【祝】起業20周年!【火中(渦中)の栗を拾う】

20年前の今日(1991年3月27日)、人生で初めての会社を設立した。

当時の僕は27歳、J.Walter Thompson という外資の広告代理店に勤務していた。

30歳ぐらいまでは、会社は放置しておくはずだったが、人生で初めて会社を創ったことが嬉しくて名刺をつくり、諸先輩型に挨拶に行ったところ、「じゃあ、こういう仕事があるからやってみるか?」と幼気な青年を勾引す悪いオジさまとオバさまがたくさんいて、「だったら、やってみるか?」と思い、会社を辞めた。

資本金100万円。オフィスは先輩の会社に間借り。事業計画もなく、僕ひとりでのスタートだった。

あと3週間も待てば「ボーナス(たぶん100万円ぐらいは出た)」がもらえたが、「そんなお金をもらってどうする!」と、3週間の時間を優先した(今なら間違いなく、ボーナスを貰ってから辞めただろう/笑)。

最初に取った仕事は「20万円」だった・・・。

あれから20年。当たり前だけど、色んなことがあった。

考えてみると、僕の人生は「面倒な事件」に巻き込まれたり、こんなこと、出来るのかよ?という「難題」に取り組む連続だったように思う。

まあ、要するに「マゾ」なわけだ・・・。

ところで、僕の中には「勝ち馬に乗りたい自分」と「困難から逃げたくない自分」が常に存在しているが、それが世の中を変えるぐらいのインパクトがある圧倒的な勝ち馬か、自分の実力では到底成し遂げられない難題の場合を除き、安易な選択をすることを善しとしないところがある。

ただ、今までの場合、その対象が何であれ、結局は「自分のため」だったのも事実。

ところで、起業20周年の今年は、あることで「火中(渦中)の栗を拾う」的な意思決定をした。

ひとつは、大変なのは間違いないが、僕が本気で取り組めば必ず何とかなる問題。

但し、ふたつ目の方は、相当な「重量級」であり、「長期戦」になるのは必至である。

始めてしまったら、途中で逃げ出すことはできない。

でも、まあ、こうしてブログに書いているわけで、その場から立ち去る選択肢はないということだ。

話は変わるが、僕がインタースコープの経営をしていた頃、一言一句は忘れてしまったが、クライアントだった外資系企業のマネジャーから「平石さんは、自分のことよりも他人(部下)のことを優先するようになれば、必ず、素晴らしい経営者になれると思います」という趣旨の話をされたことがある。

彼女は実際、とても他人に献身的な人であり、僕のような人間は自己中心的に見えたのだろう。

僕は投資家に対しては誠心誠意やってきたと自信をもって言えるが、それは僕自身が資金調達をしてきたことの責任感であり、彼らに損をさせたくないし、期待に応えたいという想いがあったからだ。

でも、今にして考えると、社員の人達に対しては、心配りが足りなかったと思う。

僕はすべては自己責任だと思っているが、数多ある選択肢の中からインタースコープという会社を選んでくれた人達に対して、もっとやるべきこと、やれたことはあった・・・。

もうそういうことは繰り返したくと思っているが、見方を変えれば、自分が「後悔」したくないという意味では、これも「自分のため」とも言える。

つまりは「自他ともに望むこと(求め、求められること)」でないと上手く行かないということだ。

さて、21周年を目指して、毎日を、気負わず、頑張ろう。

追記:因みに「火中(渦中)の栗を拾う」という諺は、英語では「Pull somebody’s chestnuts out of the fire.」という。つまり、自分の栗ではなく「他人の栗」なのだが、それを「自分の栗」と思えるかどうかが勝負の分かれ目である。