日本社会の「復興」に向けて。

未曾有の災害から今日で3日目。未だにこれが現実だとは信じられない。

イギリスのあるメディアでは「今までに20もの戦争を見てきたが、こんな惨事は見たことがない・・・」と伝えている。

月並みな言葉で申し訳なく思うが、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被災された方々に心からのお見舞いを申し上げたい。

政治や行政に通じるある知人によると、日本を復興させるには10兆円にも上る資金が必要らしく、国際社会の援助無しには無理だろうとのこと。

幸いにして国連も「援助大国である日本を最大限に支援する」と表明してくれているらしい。

壊滅状態に陥った東北地方は少子高齢化の日本を象徴する地域であり、生涯に渡って築き上げた財産のすべてを失った高齢者の方々が、自力でこの惨状を克服するのは不可能だ。

僕に何ができるか?何かできたとして、どれだけのことができるか分からないが、高度経済成長の恩恵を享受し、高い教育を受けた僕たちの世代には大きな責任がある。

日本の復興に向けて、出来る限りのことをしていこうと思う。

ところで、僕の実家は「福島県(郡山市)」ということもあり、軽度ながら被災した。

何かの参考のために、記録の意味も含めて、今回の出来事を書き留めておくことにする。

3月11日(金)14:46、僕は恵比寿駅西口の交差点にいた。

募金を募って座っていた人が「地震だ!」と叫んだ直後、三井住友銀行から大勢の人が走って出てきた。

いったい何でこんな時に日本に来てしまったんだ?と思ったのだろう。僕の隣に駆け寄ってきた外国人は「Jesus ! Oh, my God !」と叫び、泣きそうな顔をしていた。

古いビルは今にも倒れそうで、みんな、建物から離れて車道の中央に避難した。

その時点では、まさか、こんな惨事になるとは予想せず、僕はあるアポイントで代官山まで歩いた。

階段を昇り先方のオフィスに着き、テレビを見ると、ハリウッド映画でも見ているかのような「津波」が、人やクルマを飲み込んでいく映像がライブで中継されていた。

俄には信じられない光景だった。

電話もSMSも通じず心配していたが、余震が収まったのを見計らって帰宅すると、妻も子供も帰宅していた。

代官山の後も曙橋でアポがあったが、「今日の打ち合わせは中止しましょう」というeメールが来た。

友人、知人の安否はTwitterとfacebookで確認でき、インターネットというテクノロジーの素晴らしさを改めて実感した(早速、妻と末弟夫婦にもTwitterのアカウントを取得させた)。

そろそろ寝ようかと思っていると、数時間の遅れで「着信」案内のSMSが届き、弟(次男)から電話があったことを知る。電話をすると、出張先の「京都」で足止めを食らっているとのこと。

翌日の新幹線で東京までは来たものの、僕たちの実家がある福島県郡山市まで、どうすれば帰れるか?調査を始めた。

東北自動車も東北新幹線も不通であり、一般道を通って行くか?クルマはどうするのか?上野で町工場を経営する叔父に電話をすると「4号線は大渋滞。明日まで様子を見た方が無難だ。途中でガソリンが無くなったら大変だぞ」とはやる気持ちを諭される。

東北本線(在来線)はどうか?ANAが福島空港まで臨時便を飛ばすらしい・・・等、様々なオプションを調査した結果、東武鉄道でまず日光に行き、会津若松に抜ければ、そこからタクシーで郡山まで行けるのでは?ということになった。

因みに、会津若松駅周辺のレンタカー営業所に電話が繋がったが、乗り捨ては拒否された。そもそも郡山の営業所と連絡がつかないとのことだった。

そんなことで翌朝(3/13)、弟を送って何年かぶりで浅草まで行き、初めて東武鉄道のホームに行った。弟を見送った後、次いでと思って駒形橋の袂まで行くと、スカイツリーが大きく見えた。

弟は約7時間(新幹線なら1時間20分)をかけて無事、郡山に到着した。

津波と「原発」で大変な状況になっている「いわき市」と較べれば、被災の程度は軽かった郡山だが(それでも住宅が半壊した親族もいた)、市民は軽いパニック状態に陥ってるらしく、スーパーは長蛇の列、食料品の店頭在庫は無くなりつつあるらしい(現時点では、もう無いだろう)。

そして、市中の「ガソリン」が底を付き、身動きができないとのこと。

さて、気がかりな「いわき市」だが、避難勧告を受けた親族が昨晩、郡山の実家に避難してきたそうだ。

海側には何人かの親族が住んでいるが、ひとり、連絡が取れない人がいた。末弟夫妻の家に集まり、あの手この手で連絡を取ろうと試みた結果、ようやく話ができた。

これから避難してくる人を含めて、計8人が僕たちの実家に集合することになったらしい。

こうして自力で動くことができ、尚かつ、身を寄せられる親族がいる人はいいが、そうでない人達が大勢いる。

いつ帰れるかも分からず、避難所で寝泊まりする方々のストレスは相当なはずだ。

ましてや、こうしてブログを書いていられる僕は言うに及ばずである。

ところで今朝、新しく始めた仕事でオフィスに行くと、人影はまばらだった。

関係者と最低限のMTGをし、昼過ぎには僕もオフィスを出た。

弟に頼まれた荷物を送ろうと思いコンビニ(宅配便)に寄ると、関東以北には送れないという。郵便局でも同様だった。

今回の地震は、太平洋側の東北地方すべてにまたがり、500kmにも渡ってプレートが破壊されているわけで、当然と言えば当然である。

尚かつ、気象庁によれば、これから3日以内に、マグニチュード7.0以上の規模の余震が「房総沖」で発生する確率が「70%」だという。

もし、本当にそのような地震が起き、東京が被災したら、いったいどうなるのか?

既に東北地方の半分が壊滅状態であり、首都圏への電力供給のかなりの割合を占めている福島原発が破損したのである。

僕には、どうやって復興するのか?その具体的な手順をまったくイメージできないが、相当な長期戦になるのは間違いない。

そんな中、ETICの宮城さんがベンチャー関連の経営者に向けて送ったというメールが届いた。

阪神淡路大震災および新潟中越地震の復興支援に携わった専門家や現場リーダー経験者やある財団と共に、「震災復興リーダー支援プロジェクト」を立ち上げるという。

僕も出来る限りの支援をしていきたい。

追記1:海外のメディアが報じる原発の建家爆発の映像。信じられないという表情で言葉を失っているアナウンサーの方が印象的だ。

追記2:何事も批判することは簡単だ。国民一人一人が自分に出来ることを全うすることでしか、この惨状から日本を復興させることはできない。