「クルミドコーヒー」と「顔の見える経済」

今日の東京はこの秋一番の寒さらしいが、これだけきれいな青空も、この秋、初めてのような気がする。

ところで、今週の月曜日は、わざわざ西国分寺にある「クルミドコーヒー」まで出掛けた。

都心からの所要時間は約40~45分。決して近くはない。

クルミドコーヒーは、影山さんという方が経営しているカフェで、名前のとおり、店内には「無料」の「クルミ」が置いてあり、好きなだけ食べていいことになっている。

店内は、木と鉄とガラス以外の素材は一切使われておらず、壁も影山さん自らが貼ったという凝り具合だ。

ところで、その影山さんであるが、東京大学法学部を卒業し、経営コンサルティングファームのマッキンゼーに就職。その後、マッキンゼーの先輩が立ち上げるウィルキャピタルというベンチャーキャピタルに参画し、2年程前に「カフェ」のオーナーとなった、僕から見ると、かなり変わった人である。

その影山さんが講師?となり、毎週月曜日に「クルミドの夕べ」という勉強会のようなものを開催しているらしいのだが、一昨日のテーマは「ベンチャーキャピタル(VC)」で、影山さんがVCの社会的役割、そして、現状と未来ををどう考えているのか?を拝聴したいと思い、1時間近くもかけて、久しぶりにクルミドコーヒーまで行ってみた。

結論として、僕が期待したような話は聞けなかったが、その代わりに、別の収穫があった。

影山さんが何故、「クルミドの夕べ」と題して、無料で、それも毎週、勉強会のようなものを開催しているのか?僕なりにその理由が分かったような気がした。

影山さんにとっては「クルミドコーヒー」そのものが影山さんの「理念」の結晶であり、お店というハードとメニューという商品でその理念を具現化しているわけだが、それだけではなく、影山さんが今の日本社会(場合によっては世界全体)をどのように見ているのか?そして、どのような社会を理想とし、どのような理想の実現の一助となろうとしているのか?その「想い」を自分の言葉で直接、伝えたいのだろう。

つまり、経済的価値(リターン)ではなく、直接的に経済に転化できない何かを、そのことから得ているのだと思う。

影山さんほどの学歴と経歴と能力があれば、もっと稼げる選択肢は他にいくらでもあるだろうに、それを捨ててリスクを取って「カフェ」と「賃貸マンション(現代版の長屋のような運営をしている)」の経営を始めた理由が、よりよく理解できた気がした。

それはひと言で言えば、「顔の見える経済」(誰のための経済活動か?が分かる社会)を実現したいということなのだろう。

彼が考えている(だろう)「顔の見える経済」の何たるか?に関しては、別途、エントリーを書こうと思う。