「都営住宅」と「ミルトン・フリードマン」。

修士論文が本日提出(2/10)で、その指導で慌ただしいところに、投資先で対応しなければならないことが重なり、またしても、ブログの更新が滞ってしまった。

ところで、東京にお住まいの方以外には、どこのことか分からないと思うが、千駄ヶ谷小学校の交差点から外苑西通りに向かった千寿院交差点の近くに、老朽化が激しい都営住宅(おそらく)がある。

人が住めるのか?というぐらいのその都営住宅を目を凝らして見ると、何世帯かは住んでいるようである。

実際、敷地内には、新車で購入したと思しき「高級ステーションワゴン」が何台か停まっている。

そもそも、都営住宅(公営住宅)というのは、低所得者向けに「行政」が「福祉」目的で建設し、運営しているわけだが、その効果を考えた時、民間の賃貸住宅に住むための費用の「一部」を補填することと何が違うのだろうか?

管理費や立て替え費用、また、税収等を考えると、行政が住宅運営をすることは、理に適っているとは思えない。

ミルトン・フリードマンの名著「資本主義と自由」での議論そのものである。

例えば、外苑西通りという「一等地」の「土地の価格」を考えた時、その敷地を民間に売却することで、敷地面積によっては何十億円という資金が東京都に入ってくることになる。

加えて、民間のディベロッパーがマンションを建設することにより、「内需(建設、インテリア等)」が創出される。

お金持ちの中国人(外貨)が購入してくれるかもしれない。

さて、冒頭で「高級ステーションワゴン」の話をしたが、僕が推測するに、老朽化が激しいその都営住宅に住んでいる人は、経済的弱者ではないように思う。

日本の法律では、借家人の方の権利が手厚く保護されており、立ち退いてもらうことは容易ではない。

あの土地があのままで放置(遊休地と言っても過言ではない)されていることに、僕は大きな疑問を感じている。