「素数」と「リーマン予想」。

今週は、法政大学イノベーション・マネジメント研究科のプロジェクト(一般的なビジネススクールでいう修士論文に相当)中間発表ウィーク。

院生の方々の発表を聴き、評価をしなければいけない。

ビジネスプランの審査員等で評価の仕事はかなり経験しているが、いつもとても悩ましい仕事である。

明日も院生の方の発表がある。

ところで昨夜(テクニカルには今日の午前零時半~2時過ぎ)、NHKで「魔性の難問~リーマン予想・天才たちの闘い~」なる「数学」に関する番組(再放送)を見た。

算数は得意(成績は5だった)だったが、中学になって「数学」になると、とたんに苦手になり、高校の時はいつも「赤点」だった。

そんな僕が何故、数学に関する番組を見たのか?

実はワインを飲んでソファーで眠ってしまったのだが、目が覚めると、その番組が放送されていた。

簡単に言うと「素数」~僕は、この言葉さえ忘れていた~に関する謎を解くために悪戦苦闘をしてきた天才数学者たちの挑戦と挫折を綴ったものだ。

中には、命を落とした数学者もいたらしいが、彼らが挑んだのは「リーマン予想」というものを解き明かすことだった。

「素数」とは、1とその数以外のどの整数でも割り切れない数のことで、その出現には何の法則性もないように見えるらしいが、ドイツの数学者「ベルンハルト・リーマン」が、「素数」を使ったある関数(ゼータ関数)の零点の分布が直線になっていることを発見し、一見すると何の法則性もないように見える「素数」に、実は何らかの法則性があるのではないか?という予想(仮説)を発表し、数学界に衝撃をもたらしたという。

今日までに何人もの天才数学者が、その予想(仮説)を証明しようと挑んできたが、未だにだれひとりとして、リーマン予想を証明した数学者はいないそうである。

また、僕にはきちんと説明ができないが、リーマン予想(ゼータ関数の零点は直線に分布する)と「量子力」には相通ずるところがあるらしく、素数の謎を解き明かすことは、宇宙の謎を解き明かすことに繋がるのではないか?と言われているという。

そんな天才数学者の軌跡や挑戦と挫折を初めて知り、改めて思ったことは、僕がやっていることは、文字通り、宇宙の断片に過ぎず、何をしようと多寡が知れている、ということだ。

そう、人類の歴史から見れば、微細なことであり、誤差にもならない。

そう考えると、とどのつまり、何をやってもいいということであり、結局は自分の好きに生きればいい。

自分に期待しすぎて重たくなり、何もできなくなるよりも、自分が好きなこと、その中でできることをしていくことが、幸せな人生を送る秘訣ということだ。

下手な自意識なんて、捨ててしまおう・・・。

追伸:自分が「好き」で尚かつ「できる」こと、それも趣味ではなく「仕事(ビジネス)」として。凡人にとって、これは難問である。

「孫 泰蔵」さんとYahoo! JAPAN 誕生秘話

よく晴れた「文化の日」。

溜池山王にある日本財団で行われた、NPO法人ETIC主催の「Impact Gathering」に出掛けた。

詳細はETICのウェブサイトでご覧いただければと思うが、ソーシャルアントレプレナーが集まるイベントで、ソフトバンクの孫さんの実弟「孫 泰蔵さん」が基調講演をされた。

泰蔵さんとは多少の接点があるが、Yahoo! JAPANの立ち上げに携わった経緯を伺うのは初めてだった。

どういう経緯かの説明はなかったが、1995年、まだ、スタンフォードの学生(大学院生)だった Jerry YangDavid Filoと知り合い、衝撃を受けたという。

彼らは、自分たちが行っていることは、ニュートンの前に「リンゴを落とす」ような仕事であり、全世界の人々に「知識」を提供する、とても社会的意義のある事業であると熱く語り、これから「Yahoo! World Tour」に出る(日本、韓国、ドイツ、フランス/順不同でYahoo! を立ち上げる)という話をされたらしい。

その後、自分たちにやらせてくれ!と言ったところ、「じゃあ、やってくれ!」となり、Yahoo! JAPAN は、日本人がウェブ上に散在する知識にリーチできるようにするためのものであり、米国のやり方を踏襲する必要はなく、とにかく、日本の人達にとって「役に立つ」検索エンジンを創って欲しいというのが、唯一のリクエストだったという。

この話には、もう少し続きがあるが、その詳細を書くにはかなりの根気と時間を要するので、今日のところはこの辺で止めておこうと思う。

僕が、泰蔵さんの話で最も感動というか頭に焼き付いたのは、「こんなに苦しい思いをしてまでやり抜くというモチベーションは、(自分の)哲学からしか生まれない」というひと言である。

泰蔵さんも言っていたが、起業にはリスクはつきものであり、殆どは失敗する。

事実として、彼が手掛けた事業で世に出たものの陰には、死屍累々の失敗があるという。

僕自身の経験に照らし合わせてみても、起業したり、事業を立ち上げるにあたっては、辛いことがたくさんある。

そして、その困難に打ち勝っていくには、名誉や金銭欲もあると思うが、泰蔵さんが言うとおり、最後の最後は、自分自身の「信念や価値観」つまりは「哲学」しかない。

では、僕の「哲学」は何だろうか?

その問をもらった基調演講だった。

「卓越性の追求」。

今日から11月。恵比寿界隈の広葉樹が、赤や黄色に紅葉している。

でも、僕が子供の頃と較べると、季節が進むのが1ヶ月ぐらい遅くなっているように思う。

ところで、先日のエントリーでもドラッガーの話を書いたが、今朝、Twitterで流れていた「ドラッガーBOT」に「卓越性の追求」に関するものがあった。

「自らの成長のために最も優先すべきは卓越性の追求である。そこから充実と自信が生まれる。能力は、仕事の質を変えるだけでなく人間そのものを変えるがゆえに、重大な意味をもつ。能力なくしては、優れた仕事はありえず、人としての成長もありえない」。

仰るとおりである。

特に「能力は、仕事の質を変えるだけでなく『人間そのものを変える』がゆえに、重大な意味をもつ」というくだりは、大きな意味を持つ。

では、どのような能力において「卓越性」を追求するべきなのだろうか?

そう、それは人によって異なる。

つまり、何を達成したいか?要するに何が「目的」か?によって、卓越すべき能力や領域が異なる。至極、当たり前のことだ。

民主化された国であれば、人生において何をするか?どんな人生を送るか?は「個人の自由」である。

「ミンツバーグ」を読みながら、そんなことを考えた。

追伸:自分の中で色々な変化があり、10月はアメブロでブログを書き始めて以来、最も更新数が少なかった。今月は、どうなるだろうか?まずは、初日の今日は更新をした。