「東北」に生まれたことの意味。

大震災から今日で11日目。

東京は少しずつ平静を取り戻したように見えるが、被災地では、むしろ、より一層、困難な状況になっているのだろう。

ところで、今回の「東北地方」を襲った未曾有の災害は、日本社会に何を考えさせるのだろう?

僕は正直、自分が生まれ育った福島県に対する郷土愛が強かったわけではないが、さすがに、今回の災害で(特に原発の問題で)、福島県に対して考えざるを得なくなった。

僕が生まれた1963年は、日本社会が戦後の復興期を脱し、翌年には東京オリンピックが開催され、高度経済成長に突き進んでいった時代である。

1970年代には2度のオイルショックに見舞われたものの、日本社会はそれを乗り越え、更なる経済成長を遂げていった。

当時の僕は、そんなことを考えもしなかったが、今になって振り返ってみると、そういう時代に生きてきたということだ。

ひと言で言えば「経済成長がすべて」であり、田舎よりも「都会」がカッコ良く、東北は「田舎の代名詞」であり、僕はそのことが嫌いだったし、コンプレックスを持っていた。

幸か不幸か、東京に親戚がいたり、中学浪人時代に知り合った友人が東京の高校に進学したこともあり、高校時代は長期の休みの度に、東京に遊びに来ていた。

田中康夫氏の「何となくクリスタル」が流行った高校時代には、六本木のスクエアビルに出入りしたりしていた。

そんなこともあり、高校生の頃から将来は東京に、それも世田谷か目黒あたりに住みたいなどと、バカげたことを考えていた。

あれから30年。数年前から東京では「LOHAS」がカッコ良くなり、まだまだ少数派だとは思うが、農業に憧れを持つ若者も増えてきた。

要するに「田舎」が「贅沢」な時代になったのだ。

そんな中、今回の「原発」事件で、福島県のみならず茨城県も、ひょっとしたら周辺の県も含めて、「農業」は「壊滅的ダメージ」を受けることになる。

福島県には「裏磐梯」という風光明媚な観光地があり、夏季はドライブやキャンプ、冬はスキーやスノボにと、首都圏からたくさんの人々が訪れている。

個人的には「五色沼」と呼ばれる、沼面が文字通り「五色」に変わる美しい湿地帯がお気に入りである。

ところで、僕の父は栃木県の出身だが、福島県を心から愛していた。

桜の季節になると父のことを思い出す。

父が亡くなってから来月で24年。

僕は今月末で48歳。父がいない人生が半分になる。

今年は、父のことを思い出しながら「お花見」に出掛けよう。