批判的かつシニカルな内容の昨日とは打って変わって、今日は「昭和的」でメルヘンちっく?な話題。
先週末、井の頭線沿線のとある駅前にある「ピアノ工房」を訪ねた。
子供が通っているバイオリン教室の先生のご紹介で、「中古のピアノ」を買うことにした。
ご存知の方も多いと思うが、少子化の影響と電子ピアノの台頭により、国内のピアノ販売台数はピーク時の8割減!といった状況にある。
ピアノは場所を取るし、調律等の維持コストもかかる。それなりのモノを新品で買えば、100万円ぐらいはしてしまう。
安いものであれば、4~5万円で買え、場所も取らず、場合によってはヘッドホンで音を聴くこともできる等の理由から、日本の住宅事情にマッチしている電子ピアノに市場を取って替わられた。
最近は、僕が創業に携わったウェブクルーも手掛けている「中古ピアノの買取サービス」がたくさんあるが、それらの殆どは「海外へ輸出」される。
ところで、僕の実家には、今も「産みの母」が弾いていたピアノが置いてある。
母は当時、ピアノを買うために「積み立て」をしていた。現金では買えなかったのである。
その母が亡くなってから、先月の27日で32年が経った。
まさか自分の子供のためにピアノを買う日が来るとは思ってもいなかったが、先日訪れた「ピアノ工房」には、職人の方から伝わってくるピアノ(楽器)に対する「愛情」や上手く言葉にできない「夢」のようなものが満ちていた。
僕たちが買ったようなレベルのピアノを売っても、調律等にかかった手間暇を考えれば、実質的には赤字だろう。
でも、その方の顔には、満足感のようなものが感じられた。
食べていくのは大変かもしれないが、クラッシック音楽の世界で仕事をしていくことができれば、俗世間的なものとは違う「夢」や喜びがあるような気がした。
因みに、工房には、5,400,000円という値段がつけられたSteinway製(1951年)が置いてあった。
ところで、ジャックアタリは新著「国家債務危機」の執筆を通じて、「国家債務の膨張が手遅れとなる前に機敏に対応して破綻を回避した事例が、歴史的に見て稀であることを改めて痛感しました」という。
束の間の数年だけかもしれないが、ピアノを弾く我が子の姿を楽しみたいと思う。