「成長」とは何か?

今日で11月も終わり。今年も残すところ、あと1ヶ月となった。

ところで、つい先日、僕たち家族にちょっと嬉しい出来事があった。

渋谷区が主催する読書感想文ならぬ「読書感想『絵』」のコンクールで、僕たちの子供が「銀賞」を受賞した。

「銀賞」と言っても、ひとりだけでなく、何人かに与えられるものだが、それでも受賞は嬉しいニュースだった。

この「読書感想『絵』」のコンクールは、未就学児(幼稚園・保育園)と小学生の各学年(中学生があったかは、よく憶えていない)に分かれていたが、印象的だったのは、「技術的」な問題はさておき、「絵」そのものの持つ「存在感」や「キャラクター」は、小学生の高学年よりも、むしろ、未就学児の作品の方が優れているように思えたこと。

「絵本」を読んで感じたことを「絵」にするわけだが、既成概念や技術に関する知識がない分、感じたことを感じたまま、自分が描ける描き方で表現しており、そこに戸惑いや躊躇がなく、絵に「生命力」があるというか、その子の「個性」が表現されていた。

僕が未就学児の子供を持つ父親というバイアスがあるのかもしれないが、小学生の高学年になると、技術的には優れていても、「生命力(エネルギー)」が感じられないものが多かった気がする。

「成長」とは何か?を考えさせられた。

女性のキャリアと生き方を考える。

いつもは、僕の日常生活で感じたことや起業やベンチャー企業経営、政治・経済等のトピックスを書いているが、今日のエントリーでは、今年4月から兼任講師としてお世話になっている法政大学ビジネススクール(イノベーション・マネジメント研究科:通称イノマネ)のオープン講座に関する案内をさせていただきたい。

法政イノマネでは、今年7月から、シリーズ企画(計4回)として、「女性のキャリアと生き方を考える」をテーマとしたオープン講座(女性限定!)を開催してきたが、来月(12/3)は、その最終回

今までの回を簡単に振り返ると、

第1回:株式会社アップウェブ 代表取締役 藤田尚弓さん

「地方警察署勤務→結婚退職→フラワーショップを開業→離婚→銀座ホステス→警備会社で営業管理職→ネットビジネスで起業」と波瀾万丈の人生を歩んでいる彼女のリアリティのあるキャリアと生き方に関する話。

第2回:株式会社ニューズ・ツー・ユー 代表取締役社長 神原弥奈子さん

学習院大学大学院修了後、そのまま起業(ウェブ製作会社)。故伊丹十三監督と一緒に仕事をする。→結婚・出産→ニューズ・ツー・ユー(Net PR)を起業。ご主人もベンチャーの経営者であり、ふたりとも多忙を極める中で、どのようにキャリア(仕事)と私生活を両立させてきたのか?そのコツを語っていただいた。

第3回:ファイザー株式会社 西東京医薬支店 支店長 草野 弘子さん、エスティ ローダー株式会社 AVEDA マーケティング部部長 渡邉 由佳さん

MBAホルダーであり、日本社会ではまだまだ数少ない「女性管理職」として活躍されているおふたりに、MBAがご自身のキャリアにもらたした「インパクト」は何か?と「男社会」で生き残る?ための秘訣を、本音トークのセッションとして展開していただいた。

そして、第4回(最終回)の今回は、リクルートで就職情報誌や旅行雑誌「じゃらん」の事業部で働いた後、大学院に進み「観光学(近代における日本旅館の成立と変遷)」で博士号を取得され、現在は大学で教鞭を執られている「大久保あかね」さんをゲストにお招きし、これまでのキャリアについてお話を伺う。

また、ご自身の専門分野の「日本における観光業のあり方(事業構造)」に関する展望もお聞きしたい。

尖閣諸島、北方領土、そして、朝鮮半島での紛争リスクが発生し、政治的安定や安全保障問題抜きには「経済」を語ることができない現実を再認識させられたが、これからの日本経済発展の大きな要素のひとつである「観光」というテーマについて、大久保さんの示唆に富んだお話が聞けることを僕自身、楽しみにしている。

師走に入り多忙な時期ですが、お時間の許す方は是非いらして下さい!

日本のハンディキャップ。

昨日は、僕がアドバイザリーボードの一人として関わっているドリームゲートと元日銀総裁の福井さんが会長を務められるSEOU会との朝食会があり、07:15に家を出た。

地下鉄に乗ると慶応幼稚舎と思しき小学生たちが、「戦争になったらどうなるんだろう?北朝鮮が核兵器を使ったら、放射能が漏れちゃうじゃん…」と、笑いながら降りて行った。

延坪島(ヨンピョンド)には、小学校も中学校もある。

そして、ソウルは北朝鮮との軍事境界線から、50kmしか離れていない。

東京都心から鎌倉までと同じ距離である。

日本は幸か不幸か(平和である前提に立つ限りは間違いなく幸である)、日米安全保障条約の下、諸外国と比べて極端に少ない防衛予算で平和を享受してきたが、中国の台頭により、世界のパワーバランスが変わったことで、そのリスクが顕在化したということだろう。

平和が続いている間は、政治(安全保障)と経済がシンクロしていなくても問題なかったかもしれないが、尖閣諸島や北方領土の問題で、安全保障の問題と経済活動を切り離しては考えられないことを、国民も理解したと思う。

中国は共産党一党独裁の政治体制で、事実上の国営企業が多数?あり、政府主導で経済運営がてきるが、日本においては、そうはいかない。

米ソの冷静構造に終止符が打たれ、I.T.の発展と規制緩和によりグローバル化が進展し、経済力が国力の源泉となったかに見えたが、時計の針が一回りし、政治、軍事力、経済が「三位一体」でなければ機能しない時代に逆戻りしたのだろう。

日本が今さら軍事力を増強することは、国際世論的にも財政的にもリアリティがないことを考えると、日本の将来には、厳しい現実が待っている。

僕たちの子供の世代は言うまでもなく、平均寿命を考えれば、僕らの世代にもあと30年の人生が与えられている。

国民ひとりひとりが真剣に、日本の将来を考える必要がある。

そのためにも、何にも増して「教育」が重要である。

時既に遅しではないことを祈りたい。

「人口が減る国」の未来。

今日は僕たちの子供の「七五三」。昨日から実家の母親が上京し、4人で明治神宮へ出掛けた。

会場に着くと「少子高齢化」を繁栄してか、当の子供達よりも「祖父母(それも両方)」の姿が目に留まった。

それはさておき、僕にとっての七五三は今から42年前、父親に連れられて、実家の福島県郡山市にある「安積国造神社」へ行った記憶に遡る。

我が子が着たような着物ではなく、半ズボンのスーツにネクタイ姿で、千歳飴を持って帰ってきたことを憶えている。

因みに、僕たちの父親は「教育熱心」で、尚かつ、母親は学校の教師をしていたこともあり、七五三だけでなく、小学校の入学式も父親と一緒だった。

ところで、少子高齢化(人口構成)に因んだ話として、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授「野口悠紀雄氏」のコラムを読んで「住宅取得に関するスペンディング・ウェーブ」なる概念を知った。

ライフステージ的には、団塊ジュニア(1971年~1974年生まれ)が30代後半に「住宅取得のピーク」を迎えるという見方があり、そのとおりだとすると2005年から2015年頃が、まさにその時期になるが、実際には、そのような傾向は見られていないらしい。

実質住宅投資の実質GDP比を見ると、1980年代から1995年頃までは、5~6.5%程度で推移しているが、それ以降、急降下を続け、2009年には「2.5%」程度まで落ち込んでいる。

つまり、住宅投資については、団塊ジュニアのスペンディング・ウェーブは存在しないことになる。

要するに、せいぜい「2人兄弟(長男長女)」の彼らは、将来的にはどちらかの親元に住めばよく、多額のローンを抱え込んでまで住宅を購入する必要がないということだ。

仮に、同じ「長男長女」だったとしても、これが高度経済成長期のように地方から都会に人口が移動する時代であれば、新規住宅取得の需要があるが、日本においては、都市化はほぼ完了しており、この先、地方から都会への大きな人口移動は見られない。

となると、これからは、新規住宅取得よりも「リフォーム需要」の方が高まるという推測が成り立つ。

参考までに、欧米諸国と比較すると、現時点での日本は「既存住宅の取引の割合」や「リフォーム投資の対GDP比」が低い。

この辺りは住宅に関する価値観の問題が大きいが、「住宅の耐用年数」等の問題も絡んでおり、テコ入れをする余地は充分にあると思う。

あとは、やはり、移民政策だろう。

因みに、あるところから聞いた話では、ソ連の崩壊により、それまで「国防」等の仕事に就いていた優秀な科学者達の「失業」に祭し、アメリカは「約5,000人」の旧ソ連の科学者をスカウトしたらしいが、日本はなんと「ひとり」だけだという。

ソ連が崩壊することは、政府レベルでは予測できていたはずであり、そういうところにも「国家戦略」のレベル差がある。

日本は、アジアの優秀な若者ものを、留学生として、どんどん受け入れればいい。

授業料と生活費と併せて年間ひとり500万円だとして、1,000人を受け入れても50億円。

10年続けても、500億円。

安いものである。

日本には天然資源はない。

頼れるのは「(優秀な)人的資源」だけである。

「内定率57%」の意味。

昨晩は久しぶりにウェブクルー(東証マザーズ)の創業メンバーで集まって食事をした。

因みに、集まったメンバーは、渡辺さん(創業社長で現在は取締役相談役)、渡辺通世さん(渡辺さんの妹さん)と僕。

2009年春にゴルフに行って以来だったので、一年半ぶりだった。

因みに、集まった場所は、ウェブクルーが経営する、渋谷のセンター街の奥にある「小肥羊」という中国の火鍋料理の店。

行き帰りのセンター街を歩きながら、今の日本を覆っている閉塞感の一端がここにあると思った。

どう見てもまともな仕事をしているとは思えない若者があちらこちたに立っている。

ところで、昨日の日経朝刊に、来春の新卒者の「内定率57%」という数字が載っていた。

この数字の意味することは何だろう?

ひと言で言ってしまえば、日本には、大学を卒業する若者の2人に1人分しか「仕事がない」ということだ。

東証一部上場企業の業績が急回復していると言っても、それは「新興国」の需要に支えられているわけであり、移民を受け入れない限り人口が減っていく国内市場を担当する日本人よりも、新興国での雇用を優先する、ということだろう。

また、日本のように解雇規制が厳しい社会においては、正社員として雇用した人間はよほどの理由がない限りは解雇できず、これほどに変化が激しく事業の寿命が短くなっている環境においては、固定費としての人件費は、できる限り少なくしたいのは無理もない。

要するに、時代環境が悪化しても中高年の雇用は保障され、その分、若者の雇用が犠牲になっているということだ。

世界経済の構造変化を考えると、この「数字」は、そう簡単には改善されないだろう。

因みに、1990年代の「生産性の向上」と「労働人口の変化」を見ると、「建設業」では「労働生産性がマイナス」になっているにも関わらず、「就業人口が増えている」(「失われた10年と産業構造の転換」宮川努)。

つまり、バブル崩壊後に「赤字国債」を乱発して「需要のない地方公共事業」に膨大な資金を投入した結果である。

それは、一般会計における「税収」と「歳出総額(要するに支出)」と「公債発行額の推移」を見ればよくわかる。

平成元年(1989年)には「6.6兆円(それでも収支は赤字である)」しかなかった「公債発行額」が、現在では「44兆円」である。

しかも、「歳入」が「37兆円」しかないにも関わらずである。

アメリカ社会では「サブプライム・ローン」という過剰債務が弾けたとすれば、日本は「社会保障」や「公共事業(地方救済)」という美談のもとの「砂上の楼閣」が瓦解しそうになっている、ということだろう(因みに、野口悠紀雄氏/早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授によると、公共事業への支出よりも、社会保障費の支出増の影響の方が大きいという)。

また、そこには霜降り牛肉よろしく特殊法人が入り乱れているらしい。

さて、話を昨晩(ウェブクルー)に戻すと、ウェブクルーを創業する前は、渡辺さんも僕も、お互いに「マンションの一室」で細々とベンチャーをやっていた。

でも、幸運にもインターネットという「千載一遇」の「フロンティア」に遭遇し、自分たちもその中で主要な役割を演じることができる!という確信を持つことができ、貧乏な暮らしをしていても、将来に「希望」を抱くことができた。

若かったということもあるが、将来に対する希望を持つことができたせいで、毎晩夜中まで、場合によっては朝まで、仕事に打ち込むことができたのだと思う。

村上龍に言わせれば、「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが希望だけがない」ということだ。

一方、氏の著書に猛烈な批判を加えている書もあるらしい。

いずれにしても、「57%」という数字は、今の若者に限った話ではない。

僕たちの世代(40代後半)も、このまま平和に日本で暮らしていけるとは限らない。

30年後の日本がどうなっているか?想像もつかない。

僕なりに、知恵を絞りたい。

「ポジティブな修羅場」。

つい2ヶ月前まで記録的な「猛暑」に悩まされていたことが嘘のように、ちゃんと「冬」は来るらしい。

自宅のベランダ越しの借景には、黄色く色づいたケヤキや赤く染まった桜の木が見える。

ところで、いつから読み始めたか?憶えていないが、524ページというページ数に加えて専門的な内容で、かなり時間がかかったが、ミンツバーグの著書(かなり刺激的なタイトルである)を先週、ようやく読み終えた。

読み進めるには根気がいるが、経営に携わっている(&携わった経験のある)方、部下を持っている方には是非、読んでみていただきたい本である(そのような経験がないと、得るものが少ないと思う)。

さて、ミンツバーグ教授の後は、法政MBAでお世話になっている高田朝子准教授(組織論がご専門)にご献本をいただいた著書(人脈のできる人~人は誰のために「一肌ぬぐ」のか?~)を読了した。

「人脈」というタイトルから、正直、あまり気が進まず、頂いたままになっていたのだが(高田先生、ごめんなさい!)、ミンツバーグの本を読みながら、マーケティングやファイナンス、テクノロジーだけでなく、何をするにしても「組織」のあり方を学ぶ必要があるという至極当然のことに思い至り、ご献本いただいた著書を捲ってみた次第である。

「はじめに」を読んでいる間は、あまり興味を持てずにいたが、第一章の終わりあたりから、高田先生が何を言いたいのか?ご自身の研究成果の何を伝えようとしているのかを理解でき、その後は一気に読み進めた。

詳細は高田先生の本をお読み頂くとして、「人間関係」を、「自分が相手を助けることができる」という自信(その有無)と「相手が自分を助けてくれる」という自信(その有無)という2軸で整理されている。

前者を縦軸、後者を横軸とすると、左上から時計回りに「目下の知り合い(左上)」「対等人脈(相互の信頼に基づく関係/右上)」「シンデレラ人脈(親分・子分の関係/右下)」「脆弱な知り合い(左下)」という4つの象限に分けられる。

高田先生が約70人の方々へインタビューされた結果、「人脈」(上記の象限でいう「対等人脈」)というのは、「困難な仕事や局面を共有し、共に乗り越えること」で出来上がることが分かったそうだ。

また、その関係は、相手に助けられたり、相手を助けたりという「相互扶助的」(最近の政治風に言えば「戦略的互恵関係」?)なもので、尚かつ、長期的な関係であるという。

たしかに、自分自身の経験を振り返ってみても、相手が自分を必要とする時には喜んで協力したいと思っている相手というのは、何らかのシンドイ仕事を一緒にやったことのある人が殆どである。

更に言うと、30代半ばまでの僕は、高田先生のマトリックスでいうと「右下」の象限(シンデレラ人脈)、つまり、自分よりも「年上」且つ「社会的地位の高い人」に可愛がっていただいたことで何とかやって来れたが、インタースコープ創業前後あたり以降に知り合った人(一緒に仕事をした人)で、今も尚、関係が続いている人(&続けたいと思っている人)は、「右上」の象限(相互の信頼に基づく関係)に入る人が殆どである。

つまり、僕の中に今も残っている「充実感」や「達成感」、そして、これからも大切にしたいと思っている人達は、いずれも、高田先生が著書の中で定義されているところの「修羅場(困難な仕事)」をくぐり抜けたことによってのものである(と気がついた)。

これからの人生で、もう一度、出来ればそれ以上、「ポジティブな修羅場」に出会いたいと思う。

Living on the Edge. 境界の上を歩く。

今月もブログの更新は滞りがち。

でも、ここ数日は密度の濃い時間を過ごしている。

日々想うことをすべて文章にするのを止めて、自分の中でじっくり「省察」することにしてみた。

今日はとあるアポがあり、かなり久しぶりに銀座の街を歩いた。MATSUYA GINZA の外壁がとてもモダンにリニュアルされ、女性誌の広告スペースとして使われていた。

インターネットだけでなく、こういうところにもイノベーションはあるということだ。

ところで先日、インボイス創業者の木村さんとドリームゲートの松谷さんと、ランチをご一緒する機会に恵まれた。

インボイスという会社や創業者の木村さんのことは数年前、同社が全株主に対してストックオプションを付与するというニュースで知った。

凄いことをされる方だなと思っていたが、実際にお会いした木村さんは、予想以上に「存在感」のある方だった。

でも、考えてみれば、それは当たり前のことで、そうでなければ、一代で、あのような会社を創ることは出来ないだろう。

木村さんからは色々なお話を伺ったが、その中で最も印象に残ったのは、「いいんですよ。もう一度、一からやれば。だって、最初は何も無かったんだから…」というひと言。

確かに、そのとおりだな…と思った。

また話は変わるが、今読んでいる本に「境界はエキサイティングだけれど、難しい場所なのだ…いつも変化し、境界にあり続けなければならない」と書いてあった。

なるほどな…と思った。

「境界(エッジ)」の両側は、断崖絶壁か急な斜面になっており、唯一安全な場所は「尾根の上」だけである。

Living on the Edge.

今にして思うと、イケテル名前である。