Jobsさんのお葬式に出たい。

土曜日に保育園の運動会があったことは、facebookに書いたが、クライマックスの年中、年長の子供たちによる「リレー」は、プロスポーツ選手に負けない迫力と感動があった。

ところで、日曜日の今日は、とあることで神社にお参りに行った後、知り合いのシェフが運営している表参道のレストランでお昼を食べた。

徹底的に食材に拘った料理はとても美味しく、名物のバーニャカウダに我が子は大満足だった。

ランチの後は自宅に戻り、「Steve Jobs」の追悼番組を見た。

20年来の友人というのは大変烏滸がましいが、親しくさせていただいている元アップル日本代表の前刀さんが出るということで、DVDに録画してもらっていた。

先月で6歳になった我が子は、DVDでの録画がお気に入りで、「お父さん、この間のDVD、見た?」と訊いてきて、昼寝をしたいのを我慢して見ることにした。

「この人、死んじゃったの?」と訊いてきたので、「そうだよ。iPhoneを創った人なんだよ」と答えると、「えっ!ほんと、出たい!」というので、「何?」と聞き返すと、「Jobsさんのお葬式に出たい!」という返事が返ってきた。

6歳の子供にとっても、iPhone の生みの親は「凄い人」であり、「残念」だと思う対象だと知った。

あの執念の人、Steven P. Jobs は、もう、この世の人ではないことが、未だにピンと来ない。

Good bye, and thank you, Steve Jobs.

追伸:「少子高齢化」社会と我々の年齢を反映して、我が子は、結婚披露宴には数えるほどしか出ていないが、告別式やお通夜、法事には、相当な数、出ている。「お葬式=大切な人が亡くなった時に出るもの」という彼なりの理解において、iPhone 生みの親のSteve Jobs は、彼にとっては「お葬式」に出たい存在だということを知った。