「友人の訃報」と「スティーブ・ジョブズ」

このエントリーは、2/14(金)、バレンタインデーに途中まで書いたまま、続きが書けずにいたものだ。

大阪市の仕事でシリコンバレーにきており、こちらの時間で今日(2/28)、無事に一週間のプログラムが終わり、ホテルの部屋で続きを書くことにした。

(ここからが続き)

先週金曜日、法政大学経営大学院で今年度の最終発表会の最中、facebook メッセージで友人の訃報が届いた。

自分と同年代の友人が亡くなるというのは、さすがにショックだった。

彼女とは、仕事を通じて知り合った別の女友達を介して知り合い、その彼女とは、某商社の仕事を通じて知り合った。

そして、その仕事の担当者だった男性と僕を含めた4人での付き合いが始まった。

僕がインタースコープというネットベンチャーを創業した頃で、全員30代だった。

その4人の集まりを僕は勝手に、Tokyo 30s と称していたが、時間と共に、Tokyo30s40sになり、Tokyo40sになり、Tokyo40s50sになり、遂にTokyo50sになった矢先だった。

三流大学にしか行けなかった僕は、愛校心の欠片も、大学時代の友人も殆どなく、この4人での付き合いは、とても大切なものだった。

その中の1人がいなくなったということだ。

そう。人間は必ず、いつかはこの世を去る日が来る。

ところで、僕のブログを読んでくれている方々の中にも、故スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチをYOU TUBE で見たことがある人がいると思う。

毎朝、鏡の前に立ち、もし、今日が人生で最後の日だったとしたら、今日の予定は本当にやりたいことだろうか?と思って毎日を過ごすうちに、本当に人生最後の日がやってくる。

「これは、人生最後の日にやりたいことではない」と感じることが多くなったら、そろそろ何かを変えるべき時だというサインである。とジョブズが言っていた。

35歳になった時、20歳から今までの時間がもう一度、僕の人生に訪れると、僕は50歳になるという事実に気づき、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を覚えたことを今でもよく憶えているが、昨年の3月30日、ついにその日が現実となった。

今の仕事をバリバリやれるのは、あと10年である。

冗談でも何でもなく、僕は9年1か月後、60歳になる。

でも、ここ数年で、確実に、僕が「なりたい」と思っていた自分に近づいていっていることを実感している。

60歳になった時、それまでの自分を自分で褒められるように(有森裕子さんの言葉)、周囲に遠慮するのはやめて、自分に正直に生きていこうと思う。

子供たちのためにも、活躍している父親の姿を見せたいからね。それが最大の教育だと思うから。

そして、それが今の僕の最大のモチベーションである。

親しい友人の訃報で、ジョブズのスピーチを思い出した。

iPhoneからの投稿@シリコンバレー