ドラッカーから学んだこと。

先月からあまりブログを書かなくなり、今月はこのエントリーが5回目。

ドラッカーは、世の中が変化した後は、それ以前が嘘だったかのように後戻りできなくなるという趣旨のことを書いているが、ブログに関して言うと、まさにそういう感覚である。

でも、以前のブログを読み返してみると、その頃の自分がいかに何も分かっていなかったか(平たくいうと、バカだったということ。今でもそうかもしれないが・・・)がよく分かる。

それだけでも、ブログを書くに余りある理由である。

ところで昨日、とある出来事で、久しぶりにひどく落ち込んだ。

その昨日の出来事で、僕は、ドラッカーのひと言を思い出した。

一言一句は別として、ドラッカーはしばしば、「変化の理由は分からない。しかし、理由は分からなくても、事実をきちんと理解できればイノベーションは起こせる」という趣旨の発言をしている。

たしかにそう思うし、臨床心理士の妻も「理由(原因)を知ろうとするよりも、それ(現実)を踏まえて、これから先、どうするか?を考える方が建設的でしょう!?」という趣旨のことを言う。

たしかにそうだろう。

でも僕は、なぜ、そうなったのか?その「原因」を知りたい。

それは、子供の教育にも繋がる。

僕たちの子供は今年で5歳になったが、人間、5歳にもなれば、立派な人格がある。

そして、彼を見ていると、長所もたくさんあるが、明らかに「これは僕からの遺伝だろう」と思える「短所」がたくさんある。

違う言い方をすれば、僕の責任である。

出来ることなら、僕の「短所」は、子供に残したくない。

そのことで辛い想いをするのは目に見えている。

僕が何故、今の性格になったのか?に関しては、僕なりに「仮説」がある。

その仮説に自信があるのであれば、その仮説に忠実に子供を育てればいい。

しかし、僕の仮説が正しかったかどうかを知るのは、彼が成人した後である。

尚かつ、僕の仮説が正しかったとしても、受け手は、僕とは違う人間である。

ところで、前述のとおり、子供も5歳にもなれば、悩みもある。

個人差はあると思うが、その悩みも、親が訊かなければ、本人からは口にしない。

相手に興味を持ち、相手の悩みを理解しようとする姿勢がなければ、現実は分からない。

「理論的」な「分析」と同時に、「知覚的」な「認識」が必要である。

そんな���とを考えた日曜日だった。

話は変わるが、兼任講師としてお世話になっている「法政大学ビジネススクール(イノベーション・マネジメント研究科)」で、来年度から「客員教授」を仰せつかることになった(予定)。

とても光栄に思う。

今年度と同様、プロジェクトと呼ばれる科目(事業計画の策定)に加えて、通常の講義も担当することになった。

講義名は「アントレプレナーシップ論」。

英文タイトルも要請され、少々勇気が必要だったが「Innovation & Entrepreneurship(イノベーションと起業家精神)」とした。

そう。ドラッカーの書籍のタイトルである。

名前負けするのは必至かもしれないが、最善を尽くしたい。

僕の今までの起業家人生で経験した悲喜交々な出来事をドラッガーから学んだ「原理原則」に照らし合わせ、成功した原因は何だったのか?失敗した原因は何だったのか?を体系的に整理し、それをもとに講義を行う予定である。

明後日がシラバス提出の締め切り。

僕にとって、ここ1ヶ月は、そのことが最重要課題であり、一生懸命に内容を考えてきた。

講義は臨機応変に変更してもいいらしいが、シラバス(企画)の段階こそ、手を抜かずに対応したい。

「イノベーションには、他の仕事と同じように、才能や素地が必要である。しかし、イノベーションとは、あくまでも『意識的』且つ『集中的』な『仕事』である。『勤勉さ』と『持続性』、それに『献身』を必要とする」。

これもドラッカーから学んだことである。