菊名のJR横浜線のホームに立った時、「あぁ、この景色、憶えているよ、懐かしい景色だなぁ…」と思い、気分が変わるというか、たわい無い日常に新たな感覚をもたらしてくれた。

恵比寿のマンションは、競争倍率7倍の抽選を勝ち抜いて購入したが、今回は約4ヶ月、殆ど毎週、自分たちの条件に合致する土地や建売り、中古住宅、中古マンションを見て回ってようやく見つけた土地だった。実は、結果的に購入した土地を最初に紹介された時は、その区画は「商談中」となっており、他の区画は我々の予算を超えていて、断念していたのだが、ある時、妻がコンタクトしていた不動産会社から紹介された時には「商談中」という文字が消えていた。尚且つ、「参考プラン」が付いており、それぞれの区画にどんな家が建つのか?が分かるようになっていた。

都会の狭小地でも4LDKの家が建つことが分かり、早速のその不動産会社を訪問したところ、なんと、その会社の社長は、僕がインタースコープを創業する前に経営していた会社でとてもお世話になった人の弟さんだった・・・。また、その日は、そこから約2kmほどのところに住んでいる妻の従姉妹の長男と朝と夕方の2回も会い、インタースコープ時代にインターンとして働いてくれていた人と数年ぶりにばったり会ったりと、なんとも不思議な一日だった。一言で言えば、縁があったということだろう。

ところで、新居への引っ越しの前日、アメブロで最後のブログを書いた時は、10cc というバンドの「I’m not in love.」という曲をYOUTUBEで聞きながら書いていたのだが、その時に「お勧め」として表示されていた「Crowded House」の「Don’t dream it’s over.」という曲を聞きながら、このエントリーを書いている。Don’t dream it’s over. は1986年、僕が社会人になった年にヒットした曲で、メロディは勿論、その歌詞がとても好きで、よく聴いていた。やはり、10代20代で聴いた曲は、50歳を過ぎた今でも好きなんだな・・・。

YOUTUBEで探して、オリジナルレコーディングや色々なライブを聴いてみたが、デビュー当時の若い Neil Finn(リーダー)よりも、2000年以降の彼の方が、声が柔らかく、表情が深く、その曲に込められた想いがより良く表現されているように感じた。田坂広志さんの著書で読んだことだが、ある著名なバイオリニストの演奏を子どもたちに聴かせて、どれが最も若い時の演奏と思うか?と訪ねたところ、全員が80歳を超えての演奏を「最も若い」と感じると答えたという。

肉体は老化しても、精神や感性は老化せずにいる人もいる、ということだ。そういう人生を送れたら幸せである。

追伸:「菊名」経由での大阪出張は、行き(朝)は通勤客と逆方向なので空いていていいが、帰り(夜)は、新横浜駅から菊名までの間がとても混んでおり、品川まで行き、恵比寿経由で帰った方が良さそうだった。やはり、Forever Friend だね。恵比寿はw!

 

 

これが最後のアメブロ・・・。

新聞の折込チラシで見つけた今の住まい。僕たちは今から11年3ヶ月前、今のマンションに移り住んだ。それまでは、中目黒の賃貸マンションに住んでいたが、創業メンバーとして立ち上げに参加したウェブクルーの上場に伴い、恵比寿にマンションが買えるおカネが舞い込んだ。

貧乏生活なら負けないという苦節13年が報われた瞬間だった・・・。

その思い入れがあり、愛着があり、家族全員とても気に入っている恵比寿のマンションに、あと2日でサヨナラする・・・。

後ろ髪を引かれないと言ったら嘘になる。本当は明日に備えて寝ようと思ったのだが、寝る前に白ワインを飲み、10cc の I’m not in love. を聞いていたら、どうしても今の気持ちを文字に残しておきたくなった。

世の中には戦争で亡くなったり、テロに巻き込まれたり、病に倒れたりして、不幸にして早くに亡くなってしまう人たちがたくさんいる。

そういう人たちのことを考えたら、僕は本当に恵まれている。

「挫折のすすめ」に書いたとおり、1年半で夫婦で外食したのは、たったの1回。それも吉祥寺で「もんじゃ焼き」を食べて、生ビールを一杯ずつ飲み、2人で3,500円のお会計をしたその瞬間、こんな贅沢をしてバチが当たらないだろうか・・・と思ったほど、貧乏な時期があったが、それでも、こうして、好きなことにチャレンジでき、子どもたちも素直に育ち、新しい家に越せるわけで、そのことに感謝をすると共に、何かを世の中に残したいと思っている。

ところで、ブログのタイトルに書いたとおり、アメブロでブログを書くのは、これが最後になると思う。2006年4月から10年以上に渡って書き続けてきたわけで、少々寂しい気もする。

僕がサンブリッジの仕事を始めた2011年の秋。ネットで見つけてインターンに応募してきた、当時、東大の学生だった「下川さん」という若者がいる。彼がボランティアに近いおカネで、僕のブログサイトを作ってくれた。

僕と一緒にシリコンバレーに行ったことがキッカケで(実はそれが彼にとっては初海外だった!)、その後、シリコンバレーに移り住んでしまったベンチャーナウの竹内さんと一緒に2011年5月に始めたピッチイベント「Innovation Weekend」の年間チャンピオンを決める「Innovation Weekend Grand Finale 2011」は、下川さんがいなかったら、きっと実現できなかっただろう。

とあるイベントの審査員として京都に行かなければならなかった僕に代わって、僕の名刺の束と格闘し、500-600人に対して、Innovation Weekend Grand Finale 2011 の案内メールを、僕に「成りすまして」打ってくれたのが彼だった。

形容する言葉が見つからないほど優秀で、滅茶苦茶いいやつだ!!!

今までの僕の人生で最も大きな勝負も、彼が相当に手伝ってくれている。

彼のためにも是が非でも、この勝負は勝たなければいけない!

もうひとり、僕にとっては掛け替えのない若者がいる。

New York 出身の彼とは、僕らの投資先だった co-meeting というスタートアップのサービスを彼が見つけて、アメリカで売りたいと言って来たのがキッカケだった。

僕がNew York に出張した際、ステーキハウスでランチをしたのだが、彼が払おうとしたので、お前が払うのは10年早い!という話をし、僕が払ったことを覚えている。

その後、彼は大学時代の友人と一緒に AdTechのスタートアップを立ち上げ、日本のクライアントを獲得しようと東京に来て、僕のところにアドバイスを求めに来た。

あまりのダメさ加減に、僕は、自分の子供に説教をするかのごとく、ダメ出しをした。

彼の名前は Daniel というが、彼は今、僕らの投資先である Peatix のNY Office のスタッフであり、NYのビジネスを急速な勢いで伸ばしている!

そして、Innovation Weekend World Tour のメンバーとして、僕と一緒に世界各都市を回っている。

彼がいなければ、言葉にするまでもなく、Innovation Weekend World Tour は継続できていない・・・。

そして、Innovation Weekend World Tour は、Peatix のビジネスディベロップメントにも貢献できており、株主としては、こんな嬉しいことはない。

1986年2月。初めてNew York に行った時、22歳だった僕は、いつかこの街に住みたい・・・と思った。未だにそれは実現できてないが、こうして、定期的にNYを訪れ、純粋培養の日本人の僕が、NYでイベントを主催し、また、他のイベントのスピーカーとして招かれて、僕の起業家人生の話をさせてもらって・・・と、住んでこそいないが、あの頃の夢は叶ったように思う。

そのDaniel は先日、Tokyo に来ていた際、彼に co-meeting を紹介した女性に、下北沢(僕が学生の頃、住んでいた街だ)で会ったそうだ。

僕たちの人生を変えたその女性に、僕も会ってみたい。

ところで、元SONYの出井さんが言ったように「人間の死亡率は100%」である。

3個100円の納豆が買えず、聞いたことのないメーカーの4個100円の納豆しか買えなかった時があったし、あの頃は本当に辛かったけど、生きていることは、それだけで本当に素晴らしい・・・。

その人生がいつか終わってしまうなんて、僕には信じられない・・・。

あと何年、神様が僕に人生を与えてくれるか分からないし、無い物ねだりをしても仕方ないけど、せめて、両親からもらったものを100%発揮できるようにしたい。

マラソンの有森裕子さんが2つ目のメダルを獲った時に言った「メダルの色は金じゃないかもしれないけど、初めて自分で自分を褒めたいと思いました」と言える人生を送りたい。

亡くなった両親のためにも、子どもたちのためにも、そして自分自身のためにね。

本当はもっと「クール」なエントリーを書きたかったんだけど・・・w。

まあ、それは下川さんが作ってくれたブログでということで!

長男は暇さえあれば、ピアノを弾いている・・・。

ここのところ、尋常ではなく忙しい・・・。恐らく、今までの人生で今以上に多忙な時期はあったと思う。でも、今、感じている忙しさは、今までに感じたものとは次元が異なる。

仕事に費やしていた時間という意味では、インタースコープというネットベンチャーを立ち上げた頃は、午前0時過ぎに帰宅すれば早い方だったし、土日のどちらかは仕事をしていた。月間労働時間が300時間を超えていた。

その頃は、言ってみれば「仕事だけ」していれば良かったし、僕の人生の「95%」ぐらいは仕事だった。

でも、今は違う・・・。子供が2人いるし、彼らの教育や将来のことに精神的にも物理的にも時間を割いているし、家族旅行にも行く。子供繋がりのお父さんやお母さんとの付き合いも大切だ。

一言で言うなら、僕という人生の構成要素が遥かに多様になっているし、充実してきているとも言える。ありがたいことだ。

しかし、ここ数週間は、やろうと思っていることの半分もできず、フラストレーションとストレスが溜まっている。

でも、どんなにフラストレーションとストレスを溜め込んでも、一日の時間が36時間になるわけではない・・・。

・・・と、今は比較的冷静に、こうしてブログを書いているが、数日前までは、とにかくイライラし、思うように仕事もプライベートも進めないことが腹立たしくて仕方がなかった・・・。

また、話が通じない and/or 説明に手間が掛かる人と話をすると、首と肩の結節点辺りが急に凝ることが分かった。これが僕の肩凝りの原因なんだな・・・と自覚した。

ところで、ニーチェは【自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。】と言ったそうだ。

たしかに、そうなのだろう。今までに何度も「もうダメか・・・」ということが幾度と無くあったが、その都度、ギリギリのところで神風?が吹き、何とかなってきた。

ここ数週間の尋常ではない忙しさの原因は、仕事では「人生最大のチャレンジ」「Innovation Weekend Berlin」「Tokyo-Munich FinTech Symposium」「Innovation Weekend San Francisco」「某独スタートアップの日本市場参入に際するフィージビリティスタディ」「既存投資先の資金調達のサポート」等々、なんでここまで重ねる?重なる?かね?ということなのだが、それに加えて、プライベートでは、人生で初めての「一戸建て」の住宅を「建築中」であり、これがまたここへ来て、様々なトラブル(でないことも含めて)が発生し、とにかく、僕の時間を奪っている。

30代の頃は、まだまだ体力があったので、平均睡眠時間4~5時間でも何とかなったが、今、そんなことをしたら死んでしまう・・・。

もうひとつ、ドラッカーの本で学んだことだが、人間は「苦手なことをしてはいけない」ということだ。

僕は神経質で心配性な性格なので、例えば、銀行に提出する書類や区役所での手続き、そのために司法書士の方等との書類のやり取り等、「間違うとイタイ!」事務手続き(管理業務)になると、とたんに生産性が悪くなり、尋常ではないストレスが発生する。

そのことが「自分が得意なこと」に投下する時間を奪い、ストレスにより集中力が無くなり・・・と、尋常ではない悪影響をもたらすということを身を以て実感した。

弟に言われたことだが、僕は「守りに弱い」。起業家として、投資家として、攻めることは好きだし、得意だが、たしかに、守り(管理業務)は嫌いだし、超不得意である。

「組織は構成員の苦手なことの意味を無くし、得意なことに集中させるためにある」。

でも、今の日本の組織は、そうなっているだろうか?全員に同じことを期待してはいないだろうか?

小学校5年生の長男は、学校の先生の「矛盾」を指摘する。今日は、とある私立大学が主催するワークショップに参加し、「LEDで造る花火」なるものの制作にチャレンジしてきたらしい。

妻が言うには、お昼休みも取りたくないほど、熱中していたそうだ。人生で初めて、ハンダゴテを使い、回路を制作した。

きっと楽しかっただろう。

その長男は最近、中学受験のための塾通いで忙しい・・・。

ストレスが溜まっているようで、暇さえあれば、ピアノを弾いている。

彼にとっては、最も良いストレス発散方法のようである。

ピアノが弾けない僕は、こうしてブログを書くことで、自分自身と向き合い、心の襞に溜まったものを文章にして吐き出し、ストレスを発散している。

そんな僕んブログを読んで下さっている方々には感謝の言葉しか見つからない・・・。

少しでも、何か参考になるものがあれば幸いである。