「アントニオ猪木の言葉」と「カッコウをつけている自分」。

「晴耕雨読」ならぬ「晴『読』雨読」生活を送っていた頃は、毎月20~22回ほどは更新していたブログを、殆ど書けなくなって久しくなる。

でも、以前のエントリーにも書いたように、僕の場合、ブログを書くことは「自分自身との対話」であり、自分と向き合い、自分の心を静める効果がある。

今年で3年目になる法政大学経営大学院の夏期集中講義の「レポートの採点」が終わったこともあり、久しぶりにブログを更新することにした。

先程、愛媛でテレファームという「ベンチャー農業(そういう言葉はないが)」を営む遠藤さんの投稿で、アントニオ猪木のエピソードを知った。以下は、そのページからの引用。

「私は新日本プロレスを旗揚げした時、一軒、一軒、キップを売って歩いた。理想のプロレスをつくり上げるために、なりふり構わず頭を下げた。

十年近くたっても、私はそれをやった。

浅草の街頭に立って売り歩き、それでもキップが残ったので一軒、一軒まわった。

なぜなら、ほかならぬ自分へのチャレンジだったからだ。

俺たちは、生まれながらに偉いのではない。

全力でぶつかり、失敗し、それでも立ち上がって、また失敗し、やっと何かをつかんだかと思ったら、虚しくも朝の露。

しかし、まだまだくたばらない。

俺には欲があるんだ、夢があるんだと向かっていく。

そうして、ちっぽけながらも、自分だけができる何かをつかんできた。

(ここまで)

人間は、誰でもミスをするし、後悔することもある。誤解もされるし、罵倒されることもある。

でも、自分が信じることがあれば、誰に何と言われようと、陰口を言われようと(僕は相手に直接モノを言わず、第三者を介して伝えようとする人間が最も好きではない)、本当の自分を理解されなかろうと、自分を曲げてはいけないし、長いものに巻かれてはいけない。

ここ最近、様々な問題があり、挫けそうになる自分を自分で励ましてきたが、アントニオ猪木の言葉を読み、僕は「まだまだ、カッコウをつけており、それを捨て去らなければダメだ!!」ということを再認識させられた。

「言うは易し、行うは難し」だが、それも「自分への挑戦」である。

ところで、今月の誕生日で、僕たちの長男は「満8歳」になる。

今の家に移り住んだ年に生まれた。

次男は、ようやく「1歳7ヶ月」。今年前半は「計5回の入退院」を「繰り返したが、おかげ様で、7月以降は入院せずに済んでいる。

正直、子育てをするには、妻も僕も「かなりの高齢」だが、こうして、素晴らしい子供たちに恵まれていることは、とても幸せなことだ。

彼らの笑顔のためにも、まだまだ頑張り続けないといけない。

ところで、日頃から大変お世話になっているサイバーエージェント・ベンチャーズが主催する「RISING EXPO」で、勝屋さんと話をする機会があった。

僕も彼のように、自分の生き方に誇りと自信を持ち、カッコウをつけず、不格好でも構わず、自分が信じる生き方を貫こう。

それ自身が「自分への挑戦」である。

追伸:1963年生まれの僕は当然、東京オリンピック(1964年)は記憶に無い。2020年の「東京オリンピック」を子供たちと見ることを励みに頑張ろう!!日本にとって大きなチャンスがやってきた!!!