既に起こった「未来」。

さて、いよいよ今日で2010年もお終い。

僕は実家のリビングで、紅白を見ながら、このエントリーを書いている。

僕のブログを読んで下さっている皆さんはいかがお過ごしだろうか?

2009年は、ひと言で言うなら精神的に辛い一年だったが、2010年は、精神的な「抑揚」があった一年だった。

2009年の夏に一旦、すべてをゼロリセットして、それまで殆ど読んだことがなかったドラッカー、ミルトン・フリードマン、ジャック・アタリ、スマイルズ、ミンツバーグ等の本を読み出し、今までの人生を振り返った。

また、つい先日は、エドガー H. シャインの「キャリア・アンカー」なる概念に関するワークブックを読み、期せずして、自分のアイデンティティについて再確認することができた。

具体的なテーマはまだ見つけられていないが、やっぱり僕は「イノベーション」が好きだし、「新しい社会的価値」を生み出す人生を送りたい。

但し、シュンペーターが言うとおり、常に「新結合(イノベーション)」を行っているというのは非現実的であり、「企業者であることは職業ではなく、通常一般には永続する状態ではない」。

企業家(起業家)は、自らは変化を起こさないかもしれないが、変化を利用する。

新しい年は「変化」を探し、「変化」を利用できるよう、精進を続けたい。

皆さんにおかれましても、良い年になりますように!!

おばあちゃん家はどこだ?

子供のインフルエンザで帰省どころではないと思っていたら、今朝にはすっかり元気になり、一度はキャンセルした新幹線の切符を取り直し、先程、実家に到着した。

郡山駅からタクシーに乗り、10分程してクルマを降りると、料金を払っている間に、「おばあちゃん家はどこだ…。あっ、ここだ!」と言って、実家の玄関に向かって走っていった。

5歳にもなると、地理感覚も場所の記憶力も一人前なんだということに、新鮮な驚きを覚えた。

今年も実家で新しい年を迎えられることを幸せに思う。

iPhoneからの投稿

明日からは帰省・・・のはずだったが。

今日は、今年最後のアポイントが2件。

明日からは帰省・・・のはずだったが、子供がインフルエンザを発病。

帰省どころではなくなり、アポの合間に新幹線の切符をキャンセルした。

12/29から1/2まで東京を留守にするはずだったので、なんとも気が抜けた。

ひとりの時間があれば、読みたい本は山ほどあるが、そうはいかないだろう。

さて、この年末年始は何をして過ごそうか?

ところで、浅田麻央が復活の兆し。

亀田兄弟は二人揃って王座防衛に成功。

民主党も見習って欲しいね。

来年は、4度目の「年男」。

土曜日のクリスマス会はとても楽しい時間だった。

僕の人間関係はその殆どが仕事での接点がある人達で、せいぜい妻の友人の何人かが加わる程度だったが、子供のお陰で、仕事では何の接点もない人達との交流が生まれた。

子供という共通のテーマで始まった関係が、結果として職業的関心事もある程度は共有でき、尚かつ、旅行にも一緒に行く交友関係にまで発展したのは、僕の人生にとって、とても大きな出来事であり、財産である。

ただ、その楽しいメンバーとのクリスマス会で、お昼前から夜7時過ぎまで、断続的に飲み食いしていたお陰か?今日は朝から胃が痛かった(苦笑)。

さて、人によっては既に立案済みかもしれないが、僕も少しずつ、来年のことを考え始めた。

その前に、今日はいつものメンバーでの「反省会」がある。

年初に掲げ合った公私それぞれの目標の結果を報告し、また、新しい年の目標を掲げるという会だが、もう15~16年ぐらいは続いているだろうか?

因みに、今年の目標は公私ともに全滅だった・・・。

来年は、4度目の「年男」。

月並みだが、良い年にしたい。

教育サミット@クリスマス会!

今日は子供が昨年まで通っていた保育園時代の友人家族でのクリスマス会。

大人と子供と合わせて総勢20人が我が家に集まり、大人はシャンパン2本、ワイン6本を空にして、子供達は同窓会を楽しんだ。

大人達の話題は専ら「小学校(教育問題)」。言ってみれば、教育サミットだ。

特に母親は、我が子の将来を左右する教育問題に関しては、真剣度合いが違う。

まだ20代の頃、社会や経済の構造も知らず、浮かれてクリスマスを過ごしていた人間も、そういう立場になれば、興味関心は変わるということだ。

今日集まった5歳と6歳の子供達は、どんな大人になるのか?

彼・彼女達が大人になった時、日本はどんな社会になっているのか?

ホスト役の僕はキッチンで洗い物をしながら母親達の真剣な議論に耳を傾け、15年後のことを考えた。

I wish you have a Merry Christmas & a Very Happy New Year !!

なりたかった「職業」。

今日は法政大学ビジネススクール(イノベーション・マネジメント研究科)のシラバス提出の締め切りで、朝から具体的講義内容を思案&整理中。

だいぶ考えがまとまったので、休憩を兼ねてブログを書くことにした。

「希望学」なる研究テーマについては以前にも何度かこのブログで紹介したことがあるが、大半の人が、小学生や中学生の頃に「なりたいと思っていた職業」に就くことはないのが統計的事実である。

しかし、なりたいと思っていた職業つまり「将来の夢(希望)」を持っていた人の方が、持っていなかった人よりも、「今を幸せと思う」割合や過去に「充実感や達成感を味わった経験がある」とする割合が高いことも分かっている。

さて、そういう僕はどうかというと、小学生の時に「将来なりたいと思った職業」があったかどうかの記憶がなく、その有無が分からない。

中学生、高校生の頃は、漠然とではあるが「ミュージシャン」だった。

中学に入って最初の頃は、将来の職業的イメージがまったく湧かず、同時に、会社で働くというイメージも持てなかったので、その気は無かったが、級友達には「将来は北海道で牧場経営者」になると話していた。

「ミュージシャン」への憧れは、大学1年の頃までは持っていたが、冷静に考えた時、それは無理だ(才能がない)と判断し、その道は断念した。

でも、中学の頃からバンドを組み(下手くそではあったけど)、高校生になっても続けていた。

ミュージシャンを諦めた後は、「俳優」を目指そうと思うようになった。

実際、オーディションには合格した(300人中5人が合格)。

でも、その道で勝負する自信(勇気?)は持てなかった。

ミュージシャンと俳優以外で興味を持っていたのは、「英語」だった。

今ではだいぶ薄れたが、中学で初めて英語の授業を受けた時は、世の中にこんな楽しいものがあったのか?と思うほど感動したし、英語の成績は良かった。発音も褒められた。

大学卒業後、アメリカないしイギリスへ留学したいと思ったが、父親から、これ以上、お前にかじらせるスネはない・・・と言われ、止む無く就職した。

さて、「起業」なり「ビジネス」に対する興味はいつ頃からあったのか?と言うと、起業する直前まで無かった。

でも、音楽よりも、俳優よりも、起業での方が成果を残せたのは間違いない。

一方、音楽にしても俳優にしても起業にしても一貫して足りていないのは、「体系的」に「知識」を習得することだ。

「原理、原則、方法論」を学ばずに、「直感と勢い」に任せてやってきたからである。

幸か不幸か今まではそれでそこそこ結果を残せたが、再現性には極めて乏しい。

だから、ドリームビジョンでは失敗した。

建設的な言い方に変えれば、なので今、学んでいる。

さて、来年度の講義のテーマは「アントレプレナーシップ論(Innovation & Entrepreneurship)」だが、僕の経験をケース材料にして、ドラッカーやシュンペーター、クリステンセン等が提示する理論や方法論に当てはめて解説し、学生の皆さんと議論したいと思っている。

また、MBAで学ぶ人達は殆ど例外なく、人生の転機にいるはずなので、ここ最近、興味を持ち始めた「キャリア論」的アプローチ(エドガー H. シャイン、ブリッジス、クランボルツ等)も加えて、起業家(企業家)としてのキャリアを歩む上での「リスク」もテーマとしたい。

ということで、シラバス作成の続き・・・。

ドラッカーから学んだこと。

先月からあまりブログを書かなくなり、今月はこのエントリーが5回目。

ドラッカーは、世の中が変化した後は、それ以前が嘘だったかのように後戻りできなくなるという趣旨のことを書いているが、ブログに関して言うと、まさにそういう感覚である。

でも、以前のブログを読み返してみると、その頃の自分がいかに何も分かっていなかったか(平たくいうと、バカだったということ。今でもそうかもしれないが・・・)がよく分かる。

それだけでも、ブログを書くに余りある理由である。

ところで昨日、とある出来事で、久しぶりにひどく落ち込んだ。

その昨日の出来事で、僕は、ドラッカーのひと言を思い出した。

一言一句は別として、ドラッカーはしばしば、「変化の理由は分からない。しかし、理由は分からなくても、事実をきちんと理解できればイノベーションは起こせる」という趣旨の発言をしている。

たしかにそう思うし、臨床心理士の妻も「理由(原因)を知ろうとするよりも、それ(現実)を踏まえて、これから先、どうするか?を考える方が建設的でしょう!?」という趣旨のことを言う。

たしかにそうだろう。

でも僕は、なぜ、そうなったのか?その「原因」を知りたい。

それは、子供の教育にも繋がる。

僕たちの子供は今年で5歳になったが、人間、5歳にもなれば、立派な人格がある。

そして、彼を見ていると、長所もたくさんあるが、明らかに「これは僕からの遺伝だろう」と思える「短所」がたくさんある。

違う言い方をすれば、僕の責任である。

出来ることなら、僕の「短所」は、子供に残したくない。

そのことで辛い想いをするのは目に見えている。

僕が何故、今の性格になったのか?に関しては、僕なりに「仮説」がある。

その仮説に自信があるのであれば、その仮説に忠実に子供を育てればいい。

しかし、僕の仮説が正しかったかどうかを知るのは、彼が成人した後である。

尚かつ、僕の仮説が正しかったとしても、受け手は、僕とは違う人間である。

ところで、前述のとおり、子供も5歳にもなれば、悩みもある。

個人差はあると思うが、その悩みも、親が訊かなければ、本人からは口にしない。

相手に興味を持ち、相手の悩みを理解しようとする姿勢がなければ、現実は分からない。

「理論的」な「分析」と同時に、「知覚的」な「認識」が必要である。

そんな���とを考えた日曜日だった。

話は変わるが、兼任講師としてお世話になっている「法政大学ビジネススクール(イノベーション・マネジメント研究科)」で、来年度から「客員教授」を仰せつかることになった(予定)。

とても光栄に思う。

今年度と同様、プロジェクトと呼ばれる科目(事業計画の策定)に加えて、通常の講義も担当することになった。

講義名は「アントレプレナーシップ論」。

英文タイトルも要請され、少々勇気が必要だったが「Innovation & Entrepreneurship(イノベーションと起業家精神)」とした。

そう。ドラッカーの書籍のタイトルである。

名前負けするのは必至かもしれないが、最善を尽くしたい。

僕の今までの起業家人生で経験した悲喜交々な出来事をドラッガーから学んだ「原理原則」に照らし合わせ、成功した原因は何だったのか?失敗した原因は何だったのか?を体系的に整理し、それをもとに講義を行う予定である。

明後日がシラバス提出の締め切り。

僕にとって、ここ1ヶ月は、そのことが最重要課題であり、一生懸命に内容を考えてきた。

講義は臨機応変に変更してもいいらしいが、シラバス(企画)の段階こそ、手を抜かずに対応したい。

「イノベーションには、他の仕事と同じように、才能や素地が必要である。しかし、イノベーションとは、あくまでも『意識的』且つ『集中的』な『仕事』である。『勤勉さ』と『持続性』、それに『献身』を必要とする」。

これもドラッカーから学んだことである。