「民主主義のジレンマ」。

「いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ」は、「ハーバードの世界を動かす授業」の著者:リチャード・ヴィートー教授の講演会への行き帰りの地下鉄で読了。

これで、祝1/100冊。

ところで、ヴィートー教授の講演と質疑応答が終わって会場を出てきたところで、取材に来ていた「WBS(テレビ東京)」のディレクターにつかまった。

「想定外」且つ突然のことでイケテル回答ができず、勉強不足を実感。

3~4分ほどインタビューに答えただろうか?

テイクが採用されるかは分からないが、明日は緊張してWBSを見てみよう。

もし、採用されるのであれば、後半の部分にしてもらえればありがたい。

前半は、あまりに当たり前の質問で、自分で話していても「つまんない」と思う答えしかできなかった・・・。

因みに、インタビュー後半で僕が話したのは、ヴィートー教授の著作で知った「日本の高度経済成長」の「理由」は、ベンチャー企業の経営にも当てはまるということ。

組織の「価値観」が明確なこと。

貯蓄率(内部留保)が高く、投資が活発なこと。

誰が「最終意思決定者」なのかが明確なこと。

そして、決定された方針が「長期」に渡って「継続」すること。

つまり、政権(経営陣)のパワーバランスが明確なこと。

国家や企業という観点を超え「機能する組織に共通する条件」のひとつのパターンだと思う。

「民主主義の限界」という話を僕のブログでも何度か書いているが、ヴィートー教授も、民主主義国家である米国や日本、欧州よりも「共産党の一党独裁」の「中国」が上手く行っていることに言及していた。

価値観が多様化する社会では「誰の利益を優先するのか?」という問題にぶち当たる。

高齢者を優遇すれば、若年層には辛い政策になったりする。

こちらを立てればあちらは立たない。

「八方美人」はあり得ない。

政治家も、このままでは日本は立ち行かないと分かっていたとしても、「票」を獲得して「当選」しなければ、政治の仕事はできない。

となれば、「人口構成」でも「投票率」でも「マジョリティ」である「高齢者」の「票」を得られる政策を掲げなければ当選できない。

「民主主義のジレンマ」に関する話をした。

さて、明日のWBSを楽しみ?にしよう。

「劣後順位」:僕の場合は「YOUTUBE」。

昨日は「子守り」のためにアメリカから長期帰国している叔母に会うために、妻方の従姉妹の家に遊びに行った。

途中で消されてしまったが、たまたま見たテレビで、元プロ野球の「衣笠祥雄」選手の現役時代を振り返り、彼の「名言」を紹介する番組が放送されていた。

「大きな喜びは決して色褪せない。だから人間は、大きな喜びを経験すると、もう一度、その喜びを味わいたくなり、困難にもメゲズに頑張るのである」。

一言一句は別として、彼のそんな言葉が紹介されていた。

ところで、一昨日のエントリーで「今年は読書100冊!」と書いたが、達成できるか?と言われると、正直、自信はない。

でも、どこまでやれるかやってみようと思っている。

「捕らぬ狸の皮算用」は、こういうことだ。

僕は読むスピードが遅く、本の内容やその時の体調にもよるが、30分に「15~20ページ」つまり、一時間に読めるのは「30~40ページ」である。

となると、300ページのビジネス書を読了するには、読書に一日3時間強を確保できたとして3日を要することになる。

すると、一週間で何とか2冊。一ヶ月で8冊。12ヶ月 X 8冊=96冊となる。

週末は子供の相手や家庭の用事があるので、本を読むことに使える時間は平日に限られるため、会食や何やのと夜の予定が入ることを考えると、上記の方程式は甚だ心許ない。

まあせいぜい「50冊」がいいところだろう。

でも、目標は高く!ということで、どこまでやれるか頑張ってみよう。

そのためには、物事の優先順位をつけ、優先順位の低いものをバサッと捨てる必要がある。

さらに言えば、これもドラッカーの教えだが、優先順位よりも「劣後順位(しないことの順位)」が大切だ。

僕の場合、その筆頭格が「YOUTUBE」。

実は、一昨日の晩、テクニカルには昨日の深夜、02:30amまで、YOUTUBEを見ていた(聴いていた)。

あと78日で48歳の身体は正直で、昨日も今日も、集中力にやや欠ける。

山川さんの推薦で年末から読み始めた「いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ」は、読了まで「あと20ページ」。

さて、今日はこの後、昨年末に読んだ「ハーバードの『世界を動かす授業』」の著者:リチャード・ヴィートー教授の講演会がある。

その後は、お酒とYOUTUBEの誘惑を断ち切って、残り20ページを片付けたい・・・。

【続】「黒澤 明」にはなれなかったけれど・・・。

今日は昨年末に行けなかった「お墓参り」に行った後、明治神宮に「初詣」に出掛けた。

七草も終わり、お正月は終わったにも関わらず、三連休で尚かつお天気も良いこともあり、境内は大勢の参拝客で賑わっていた。

参拝の列に並んでいると「なんて言えばいいの?」と子供が聞いてきたので、「今年は何をしたい?」と聞くと、「なるほど・・・」という答えが返ってきた。

5歳児は単なる子供(単純)だと思ってはいけない。充分に「社会(人間関係)」のことを考えている。

ところで、大した仕事もしておらず悠長に芝刈りをしているような身分ではないのだが、景気づけに「初打ち」に行きましょう!ということで、昨日はドリームゲートのアドバイザリーボードの面々でゴルフに出掛けた。

コースは「富津ブリストルヒルズ」

Gated Community なるコンセプトで、敷地内に「分譲住宅」があるプライベート倶楽部のようなゴルフ場だが、金融危機(リーマンショック)のせいもあってか分譲が順調に進んでいないらしく(リーマンショックがなくても、順調に進んだかどうかは疑問である)、ゲスト登録すれば一般客もプレーができるようになっている。

因みに、ゴルフ場の従業員は否定するが、「石川遼」選手は分譲住宅を購入したひとりらしい。とても難しいコースで、練習に最適なのだろう。

その難しい「ブリストルヒルズ」だが、フェアウェイを外すと、すぐに「ペナルティエリア」にボールが入ってしまう。

フェアウエイは広くも狭くもないが、ラフが狭く、そのラフが終わると「草ぼうぼう」となり、とてもボールを探せる状況ではなく、ロストボールは必至。

これは僕の邪推だが、開発費がもたなかったのだと思う。

あの「草ぼうぼう」のエリアをボールを探せるように整備するには、相当なお金がかかるだろう。

さて、昨日は、その超難関コースにも関わらず、一緒に回った松谷さんの意向により、なんと「フルバック」からラウンドした。

因みに、3番ホール(ロングホール)は「615ヤード」。尚かつ、途中から打ち上げ。

全米オープンじゃないんだからさ・・・���いう感じである。

でも、そのホールは、何とかボギーで切り抜けた。

ドライバーを辛うじてフェアウェイ右のラフに留め、2ndをユーティリティで打ち、打ち上げとなる第3打は無理をせず、7番アイアンで刻んだ。

4打目(アプローチ)をピンそば2メートル弱に付け、下りのパーパットを慎重に打ったが、カップの直前でフックし、僅か左を通り抜けた。

我ながら上出来なパットだったので、まあ仕方ない。

このホールはまずまずだったが、前半:54、後半:64で、トータル:118。

散々なスコアだった。

ところで、昨日のゴルフを通じて、僕は大切なことを学んだ。

それは「自分の限界を『認める』」ということだ。

今日のエントリーで書こうと思っている内容は、タイトルこそ違えど、以前にも何度か書いている。

例えば、今から4年半前、「すべてを受け入れる」というタイトルで書いたことがあった。

何を言いたいかというと、分かったつもりが、実は「分かっていない」ということだ。

順番が逆になったが、一緒に回ったメンバーは、プロジェクトニッポン(ドリームゲート運営企業)の松谷さんクレア法律事務所(代表弁護士)の古田さんと僕の3人。

松谷さんとは7回目のラウンドだったが、昨日で「3勝3敗1分け」。

でも、ゴルフのレベルは、松谷さんの方が格段に上である。

実は、初回は僕の負けだったものの、その後は引き分けを挟んで僕の勝ちが続いていたが、それは、松谷さんが途中で大叩きをして自滅してくれたからであり、実力差は必ず現れるもので、ここ3回は3連敗で、遂にイーブンになった。

最近はレッスンにも行かず練習もしていなかったという事情はあるが、5年もレッスンに通っていながら、レッスンは受けたことのない(僕の推測)松谷さんの方がスウィングもキレイだし、飛距離もナイスショットの確率も高い。

要するに、「才能が違う」ということだ。

昨日のゴルフを振り返りながら、プロゴルファーの「藤田寛之」選手のことを思い出した。

藤田選手のことは昨年12月のエントリーでも書いている。

彼は「クルマに例えれば、自分はポンコツ。(タイガー・ウッズやフィル・ミケルソン等)あっちはスーパーカー。でも、そのポンコツでどこまで勝負できるか?トコトン挑戦したい」と言っており、そのことを引き合いに出し「努力の人」なのだろうと書いたが、実際には、その「本質」を理解していなかったということを、昨日のゴルフで知った。

冷静に考えて、ポンコツでスーパーカーに勝てる訳がない。

でも、藤田選手は諦めずに「挑戦し続けている(努力をし続けている)」。

スーパーカーもミスをするし、調子が悪い時もある。

その時(チャンス!)、自分がの調子が良ければ、ひょっとしたら勝てるかもしれない。

才能がないと言って「努力まで諦めて」しまったら、そのようなチャンスが巡って来ても勝つことはもちろん、競ることもできない。

また、努力を続けられるのは「ゴルフが好き」だからなんだろうし、努力が出来なかったという自分を「見たくない」のだと思う。

才能がなければ、人一倍「努力」するしかない。

それが出来ないのなら、さったと止めた方がいい。

才能溢れる相手の何倍も努力せずして、勝てる可能性はない。時間の無駄である(好きなこと、自分が続けられること、努力が苦にならないことを仕事にした方がいい。そうでなければ、結果は出せない)。

僕ぐらいの人間が、ビジネスの世界で起業家として生き残っていくには、それこそ、他人の何倍も努力する必要がある。

話は変わるが、ゴルフの前日、インタースコープ共同創業者の山川さんの誕生日会で久しぶりに会った、バーチャレクスというベンチャーを経営する丸山勇人さん(ゴルフのハンディは「5」)から、とても為になる話を聞いた。

「ラウンドも勿論ですが、ドリル(練習)もイメージが大切なんですよ。だいたい、ピッチングを打って、7番を打って、5番を打って、スプーンを打って、ドライバーを打ってって感じでしょ。それじゃダメなんですよ。アプローチだったらアプローチだけ、一日中練習するんですよ。仕事だって何だってそうじゃないですか?ある時期は、それこそ『あいつ、変だよ!』って言われるぐらい、徹底的に集中しないとダメなんですよ」。

おっしゃるとおりである。

年男の今年(もう後がない)は、とにかく「徹底的に『本』を読む」こと(つまり、勉強すること)と、僕にとって2冊目の本の「原稿を書く」こと。

これに「絞る」ことにした。

本は、目標「100冊」。3.5日に1冊。

数えたことはないが、今までの人生では、年間せいぜい「20冊」である。

つまり、読書量を「5倍」にするということだ。

これは、生活を変えない限り達成不可能である。

でも、才能がなければ、努力をするしかない。

結果を出したければ、それしかない。

ところで、バックナンバーを探していて、「黒澤 明にはなれなかったけれど・・・。」というエントリーを見つけた。

前半はさておき、自分で言うのも何だが、後半はなかなかいいことを書いている。

自分が欲しかった才能を持って生まれなかったことを悔やむのではなく(悔やんでも、欲しかった才能が手に入るわけではない)、「持って生まれた才能を100%発揮する」ことにエネルギーを集中することが大切。

これも、このエントリーを書いた時には、知識や理屈としては知っていても、その「事実」を受け入れられてはいなかったということだ。

一説によると、殆どの人間は自分が持って生まれた才能の20%程度しか発揮していないらしい。

本当の意味での「理解する」ということは、「行動が変わる」ということである。

小川先生のブログ。

新しい年が始まって今日で一週間。日本社会はそろそろ正月気分が抜けた頃だろうか?

さて、昨日は昼前から、法政大学大学院(イノマネ)で担当させていただいている学生の方々の修士論文の指導があった。

とは言っても、今年度は僕は副査なので、小川先生の指導に同席させていただき、来年度のための「予習」をさせてもらっている。

昨日は、計4人の方の論文指導があったが、テーマの選定は勿論、論文の構成や文章にそれぞれの個性が如実に表れる。

ところで、論文指導の合間に小川先生と雑談をしていたこともあり、昨晩は、改めて小川先生のブログを読んでいた。

ブログのテーマはもちろん、文体も含めてとてもおもしろく、読んでいて勉強になるのだが、その中でも、2つのエントリーが印象的だった。

この先の2~3年間は、事業の継承に時間を投入します。
退出のルールと組織のモラル:法政大学駅伝部は、ふたたび箱根の坂を登っていくことができるか?

実は、僕がインタースコープを退任するという挨拶メール(一斉配信メール)を送った時、一番最初に電話を下さったのが小川先生だった。

実際には、2番目か3番目だったかもしれないし、何人かのベンチャー仲間も電話をくれたが、僕の記憶に最も強く残っているのが小川先生だった。

たぶん、こうして仕事でお世話になっているから、そう記憶してしまっているのだろうが、その時以外でも、例えば、僕が「失意のどん底」にいた2009年の夏も、何でこういう絶妙な時に・・・というタイミングで電話をかけてくる方なのだ。

実際、小川先生に拾ってもらったようなものである。

ところで、インタースコープ共同創業者の山川さんに勧められて読んでいる「いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ(著:吉川洋氏、ダイヤモンド社)」を読んでいて、その内容とはまったく関係ないのだが、小中学校と一緒だった「佐藤禎久」君(当時は、よっちゃんと呼んでいた)のことを思い出した。

彼とは一緒にバンドを組んだりと、かなり親しくしていたが、いつも相談にのってもらうのは僕の方だった。

彼の部屋についても、なかなか本題を切り出せない僕をせつくわけでもなく、いつも雑談に付き合ってくれていた。

いい加減、アイス・ブレイキング(緊張を解き解す)は終わっただろう?というタイミングまで待った上で、「ところで、相談って何?」というふうに、話を切り出してくれた。

もうひとり、「佐藤直浩」君(なおくろとか呼んでいた)という親友がいたが、そう言えば、彼は、法政大学だった(と思う)。

彼は非常に優秀な奴で、尚かつ、高給取りなバイトをしていたこともあり、金欠になると、彼が住んでいた「和敬塾」という学生寮まで借金に行っていた。

こうして思い出しながら書いてみると、なんとも情けない少年時代と学生時代を送っていた人間だったということが分かり、少々情けなくなる。

ある時から、そのことには気づいていたが、要するに、さんざん他人の世話になって生きてきた人間だということだ。

「言うは易し、行うは難し」だが、これからは、少しは人の役に立てる人間になりたいと思う。

さて、そろそろ山川さんの「誕生日会」に出掛けるとしよう。

元社員からもらった「勇気」。

僕も今日から仕事始め。

とは言っても、決められた時刻に出社する、いわゆる「通勤」というものがない僕は、自分で仕事を始めれば、それが仕事始め。

今日は朝、子供を保育園に送った後、メールの返事を書いたり、雑用を済ませた後、お世話になっている小川教授への挨拶に市ヶ谷まで出掛けた。

小川先生と10分ほど話をした後は、青山のオフィスに行き、年賀状をチェックした。

ところで、話を今朝に戻すが、子供を保育園に送っていく、いつものルートは、クルマの往来も少なく、まだ閑散としていた。

官公庁や金融機関は今日から仕事始めだが、他の業種はまだ正月休みで、本格稼働は明日からなのだろう。

そんなこともあってか、保育園も園児が少なく閑散としていた。

同じ組の子は我が子を入れて3人。大の仲良しの友達も休みらしく、彼の姿も見当たらない。

あまりの閑散さに唖然とした我が子は、「○○くんは、どうして休みなの?」と訊いてきた。

どうにも心細くなったらしい。他の子は元気で散歩の準備をしているのに、我が子だけは僕にしがみついたままだ。

でも、幼稚園の初日、園庭の門のところで、走って家に帰りたい・・・という衝動を必至に堪えていた人間が父親なわけで、彼を責めることはできない。

昨年のエントリーにも書いたが、受け継いで欲しくなかった僕の遺伝子を受け継いでいる、ということだ。

しかし、そんな僕でも、起業し、今年で20年になろうとしているわけで、彼も何とかやっていくだろう。

彼の欠点や弱点(言ってみれば、僕の欠点と弱点なので当たり前だ)をよく知っている僕が、彼が僕のアドバイスを理解できる年齢まで元気でいることと、その時、アドバイスを受け入れようと思ってもらえる父親でいることが、僕に課せられた責任だと思っている。

ところで、今年は、プライベートの年賀状はいつもどおり出したが、仕事の年賀状は、とある考えがあり、敢えて出さなかった。

実は「寒中見舞い」として、近いうちに出す予定である。

会社宛に頂戴した年賀状を見ていたら、昨年からマクロミルとなった旧インタースコープ社員のひとりからの年賀状に、心に「じ~ん」と来ることが書いてあった。

昨年8月、実質的にはマクロミル、インフォプラント、インタースコープの3社が合併した形となった際、そのキックオフMTGのビデオで、大谷さんや僕の写真が流された話は別の元社員から聞いていたが、「平石さんの写真も流れ、熱い気持ちになりました」というひと言を読み、新年早々、小さな「勇気」をもらった。

僕は幸せ者だ。

自分の子供のためは勿論だが、彼のような元社員の期待に応えるためにも、あの頃とは「生き方」は異なっても、まだまだ頑張っていかないと・・・。

「日本人の貯蓄率」と「国債発行原資」。

今日は、大学院時代の恩師のご自宅での新年会があるとかで、昼過ぎから妻が外出し、その後は、僕と子供とふたり。

昼前はひとりで機嫌良く遊んでいた5歳児もだんだんと飽きて来て、妻が外出する前あたりから「お父さん、何かしよう?」とせがんでくるようになった。

妻を見送った後、近所の公園に行くと、保育園で一緒の友達に会う。

年末にインフルエンザに罹り、治った後は僕の実家に帰省と、体力が消耗し、尚かつ、新幹線での移動で疲れているのだろう。暫く遊ぶと、珍しく自分から「お家に帰る」と言い出した。

公園を出た後、人影まばらな銀行のATMコーナーに寄り、夕食の買い物をして家に帰ると、ソファーで眠ってしまった。

さて、元日のエントリーで、今年は「数字」にまつわるコラムを書くと書いたが、今日は「貯蓄率」に関する話。

ひと頃まで、日本人は勤勉で尚かつ「貯蓄率」が高いというのが通説だったが、その構造は過去の話である。

1990年代までは「10%」以上をキープしていた「家計純貯蓄率」は2000年を境に減少し、2008年には「約3%」まで低下。

因みに、この数字は、かの「イタリア(約9%)」よりも低い。

では、その理由はさておき、貯蓄率の低下は、一国の経済にとってどのような意味を持つのだろうか?

ひとつは、「国債の購入原資」が「枯渇」する(詳細は、野口悠紀雄氏のコラムを参照されたし)。

国債の殆どは「金融機関」経由で購入されているが、その「原資」は国民の「預貯金」いわゆる「個人金融資産」である。

貯蓄率が低下するということは、国債購入原資の「個人金融資産」が増えないことを意味するが、金融機関はどうするか?というと、企業(それ以外もある)への「貸出」を「削減」する。

因みに、1996年から2006年までの10年間に「国債と地方債」と合わせて「382兆円(GDPは約450兆円)」が発行されているが、その間、「金融機関の貸出」は「207兆円」減少している一方、「株式以外の証券(国債と地方債)」は「約300兆円」増えている。

つまり、国民から集めた「預貯金」を「企業」に貸して「金利」収入を得ていたものを引き揚げ、その分を「国債購入」に洗い替えする(した)ということだ。

尚、金融機関の貸出残高「700兆円(2009年)」の内、160兆円は「住宅ローン」であり(この引き揚げは事実上、不可能だろう)、企業への貸出残高は「540兆円」となる。

リーマンショック後、急速に増大した国債と地方債の発行額(約60兆円)が継続した場合、あと「9年」で「引き揚げる原資」も「枯渇」する。

これは「理論上」の話であり、実際には「貸出をゼロ」にするのは「不可能」だろう。

となると、国内での国債消化は困難になり、長期金利が「上昇」。つまり、国債が「暴落」=「金融機関の資産(保有国債の価格)が悪化(目減り)する」ことになり、金融危機を招くことになり兼ねない。

では、国債を「海外に販売」すればいいじゃないか?というと、そのような財政状況の「日本国債」の格付けは「ジャンク」だろうから、額面通りでは買ってもらえず、やはり「暴落」。

となると、円高改め「円安」となり、インフレとなる可能性は極めて高い。

分かりやすく、仮に、額面1ドル(1ドル=100円として)が、50セントでないと買ってもらえない場合、1ドル=200円になる。

因みに、時価総額でソニーやパナソニックを大きく上回るサムソンの母国「韓国」は、タイに端を発した1997年の「アジア通貨危機」の影響を受け、国家財政の破綻寸前まで行き、IMF(国際通貨基金)が介入する事態に陥ったが、その後、経済は回復。

現在の失業率は、日本よりも低い(2010年@韓国:3%強 v.s. 日本:5%強)。

この「歴史的事実」から何を読み取るべきか?

[世] [画像] - 失業率の推移(1980~2010年)の比較(韓国、日本)

謹賀新年2011:「地方都市」と「社会の変化」。

皆様、新年明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い申し上げます。

さて、年末29日に帰省して以来、寒さも手伝い、どこかへ出掛けるでもなく家の中で過ごすことが多く、間違いなく運動不足だったので、元日の今日は、お昼を食べに出掛けました。

因みに、年末は忘年会等で出歩く機会が多く、タクシーには乗らず、なるべく歩くようにしていましたが、先々月に買い換えたドコモのケイタイに付いている「万歩計」によると、27(月)は「9,714歩」。それが、30(木)は「867歩」、31(金)は「1,465歩」でした。

ということで、2011年最初のエントリーは、昼食で外出した時に思ったことを書いてみます。

僕の実家のある福島県郡山市は人口が約34万人。典型的な地方都市です。

僕は大学進学に伴い上京して以来、帰省する度に「地方都市」の「構造的変化」を目の当たりにしてきましたが、今日は、そのことを改めて感じました。

地方都市というのは、首都圏や関西圏と違い、公共交通手段が充実していないこともあり、繁華街はほぼ例外無く、中心となる「駅」周辺(駅前)になっています。

郡山もその例に洩れず、新幹線の停車駅でもある「郡山駅」の西側に繁華街があります。

しかし、今から約10年前(2000年10月)、駅前にあった「西武百貨店」が閉店しました。

次いで、2008年2月29日を以て、やはり駅前にあった「丸井」が閉店しました。

それは「車社会」の発展により「駐車場」不足が常体化したことの解決策として「市街地の郊外化」が進んだことが大きな原因です。

しかし、「新車の販売台数」は全国レベルで見ると皆さんご存知のとおり、1990年の800万台弱(軽自動車を含む)をピークに下落を続け、今年は450万台を割り込むそうです。

因みに、ある中国人留学生の調査によると、「中古車」登録台数(流入+小売り+業販)は、1995年から2005年まで、ほぼ800万台で推移しています。

1995年頃は「約5年」だった新車の買い替えサイクルが長期化(2005年時点で約7年)したことにより、新車の販売台数は伸び悩んでいるわけですが、保有台数は増大(約4,300万台@1995年→5,600万台@2005年)しており、公共交通手段が充実していない地方都市においては、「お出かけ」はますますクルマになってきているわけです。

そんなこともあり、現在では、郡山「駅前」に残る「百貨店」は地元の「うすい百貨店(現在は三越傘下)」だけになりました(途中、駅前の生き残り競争で、うすいは増床しています)。

さて、そんなことで今日は「THE MALL」なるショッピングセンターに出掛けたわけですが(もちろんクルマで)、なんと駐車場の収容台数は「2,000台」以上だったと思います。

その駐車場が半分以上、埋まっていました。

因みに、渋谷西武(ロフトと共有)の駐車場の収容台数は「209台」。
渋谷マークシティが「200台」。
東急本店が「426台」。

ところで、日本の借金(政府債務)がGDPの2倍になるのは時間の問題と言われていますが、公共部門の借金問題は、政府(中央)の問題だけではなく、地方都市も同様です。

2010年度の郡山市の「税収」は、約475億円。

それに対して、市債の発行額は「約60億円」。借金残高は「967億円」。借金返済に充てる支出(公債費)が一般財源に占める割合は「13.7%(132億円)」。

参考までに、一般会計に占める国債費(借金返済)は「22.4%」。

市街地の郊外化が進むことはイコール、電気、水道、ガスといった「生活インフラ」のコストが膨らむことを意味します。

高齢化が進めば、クルマの運転ができない人の比率も増えるでしょう。

「社会」は確実に「変化」していきます。

その「変化」には、どのようなイノベーションの「機会」が潜んでいるのか?

今年は、そのような「意識」を持って毎日の生活を送っていこうと思います。

追伸:今年は僕の「職業?」らしく、日々の思いを綴るだけでなく、社会の「数字」を踏まえたコラムを書いていこうと思っています。