「変化率」の高い時期。

インタースコープを経営していた頃、オデッセイコミュニケーションズの出張さんという方と知り合った。

当時のインタースコープは株式公開を目指しており、また、出張さんも株式公開を考えていたようで、何か接点がないかということで、野村證券の方が引き合わせてくれた。

出張さんは投資銀行出身で、株式公開のメリットもデメリットもよく理解されており、業績的にはすこぶる順調にも関わらず、結果的には株式公開はしないことにしたようである。

因みに、近年はテレビCMまで流している。

ところで、その出張さん自らが音頭を取って発行されている「オデッセイ・マガジン」なるフリーペーパーがある。

ありがたいことに未だに僕のところにも送り続けていただいているのだが、今月号に「変化率」というキーワードが書かれていた。

巻頭特集に「この人に会いたい」という、出張さんとゲストとの対談コーナーがあるのだが、今回のゲストは、ミスユニバース2010日本代表の「板井麻衣子さん」だった。

板井さんは現在、25歳。

出張さんはご自身が25歳の時のことを思い出し、人生には「変化率の高いとき」があり、その時にどれだけ頑張れるかが勝負を決めると話していた。

彼は25歳でハーバードビジネススクールに留学した時、人生が新しいステージに移った気がしたという。

会社を立ち上げてからも、何度か「変化率の高いとき」があったそうだが、そういう期間は「そう長くはなく」、ほんの数年間で方向が決まってしまうと述べていた。

自分自身のことを振り返ってみても、たしかにそう思う。

25歳の時の僕は、オーディーエスという、一風変わったコンサルティング会社に転職して一年目だったが、あの会社の理念や思想には、とても大きな影響を受けた。

「公私混同する(ひとつの軸で考える)」。自分はひとりしかいない。仕事かデートかその時間はどちらかしか選べない。

「言わないことは聞こえない」。文字どおり、自己主張を大切にする。

相手を呼ぶ時は「さん」付けか「呼び捨て」。君や役職では呼ばない。

「自分の価値観」に忠実に生きる。すべては自己責任。

それまでの僕にとっては、天変地異が起こったか?というぐらいインパクトがあった。

その次に「変化率が高かった」のは、やはり、インタースコープを創業した時だった。

あの頃の数年間は、文字どおり、僕の人生を変えた。

そして、ドリームビジョンを立ち上げたものの、紆余曲折の結果、2008年末で人材紹介から撤退したこと。

こうして振り返ってみると、色々な「節目」があり、その内容は異なるものの「変化率の高い時期」が何度かあった。

こうして書きながら思い出したが、中学浪人(高校中退)をした時期もそうだった。

でも、最も大切なことは、「その先の未来をどうしたいのか?」ということである。

そのことを忘れないようにしたい。