「復活」を期す「41歳」。

僕にとって今年で2年目になる、法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科での「夏期集中講義」が先週、終了した。

昨年の経験を踏まえてマイナーチェンジを施して臨んだが、実際に講義をしてみると、「ここはこうすれば良かったな・・・」というところがたくさんある。

何事も弛まぬ努力が必要である。

特に、人に「教える」ということは、自分で理解するのとは違い、他の人の「思考回路」と「経験値」を踏まえる必要があり、特に「経験」という「材料」があって初めて学べることがある、ということに気づいたのが、今年の最大の収穫だった。

例えば、2009年、僕が「晴耕雨読」ならぬ「晴『読』雨読」生活をしていた頃、自宅にあったドラッカーの本を手にした時、ご丁寧に「マーカー」まで引いてあったにも関わらず、僕は「読んだ記憶」すら「無かった」ということがある。

実は、僕がインタースコープというネットベンチャーを経営していた時、創業メンバーに久恒 整という「ドラッカー」オタクがいて、彼から執拗にドラッカーを読むように言われていたのだが、当時の僕は全く興味を持っていなかった。

でも、さすがに、そこまで言うなら・・・ということで、読んだのだと思うが、読んだ記憶すら残らないほど「猫に小判」だった。

2009年の「晴『読』雨読」生活の頃は、ドラッカーにしても、クリステンセンにしても、ミンツバーグにしても、一行一行が「五臓六腑」に染み渡るかのごとく、感銘を受けながら読んでいたのだが、ドリームビジョンでの「失敗(経験)」があって初めて、それらの著作で論じられていることの意味が分かるようになったということである。

ところで、先週の日曜日、香川のマンチェスターユナイテッド移籍後の初ゴールが華々しく報じられている片隅に、男子プロゴルファーの「細川和彦」選手の記事が載っていた。

細川選手は「国内メジャートーナメント2勝」を含めツアー8勝の実績を持っており、ゴルフをしている人なら誰でも知っている選手だが、彼は昨季、シード権を失った。

1999年には賞金王争いを演じ、2000年には米ツアーにも挑戦し、2位に食い込むなど活躍していたが、2001年、難病指定の潰瘍性大腸炎と診断され緊急入院。その後は、優勝から遠ざかっていたが、2005年の「日本ゴルフツアー選手権」で復活優勝を飾った。

「復活優勝」以来、また思うように活躍できずにいた細川選手は今年の「KBCオーガスタ(初優勝を決めた大会)」で、新聞記者のインタビューにこう答えていた。

「勝ちたいよね。でも、まずは5位以内に。そうすれば来週も出られる」。

結果は「3位」!!!

身体に「勤続」疲労が出てきた「41歳」だからこそ、ひとつひとつの試合の大切さが分かるのだろう。

石川遼くんだけがプロゴルファーじゃないよね!!

「目的」と「手段」。

8月最後の金曜日は、仕事を通じて知り合い、今年で15年になる友人2人と、久しぶりに食事をした。

ひとりは男性、ひとりは女性。

男性の方は同い年で、尚且つ、お互いの長男も同い年。彼のプロジェクトで米国企業にプレゼンに行ったのが1998年3月9日、その2年後の2000年3月9日にインタースコープを創業しており、何かの縁を感じている。

その彼が最近、日本の大企業を辞めて、多国籍企業の日本法人の社長に就任した。

そんなこともあり、久しぶりに会おうという話になり、3人で食事をした。

彼は、中学時代を海外で過ごしたこともあり、英語が堪能(TOEIC:985点!)で、今までに駐在した国は7カ国と聞いているが、新しい職場には、その彼よりも英語が上手な日本人がたくさんいるという。

しかし、日本側の考え方や日本市場の構造を本社側に理解してもらうことは、「新参者」の彼の方が上手らしい。

つまり、西洋人の思考パターンやロジカルパスに対する理解力が、今までの海外駐在経験を通じて養われたということであり、それが彼の「最大の強み」ということだ(本人も、改めてそう思ったと言っていた)。

ところで、僕は中学で初めて英語に接して以来、英語がとても好きになり、いつかは海外(英語圏)に住んでみたいと思い、大学も「英文科」に進みたいと思っていたが、父親に「目的と手段」を履き違えるな!と言われ、法学部か経済学部でないと学費は出さない!と一喝されたことがある。

父親が言いたかったことは、英文学者や通訳になるのならいいが、そうでないのなら英語は「手段」であり目的ではない、ということだったのだが、当時の僕は、実社会のことは何も分からず、英語以外で興味のあることはバンドぐらいだった。それで仕方なく、しぶしぶ、法学部や経済学部に「近い」学部を探したことを思い出す。

僕の友人の例は、まさしく、父親の言っていたことのように思う。

また、彼は、流通や金融の立場からではあるが「製造業」を見てきており、コンサルティングファームや広告代理店を経て起業し、その後は、ネットビジネスの世界しか知らない僕にとって、大企業や製造業の世界を垣間見ることができる、それも「経営者」の立場から解説してくれる、貴重な存在である。

その彼が「日本の製造業」の「空洞化」に対して、この間まで「240円」だった為替レートが「80円(1/3)!」になっても、まだ、こうして踏ん張っている日本の製造業は「世界的にみてピカイチ!」だと言っていたことは、とても印象的だった。

また、日本は「エンジニア」に対する評価が低い(かった)という僕の主張に対しては、「日本は『経営者』に対する評価も低いよね。現場が優秀だから、部長の延長線上でいいと思っている。日本社会は、リーダーを必要としない」というコメントを返してきた。

「コンセンサス」型の社会・組織構造を善しとしてきた日本社会だが、明治維新や戦後日本の復興を考えると、この難局を乗り越えるには、リーダーが必要だと思う。

稲盛さんのリーダーシップにより、あの「JAL」が復活したことが、それを物語っている。

さて、今日のエントリーのタイトルである「目的と手段」に話を戻すと、父は生前、ゴルフをするために生きているのではなく、生きるためにゴルフをしている、と言っていた。

因みに、ガウス生活心理研究所の油谷さんという方が、彼らの調査研究結果をもとに、50歳までは「健康」=「働くための手段」と考える人が多いのに対して、50歳を越えると「健康でいることが『目的』」に変わるという話をされていた。

僕自身のことでいうと、まだ20代の頃、あるアメリカ人の友人が「There are two kinds. One is “Live to work”, the other one is “Work to live”.」と言った後に、「Ikuo, you are ” Live to work “」と言われたことがあるが、50歳という年齢を意識するようになってからか、子供ができてからか、僕の人生において「大切なこと」が変わってきたのは事実である。

一般的にそうなのかどうかは分からないが、15歳の時に母親、24歳の時に父親を亡くしたことが影響しているのか、僕は子供ができてから、彼らが「成人」するまで「健康」でいたいと強く思うようになった。

10代の頃、僕は父に反発してばかりいたが、その父から学んだことは数知れないし、母がいつも僕に言ってくれていたこともよく憶えている。

長男が20歳の時、僕は「62歳」。次男が20歳になると、僕は「68歳」。

彼等の記憶に残る「生き方」をしたいと思う。

そのためにも「健康」でいないとね。

というと、健康でいることは目的ではなく、手段になってしまうけど…。

@長男のヒップホップのスタジオ